グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

阿蘇ジオパーク講習報告・その2

2013年01月31日 | 火山・ジオパーク
阿蘇ジオパーク講習報告・続編です。

フィールド講習で最初に訪れたのは、立野渓谷。
眼下に見える渓谷の壁には、規則的な縦の筋が何本も伸びていて、その美しさが目を引きます。

この縦の線の、上から下までが全部、1回の噴火の溶岩流。
立野溶岩、と呼ばれているそうです。

全部で100mの高さがあるそうで、まだこの下があるらしい…。

阿蘇、でっかいです!

私がいつも伊豆大島で見ている溶岩流は高さ10m以下。昨年“赤ダレ”で20mぐらいありそうな溶岩を見て、「過去にそんなに大量の溶岩が流れたことがあったんだ!」と感動していたのに…。100mといったら、伊豆大島“赤ダレ”の溶岩の5倍です!

伊豆大島の赤ダレの写真
    ↓

この写真の5倍の高さの、赤いドロドロの岩が流れてくるって、いったいどういうことでしょう?
…とてもこの世のものとは思えません。

阿蘇のカルデラの中には、伊豆大島が丸々4個近く入ってしまいます。ということは、阿蘇でカルデラができた時の噴火は、伊豆大島も、新島、三宅島、八丈島も、丸まる全部吹き飛ばすぐらいの規模だったということですよね。ヒエ~。火山灰は北海道まで飛んでいるし…。

そしてこれからも、そういう噴火が起きる可能性はあるのですよね。
火山、すごすぎる…。

この日は立野渓谷以外にも、すぐ横の火口から噴き出した溶岩が、積み重なってできた赤い山や…


周りが崩れて、だんだん後ろに下がっていっているという滝に立ち寄り
「どういう表現が伝わりやすいか。」を皆で話しあいながら見学しました。

森が得意な方、火山を良く知っている方、シャレを言って笑わせてくれる方…
みなさん様々で、楽しかったです。

そして、2日目の朝です。
講演会の前に、阿蘇火山博物館館長の池辺さんに阿蘇神社周辺を、案内してもらいました。

驚いたのは、田んぼの中に何やら白いものが、動いていたことでした。

水?

そう、田んぼに水が噴き出していました。

吹き上がる水の一番高い位置が、このあたりの本来の水位と言われているそうです。

田んぼの中で、あちらこちらから水が噴き出しているのは、初めて見る不思議な風景でした。

伊豆大島の年間降水量は2700~2800mm。阿蘇は山が3000mm、このあたりが2500mmとのこと。
大島は水の出る場所が少なく、昔は水の苦労があったと言われています。

2カ所とも雨量はあまり変わらないのに、阿蘇は掘れば(掘らなくても)水が湧き出る…
この違いって、噴き出す火山灰の量と噴火の歴史の長さに、関係あるのでしょうか?

阿蘇神社。

大島の大先輩の火山の神様に、お参りしました。

阿蘇神社の周りには、雰囲気のある町並みが広がっていました。

看板の型を統一し、雰囲気のある町並みを作ったことで、最近若いお客様が増えてきたそうです。
確かに歩いていると、なんとなく楽しくなってきます。

こんなのもあるし…。

このあたりの名物らしいです。

ところで阿蘇のカルデラの中を車で走っていると、茶色い山の景色が気になります。
「山=緑」というイメージを持っている私にとって、この景色はとても不思議でした。

「あのう?茶色いところは崖崩れでしょうか?」
おそるおそる聞く私に、「いえあれは春に野焼きをする場所です。茶色く見えるのは、草原の草が枯れているため。」と池辺さん。

「茶色い所の左横に、雪のラインが見えますか?←(写真には写っていません~)あれは春の野焼きの際に、火が森に燃え移らないようにするための防火帯です。
15m位の幅で阿蘇の人が草刈りをし、そこを焼いたために草がなくなっているので、そこだけ雪が積もっているんです。」

池辺さんの話しによると、急斜面での野焼きは大変な作業で、危険も伴うそうです。

阿蘇では、茅葺き屋根、田畑の肥料、牛馬の餌にするために昔から野焼きをして草地を維持して来たけれど、茅葺き屋根がなくなり、化学肥料が使われるようになり、草の用途が減っているそうです。

