グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

地層は語る

2013年12月31日 | ツアー
2013年の最後の2日間、お父さんと息子さんの「2人旅」をガイドしました。

ツアー前にひとつだけリクエストがありました。
それは“地層大切断面”を見ること。
理科の冬休みの宿題の「地層を調べる」という課題をするための来島のようです。

2万年分の噴火の歴史が読み取れる地層大切断面は確かに素晴らしいけれど、いきなりその全体を見ても、どんな出来事が地層を作ったのかイメージしにくいです。

それで昨日は、まず“パーツ”を1つずつ、身近に見ていくことにしました。

三原山近くの温泉ホテル駐車場で。

空から降ってきた、穴だらけの溶岩、灰、土、神津島から飛んできた灰…手触りを観察しました。

次に三原山から“液体の状態で流れてきた溶岩”を見にいきました。

縄のような模様が、溶岩が流れた時の様子を想像させてくれます。

お父さんが下から上に向かって流れたように見える溶岩を発見しました。

速度が速くて、斜面を登ったのでしょうか?
それとも流れた後で、下から持ち上げられたのでしょうか?

山頂口バス休憩所の裏の崖には、大人の頭大の白い石がめり込んでいます。

激しい爆発で地下の岩盤ごと吹き飛ばされ、火山灰とともに猛スピードで島中を覆ったと言われる、約1700年前の地層。

同じものが、元町近くでも見られます。

山から遠い場所にも積っているのは、それだけ大きな出来事だったということ…。
地層をしっかり観察したら、物語が聞こえてくるのではないでしょうか?

「あ、あれ!」

息子さんは自分で目立つ地層を見つけて、軽やかに写真を撮りに行っていました。

1986年噴火で元町に流れた溶岩流の断面。

「液体の状態で流れたあと冷え固まると比較的密な状態の岩になるんだよ」ということを紹介しました。

もしも地層の中に大豆のような小さな丸い石が混ざっていたら、近くでマグマと水が接触して激しい爆発を起こしたのかもしれません。

この景色の中で、豆石を探しました。

およそ2万年分の地層が、昨日のツアーの総仕上げでした。

ただ「きれい」なだけではなく、過去の大きな火山活動の壮大な歴史を語る壁。
圧巻でした!

数日前に崩れた部分は、もうわかりにくくなっていました。

真っ黒だった崩れた表面が、数日で周囲の色に溶け込んでいたのに驚きました。

そして今日。
波が削ってできた海岸の洞窟を訪ね…


数10万年前の古い火山のシマシマを見て…


裏砂漠で“大島らしい風”を体感しました。

強風が表面の火山灰を巻き上げていました。

こうやって少しずつ、雨が削った凹凸を埋めていくのでしょう。


立っているのがやっとの強風をこんなふうに体験できるのも、飛んでくるものが何もない環境だからこそ。

大島らしさ満載の2日間でした。

最後に息子さんに「地層のレポート、いいのができるかな?」と聞いたら「はい、完璧なのができると思います!」と笑顔で答えてくれました。どんなレポートができるのか、とても楽しみです。

さて、大島にとって本当に大変な年となった2013年が、もうすぐ終わろうとしています。
嶋田からトウシキ(島の南部)に沈む夕日の写真が、届きました。

2014年が今年より、少しでも良い年になりますように。

(カナ)







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今日は富士が

2013年12月30日 | 火山・ジオパーク
昨日の三原山は前日の雪が残っていて寒かったが風が無く日射しの中では快適でした。


綺麗な富士山が見れました。波浮港に住んでいるのでこちらに来ないと見れない、前回は雲に隠れていたのでこれだけでうれしい


富士山から 左に伊豆半島を映します
大室山もきれいに見えます


左側が下田の辺りでしょうか?

