昨日午後6時から3時間、表題の会が町役場で開かれたので参加してきました。
主催者は「被災者の声を聞く会・準備会」
150~200名の住民が参加したのではないかと思います。(メモするのに必死で、数は正確には数えられませんでした)町長以下10数名の町役場幹部が前に座っていました。

主催者からの挨拶によると前回の住民説明会に参加し「被災者が聞きたいのはこういう事ではない」と思ったメンバーが集まり、町長に話しをして会が実現したようです。
今日は、参加できなかった方々と情報を共有するために、私がメモれた質疑応答をできる限り掲載します。質問は青で、町長からの回答は黒で記してあります。当日参加された方で、補足訂正がありましたらコメントいただけると助かります。
「今後の見通し」
被害にあった場所に今後、住めるのか?
12月7日の説明会は、向き合って進んでいくのだという第一段階として、情報を提供した。
被災者の遺族は「絶対に住まない」という人が多い。
町・都で土砂災害検討委員会をつくり国、都、専門家で協議、今年度中に砂防対策含め検討。
神立地区は予想以上に分譲が進んでおり、被害者以外に地権者の問題がある。
山地、宅地など色々あるが必ず方向性を出して行く。
大金沢の上流部をどうするのか?上流、沢周辺をどうするのか?を検討していく。
沢の横で民宿していたが、宿は住居ではないのでお金を貸すので頑張ってくださいと言われた。できるならまた民宿をやりたい。
宿や商売については法で決まった対象にはならない。低金利の融資が現実。国や都の制度に当てはまらない人たちを町がどこまで支援できるかだが、現状はまだそこまでできていない。(産業の再建は)復興の柱なので、今これができるという約束はできないが一緒に検討したい。
復興の時期を聞きたい。沢沿いに住んでおり自宅を直すか考えているが、災害後の雨でもあと1mまで水が流れていた。砂防ダムは、土砂は止めても水は流すと思う。沢の狭さからすると、あふれても当然と思う。
今までは砂防ダムの土砂を取り除いて機能回復してきた。どのぐらいの土砂流が流出するかを計算し、全力で対策を考えている。今のところ、町が放送を入れなければ、まず大丈夫だと思ってもらっていい。1~2月の出水期の工事に入る前には、説明してくれるよう要望している。また、1~2年のうちに復興町営住宅を作っていく予定。仮設に住めるのは2年なので、その後復興住宅に住めるようにしていこうと考えている。大金沢の地域全体をどうしていくかも含め、検討していく。
先が見えない不安がある。自営業者はこの2ヶ月仕事がない
1年、半年など期限を言ってもらった方が、先が見えるのではないか?
当面の対策は年度内に立つ予定。
大島は、局地激甚災に指定された。
町と都が調査をし、災害を査定して復旧にかかる予算を決め、大きな割合で国が資金を出す。
農業については終わり、これから道路。道路は9割が国、1割が都。
復興する間、被災者はどうすれば良いのか聞きたい。
半壊状態の人に対する対応が遅かったのは事実。今は、一時提供住宅に入ってもらっている。自宅を修復して住む人は町を支えてくれているとも言える。中流~下流の人はどうするのか、代替地を財政も含めて考える時期が来る。
町が代替え地を用意する事は可能か?
代替え地についてはまだ取り組めていないが、いずれ出てくる事と考えている。
「格差をどうなくす?」
被災の状況とは罹災証明が基本か?
罹災証明だけということはない。担当が現地を見て判断する。
罹災証明は、数名の役場職員とが都の職員64名の援助を受けて調査に入った。役場職員も一生懸命やっているがいっぱいいっぱいで、ここまでしかできていない。罹災証明が万能なのではなく、建物だけではない思いに町がどう対応していくかだという思いでいる。
公平な支援をしてほしい。住宅に希望しても入れない人もいる。住んでいるのに風呂とトイレがないから倉庫だと言われた人もいる。
総点検して少しでも整理したい。
義援金は、誰がどのような形で分配方法を決めているのか?
