グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

和泉浜遺跡=なぜ、ここで大事な祭祀?

2023年12月06日 | 歴史・文化
伊豆大島北西部の「和泉浜」という場所からは、飛鳥時代の祭祀(神様に祈りを捧げるお祭り)の祭具が、多量に出土しています。(右手の低い崖上の草地の辺りのようです)


遺跡の話は、あまり興味が持てなかったのですが、今年9月-11月、伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク認定5周年記念の特別展として、「三嶋の神のモノガタリー焼き出された伊豆の島々」という特別展が東京の国学院大学で行われていて、公開された伊豆諸島を作ったとされる三嶋の神様と、伊豆半島の人々との関わりを辿ったYouTubeをみて、俄然、興味が湧いてきました。

私は特別展に行けなかったので、図録を取り寄せてみたところ、

そこには、和泉浜遺跡から出土した品々の写真が載っていました。


東京都埋蔵文化財センターの企画展「蒼海わたる人々 考古学から見たとうきょうの島々」の資料を見たら、「短冊形金・銀製品など祭祀色の濃い遺物も見つかっている。この遺跡が形成された7世紀後半(684)に伊豆大島で大噴火が起こったことが『日本書紀』に記されている。まさに、ここで御神火を鎮めるための祭祀が執とり行われたと推定される」と書かれていました。

日本初の公式記録とされる日本書紀。同じ684年には、白鳳地震と呼ばれる南海トラフでの大地震も記録されています。人の生命や暮らしに大きな被害をもたらしたであろう自然災害。それらの鎮魂を目的とした国家的な儀式が、伊豆大島で行われていたようなのです。

祭祀を行う人々は、なぜ、わざわざ海を渡って伊豆大島まで来て、和泉浜で祭祀を行ったのでしょうか?

噴火を繰り返し、その度に新しい地面ができる伊豆大島は、昔から破壊と再生の現場だったと思います。
その中でも、両側を溶岩に囲まれ、小さい船なら何艘かまとめて入れそうな広さのある和泉浜は、上陸に便利だったからかもしれません。

和泉浜でボーッと海を見ていたら、自然災害のない平穏な暮らしを望んだ昔の人々の気持ちが分かったような気がしました。

(かな)
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