ここで熱海や伊東、そのほか家々が固まって建っていて何処かの会社が別荘の開発したのだな~などと考えていたのですが。
この開発地は溶岩の流れの上に出来ているとの事。今回の山歩きの先生、川邊氏から聞いた話。大島よりずっと古い火山群である伊豆半島は色々な所で溶岩を流していたのですね。



ゴジラも健在。ゴジラ“船食べてる~”でしょ(ふふ)


外輪山の土砂崩れの跡も生々しい


外輪山の下までやってきました。何層かの溶岩が挟まっています。何回もの大噴火で溶岩をだらだら流したのでしょうね


今回仕事で来島の川邊先生ですが、私達の疑問質問聞き放題でご自分の仕事がこなせたのかが今になって心配です



今日は大風。大物の洗濯物はバンバンにはためいていました。
あと1日で今年も終わります。来年も沢山の人と会えます様に。沢山の面白い事に出会えます様に(しま)
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白と黒の世界

2013年12月29日 | ツアー
昨日、山へ行って驚きました。
山が雪景色に変わっていたからです。

山に向かう車道は、全く雪が積っていなかったので、“白い山”はまったく予想外でした。

一緒に歩いたのは、富士山をフィールドにガイド、キャンプ、防災の取り組みなどを展開するホールアース自然学校のジミーさん。春休みに子ども達を連れてキャンプに来てくれることになり、今回はその下見です。

私が伊豆半島から大島を見ると嬉しくなるように、ジミーさんも富士山が見えると、とても嬉しそうです。さっそく大きな富士山を手に乗せてもらいました。

ちょうど手のひらサイズです(?)。

ジミーさんとは、富士山と大島のことを色々話しながら歩きました。
遊歩道沿いのツララを見た時は…

「富士山には洞窟がいっぱいあって、氷が上と下から延びて大きな「氷柱」を作っているところもあるんですよ。」と教えてもらいました。富士山の洞窟、いつか行ってみたいです。

富士山も大島も、黒い溶岩に覆われた火山。
「黒い溶岩と白い雪という対比が素敵ですよね。」ということで意見が一致しました。

思わず足を止め、写真を撮らずにはいられなかった風景の数々を紹介します。

火口。

火口壁の模様が、昨年とは変わったようです。

上から見た裏砂漠。

大雨でできた“えぐれ”も、雪が埋めていました。

南の海に浮かぶ、利島、新島、神津島。

そして、白と黒の大地。

三宅島と御蔵島も見えていました。

海のうねりが金色に光って、神々しいほどの美しさでした。

遊歩道も輝いていました。

キラキラ,キラキラ光っていました。

噴気と雪と雲。

みんな真っ白です。

三原山の山腹斜面

こんな景色を見ると、言葉を失います。

裏砂漠。

黒い砂漠に白い山が乗っているのが、なんとも素敵です。

フルコースを歩き終わったら、雪がかなり溶けていました。

まだフワフワなススキが風に揺れ、空には色々な形の雲が、めいっぱい浮かんで…
なんとも豪華な風景でした。

(カナ)





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ルリビー君

2013年12月28日 | 
今季もかわいいかわいいルリビタキに会うことができました(私は親しみを込めてルリビーと呼んでいます)
毎年チェックしに行っている大島公園で、今朝の撮影です。

まずその存在を知るのは鳴き声です。
「ヒィ、ヒィ、ヒィ・・・」というジョウビタキと似ていますがちょっと違う声です。
あとクチバシをこすり合わせる「グッ、ググッ」という独特の音。
私にとっては冬の音です。



地面に降りて食べ物を探します。


こういう全体的に褐色の個体はメスタイプと呼ばれる、メスか若いオスなのですが、

この子は肩の部分に瑠璃色の羽が生えてきているのでオスの若い個体だとわかります。



後ろから見ても目が見えます。
視界が広いんですね。



なにか見つけたー。
小さな虫を食べているようでした。



ぱっ!



こんなところでじっとしていたらなかなか見つかりません。

もっといろんな場面を撮影したかったのですが、寒さに耐え切れず撤収。
また次回。


それと今日は昨日見つけたオオタカ幼鳥の死体を。

道端にこの状態で落ちていました。
一体なにがあったのでしょうか?