町・都の義援金は都の決まりがある。町の義援金は民生委員、教育長、支庁、副町長、議会代表で決めている。被災者の代表は入れず、客観的に見られる人たちでやろうと決めている。
格差はどうやってなくすのか?(この場にこられない多くの人がいる)町は大変だと思うが、声があがったところに行くのではなく、一人一人の安否を尋ね、聞き取りをしてほしい。
被災者は「私の場合はどうなのでしょう?」ということを聞きたい。個人個人違う悩みをどこに持っていけばいいのか、復興本部に有能なトップを置いて、一件一件違う悩みを汲み取ってもらいたい。義援金の1,2回目の配分には不満がある。弱いものの痛みがわかるような配分をしてもらいたい。
ひとりひとりに踏み込めていないのは認めざるをえない。縁故避難や自分のところで頑張っている人を含めて不平等を意識し、話しを聞きにいくようにしたい。
「町と住民」
災害後、不審、不満が渦巻いているのは日頃の町と島民とのコミュニケーションのなさが大きく関わっているのではないか?役場にお願いをした時、1つ1つにきちんと向き合ってもらっていれば、ここまでの不信感は生まれなかったと思う。
答えられなくても向き合う事が大切と考えている。今後政策推進課に復興係を作り対応して行く。信頼を取り戻すために、力を尽くすしかない。
復興本部には都から課長以下3名が常駐してくれることになった。
復興委員会に被災者側から代表を送れるのか?
町・委員会に町・民意を代表する人に入ってもらうつもりである。
復興会議には住民の代表を入れていく予定。
今回のことから沢山のことを学んで島外の批判を払拭してほしい。島民一人一人が成長する事が大切だと思う。
(回答があったかどうか、メモれていません…)
「税金」
固定資産税の減免が微々たるもので、商売できない状態で支払いがあり、きつい。
固定資産税は安くならないのか?
減免については実態を把握し、個別に対応する(地方税法では町が認めた場合、減免できる)。
全ての個人の税金は、被災の形によって減免となる。
「東電の発電所について」
東電に背丈を越える土砂が来た。東電下の道路は冠水する。
冠水をおさえる対策は検討している。移転は考えられないので、施設をどう守るか…工事が予定されたら必ず説明してもらうようにしたい。
東電が日頃どんなメンテナンスをしているのか、住民はわからない。タンクをどう修理しているのか、町や消防が東電の中をどれほど把握しているのか、町は指導、監督の義務を果たしてほしい。
東電の下で家が全壊した。雨の時に沢にどのぐらいの水が流れているのか現場を見ているのか?台風26号前後で水はけが違う。今あるどぶを最大限に生かすような対策を早急にやらないとダメではないか?
現在町が手が回らないので、都道の他、町道も調査を都にお願いしている。
調査結果が出たら、説明をお願いする。
自宅に違う方向から時間差で水が入って来た。どういう感じで水が来たのか、どういう事が起きたのか、町がちゃんと把握して、しっかりふまえた上で復興してほしい。
原因と対策が来年の大きな取り組みになると思う。
国、都、町として話し、情報開示もしていきたい。
「仮設住宅」
仮設住宅が1月末に完成、引っ越しというのを、役場からの情報ではなくテレビで知ったのが現状。
急に引っ越しと言われても準備が整わない、3月末までは今の八重川教員住宅に住まわせてほしいという要望がある。引っ越しの時期は住民に決めさせてほしい。1月27日の天皇ご訪問にあわせて,引っ越しが計画されているのでは?
情報がきちんと伝わらないのは、お詫びするしかない。組織として動ききれていなかったと思う。(臨時の広報大島だけだった?)仮設住宅については「早く作ってくれ」という意見もあり、少しでも速くと都にお願いし、休日返上で作ってもらっている。強制はしないが、できれば移ってほしい。出来上がったら見学会など開き、できる限り要望を聞きたい。天皇ご訪問は都知事が決まってからになるので、時期は当初言われた時期ではない。
仮設は全壊ではないと入れないのか?
国の基準は全壊だが、今回は特例をもうけ、状況により大規模半壊、一部損壊の人も入っている。
なんども引っ越すのは大変。
都やボランティアと相談しながら手伝っていく
「その他」
家がなくなり、ものが残った人の物の置き場は?
