豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2024年07月11日 18時16分58秒 | 日記

( Vol  3377  )   選挙における比例代表は 廃止すべきである

比例代表制度の誕生は いまの比例代表とは 異なる

いまの比例代表は 小選挙区の立候補と併用することができ 真の国民に問うことができていない

小選挙区で落選しても 比例区で当選ということが 起きている

これは 選挙制度の欠点である

 

当初は 小選挙区と比例区との 両方の立候補 ということは想定していなかった

 

だが 時代の変化から 議員への執着が強くなり

有力国会議員の 議員への執着が強くなり 落選を避けようとする行動が目につくようになった

落選を免れるために 小選挙区で立候補して 落選しても 

比例区の名簿の上位に位置して 当選を確保しようという 行動がでてきた

これは 当初の想定になかった

 

党の有力者の 議員としての地位を確保することが 最優先されるようになった

有力議員による 党における権力の誇示を生んでいる

 

有権者が この有力者を 選挙で落選させようとしても 有権者が権利を行使できない 状況になっている

いまの小選挙区、比例区のあり方は おかしいといえる

 

選挙権の正しい行使をさせるためにも

比例区は 廃止すべきである

 

 

 

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年07月10日 17時38分34秒 | 日記

( Vol 3376   )   権力者には 「天知る 地知る 我知る 人知る」という言葉は 通用しない 権力という魔物に魅せられて 吾を失う行動が目立つ

権力者の負の部分を指摘しても 権力者は 否定する

ここには 権力という座の魅力を認識しているからだろう

いままでも 繰り返してきた 権力者の振る舞い

嘘がばれなけば 地位は安泰

この思いが シラを切る 行動をとらせる

 

特に政治家に その行動がみられる

 

負の部分は すべてが 権力者の手中にあり 他人が明かすことが難しい 不可能に近い

内部関係者から明らかにされないかぎり 明らかにするのは難しい

 

いままでも 政治家の不祥事を追求しても

政治家本人にまでは 行き着かない

ほとんどが トカゲの尻尾切り

 

普通の人間が 権力者になると 豹変

これが 権力者になるという 負の部分である

 

権力者よ 権力を握っても 吾を失ってはならない

「天知る 地知る 我を知る 人知る」

という言葉を重視してほしい

 

特に 「我知る」というところである

すべては 自分の中のもう一人の自分が 自分の一部始終を見ている ということである

この自覚こそが 重要なのである

 

ごまかせばいい と思ったら ごまかす

多くが 心は弱く ごまかす という行動をとる

特に 権力者に多い

自分を律する という心をもってほしい

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年07月05日 08時41分02秒 | 日記

( Vol   3375  )  なぜ 夏の甲子園は 真夏にやるのか 考え方を変えても良いのではないか

気候がおおきく変わったのならば 夏の甲子園の開催の時期や場所を 変更してよいのではないか

最近の気候は おおきく変化

日本の夏は 以前のような夏ではなくなった 猛暑日が多発

熱中症を生じさせるような気候になった

このような 気候状況になっても 慣習の踏襲で良いのか

 

気候がおおきく変わったのならば 考え方も変えればいい

時期を 秋に変えてもいいのではないか

 

野球だけを 特別扱いにする必要はない

 

野球も 高校のスポーツ大会の 一つである

ならば いくらでも柔軟に変えることもできる

 

まず 選手の健康を考えた開催方法を 考えるようにすべきである

 

なぜ変更できないか

そこには 既得権 慣習の踏襲 という執着があるからである

 

なにかを変えれば 影響がでる

それは当然のことである

その影響を負と捉えては 何も変えられない

負と捉えるだけでなく チャンスと捉えることが重要である

 

変えるには 負が伴う

変えた先に 良い効果が生まれる ということを想像する ことが大事である

今の夏の高校野球の開催のあり方は 転機にきている

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年07月05日 07時36分21秒 | 日記

( Vol  3374  ) いかなる 思想 宗教 でも 人は真の自由にはなれない

人は 自由になりたいと 束縛から逃れようともがく

その解決方法として 思想 宗教が 現状の改革手段として生まれた

だが ここにも問題がある

それは 人が 人を コントロールする という点では変わらない

思想を実行しようとすれば そこには指導者が生まれる

宗教を実行しようとすれば そこには指導者が生まれる

 

過去を見ても 指導者は 権力者への執着が強く 人々の望む自由 を拘束する方へと動く

そこには 統率管理という観点から 指導者は 自分の考えるようにしたいと行動する

 

これは 見方を変えれば 支配する ということである

支配されることを嫌った 思想 宗教 が再び同じ轍を踏む

 

人は どんな世の中になっても 真の自由は手に入れることはできない

 

真の自由が 手にはいる という幻想に振る舞わされる

 

指導者は 権力者になると

欲望が強くなり 理性を失う

自由 平等 は絵に描いた餅

としてしまう

 

過去の歴史を見ても 体制を批判して権力者という 地位を得た者たちは 皆が体制批判した者たちと同じような形になっている

 

人間は 自己の利益を最優先

他者の利益は 自分の欲望を満たすためには 軽視

 

大きいものを重視するあまり 小さいものは軽視あるいは無視

これが 権力者の思考である

これが 人々の望む 真の自由を妨げている

 

しかし 人間が 欲望を持っている限り だれが 指導者になっても 同じような轍を踏む

 

人間の性でもある

 

理想に近づきたいと思っても 近づけない

それが 人間社会である

 

いつの時代も 政権に対する 批判が生まれる

 

新たな思想 考え方 宗教 が生まれても 理想に届かない

 

いつも いつも 人は迷い さ迷う

 

一時は 良くなっても すぐに戻る

 

欲望をコントロール できればよいのだが それができないのが 人である

どんなに 素晴らしいと思われている人でも 欲望をコントロールできない

欲望をコントロールできるのは ほんの一瞬である

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年07月04日 17時34分47秒 | 日記

( Vol  3373  ) 労働力不足は 特定の職種に偏っている 労働力を解消するには 高額な賃金にすることである

汚い キツイ 安い では 人は集まらない

汚い キツイ という職場に 積極的に就職活動をするような状況をつくるには 賃金を一般的な職業よりも高額にすることである

 

人は  生きるために働く

その働く選択は 

楽したいという 選択

お金を稼ぎたいという 選択

がある

多くがこの欲求を 満たそうとする

しかし 需要と供給 という点からは 満たすことは不可能

思い通りに 就労することはできない

嫌な職業を 生きるために 選ぶ

 

日本社会は 非正規雇用という制度とバブルがはじけて 貧富の格差が大きくなり 

ある職業に就いても 生活は苦しい

高度成長期に慣れた人たちは 苦しいなら 少しでも楽しようと 汚い キツイ 賃金が低い という職業を 避けるようになった

高度成長期であれば 職種によっての賃金格差は大きくなく 皆が普通に暮らせたのだが

低成長時代と貧富の格差が 職業の選択にも 格差を生じさせた

 

この職業の選択の格差をなくすことが 労働力不足を解消することになる

高額賃金を得るなら 人は 豊かに生きるために 汚い キツイ という職業を避ける という行動もなくなる

 

避けられている職業ほど 賃金を高額にして 厚遇する ことが労働力不足を解消できる のではないか

 

 

 


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