昔は阿蘇に住む人たちにとってそれが必要だから草地が維持されて来たけれど、その必要がなくなった今、命がけの野焼きをして草地を維持するのは地元の人に、かなり負担をかけることになるということです。

「この土地ならではの自然を維持しよう」という思いと「それが本当に今、地元の人にとって必要なのか?」という思い、その2つの間で揺れる気持ちが伝わって来ました。

昨年の夏、阿蘇には大雨で土砂災害が起こり、犠牲になった方もいました。

カルデラ壁は大昔から時々崩れ、壁の下は崩れたもので傾斜地になっていて、そこに現在たくさんの人が暮らしているそうです。

広い庭にある大石を「神様」として祭ってある家もあるが、それは実は遠い昔に崖が崩壊し、転がって来たものであったりすると…でも平地は平地で浸水することもあって…

そういう様々なリスクを今、そこに暮らしている人たちに、どう伝えれば良いのか?子ども達には?
池辺さんとの話しは、阿蘇の防災のことに及びました。

会話の中で池辺さんや阿蘇ジオパークの方達の、地元寄りの感じ方や葛藤、阿蘇への思いのようなものに触れて、「これこそまさにジオパークだなぁ」と思いました。

一昨日のアンケートにもあった言葉。「阿蘇に生きる人々は、豊かな大自然の中での生活を大いに楽しんでいるとともに、もちろん悩みもそれなりにあることを同時に伝えられること。」
阿蘇には、こういうふうに感じている人が、いっぱい居るのですね。

地元の人も、その場所が好きで移り住んだ人も、皆にとって良い方向を探していく過程そのものが(様々な悩みや葛藤も含めて)そのままジオパークなのだ、と感じました。

大島に帰って来てからも、今回の講習で出会った阿蘇ジオパークのガイドのみなさんの熱い思いや笑顔を思い出します。

「阿蘇はいいジオパークだなぁ」と心から、思いました。

「いつまた必ず、歩きにいきたい。」
そんなふうに思っています。

(カナ)
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トビ@まったり中~

2013年01月30日 | 
朝の漁港でトビを見つけました。
陽を浴びてまったり中です。


おっと、いきなりブルブルだ。


そして羽繕い。









天敵はほとんどいないでしょうが辺りの警戒は怠りません。



あくびだー。



空を見上げて。



またあくび(笑)







鳥って体が柔らかいんですよね。



顔周りは足で整えます。



羽毛をふくらませて・・・
「飛ぶかな?」と思ったら。



やっぱり飛びました。



ピントが甘いけど正面から撮れたので。

このトビさん、30分近くまったりしていました。
このあとなにか美味しいもの見つけられたかな。


本日のオマケ。

新島と式根島を結ぶ連絡船『にしき』が近くを通っていきました。
ドックですかね?


大室山と。


富士山と。


                       がんま
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阿蘇ジオパーク講習報告・その1

2013年01月29日 | 火山・ジオパーク
週末2日間、阿蘇ジオパークのガイド講習&講演会に呼んでいただいて、皆さんと語って来ました。

1月26日(土)は午前2時間室内講習、午後はフィールド講習でした。
午前中の講習風景です。

この日は、ジオガイド養成講座の基礎編50数時間を終了された方対象の「専門編」。講習には、まだガイド経験のない方から、私よりガイド経験の長い方まで、20数名のガイドさんが参加されていました。

私は特に「技」がある訳ではない「地のまんまガイド(自称)」なので、日頃のガイドの中で学んだこと、感じたことをそのまま語って来ました。

内容は、自己紹介、伊豆大島ジオパークバーチャルツアー、私がお客様から学んだこと、他の火山やジオパークでガイドツアーに参加して「すばらしい!」と思ったこと、そして私がガイドとして心がけていること等々。

で、作った資料はこんな感じでした。

お客様からはいつも、目からウロコの驚きを、プレゼントしてもらっています。
なので私は毎回「知識を教える」という感覚ではなくて、一緒に探検している気分なのです。

人の感性は本当に様々!大きな火口を手に乗せちゃう人も、自分たちで火口をあけちゃう人も、ホールインワンしちゃう人もいるんですから!

…ということで、そのまま資料に。(笑)

こんなことも、大切だと思っています。

「自分で感じる時間」って、必要ですよね。

何気ない風景も、よ~く見てみると「!」がいっぱい!


