最近また韓国との繋がりが活発化してきました。そもそもの始まりは上の写真にあるように、地下鉄の騒音と振動を測りに行った事なのです。
1992年の2月、もう17年になります。その頃の日韓関係はと言うと、従軍慰安婦問題の真っ盛り、ソウルの日本人が生卵をぶつけられたと言うニュースが流れていました。
「そんなところに行くのイヤだな・・・」と思いつつ、少しでも印象を良くしようと、にわか覚えのハングルで名刺をつくり、カムサハムニダ(「有難うございます」)とアンニャンハセヨ、アンニョンヒ・ガセヨ(「こんにちわ」と「さようなら」)だけを覚え出かけて行きました。
ところが行ってみると・・・、空港に着いたとたん「懐かしいな・・・!」と言った感慨が湧いてきたのです。
「それは何故なんだろう・・・?」といった好奇心から韓国語を習い始め、4年半かかって卒業しました。その時からお世話になっているS先生と、仲間の何人かで今年の冬は『ソウル忘年会』を企画しています。
12月12日(土)慶應外語のOBでなくとも参加できますので、参加可能な方はご一報ください!
という事で、今年の冬はインフルエンザに負けない『ソウルの暑い冬?』を目指して頑張りましょう!
1992年の2月、もう17年になります。その頃の日韓関係はと言うと、従軍慰安婦問題の真っ盛り、ソウルの日本人が生卵をぶつけられたと言うニュースが流れていました。
「そんなところに行くのイヤだな・・・」と思いつつ、少しでも印象を良くしようと、にわか覚えのハングルで名刺をつくり、カムサハムニダ(「有難うございます」)とアンニャンハセヨ、アンニョンヒ・ガセヨ(「こんにちわ」と「さようなら」)だけを覚え出かけて行きました。
ところが行ってみると・・・、空港に着いたとたん「懐かしいな・・・!」と言った感慨が湧いてきたのです。
「それは何故なんだろう・・・?」といった好奇心から韓国語を習い始め、4年半かかって卒業しました。その時からお世話になっているS先生と、仲間の何人かで今年の冬は『ソウル忘年会』を企画しています。
12月12日(土)慶應外語のOBでなくとも参加できますので、参加可能な方はご一報ください!
という事で、今年の冬はインフルエンザに負けない『ソウルの暑い冬?』を目指して頑張りましょう!