町で対応できるので、相談してほしい。
東日本大震災では瓦礫から自然発火があったと聞くが、今日オーレックの資材置き場で煙がでていた。
発火しやすい畳を優先して、島外に搬出している。煙に関してはオーレックに確認して対応する。
昨晩サイレンが鳴ったが、町から何も案内がなかった。
不安にさせて申し訳ない。現在作業している人間の安全のためセンサーが設置されているが時々誤作動を起こしてサイレンが鳴る。昨日のものも誤作動。都は撤去を勧めているが、町としては全て撤去するのは不安でもある…が撤去をしていく予定。
詰まった浄化槽はどうするのか?
浄化槽は町対応ではないが…(このあとメモできていません)
仮設ができたら今使っている電化製品は、置いていくのか?
今、教員住宅で使っているものは町の財産になる。仮設で生活に必要な電化製品は都が用意している。
これを持って 「被災者の声を聞く会」を発足させたい。
メモは以上です。
3時間話しを聞いて、被災された方達が一人一人が違う状況に置かれているということ、情報がない中でたくさんの不安を抱えられていたことが良くわかりました。
特に「個人個人違う悩みをどこに持っていけばいいのか、一件一件違う悩みを汲み取ってもらいたい。」という言葉が、とても心に残りました。
町長は役場職員が頑張っていることへの理解を求めながらも、対応の遅れなどについて詫び「住民の思いに町がどう対応していくか…役場職員とはそういう仕事」と何度も語っていました。
町役場の限られた人数に、都からもかなりの支援が行われているようですが、それでも復興に向けての課題は山積みです。まだまだ第一歩を踏み出したばかりですが、今回のように町が直接住民と向き合おうとする姿勢を持ち続けてくれるなら、少しずつでも良い大島を作っていけるような気がしました。
自宅をなくされた方の意見の中に「町がこういう説明会を開いてくれたことに感謝している」「町が大変なのもわかる」と言う声が聞かれたことも、とても嬉しいことでした。
苦しい状況にあっても人は相手のことを理解しようとすることができる…
司会の方が「一緒に頑張りましょうよ」と語っていましたが、私も全く同感でした。
自分の立場でできることをして「この島に生きる」ということの意味を考えていきたいです。
(カナ)
※コメント欄に貴重な意見をいただいていますので,ご参照ください。
主催者は「被災者の声を聞く会・準備会」
150~200名の住民が参加したのではないかと思います。(メモするのに必死で、数は正確には数えられませんでした)町長以下10数名の町役場幹部が前に座っていました。

主催者からの挨拶によると前回の住民説明会に参加し「被災者が聞きたいのはこういう事ではない」と思ったメンバーが集まり、町長に話しをして会が実現したようです。
今日は、参加できなかった方々と情報を共有するために、私がメモれた質疑応答をできる限り掲載します。質問は青で、町長からの回答は黒で記してあります。当日参加された方で、補足訂正がありましたらコメントいただけると助かります。
「今後の見通し」
被害にあった場所に今後、住めるのか?
12月7日の説明会は、向き合って進んでいくのだという第一段階として、情報を提供した。
被災者の遺族は「絶対に住まない」という人が多い。
町・都で土砂災害検討委員会をつくり国、都、専門家で協議、今年度中に砂防対策含め検討。
神立地区は予想以上に分譲が進んでおり、被害者以外に地権者の問題がある。
山地、宅地など色々あるが必ず方向性を出して行く。
大金沢の上流部をどうするのか?上流、沢周辺をどうするのか?を検討していく。
沢の横で民宿していたが、宿は住居ではないのでお金を貸すので頑張ってくださいと言われた。できるならまた民宿をやりたい。
宿や商売については法で決まった対象にはならない。低金利の融資が現実。国や都の制度に当てはまらない人たちを町がどこまで支援できるかだが、現状はまだそこまでできていない。(産業の再建は)復興の柱なので、今これができるという約束はできないが一緒に検討したい。
復興の時期を聞きたい。沢沿いに住んでおり自宅を直すか考えているが、災害後の雨でもあと1mまで水が流れていた。砂防ダムは、土砂は止めても水は流すと思う。沢の狭さからすると、あふれても当然と思う。
今までは砂防ダムの土砂を取り除いて機能回復してきた。どのぐらいの土砂流が流出するかを計算し、全力で対策を考えている。今のところ、町が放送を入れなければ、まず大丈夫だと思ってもらっていい。1~2月の出水期の工事に入る前には、説明してくれるよう要望している。また、1~2年のうちに復興町営住宅を作っていく予定。仮設に住めるのは2年なので、その後復興住宅に住めるようにしていこうと考えている。大金沢の地域全体をどうしていくかも含め、検討していく。
先が見えない不安がある。自営業者はこの2ヶ月仕事がない
1年、半年など期限を言ってもらった方が、先が見えるのではないか?