                             がんま
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「被災者の声を聞く会」質疑応答

2013年12月27日 | 火山・ジオパーク
昨日午後6時から3時間、表題の会が町役場で開かれたので参加してきました。
主催者は「被災者の声を聞く会・準備会」

150~200名の住民が参加したのではないかと思います。(メモするのに必死で、数は正確には数えられませんでした)町長以下10数名の町役場幹部が前に座っていました。

主催者からの挨拶によると前回の住民説明会に参加し「被災者が聞きたいのはこういう事ではない」と思ったメンバーが集まり、町長に話しをして会が実現したようです。

今日は、参加できなかった方々と情報を共有するために、私がメモれた質疑応答をできる限り掲載します。質問は青で、町長からの回答は黒で記してあります。当日参加された方で、補足訂正がありましたらコメントいただけると助かります。

「今後の見通し」
被害にあった場所に今後、住めるのか?
12月7日の説明会は、向き合って進んでいくのだという第一段階として、情報を提供した。
被災者の遺族は「絶対に住まない」という人が多い。
町・都で土砂災害検討委員会をつくり国、都、専門家で協議、今年度中に砂防対策含め検討。
神立地区は予想以上に分譲が進んでおり、被害者以外に地権者の問題がある。
山地、宅地など色々あるが必ず方向性を出して行く。
大金沢の上流部をどうするのか?上流、沢周辺をどうするのか?を検討していく。

沢の横で民宿していたが、宿は住居ではないのでお金を貸すので頑張ってくださいと言われた。できるならまた民宿をやりたい。
宿や商売については法で決まった対象にはならない。低金利の融資が現実。国や都の制度に当てはまらない人たちを町がどこまで支援できるかだが、現状はまだそこまでできていない。(産業の再建は)復興の柱なので、今これができるという約束はできないが一緒に検討したい。

復興の時期を聞きたい。沢沿いに住んでおり自宅を直すか考えているが、災害後の雨でもあと1mまで水が流れていた。砂防ダムは、土砂は止めても水は流すと思う。沢の狭さからすると、あふれても当然と思う。
今までは砂防ダムの土砂を取り除いて機能回復してきた。どのぐらいの土砂流が流出するかを計算し、全力で対策を考えている。今のところ、町が放送を入れなければ、まず大丈夫だと思ってもらっていい。1~2月の出水期の工事に入る前には、説明してくれるよう要望している。また、1~2年のうちに復興町営住宅を作っていく予定。仮設に住めるのは2年なので、その後復興住宅に住めるようにしていこうと考えている。大金沢の地域全体をどうしていくかも含め、検討していく。

先が見えない不安がある。自営業者はこの2ヶ月仕事がない
1年、半年など期限を言ってもらった方が、先が見えるのではないか?

当面の対策は年度内に立つ予定。
大島は、局地激甚災に指定された。
町と都が調査をし、災害を査定して復旧にかかる予算を決め、大きな割合で国が資金を出す。
農業については終わり、これから道路。道路は9割が国、1割が都。

復興する間、被災者はどうすれば良いのか聞きたい。
半壊状態の人に対する対応が遅かったのは事実。今は、一時提供住宅に入ってもらっている。自宅を修復して住む人は町を支えてくれているとも言える。中流~下流の人はどうするのか、代替地を財政も含めて考える時期が来る。

町が代替え地を用意する事は可能か?
代替え地についてはまだ取り組めていないが、いずれ出てくる事と考えている。

「格差をどうなくす?」
被災の状況とは罹災証明が基本か?
罹災証明だけということはない。担当が現地を見て判断する。
罹災証明は、数名の役場職員とが都の職員64名の援助を受けて調査に入った。役場職員も一生懸命やっているがいっぱいいっぱいで、ここまでしかできていない。罹災証明が万能なのではなく、建物だけではない思いに町がどう対応していくかだという思いでいる。

