豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2023年10月24日 22時04分10秒 | 日記

( Vol  3323  )   日本は 未だに アメリカの占領化にあると 変わらない状況にある

 

その理由は 日米地位協定の存在である

 

日本の歴史を遡ると 江戸時代の 日米和親条約がある

いまだに 日本は 不平等条約 状態

 

この存在が 真に独立状態になっていない

 

日本国内での 米軍の活動は 日本の法律を適用できない 治外法権 状態にある

航空に関しても 米軍によって 航空管制が牛耳られている

東京の空の管制は 米軍によって支配されている

これは 日本の首都が 米軍によって 支配されている ということと同じである

 

自国を 自国の法律で 統治できない これはおかしい

 

米軍の行動は 日本のどこにでも 日本の法律に支配されない ことが日米地位協定で保証されている 

これは 他の国に駐留する米軍においては 行われていない協定である

 

日本は 米軍に支配されない 状態になってこそ 独立した国 といえるのではないか

 

いま セクシャルハラスメントについて 話題になっているが

これを 米軍にあてはめると

米軍属の兵隊が犯した 婦女暴行事件は 地位協定で 日本の法律では裁けない状態

特に 沖縄では ひどい状況にある

米兵は 日本の法律では 不問になり

日本では 放任状態

これは 日本の自治権が 執行できていない 状態をまねいているからである

 

日本の政治家は 何をやっているのか

日本が 真に独立するには

不平等状態にある 日米地位協定を 見直す ことである

 

この不平等に対して 「No」と言えない 政治家は腰抜けなのか

 

日本の政治家は 内弁慶 といえる

 

国民には 強い態度を示して 強権を振りかざす

しかし 相手が アメリカだと どうだろう

弱腰になって アメリカに 強く言えない

情けない

政治家には 「独立」 という意味を考えてほしい

 

 

日本は いまだに 戦後は終わっていない

米軍の支配から 脱け出せていない

 

これはすべてが 自民党政権が つくってきたことである

歴代の自民党政権は ずっと場当たり的で 今日まで 不平等な日米地位協定を 野放しにしてきた

自民党政権の 

「ごまかし」のオンパレード 

「場当たり的な対応」のオンパレード

何もかも 責任をもって行動できない 無責任な言動をとっている

 

「いいかげんにしろ」 と大声で言いたい

 

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2023年10月21日 07時17分07秒 | 日記

( Vol  3322  )  生きる権利 死ぬ権利 ということを 考える時期にきている のではないか

少子高齢化という時代 ここには 医療における延命の過剰な医療が 関わっている

生きる権利 ということを重視した 医療体制とも受け取れる

しかし 死ぬ権利については 宗教的な倫理から 自殺ということへの嫌悪感から 認めることをしていない

これは 正しい判断なのか 疑問に思う

 

生きる も 死ぬも その人の生き方

 

それぞれに 生きる方法が あってもいいのではないか

 

社会が豊かになるとともに 生き方は 非常に難しくなっている

 

高齢になっても 生活が安心した 保障がなされていない 社会

高齢者に とっての 不安は拭えない

 

医療においては 過剰な延命のための治療は 行わない

尊厳死 ということを認める ということも必要なのではないか

 

生き抜くのが ある意味 難しくなっているのが 今の社会ではないか

 

一体 豊か とはなにか

豊か は何を 人にもたらすのか

 

考えていくと 矛盾に満ちている

 

ここにきて この矛盾が顕著になっているのではないか

 

生きるのが 難しい と思えるときは 死ぬ権利 を認める ことも必要なのではないか

 

宗教的な倫理観は ときには 人を過酷な状況に陥れている

 

生きる 死ぬ 

それは その人が決めること 

 

いま 一番の問題は 死ぬ権利 を悪と 決めつけている ことである

 

死ぬ権利も 生きる権利と 同じように 人の人生にとって 重要なことである

60年前であれば 人の人生は 今のような 長寿ではなかった

少子高齢化など 考えられなかった

 

いまは 少子高齢化 人口の構造が 歪んできた

 

政治も 思うようには 計画通りにはいかない

 

すべてが 生活への不安を生んできている

 

社会が 豊かになっても 心は 豊かにならず 

ということである

 

いま 人間らしさ が出せるのは

生きる権利 と 死ぬ権利 を認めた社会 になることではないか

 

そのためにも 尊厳死を認めた 社会にすべきである

 

