豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2023年10月21日 07時17分07秒 | 日記

( Vol  3322  )  生きる権利 死ぬ権利 ということを 考える時期にきている のではないか

少子高齢化という時代 ここには 医療における延命の過剰な医療が 関わっている

生きる権利 ということを重視した 医療体制とも受け取れる

しかし 死ぬ権利については 宗教的な倫理から 自殺ということへの嫌悪感から 認めることをしていない

これは 正しい判断なのか 疑問に思う

 

生きる も 死ぬも その人の生き方

 

それぞれに 生きる方法が あってもいいのではないか

 

社会が豊かになるとともに 生き方は 非常に難しくなっている

 

高齢になっても 生活が安心した 保障がなされていない 社会

高齢者に とっての 不安は拭えない

 

医療においては 過剰な延命のための治療は 行わない

尊厳死 ということを認める ということも必要なのではないか

 

生き抜くのが ある意味 難しくなっているのが 今の社会ではないか

 

一体 豊か とはなにか

豊か は何を 人にもたらすのか

 

考えていくと 矛盾に満ちている

 

ここにきて この矛盾が顕著になっているのではないか

 

生きるのが 難しい と思えるときは 死ぬ権利 を認める ことも必要なのではないか

 

宗教的な倫理観は ときには 人を過酷な状況に陥れている

 

生きる 死ぬ 

それは その人が決めること 

 

いま 一番の問題は 死ぬ権利 を悪と 決めつけている ことである

 

死ぬ権利も 生きる権利と 同じように 人の人生にとって 重要なことである

60年前であれば 人の人生は 今のような 長寿ではなかった

少子高齢化など 考えられなかった

 

いまは 少子高齢化 人口の構造が 歪んできた

 

政治も 思うようには 計画通りにはいかない

 

すべてが 生活への不安を生んできている

 

社会が 豊かになっても 心は 豊かにならず 

ということである

 

いま 人間らしさ が出せるのは

生きる権利 と 死ぬ権利 を認めた社会 になることではないか

 

そのためにも 尊厳死を認めた 社会にすべきである

 

人間社会は 豊かになりすぎて 悩みも多く生んだ

そして 歪みも 生んだ

 

そのような 中では 人生は いろいろな選択肢があってもよいのではないか

人の人生が 宗教に制限れるのは 人間の自由を侵すものである

 

これからは ガンによる患者も増えてくる 

ガン患者の 気持ちも 考えなくてはならない

 

人に寄り添う ということを 真剣に考える ときにきている


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