公平な支援をしてほしい。住宅に希望しても入れない人もいる。住んでいるのに風呂とトイレがないから倉庫だと言われた人もいる。
総点検して少しでも整理したい。

義援金は、誰がどのような形で分配方法を決めているのか?
町・都の義援金は都の決まりがある。町の義援金は民生委員、教育長、支庁、副町長、議会代表で決めている。被災者の代表は入れず、客観的に見られる人たちでやろうと決めている。

格差はどうやってなくすのか?(この場にこられない多くの人がいる)町は大変だと思うが、声があがったところに行くのではなく、一人一人の安否を尋ね、聞き取りをしてほしい。
被災者は「私の場合はどうなのでしょう?」ということを聞きたい。個人個人違う悩みをどこに持っていけばいいのか、復興本部に有能なトップを置いて、一件一件違う悩みを汲み取ってもらいたい。義援金の1,2回目の配分には不満がある。弱いものの痛みがわかるような配分をしてもらいたい。

ひとりひとりに踏み込めていないのは認めざるをえない。縁故避難や自分のところで頑張っている人を含めて不平等を意識し、話しを聞きにいくようにしたい。

「町と住民」
災害後、不審、不満が渦巻いているのは日頃の町と島民とのコミュニケーションのなさが大きく関わっているのではないか?役場にお願いをした時、1つ1つにきちんと向き合ってもらっていれば、ここまでの不信感は生まれなかったと思う。
答えられなくても向き合う事が大切と考えている。今後政策推進課に復興係を作り対応して行く。信頼を取り戻すために、力を尽くすしかない。
復興本部には都から課長以下3名が常駐してくれることになった。

復興委員会に被災者側から代表を送れるのか?
町・委員会に町・民意を代表する人に入ってもらうつもりである。
復興会議には住民の代表を入れていく予定。

今回のことから沢山のことを学んで島外の批判を払拭してほしい。島民一人一人が成長する事が大切だと思う。
(回答があったかどうか、メモれていません…)

「税金」
固定資産税の減免が微々たるもので、商売できない状態で支払いがあり、きつい。
固定資産税は安くならないのか?

減免については実態を把握し、個別に対応する(地方税法では町が認めた場合、減免できる)。
全ての個人の税金は、被災の形によって減免となる。

「東電の発電所について」
東電に背丈を越える土砂が来た。東電下の道路は冠水する。
冠水をおさえる対策は検討している。移転は考えられないので、施設をどう守るか…工事が予定されたら必ず説明してもらうようにしたい。

東電が日頃どんなメンテナンスをしているのか、住民はわからない。タンクをどう修理しているのか、町や消防が東電の中をどれほど把握しているのか、町は指導、監督の義務を果たしてほしい。
東電の下で家が全壊した。雨の時に沢にどのぐらいの水が流れているのか現場を見ているのか?台風26号前後で水はけが違う。今あるどぶを最大限に生かすような対策を早急にやらないとダメではないか?

現在町が手が回らないので、都道の他、町道も調査を都にお願いしている。
調査結果が出たら、説明をお願いする。

自宅に違う方向から時間差で水が入って来た。どういう感じで水が来たのか、どういう事が起きたのか、町がちゃんと把握して、しっかりふまえた上で復興してほしい。
原因と対策が来年の大きな取り組みになると思う。
国、都、町として話し、情報開示もしていきたい。

「仮設住宅」
仮設住宅が1月末に完成、引っ越しというのを、役場からの情報ではなくテレビで知ったのが現状。
急に引っ越しと言われても準備が整わない、3月末までは今の八重川教員住宅に住まわせてほしいという要望がある。引っ越しの時期は住民に決めさせてほしい。1月27日の天皇ご訪問にあわせて,引っ越しが計画されているのでは?