当面の対策は年度内に立つ予定。
大島は、局地激甚災に指定された。
町と都が調査をし、災害を査定して復旧にかかる予算を決め、大きな割合で国が資金を出す。
農業については終わり、これから道路。道路は9割が国、1割が都。
復興する間、被災者はどうすれば良いのか聞きたい。
半壊状態の人に対する対応が遅かったのは事実。今は、一時提供住宅に入ってもらっている。自宅を修復して住む人は町を支えてくれているとも言える。中流~下流の人はどうするのか、代替地を財政も含めて考える時期が来る。
町が代替え地を用意する事は可能か?
代替え地についてはまだ取り組めていないが、いずれ出てくる事と考えている。
「格差をどうなくす?」
被災の状況とは罹災証明が基本か?
罹災証明だけということはない。担当が現地を見て判断する。
罹災証明は、数名の役場職員とが都の職員64名の援助を受けて調査に入った。役場職員も一生懸命やっているがいっぱいいっぱいで、ここまでしかできていない。罹災証明が万能なのではなく、建物だけではない思いに町がどう対応していくかだという思いでいる。
公平な支援をしてほしい。住宅に希望しても入れない人もいる。住んでいるのに風呂とトイレがないから倉庫だと言われた人もいる。
総点検して少しでも整理したい。
義援金は、誰がどのような形で分配方法を決めているのか?
町・都の義援金は都の決まりがある。町の義援金は民生委員、教育長、支庁、副町長、議会代表で決めている。被災者の代表は入れず、客観的に見られる人たちでやろうと決めている。
格差はどうやってなくすのか?(この場にこられない多くの人がいる)町は大変だと思うが、声があがったところに行くのではなく、一人一人の安否を尋ね、聞き取りをしてほしい。
被災者は「私の場合はどうなのでしょう?」ということを聞きたい。個人個人違う悩みをどこに持っていけばいいのか、復興本部に有能なトップを置いて、一件一件違う悩みを汲み取ってもらいたい。義援金の1,2回目の配分には不満がある。弱いものの痛みがわかるような配分をしてもらいたい。
ひとりひとりに踏み込めていないのは認めざるをえない。縁故避難や自分のところで頑張っている人を含めて不平等を意識し、話しを聞きにいくようにしたい。
「町と住民」
災害後、不審、不満が渦巻いているのは日頃の町と島民とのコミュニケーションのなさが大きく関わっているのではないか?役場にお願いをした時、1つ1つにきちんと向き合ってもらっていれば、ここまでの不信感は生まれなかったと思う。
答えられなくても向き合う事が大切と考えている。今後政策推進課に復興係を作り対応して行く。信頼を取り戻すために、力を尽くすしかない。
復興本部には都から課長以下3名が常駐してくれることになった。
復興委員会に被災者側から代表を送れるのか?
町・委員会に町・民意を代表する人に入ってもらうつもりである。
復興会議には住民の代表を入れていく予定。
今回のことから沢山のことを学んで島外の批判を払拭してほしい。島民一人一人が成長する事が大切だと思う。
(回答があったかどうか、メモれていません…)
「税金」
固定資産税の減免が微々たるもので、商売できない状態で支払いがあり、きつい。
固定資産税は安くならないのか?
減免については実態を把握し、個別に対応する(地方税法では町が認めた場合、減免できる)。
全ての個人の税金は、被災の形によって減免となる。
「東電の発電所について」
東電に背丈を越える土砂が来た。東電下の道路は冠水する。
冠水をおさえる対策は検討している。移転は考えられないので、施設をどう守るか…工事が予定されたら必ず説明してもらうようにしたい。
東電が日頃どんなメンテナンスをしているのか、住民はわからない。タンクをどう修理しているのか、町や消防が東電の中をどれほど把握しているのか、町は指導、監督の義務を果たしてほしい。
東電の下で家が全壊した。雨の時に沢にどのぐらいの水が流れているのか現場を見ているのか?台風26号前後で水はけが違う。今あるどぶを最大限に生かすような対策を早急にやらないとダメではないか?