人間社会は 豊かになりすぎて 悩みも多く生んだ

そして 歪みも 生んだ

 

そのような 中では 人生は いろいろな選択肢があってもよいのではないか

人の人生が 宗教に制限れるのは 人間の自由を侵すものである

 

これからは ガンによる患者も増えてくる 

ガン患者の 気持ちも 考えなくてはならない

 

人に寄り添う ということを 真剣に考える ときにきている


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豊前善三のつれづれ日記

2023年10月17日 09時16分15秒 | 日記

( Vol     3320   )   戦争を起こす指導者の行動には 理性はない あるのは 欲望だけ

 

戦争を終わらすには 理性が必要になる

しかし 戦争当事者である指導者には 理性はない 欲望を満たすこと 自分の立場を守る という思いしかない

 

戦争当事者に 理性を求めるの 愚問

はじめから 理性をもって 行動を起こそうとは思ってもいない

自分の欲望を満たそうと 行動を起こしたにすぎない

 

どこまで やれるか

とことん 詰まるところまでいかなければ 

我に返ることない

 

理性は 求められない

 

和解は 力の結果 次第である

 

いつの時代も 意地の張り合い 

 

馬鹿げていることを 平気でやっている

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2023年10月12日 09時45分08秒 | 日記

( Vol   3318  )   宗教は いろいろな宗教が 同じ場に混在する中では 宗教はどのように 振る舞うべきか 考えなければならないのではないか  それには 我を出さない ということである

 

いろいろな人たちが 一緒にいる場では 宗教の教義が ぶつかる

いかにぶつからないか 考えなければならない

我を出せば 角がたつ

これは 当然 ぶつかることになる

 

お互いを認める ということができなくなる

どうしたら共存できるか 考えると

その場には お互いが 宗教の教義を持ち出さない 

ということになる

 

この持ち出さない という行動が大事なのである

 

教義を持ち出すのは 限られた場にすべきである

 

お互いが 我を出す場面を 控えれば 

争い 差別 はなくなる

誰でもが 違いには 過剰に反応する

誰もが 同じ色の中にいることで 安心する

違う色が混ざると 居心地が悪くなる

 

いろいろな人たちが 集まると 居心地が悪くなるのは 当然

違いを認めたくない と思っているからである

 

いろいろな人たちが 集まって 居心地がいい状態にするには

同じ色にするには どうするか である

 

ここでは 各人が 我を出さない

ということである

共通を見出だせば いいことになる

 

宗教の指導者たちは いろいろな人たちが集まる場所では 教護を持ち出さない という指導をすべきである

 

多様性を認める ということは そういうことではないか

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2023年10月12日 08時26分47秒 | 日記

(  Vol   3318  )   便利さは 本当に 生活の質を豊かに しているのか 疑問である

 

便利になる 

この言葉は 魔法である

 

しかし 落とし穴もある

閉ざされていた地域が 新たな道が開通して 解放された

これは 便利になった という実感が湧く

 

その反面 その閉ざされていた地域での経済活動は 範囲が広がり 

たの地域の経済に 取り込まれ 閉ざされていた地域の人々は 外へと 便利な地域へと 流れ出ていく

過疎化を生んでいく

 

便利は 本当に 良いことばかりなのだろうか

 

便利は ただではない

必ず 対価を支払う システムになっている

 

インターネットが 出現して 便利になった

だが インターネットを利用するためには 携帯 パソコン が必要になる

インターネットに繋げなければ 活用できない

活用するには 利用する料金を支払わなければならない

 

便利になる ということは 良いことばかりではない

負の部分を 背負わなければならない

 

一見 豊かになったように感じるが

それは 一部の豊かな階層にいる人たち だけである

 

貧困 底辺層の 人たちにとっては 良い改善にならず 

貧困 底辺層からの 脱出は できずにいる

 

環境は 悪化

 

便利は 本当に 良いことか

 

便利になることで 恩恵を受けるのは 豊かな層の人たち

 

何のための 便利さなのか

ここで 問わなければならない

 

便利さのためなら 負の部分は 軽視 無視 されてきているのが いままでの 便利さの追求 だったのではないか

 

これからも 便利さの追求は 豊かな層の人たちの 自己満足 でしか ないのではないか

 

便利さの追求は 誰のためにあるのか

 

その目的が ごまかされて いるのではないか

 

 

 


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