情報がきちんと伝わらないのは、お詫びするしかない。組織として動ききれていなかったと思う。(臨時の広報大島だけだった?)仮設住宅については「早く作ってくれ」という意見もあり、少しでも速くと都にお願いし、休日返上で作ってもらっている。強制はしないが、できれば移ってほしい。出来上がったら見学会など開き、できる限り要望を聞きたい。天皇ご訪問は都知事が決まってからになるので、時期は当初言われた時期ではない。

仮設は全壊ではないと入れないのか?
国の基準は全壊だが、今回は特例をもうけ、状況により大規模半壊、一部損壊の人も入っている。

なんども引っ越すのは大変。
都やボランティアと相談しながら手伝っていく

「その他」
家がなくなり、ものが残った人の物の置き場は?
町で対応できるので、相談してほしい。

東日本大震災では瓦礫から自然発火があったと聞くが、今日オーレックの資材置き場で煙がでていた。
発火しやすい畳を優先して、島外に搬出している。煙に関してはオーレックに確認して対応する。

昨晩サイレンが鳴ったが、町から何も案内がなかった。
不安にさせて申し訳ない。現在作業している人間の安全のためセンサーが設置されているが時々誤作動を起こしてサイレンが鳴る。昨日のものも誤作動。都は撤去を勧めているが、町としては全て撤去するのは不安でもある…が撤去をしていく予定。

詰まった浄化槽はどうするのか?
浄化槽は町対応ではないが…(このあとメモできていません)

仮設ができたら今使っている電化製品は、置いていくのか?
今、教員住宅で使っているものは町の財産になる。仮設で生活に必要な電化製品は都が用意している。

これを持って 「被災者の声を聞く会」を発足させたい。

メモは以上です。

3時間話しを聞いて、被災された方達が一人一人が違う状況に置かれているということ、情報がない中でたくさんの不安を抱えられていたことが良くわかりました。

特に「個人個人違う悩みをどこに持っていけばいいのか、一件一件違う悩みを汲み取ってもらいたい。」という言葉が、とても心に残りました。

町長は役場職員が頑張っていることへの理解を求めながらも、対応の遅れなどについて詫び「住民の思いに町がどう対応していくか…役場職員とはそういう仕事」と何度も語っていました。

町役場の限られた人数に、都からもかなりの支援が行われているようですが、それでも復興に向けての課題は山積みです。まだまだ第一歩を踏み出したばかりですが、今回のように町が直接住民と向き合おうとする姿勢を持ち続けてくれるなら、少しずつでも良い大島を作っていけるような気がしました。

自宅をなくされた方の意見の中に「町がこういう説明会を開いてくれたことに感謝している」「町が大変なのもわかる」と言う声が聞かれたことも、とても嬉しいことでした。

苦しい状況にあっても人は相手のことを理解しようとすることができる…
司会の方が「一緒に頑張りましょうよ」と語っていましたが、私も全く同感でした。

自分の立場でできることをして「この島に生きる」ということの意味を考えていきたいです。

(カナ)

※コメント欄に貴重な意見をいただいていますので,ご参照ください。



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地層大切断面が崩れました。

2013年12月26日 | 火山・ジオパーク
今日の午後、地層大切断面が崩れて片側通行になっているという放送が入りました。

大雨でもないし地震が起きたわけでもないのに崖崩れ?
台風26号の6日後(下の写真)も、どこも崩れていなかったのに…

自分の目で確認したくて、夕方日没近くでしたが見に行ってみました。

ちょうど真ん中ぐらい(たぶん…)が、崩れていました。


もしも柵の中に人が入いたら、埋もれていたでしょう。

近くの人に聞いたら、突然崩れたとのこと。

いつもUターンする空き地に入ったら、土砂で地層が隠れていました。

土砂自は独特の臭いがあるので、人のいない空き地数カ所に分けて置いてあるようです。

帰りの車中から…

崩れた面が縞模様になっています。

同じ年代に降り積もった火山灰の層が滑り落ちるのではなく、年代の違う溶岩や灰が重なったものがこんなふうに崩れるのは、やはりどこかに水が染みていたのでしょうか?

