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ぽかぽか春庭「自由と不自由、Liberty とFreedom」

2018-07-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180721
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本語質問ノート(2)自由と不自由

 学生からの質問、まだまだありますが、ここで大人の質問を。
 ブログ友達すみともさんからの「自由と不自由」について質問をいただきました。
 春庭回答コメントとともに、再録させていただきます。
~~~~~~~~~~~
  (すみとも)2018-07-03 13:33:40
liberty の訳語として生まれた「自由」と言う日本語 
それ以前に「不自由」と言う日本語は有ったそうですね・・・「自由」以前に「不自由」と言う言葉が有った!!・・・って 本当なのでしょうか
Freedom の訳語も「自由」? な~んて考えていたら 眠くなってしまいました。。 
兎に角 自由 ことに言論の自由が無くなるのは怖い!




春庭回答コメント
2018-07-03 16:12:16
自由の前に不自由があった、というのは「自由」という語のふたつの意味が錯綜していると思います。

仏教のはじめからある仏教用語としての「自由」は、「自らに由る」という意味です。他者にたよらず、自らの意思で自立してあること。不自由とは、その逆の意。

明治期以後の、「自由」は、仏教用語とは意味合いがことなります。
J・S・ミルの『On Liberty』(『自由論』)の訳語として定着したもので、明治5年に中村敬太郎が『On Liberty=自由之理』と訳しました。

仏教用語の「自由=他者によらず自立すること」に対して、Livertyの訳語としての自由は「自らが意識的に獲得する自己決定の権利」という意味合いになります。

一方Freedomは、人にもともと備わっているもので、「言論の自由」と言えば、人には人としてあるべきものとして生まれた時から所有しているのです。

Livertyのように、苦労して努力して得るものでなくて、「人権」の一部と思ってください。

自由がある前に不自由があった、というのは、前者は、訳語の自由で、後者は仏教用語なのではないでしょうか。

「言論の自由」「表現の自由」が抑圧されようとしている現在、自由の意味をもう一度考えたいですよね。
もともとある人権としての「言論の自由」を「お国のためにならない考え方は制限せねばならない」と考える人がその思い違いを知っていきますように。

先の大戦中は、川柳の表現も抑圧を受けましたね。お国を批判したりする川柳は厳しい弾圧にあいました。

川柳が弾圧される日の再来
言いたいこと言えぬ日があったあの日


<つづく>
コメント
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