そして…

これ、ある雑誌取材の記事を見て、痛感したことです。
「なぜ痛感したか?」詳細は、また別の機会に(笑)

こんな資料も作りました。

私たちは1時間から7時間まで、お1人から数10人の団体のお客様まで、様々な条件でのツアーを行っていますが、いつも“あるメッセージ”を感じてもらえるように、どこかで意識しています。

で、こんなふうに、講習生のみなさんに聞いてみました。
「皆さんが、阿蘇ジオパークで一番自慢に思うことは何ですか?」

本当は「みなさんが伝えたいことは何ですか?」ということを聞きたかったのですが、まだガイドを経験されていない方も多いようだったので「それだと答えにくいかな?」と考えて、この質問になりました。

メモ用紙を配ったら、皆さん「難しいなぁ」と言いながら、いっぱい書いてくださいました。
キーワードは「阿蘇の自然」「雄大な火山」「独特の文化、人の暮らし」…皆さんの、阿蘇への熱い思いを感じました。

会議中だったか、個人的だったか忘れましたが「西谷さんが、一番伝えたいことは何ですか?」との質問も受けました。こういう質問、とっても嬉しいです!

私がいつも伝えたいと思っていること(お客様と共有できたらいいなぁと思っていること)は「地球も人も他の生物達も、みんな生きててつながっている、生命ってすごい!」というシンプルな気持ちです。そして、そのつながりを探せるジオパークが本当に楽しくて、夢中なわけであります。

ええと~、このままでは今日のブログが終わらないので、午後に移ります。

午後はなんと、阿蘇火山博物館の館長自らが案内してくれ、私はわからないことを質問すれば良いという、夢のような(笑)フィールド講習。(阿蘇ジオパークの皆さん、ありがとうございました。)

雪が降っていて寒かったけれど、ひじょ~に楽しかったです。
(このとき見た風景や感じたことは、また明後日報告します)

さて、1月27日(日)2日目の講演会です。
この日は既にガイドとして活躍されている方たちが、阿蘇、島原、天草御所浦から集まってくれました。

予定されていた人数が約50名と多かったので、皆さんから意見を聞くために、事前に(かなり直前でしたが)アンケートをとらせていただきました。

質問は3問で、問1が「日頃ガイドをする時に、気にかけていることは何ですか?」

いただいた回答は「安全」「お客さまに楽しんでもらうこと」「現場を傷つけない」「お客様の居住地や目的等を考慮する」「若い世代への継承」「笑顔で」「固い話しをしない」「ガイドをする相手を旅をする友達として接し、学ぶ楽しさを共有する」などなど…。

「常に勉強、二に勉強、年のせいで忘れやすい」というコメントも、ありました。
この「「年のせいで忘れやすい」というところ、同感です!(笑)

私も知識を増やすことの大切さを、実感しています。
でもそれは…

ということのためだと、感じています。
なにしろ知識がないと、目の前の景色が不思議かどうかが判らないので…。

そして知識と同時にフィールドを歩いて…

自分が見て、感じたことから、その土地の物語を語れたら最高です!

ところで先の質問に対して「地元にメリットのあるガイドを気にかけている」と、書いてくれた方がいまた。こういうことを自信を持って言えるということは、それだけのことを実践されてきたからでしょう。そのことを、スゴイと思いました。

次に問2は「お客様に一番伝えたいと思っていることは何ですか?」これに対しても素敵な答えが、たくさんありました。とても全部は伝えきれないので少しだけ…。

「火山を通して地球を知り減災の啓発に役立てる」「自然だけでなく、人間だけでなく、その両者の関わり(共生)が素晴らしいこと」またまた同感!

中でもグッときた意見がありました。
「阿蘇に生きる人々は、豊かな大自然の中での生活を大いに楽しんでいるとともに、もちろん悩みもそれなりにあることを同時に伝えられること。」なるほど…。

「川にいた貝の化石があると言うことは、川で亡くなった恐竜の骨だって一緒に埋まっているに違いないという発想から話し、豊かな発想と意図と方法は無限にあることを感じてもらい、心のゆとり、遊び心をそそるようにしている。」という意見も、面白かったので聞いてみました。

そこから発展した話しを聞いていたら、今まで馴染みのなかった恐竜の骨が、動いてる恐竜を想像させてくれるような気がしました。天草御所浦、いつか行かなくちゃ!

