
昨日、文化の日でしたので、たまには文化的なことを・・・と(恥)
町営の郷土資料館へ「大島の遺跡展」を見に行ってみました。
見出し写真は、資料館の前庭に飾られている「ハワイの魔除け像」です。
右下の説明板に、その由来が書かれています。
1962年2月に大島町とハワイ島ヒロ市が、
姉妹島の盟約を締結した際に贈られた記念品だそうです。
来年は50周年ですね。
資料館は、こんな具合に、
当時「世界三大流動性火山」などと言われていた
地学の歴史を知ることも出来る仕掛けになっているのです。
常設展示コーナーとは別の場所に、
特別展「大島の遺跡展」の会場があります。
先週末から今週末までの開催なので「ウイーク」だったのか。
・・・のぼり旗もありました。
元町の地曳浜(じびきはま)の南側にある崖に、
下高洞(しもたかぼら)遺跡があります。現地の写真パネルです↓
縄文時代早期の遺跡の発掘調査の様子が、
文献資料などと共に展示してあります。
下列左から2番目の写真パネルは「海亀」と注釈が付いていて、
縄文の人たちが食べたアオウミガメの甲羅とのこと。
遺跡からは、神奈川県の三浦半島に分布している
平坂式尖底土器なども出土しているそうです。
この中にカメの肉を入れて、焚き火の近くに立てて煮たのでしょうか?
こちら↓の陳列ケース上段は、
同じく遺跡から出土した神津島の黒曜石です。
ナイフや包丁、矢じりなどとして使われていた黒い石ですが、
ガラス質で今でも良く切れそうです! 金属よりスゴイかも!?
動物の骨などの出土品↓です。
大島の遺跡からイノシシの骨が出土していますが、
左上の小さな物はイノシシの歯牙を利用した歯斧(骨角器)だとか。
縄文の人たちは、丸木舟にイノシシの幼獣を乗せて
海を渡って来ていたのではないかと考えられているそうです。
飼育、または放牧していたようです。
ヘソ曲がりな私は、
ポークジャーキーみたいなものを航海の食料に積み込んで、
渡って来たってことは、ないのでしょうか?
などと想像してました(笑)
・・・しかし、
下高洞の縄文早期前半の遺跡からイノシシの遺骸が大量に出土し、
縄文人の移住は、沖の利島、新島・・・三宅島へと進み、そのつど
イノシシを連れて行ったらしく、縄文前期末には八丈島の倉輪遺跡
からイノシシの骨が出土し、イノシシと縄文人のつながりの深さを
知ることが出来ます。
(小林達雄著『縄文人の世界』朝日選書557)
それから↓、
下高洞遺跡は、縄文時代中期(5500年前頃)、
縄文時代後期(4500年前頃)の遺物も発掘されています。
火山灰の堆積などもあるので、縄文前期からずっと続けてではなくて、
断続的にこの場所で生活した人たちがいたということのようですが、
当時の大島はどんな島だったのでしょう?
いい文化の日になったなあ・・・(汗)
と思いながら外へ出ると、
駐車場のサクラが咲いているのでした。
このところの暖かさのせいでしょうか。
特別企画展は6日まで。 まだ、やってますよーッ!!
(なるせ)
町営の郷土資料館へ「大島の遺跡展」を見に行ってみました。
見出し写真は、資料館の前庭に飾られている「ハワイの魔除け像」です。
右下の説明板に、その由来が書かれています。

姉妹島の盟約を締結した際に贈られた記念品だそうです。
来年は50周年ですね。
資料館は、こんな具合に、
当時「世界三大流動性火山」などと言われていた
地学の歴史を知ることも出来る仕掛けになっているのです。
常設展示コーナーとは別の場所に、
特別展「大島の遺跡展」の会場があります。