現在町が手が回らないので、都道の他、町道も調査を都にお願いしている。
調査結果が出たら、説明をお願いする。
自宅に違う方向から時間差で水が入って来た。どういう感じで水が来たのか、どういう事が起きたのか、町がちゃんと把握して、しっかりふまえた上で復興してほしい。
原因と対策が来年の大きな取り組みになると思う。
国、都、町として話し、情報開示もしていきたい。
「仮設住宅」
仮設住宅が1月末に完成、引っ越しというのを、役場からの情報ではなくテレビで知ったのが現状。
急に引っ越しと言われても準備が整わない、3月末までは今の八重川教員住宅に住まわせてほしいという要望がある。引っ越しの時期は住民に決めさせてほしい。1月27日の天皇ご訪問にあわせて,引っ越しが計画されているのでは?
情報がきちんと伝わらないのは、お詫びするしかない。組織として動ききれていなかったと思う。(臨時の広報大島だけだった?)仮設住宅については「早く作ってくれ」という意見もあり、少しでも速くと都にお願いし、休日返上で作ってもらっている。強制はしないが、できれば移ってほしい。出来上がったら見学会など開き、できる限り要望を聞きたい。天皇ご訪問は都知事が決まってからになるので、時期は当初言われた時期ではない。
仮設は全壊ではないと入れないのか?
国の基準は全壊だが、今回は特例をもうけ、状況により大規模半壊、一部損壊の人も入っている。
なんども引っ越すのは大変。
都やボランティアと相談しながら手伝っていく
「その他」
家がなくなり、ものが残った人の物の置き場は?
町で対応できるので、相談してほしい。
東日本大震災では瓦礫から自然発火があったと聞くが、今日オーレックの資材置き場で煙がでていた。
発火しやすい畳を優先して、島外に搬出している。煙に関してはオーレックに確認して対応する。
昨晩サイレンが鳴ったが、町から何も案内がなかった。
不安にさせて申し訳ない。現在作業している人間の安全のためセンサーが設置されているが時々誤作動を起こしてサイレンが鳴る。昨日のものも誤作動。都は撤去を勧めているが、町としては全て撤去するのは不安でもある…が撤去をしていく予定。
詰まった浄化槽はどうするのか?
浄化槽は町対応ではないが…(このあとメモできていません)
仮設ができたら今使っている電化製品は、置いていくのか?
今、教員住宅で使っているものは町の財産になる。仮設で生活に必要な電化製品は都が用意している。
これを持って 「被災者の声を聞く会」を発足させたい。
メモは以上です。
3時間話しを聞いて、被災された方達が一人一人が違う状況に置かれているということ、情報がない中でたくさんの不安を抱えられていたことが良くわかりました。
特に「個人個人違う悩みをどこに持っていけばいいのか、一件一件違う悩みを汲み取ってもらいたい。」という言葉が、とても心に残りました。
町長は役場職員が頑張っていることへの理解を求めながらも、対応の遅れなどについて詫び「住民の思いに町がどう対応していくか…役場職員とはそういう仕事」と何度も語っていました。
町役場の限られた人数に、都からもかなりの支援が行われているようですが、それでも復興に向けての課題は山積みです。まだまだ第一歩を踏み出したばかりですが、今回のように町が直接住民と向き合おうとする姿勢を持ち続けてくれるなら、少しずつでも良い大島を作っていけるような気がしました。
自宅をなくされた方の意見の中に「町がこういう説明会を開いてくれたことに感謝している」「町が大変なのもわかる」と言う声が聞かれたことも、とても嬉しいことでした。
苦しい状況にあっても人は相手のことを理解しようとすることができる…
司会の方が「一緒に頑張りましょうよ」と語っていましたが、私も全く同感でした。
自分の立場でできることをして「この島に生きる」ということの意味を考えていきたいです。
(カナ)
※コメント欄に貴重な意見をいただいていますので,ご参照ください。