この日は、ガイド経験者の皆さんが聞きに来てくださっているということで、様々な状況でのガイドについて、前日よりも少し掘り下げてみました。

「雨、霧、強風などの悪天候はどうするか?」の問いに対する答えは、ほとんどの方がコース変更か代替え案でしたが、お1人だけ私と全く同意見の方がいました。

私と同じだったのは、最後の方の意見です。

私も、雨も霧も風も、それぞれ楽しいと感じています。

その日でしか見ることのできないもの、感じることのできないものがたくさんあります。

そして、なかなか悩ましいのが「興味がないのに行事などで連れて来られる子ども達をどう楽しませるか?」この質問にも、またまた面白い答えが!(上半分が皆さんからいただいた回答です)

「山岳ナビゲーションって、何だろう?」と思って聞いてみたら、地図とコンパスを使ってポイントを回る遊びで、子ども達も楽しんでいるとのこと。

良いですね~。
ノウハウ聞きたいです。(もうすぐ伊豆大島で行われるロゲイニングと似ています)

「擬人化して共感できるように工夫?」
これも教えてもらいました。

「化石や石等を伝える時、科学者の部屋で科学者がその思いを語ったり、ボーリング一筋30年のおじさんの語りを通して伝えたりと、人の思いを通じて無機物に血を通わせる」ということのようです。
これ聞いて「スバラシイ~!」って思いました。

2日間の講習はこのようにして、皆さんからの意見もいただいて無事終了しました。そして私は、いつもツアーでお客様からたくさんのことを教えてもらっているように、阿蘇、天草御所浦、島原のガイドさんたちから、たくさんの熱い気持ちやアイデアを、受け取ったのでした。

阿蘇のみなさん、そして天草御所浦と島原のみなさん、ありがとうました!
本当に楽しかったです。
これからも一緒に、ジオパークの楽しさを伝えていきましょう~。

明後日にもう一度、こんどは阿蘇の風景を通して感じたこと、まとめます。

阿蘇続編、お楽しみに~。

(カナ)

















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椿祭り

2013年01月28日 | 歴史・文化
椿まつりが始まって、大島公園には例年通り『椿プラザ』が出来ました

撮影は26日のプラザ開店前ですが

私も週何回か通うことになりました。

大島公園は世界中の椿が集められて その数約450種が栽培されています。
今年の咲きはとても遅いようでなかなか咲いてくれませんが花の状況をUPしたいと思います。

大島公園の温室は椿まつりの間 開かれていて大小カラフルな花が咲きますが、桜と違い一斉に咲くことが無いので 2~3週間ごとに見に来るとすべての花に出会うことが出来ます。


温室に入ると目の前に有る一番高い木。香りのよいサザンカです


右側の『天香』。椿ですが香りが有る種類です。(椿は蜜で鳥に受粉を助けてもらっていますので香りの有る種類はあまり有りません)


私の好きな『貴宝殿』比較的大きな白系の花が咲きます。
貴宝殿は比較的早めに咲くのですがまだ一輪も花が無いのは残念です。
早く酒酒  んん?!


黄色い珍しい椿。『金花茶』蕾はまん丸 花はロウバイに似ています


これは赤いのですが『金花茶』

蕾はまん丸


『仏陀』この花はいつも遅く咲きます ので 例年と同じ状態でしょうか?

じゃあ何にも咲いていないようなので

タマビーノ 有名な玉の浦交配種 白い覆輪がとてもかわいらしい


アベマリア 
きれいな千重咲き やさしいピンクですね


シャクヤクではありませんよ。日本から海外に出た椿は海外の愛好家によって品種改良されこんなに大きな花になって帰ってきました


もうすぐ咲きそう

人も花も早く暖かくなってくれないかな…と 待っています(しま)
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もしもの時・・・貴方は?