・・・のぼり旗もありました。
元町の地曳浜(じびきはま)の南側にある崖に、
下高洞(しもたかぼら)遺跡があります。現地の写真パネルです↓

文献資料などと共に展示してあります。
下列左から2番目の写真パネルは「海亀」と注釈が付いていて、
縄文の人たちが食べたアオウミガメの甲羅とのこと。

平坂式尖底土器なども出土しているそうです。
この中にカメの肉を入れて、焚き火の近くに立てて煮たのでしょうか?
こちら↓の陳列ケース上段は、

ナイフや包丁、矢じりなどとして使われていた黒い石ですが、
ガラス質で今でも良く切れそうです! 金属よりスゴイかも!?
動物の骨などの出土品↓です。

左上の小さな物はイノシシの歯牙を利用した歯斧(骨角器)だとか。
縄文の人たちは、丸木舟にイノシシの幼獣を乗せて
海を渡って来ていたのではないかと考えられているそうです。
飼育、または放牧していたようです。
ヘソ曲がりな私は、
ポークジャーキーみたいなものを航海の食料に積み込んで、
渡って来たってことは、ないのでしょうか?
などと想像してました(笑)
・・・しかし、
下高洞の縄文早期前半の遺跡からイノシシの遺骸が大量に出土し、
縄文人の移住は、沖の利島、新島・・・三宅島へと進み、そのつど
イノシシを連れて行ったらしく、縄文前期末には八丈島の倉輪遺跡
からイノシシの骨が出土し、イノシシと縄文人のつながりの深さを
知ることが出来ます。
(小林達雄著『縄文人の世界』朝日選書557)
それから↓、

縄文時代後期(4500年前頃)の遺物も発掘されています。
火山灰の堆積などもあるので、縄文前期からずっと続けてではなくて、
断続的にこの場所で生活した人たちがいたということのようですが、
当時の大島はどんな島だったのでしょう?
いい文化の日になったなあ・・・(汗)
と思いながら外へ出ると、

このところの暖かさのせいでしょうか。
特別企画展は6日まで。 まだ、やってますよーッ!!
(なるせ)
ふと通りかかった時懐かしくなり先週行きました。
行く道にホトトギスが満開でした。
島の人間ですと受付の人に言ったらなんか珍しがられましたよ(笑)
島にいるとあえて島めぐりとか観光ガイド読んだりってあまりしないと思うんですよ…
「島もよう」もこちらで紹介される前に買ったんですがなんで島にいるのにそんなん買うのとか皆に言われたりして(^^;
ガイドとか見て初めて島にこんなとこあるんだとか知ったり今更ながら驚いてます。
観光さんに来てもらうのもいいけど島の人にもっと島の魅力を知ってもらいたいですね~
新設の郷土資料館をいらしたなんて羨ましいです。せっかく、町の施設があっても、普段ほとんど利用出来ず残念です。
火山博物館、ぱれ・らめーる等々、企画展というか特別展などをもっと開催するようにして、
島の人間の利用も増やす工夫が必要だと感じました。常設コーナーも展示を入れ替えるとか。
今回は都の事業として予算がついたのかな。
なかなか財政的に難しいのでしょうね。
足りないところは寄付やボランティアを募ってみるなど。いろいろ出来るかも知れません。
島民も要望やリクエストをどんどん出すべきかもですね。
どうも島にいると別のとこに出掛けたくなるってのはありますよね
結構イベントはあるように思いますがわざわざ見に行くってのは…
せめて食事できる場所があればなって思います
家族で出かけたらそこでごはんすませたいですもの。
出かけた先で食事場所を探すのはちょっと…
大島公園もお昼時にバスがあるのにラーメンしかないの!?って言ってる観光さんを見ました。
椿祭り中は寒い中でイベント見るのにせっかくの出店に温かい食べ物がないってどうなんでしょう。
お土産も港や空港で買えるものばかり。昨年昼時見に行ってがっかりしました。
愚痴ってしまいすみませんが食事目当てのお客さんも多いと思うので。
大島公園で今昆虫の標本飾ってあるみたいですね
見たい!行ってみようと思います(^^)
『広報おおしま』11月号に載っているのを今確認しました。チェックしていませんでした。インフォメーションセンターの開設時には大島自然愛好会の一員として関わりましたが、その後は行っていませんでした(汗)。130種類の昆虫標本を展示・・・だとか、すごいですね。ぜひ、行かなくちゃ。
まずは、広報やガイドブックなどを調べて、自分の知らない島の魅力を再発見することも大事ってことですね(汗)。身を持って実感しました(笑)
イベントは多くても、なかなか参加できないのも実情ですね。食べ物と食べる場所も確かに大切ですね。愚痴ったりぼやいたりも何かのヒントになるかも知れませんから、いいんじゃないですか。おみやげ物も、自分では出来るだけ島のものを利用することを心掛けるようにして、今ある良い物が残っていければと思っています・・・微力ですけど。