明るい時に、もういちど良く観察したいと思います。

ところで、今日の夕方6時から3時間,
町役場で「被災者の声を聞く会」が行われ、町と住民との間で様々な質疑応答が行われました。

本当はその時のメモを書起そうと思ったのですが、あまりに量があり書ききれませんでした。
なので明日までの宿題にさせてください…。

明日にはなんとかまとめたいと思います。

(カナ)



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12月のカマキリ

2013年12月25日 | 
20日に自宅で見つけました。
コカマキリです。

カマキリは成虫越冬しないのでもうすぐその一生を終えるのでしょう。


手を出すと素直に乗ってくれました(嬉)

しかしそれだけ弱っているということです。



夏場は精悍に見える顔もなんだか生気がないように見えます。

この子は無事に次の世代へ命をつなぐことができたのでしょうか?
そうであって欲しいです。



撮影の後は、

庭のブルーベリーに放しました。


                          がんま

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台風26号後の愛宕山

2013年12月24日 | 火山・ジオパーク
昨日、愛宕山に登ってきました。

愛宕山は島の北西部にある数1000年前の噴火でできた、標高約120mの山です。地質図には、スコリアと呼ばれる穴だらけの溶岩が積ってできた“スコリア丘”として記載されています。

台風26号後、「スコリア丘も大雨で崩れるのか?」「愛宕山の巨木達は無事か?」等の質問を受けて、「登ってみなければ。」と思っていたのです。

愛宕山のふもとの車道沿いでは、数カ所の小さな崩れがありました。

崩れた斜面の高さは、人の身長の倍ぐらいです。

崩れた面を良く観察すると、様々なものが混ざっていました。

鶏卵~うずらの卵大の穴だらけの溶岩、火山灰…

大小さまざまな石がめり込んでいる斜面もありました。

これだけ違うものがあるということは、愛宕山は激しく溶岩を噴き上げただけでなく、地下の岩盤を崩して周囲に撒き散らすような爆発的な噴火をしたり、モクモク火山灰を降り積もらせたり……と多様な活動をしていたのかもしれません。

歩きはじめてしばらくの間は思ったほどの崩れはなく、のんびりした気分で周囲の景色を楽しめました。思わず足を止めて見入った景色の数々は…

運悪く逆さまに落下してしまったらしい、テイカカズラのタネ。

このままでは、タネが土に入れません…
いつか風が起こしてくれるのでしょうか?

頭上には、鮮やかなクリスマスカラー。

マンリョウの実です。

たいていの人が「気持ち悪い~」と言う“ある生き物の住まい”

色も形も可愛いと思うのですが…。
(誰の住まいか知りたい方は、コメント欄にご記入ください~)

スダジイとタブの巨木の森は、全く変わっていませんでした。


高さが20m近くになるスダジイの根の、たくましいこと!


根は縦横無尽に斜面をはい、土が流れ出ないように固定しているようにも見えます。

「この前の雨でも削れなかったとは…スゴイなあ」すっかり感心して見入ってしまいました。

神社の裏の崖も崩れていませんでした。

「健然な森は崩れにくいのかも…」そう考えながら、参道になっている階段を下りて帰ろうとしたら、大どんでん返しが待っていました!

今まで木々に囲まれて暗かった場所が、妙に明るくなっています。

「もしや…崖崩れ?」
「?」と思ってから崖崩れを疑うまでしばらく空白の時間がありました。

崖は見事に崩れていました。

やっぱり表面に出ているのは、溶岩ではなく火山灰のようです。

参道を寸断した土砂や樹木は、ある程度片付けられ、歩けるようになっていました。

それにしても愛宕山の大半が無事だったのに、この場所が崩れたのはなぜなのでしょう?
風のあたり?斜面の角度?植生?

愛宕山を歩いて、またまた「?」が増えました。
崩れるところと崩れないところの差は何なのか…引き続き歩いて、考えたいと思います。


(カナ)





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登山道

2013年12月23日 | 今日の大島
今日の三原山は雨が降って寒かった


昨日も霙や霰も降ったので今日より寒い様ですが、太陽も青空も多く見られそして、


こんな虹も見られたので心が暖かく成るようでした

歩きに行った所は三原山から旧登山道を下って行ったので下山道かな?