2013年01月27日 | その他

 昨夜”伊豆大島ジオパーク推進委員会”主催、“伊豆大島ジオパーク研究会”が共催の「津波体験講演会」が、町役場の2F大会議場で行われました。今回はその講演会のご報告です。

お話をして下さったのは、”南三陸町語り部ガイド”として活動している後藤一磨さん。
会場には南三陸町からお預かりしたパネルが展示され、皆さん真剣に見入っていました。



 後藤さんは、幸いご家族は全員無事だったものの、ご自宅は津波で流され現在も仮設住宅で生活をなさっているとの事でした。

 さて講演は、バックスクリーンに画像を投影しながら話を進めていく形がとられ、会場には100名以上の方達が集まっていました。



 話はまず、当日どの様な事が起きたのか?から始まり、スクリーンにはあの想像を絶する・・・、新聞やTVで何度となく報じられた光景が写しだされました。



何の前触れもなく襲ってきた巨大地震によって、平和だった日常が突然奪われた事。
今まで経験した事がない激しく長い揺れと、その時の家族や住民の様子。
昭和35年に起きた”チリ地震大津波”を教訓に作られた5m50の防波堤が、楽々と波に飲み込まれていった事。
時速40キロで迫りくる海水の巨大な壁、そして一瞬で木屑と化して飲み込まれる家々。
最後まで残っていた自宅までもが、失われていく悲しい光景等、
目の前の出来事に言葉も出ず、頭の中からは現実感がすっかり失われてしまったそうです。

後藤さんの口からは、体験した者でなければ判らない事細かな事柄が次々と語られていきます。私も含め、会場に居た方達は固唾を飲んで、食い入る様に話に耳を傾けていました。

その後話は、避難する段に移ります。

後藤さんが住まわれていた志津川は小さな集落で全員が知り合い、身近な人には声を掛け、姿が見えない人達に対しては無事を祈りながら、ひとまず着の身着のまま高台へ逃げたそうです。
高台に集まったのは70人程、雪の降る寒い夜を焚火を囲んで一睡もせずに過ごしました。この時、暗闇の中でも7~8回の津波が押し寄せたのが判ったそうです。
それは、壊れた家がぶつかりあいながら、バキバキ音を立てる、沖合に有った航路標識のライトを付けたブイが沖と陸とを行き来している。そんな事からでした。

やがて夜が明けて目にした光景は、今も私達の脳裏にも焼き付いているあの変わり果てた集落の姿でした。



国道398号線に打ち上がった、20~30t級の幾つもの漁船。
無残にも打ち砕かれたコンクリートの防波堤や建物
この時、改めて自然の力・津波の恐ろしさを嫌と言うほど思い知らされたそうです。

その後逃げ延びた皆さんは、瓦礫に埋もれた1,5キロ程の道のりを3時間掛けて歩き、宿泊設備の整った”自然の家”へと移り、24時間ぶりに”おにぎりと水”を口にしました。



この”おにぎり”について・・・
「過去に食べたどんなご馳走よりも旨かった」「この時まで空腹にも気付かなかった」との事です。

お話によると、震災後、志津川は道路が分断され陸の孤島と化していました。人の行き来が全く無かったのです。しかし、1週間ほどしてから徐々に兄弟や親戚縁者・友達等が訪れる様になってきました。抱えられない程沢山の救援物資を持って・・・。
みんな肩を抱き合って喜んだそうです。

そして更に日が経つにつれ、全国から支援者達も集まってきました。

時代と共に、「人間関係が希薄になってきたなぁ」と感じていた後藤さんは、これにとても驚いたそうです。そして思ったのは、「形あるものは全て失ったけど、人と人の繋がりは失われなかった。」という事。そして、この震災によって沢山の新たな絆が生まれたのです。

今回の津波は多くの人命と財産を奪いましたが、恩恵も生まれているそうです。
少しずつ回復しつつある漁業ですが、震災前と比べると養殖牡蠣やワカメの成長が著しく早いそうです。「海が50年若返ったのだ」と仰っていました。自然がリセットされたのですね。



後藤さんは、被災して気付かされた事が他にも沢山あったと言います。
「震災だけなら、瓦礫を片付ければまた其処に新たな町が数年で出来るが、津波に襲われた場所を再生するのは容易ではない。」
「今回の災害を受けて地元を離れる人が大勢います。人口の減少が止まりません。人が居なければ町も成り立たない。」正にその通りだと思いました。

しかし、もっと恐ろしいのは原発だと言います。
私達自身が便利なモノや文明を追い求める為にエネルギーをドンドン使い、そのエネルギーを生み出すために作った原発。ひとたび災害が起きて破壊されれば、その影響は何世代先まで残るのです。又、実際に災害が起きた時には、電気は使えなくなる。電気に頼り過ぎない生活を考えたり、少し謙虚になって日頃の生活を見直す必要性も述べていました。

優しく語り掛ける様な口ぶりで自らの経験を元に、自然災害の恐ろしさや、その災害に対しどの様に向き合っていくべきかをお話してくださった後藤さん、様々な教訓を含んだお話はまだまだ沢山有りましたが全てはお伝えしきれません。

最後の方で述べられていた、「私達は、地球の大きな活動の中で生かされているという事を踏まえ、自然と人間がどの様な関係を築いていくのか?真剣に考えなければいけないのではないだろうか?」との言葉がとても印象深く心に残りました。
また、「南海トラフで地震が起きれば32万人の犠牲が見込まれ、決して他人ごとではない。被災地はこれらに備える学びの場になっている。ぜひその地に立って、見て・聞いて・触れて・嗅いでみてほしい」とも仰っていました。

1時間15分程の講演でしたが、あっと言う間でした。

最後は、大島の方も係って作られた”つなみのえほん”の朗読が有りました。



被災されたご家族の、素直なお子さんの気持ちが綴られています。
興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、伊豆大島ジオパーク推進委員会 
もしくは、グローバル・ネイチャー・クラブまでご連絡下さい。お取次ぎ致します。     柳場
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どうもアホウドリっぽい

2013年01月26日 | 
今日の大島、すごい風です。
こんな風の日はきっと飛んでいるだろうと、風裏の泉津(せんづ)へ行ってコアホウドリを探してきました。


はるか沖にすぐ見つかりました。

今日はたくさんでしたね。
20羽くらいはいたと思います。
しかし遠い~(涙)


双眼鏡で見ているとちょっと様子の違う鳥がいました。

これはアホウドリじゃあないですか?


カモメ類でこのような配色の鳥はいません。
なにしろ大きさと飛び方が違います。
確認できたのは1羽でした。


そしてこちら。



クロアシアホウドリかと思いますがもしかしたらアホウドリの若鳥かもしれません。
もっと近くに来てくれればなぁ・・・

これからもマメに海上チェックに励みます。


                       がんま
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寒中お見舞い

2013年01月25日 | 火山・ジオパーク
昨日の午前中に島の南部から元町に行った時、
一周道路の「かっぱの橋」から三原山の積雪が見えました。



先週、山腹の雪の消え具合いによって出来る「雪がた」のことを書いたので、
他にも大島で見られる雪形があるかも知れない・・・などと、
ちょっと期待して見てしまいました(笑)

まるで、噴煙が上がっているような雲でした。
未明まで雨---山では雪---を降らせていた雲のなごりでしょうか?

この橋から見ると、外輪山の稜線の向こうの三原新山の頂き付近が見えます。

外輪山にも少し積雪があるものの、頂上付近の積雪とは随分違います。

赤ダレと言う崖の見えるこの辺りの外輪山は比較的低く、標高600メートル程です。
頂上との標高差は約150メートルくらい。

その標高差がこれだけの積雪量の違いに。


午後の帰路、もう一度見てみても、
南斜面なのに雪は融けずに残っていました。

山頂は寒そうです。
登山の方は、それなりの防寒対策をしっかりと。


【きょうのおまけ】
大島で普段暮らしている人里近くでは、
なかなか見られないかな? 


ぬかるみに出来た氷の結晶。



この季節、こんな場面に出会うだけでも、
何だかとてもうれしいものです。

(なるせ)
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ジオパーク勉強会(タクシーとバス)

2013年01月24日 | 火山・ジオパーク
昨日、2回に分けて表題の勉強会をおこないました。
対象はタクシーの運転手さんと大島バスの方達です。

島内で協力してくれる方達がジワジワと増えているジオパークですが、不規則な時間で勤務している皆さんには、なかなか講習会には参加してもらえません。

でも、島生まれ島育ちの皆さんは、私たちよりもずっと大島のことをご存知なはず。
外周編パンフレットができた時から「これをもとに勉強会をして島の皆さんから意見を聞き、次はもっと良いものを作りたいね。」とガイド部会の仲間と話していました。

で、それぞれの職種ごとに集まりやすい時間に設定し、ジオパーク推進委員会から事務局とガイド3名が出て話し合いました。

勉強会の内容は「ジオパークとは?」「昨年1年間の伊豆大島ジオパークの活動」「日本ジオパークの最近の情報(伊豆半島、箱根、銚子などが新たに認定されたこと。JR機内誌にも特集記事が載り少しずつ認知度が上がって来ていること、他)」などのジオパーク関連の報告。