途中の道は小さな崩落が有ると思っていましたが、意外に崩れていた所無い様でした。しかし、今までと同じように雨水の流れによって毎回削られているようです。

でも、出ました





同じ崩落跡の下側から 昔のお茶屋さんの跡や石積みの跡が見えます







こんなに沢山崩れている所があるのに


六地蔵は無傷に残っていました。良かったねイケメン地蔵  し しかし、

ここからが問題 御神火スカイラインにはすぐ近くなのですが、右も左も崩落していて道が無い、一番簡単な道は今来た道を戻る事!

すぐそこに行きたい道が見えるのに・・・
無理矢理  しかし、 安全に  何とか  

ここから降りてきました。


林道の入り口です

一同 ほっ!
あれ!帽子が無い!!!  藪こぎしてツルに絡まれ 山肌の坂に注意いして帽子が無くなった事に注意いがいかなかった。黒いキャップが有りましたら私ので~す。連絡お待ちしています

帰り道は御神火スカイラインを登って行きましたら


この道で唯一 道が無くなっていました。
下から上まで6キロの道で 広範囲に崩落していても車が通れない所はこちらのみ それほど表面のみの土砂の流れだったのでした。    (しま)
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鎮魂 涙の日

2013年12月22日 | 火山・ジオパーク
本日、台風26号の犠牲者を悼む「鎮魂、涙の日」という、歌と踊りの式典が行われることを知り、参加してきました。

実行委員は大島在住の舞踏家、青木健氏。いただいた資料によると、青木氏は東宝児童劇団、舞台芸術学院をへて、モダンダンス、民族舞踊などを学んだ方で、現代舞踊協会の特別新人賞も受賞されているようです。

会場は青木氏自宅の庭。
そこは不思議な空間でした。

海岸から拾ったと思われる丸い溶岩をきれいに並べて、お香を焚く台が作られていました。

なんだか芸術的…。

ハシゴが何本も、木に立てかけられていました。

まるで自然のジャングルジムのよう…子ども達が楽しそうでした。

ロバもいて、こちらも子ども達に人気でした。


暖かな日差しの下で、式が始まりました。

ビールケースに布団を敷いた座席。
そしてワラ(?)を敷いた舞台。

挨拶、出演者紹介のあと、青木氏の踊り、そして献花。

ヤブツバキの花が、丸い石の上に置かれました。

再び踊り。「4方拝」




大島町議、中山登氏による歌曲。

歌は「波浮の港」と「島は春だよ」

著名な舞踏家、花輪洋治氏(http://osumiart.exblog.jp/20621193)による「花」の踊り。



私には犠牲者の魂に花を捧げているように見えました。

続いてモダンバレエの細川初枝氏(http://studiocommu.com/講師プロフィール/)の「花」の踊り。



流れるような動きに見とれているうちにダンスが終わりました。

著名な横笛奏者の石山裕雅氏(http://ishiyama-shachu.sakura.ne.jp)の演奏「蒼き天の如く」


澄みわたる笛の根が、青空に吸い込まれていくかのようでした。


最後の踊りは青木氏の「やすらえ、献杯返し」




そして石山氏の「しづめ」の笛の後、参加者全員で山に向かって黙祷を捧げました。

演奏、踊りの間中、お香が炊かれていました。


今日もらった資料にはこんな言葉が書かれていました。
「幸い知人宅も我が家も無事でしたが、多くの方がなくなり、その悲しみから表現者のひとりとして、また人間として舞踊をもって合唱と祈りをささげ、やすらかなご冥福を森に届けます。」

私は踊りのことはまるでわかりませんが、演者の方達の「思い」は感じました。
犠牲者の方達が安らかであることを祈り、残された者が犠牲者の思いを引き継いで生きていく…。

今日のような儀式は、私たちが前を向いて進むための、ひとつの“区切り”になるような気がしました。

帰り道、山がクッキリ見えていたので車を止めて写真を撮りました。

今日の「祈り」が届いたのではないかと思うほど、美しい姿でした。

(カナ)




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