そしてその後、新しい外周編パンフレットを作成する中で知ったことを共有しました。

13時30分からの勉強会には3名のタクシー運転手の方が参加してくれました。

「地層大切断面の看板位置が移動してから、目の前の地層と合わないのでわかりにくい。」「山の上まで行かなくても一周道路沿いで西暦838年の神津島噴火の白い火山灰が見える場所がある」「小石浜という海岸には、とても奇麗なまん丸の石が集まっている」など、色々教えてもらいました。

沢への不法投棄や希少植物の保護問題なども話題になり、皆さんの「島への思い」のようなものを感じて、とても楽しい時間でした。

大先輩が、いっきに増えた気分です。
皆さん港で待機していることが多いので、これから何かあったら聞きに行こうっと。


続いて夜、19時からは大島バスの方達と。
全スタッフの半数以上にあたる10名の方が集まってくれました。

「『ジオパークって何?』という質問へどう答えるか?」「筆島はなぜあのような形なのか?」「なぜ野増地区からは噴火しないのか?」「なぜ植物名は八丈が頭につくのか?」「なぜ赤い石や白い石があるのか?」など、色々な質問が出ました。

私たちでわかる限りのことはお答えしましたが、できれば専門家の方を招いて、皆で勉強会をしたいなぁ…と思いました。

そして「以前植物の専門家が来て桜株は樹齢800年ではなく300年ぐらいではないか?」と語っていたという情報や「波浮港には製氷所があって氷を作っていたから、各地の船が漁の前後に氷を積みに来て、とても栄えた。」ということも、教えてもらいました。

いいですねぇ~、こういう勉強会。
とても楽しかったです。

「伝え手」としては、ガイドもタクシー&バスの運転手の方たちも仲間ですから、知っていることを伝え合えばお客様に、より楽しんでもらえそうですよね。

今日港に行ったら、昨日勉強会に出ていた方がバスの運転席に座っていました。
青空の下のバスが、とても格好良く見えました!

大島バス、今日も行く~!

今度はレンタカーや宿の方達とも、勉強会をしたいです。
椿祭りが終わって、時間ができるシーズンになったら…。

ところで今日はいくつかお知らせが…。
まず、伊豆大島ジオパーク・データミュージアムをご案内できるようになりました。
http://oshima.georepublic.jp
アカウントをとればどなたでも投稿できますので、みなさんぜひ大島情報を発信してください。

また、先日のマップ作りイベントの取材記事が投稿されました。
詳細が載っているので、内容に興味のある方はご覧下さい。
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/chizu/20130124_584691.html

そして明日は、伊豆大島ジオパーク推進委員会とジオパーク研究会の共同企画の講演会があります。
三陸で津波を体験された方を講師に招いての講演会です。

海に囲まれた大島で暮らす我々にとって、津波を知ることはとても大切なこと…。
島内の皆さんのご参加をお待ちしています。

詳細は、ジオパーク研究会のブログをご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/oshimageoken

最後に…実は私、明日から阿蘇ジオパークに行って来ます。
阿蘇ジオパークの方が、ガイド講習の講師として私を呼んでくれました。

2日間、阿蘇、そして島原や天草御所浦のガイドさん達と語って来ます。
(ここ数日間、ずっと自宅引きこもりで、講習用資料をつくっていました。)

ジオパークの伝え手は、みんな仲間。
九州のジオガイドさんたちとの交流が、今からとても楽しみです!

(カナ)












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昨日の牧場

2013年01月23日 | 
雨が上がった夕方、なにがいるかと見に行ってみました。

まずたくさんいてすぐに目に入ってくるのがスズメです。
昨日もバフちゃんがいました。



目立ちますね~。


葉の落ちたカラスザンショウの大木にはノスリが。




ツグミは2羽いて時々小競り合いをしていました。

ツグミその1。


ツグミその2。


もちろんハシブトガラスも。

クチバシが汚れているのはウシの糞をほじくっているからです。


タヒバリ。



ハクセキレイ。



キジバト。




なにか会話をしているかのようなふたり。





動物同士は意思の疎通ができるのでしょうか?
仲間に入ってみたいようなみたくないような(笑)

特に珍しいものはいませんでしたが鳥たちの日常を観察できました。


                       がんま
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岡田八幡神社の正月祭

2013年01月22日 | 歴史・文化
1月20日の午後、表題の祭りを見に行って来ました。

「岡田八幡神社の正月祭」で踊られる「天古舞」は、東京都の無形文化財に指定されています。
11月29日のブログをまとめてから「今年は見に行こう!」と決めていました。
(その時のブログはこちら)
http://blog.goo.ne.jp/gscrikuguide6/e/f45c066be1738aa7a48b3c1e9604b116
実は大島在住25年目にして、初めての見学です。

祭りの最初は、2人の警固役の人たちの挨拶で始まりました。
草履を脱ぎ、すり足で進み出て、丁寧にお辞儀をします。

この“警固”の人たちは祭りの間中、何があっても口をきいてはいけないのだそうです。
(私には、とてもできない…)

その後、歌がはじまりました。「若い衆、これじゃいけないわい。めでたいことしよう。」という歌詞が聞こえてきます。なんだか楽しい歌詞!

歌が一曲終わるごとに、一段高い石垣の上から“おひねり(お金や食べ物)”が投げられます。
歌い手、踊り手の家族が、投げるならわしとのこと。

子ども達はそれを楽しみに集まっているようです。
1日で1万円拾う子もいるとか。

“おひねり”は釣り餌の“こませ(撒き餌)”を意味し、いっぱい拾ってもらうことが大漁を表すのだそうです。

祭りは2日間行われ、1日目は型どおり進行するけれど2日目は無礼講で、歌や踊りのリクエストがあると何度でも繰り返すので、夜になっても祭りが続くのが恒例らしいです。

しかしこれだと、“おひねり”を投げる家族が大変ですよね。
いったいどれぐらい、食べ物やお金を用意すれば良いのでしょうか?

「足りなくなってしまうことはないんですか?」
不思議に思って、私の横で色々なことを教えてくれていた女性に聞いてみました。

「足りなくなるから、みんな途中で必死にかき集めに回るのよ。」
なるほど。

確かに家族は大変だけれど、気前良く振る舞って分け合うことは、物のない時代には本当に晴れやかな楽しみだったことでしょう。

歌が数曲終わったところで、若者が出て来ました。

何やら飾りをつけた、大きな棒を持っています。
この棒を、回転させなければいけないようです。

うひゃ~!
若者、よろけました!

すかさず手助けが駆けつけます!
この後若者は助っ人に支えられて、なんとか無事に棒を回し終わりました。
大役、ご苦労様。

続いて、手踊りが始まりました。

式次第を見せてもらったら、この後に予定される9曲の題名には、日本各地の地名が入っていました。「鎌倉」「銚子巻いて出りゃ」「根室さんぱん」「お江戸通い」等々…。

古い火山が波に削られて高い崖を作り、その崖が風を遮るおかげで昔から天然の良港だった岡田港には、全国の漁船が強風を避けて入港したそうです。

風が何日も止まないと、岡田の人たちは他地域の漁師を家に招いてもてなし、酒を酌み交わすうちに日本各地の歌が残って歌い継がれてきたと…これぞまさにジオパーク!

岡田には、そのような歌が300も残っているとのこと。
すごいですね~。

私はこの後、用事で帰らなければなりませんでしたが、夕方まで残った柳場が“天古舞”の写真を送ってくれました。

大島に上陸した源為朝が、溶岩をテコでかき分けて切り開き、神社を作ったという伝説を表現していると言われる天古舞。来年は見たいなぁ…。

この祭りは100年以上、岡田地区で受け継がれて来たそうです。

大島には、誇るべき文化が沢山あるんですね。
歴史にさっぱり関心がなかった私に、ジオパークがそれを教えてくれました。

ところで今日ここに載せた記事のほとんどは、隣に居合わせた岡田の方が教えてくれたものです。
あれこれ質問しまくりの私に、嫌がりもせず色々教えてくれました。

本当にありがたかったです。その方のおかげで、この日のお祭りが単なる儀式ではなく、生き生きとした人の歴史のように感じられました。

大島に100年以上続いてきた、大切なもの。
それは祭りという形よりも、それを受け継いで来た人々そのものなのだと思いました。


(カナ)
























コメント (2)
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