豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2022年04月21日 21時35分04秒 | 日記
  (  Vol 3035  )  日本におけるエネルギー開発の遅れは 政治家と既得権者による 妨害によって 遅れてきたといえるのではないか
見渡せば 代替エネルギーは沢山ある 日本にはエネルギー資源はある 

エネルギーの開発は やろうとすればできるのに やろうとしなかった

そこには 政治家の支援者との利権が絡んでいた

現存エネルギーに頼る産業 企業の意向が影響してきた

ここにきて エネルギーも供給事情が大きく変わり 他のエネルギーの調達 開発が急務となってきた

ここで 考えなければならないのは 自給自足率の引き上げである

日本には エネルギー資源がない としてしてきたのは 安価という観点から述べてきたからである

これからは 安価という考えを変更して 自給率ということに重点をおいた視点に立つことである

開発し 活用することで コストを落とすということも考えることも必要である


見渡せば エネルギーとなるものは 沢山ある

発電の規模を 巨大化施設で考えるのではなく 小さな施設での発電設備を 沢山集めれば 巨大なエネルギーを生むことができる

その視点から考えると 身近に エネルギーを生む場所は無限に近い

日本は 水に恵まれた国である 火山国である 海洋国である

それは 新たなるエネルギー となる

そのためには 開発の妨げとなる 規制を緩和をする必要がある

ただし 開発には デメリットもある

例えば 太陽光発電の設置に関して 周辺に対する影響を無視した開発 設置は 厳しい検査を設ける必要がある

現在 太陽光発電設備の 設置において 造成違反 設置における雨水などの排水施設の不備 など また 基準逃れの抜け道も横行

このような 愚行を起こさない体制も 合わせて必要である


審査は 書類だけではなく 設備の建設する 各過程において 検査 審査し 許可の決定 の判断が行政によって 強制力のある行政指導 中止も 取り壊しもできる 強制執行ができるようにすべきである

現状では このようなことができない 状況にある



実現させるためには 「権利と義務」 ということを 自覚させる必要がある


いままでは 権利だけが重視されていた これは改めるべきである




設備設置者への責任を自覚させる 体制が必要である


その上で エネルギー開発を考えるべきである


日常生活の回りにも エネルギーを生むものはある

例えば 田んぼへの用水路の水の力の利用

現在は 田んぼへの用水路は 田植えの時だけ 用水路に川の水を引き込んでいるが

常時 用水路に 川の水を引き込んでいれば 水は流れ 水路は流れるように傾斜がつけられ 小さな発電所の可能性がある

昔は 水路には 水を送り出すために 水車が設置されていた

これを 現代版の発電水車にすれば 大きなエネルギーを生むことになる

このように 日本は 小さな力を集積して 大きなエネルギーを生む ということを考える ときではないか


日本に エネルギー資源がない のではない

日本には エネルギー資源はある のである


自給自足 という原則の考えをもって 対処していく必要がある








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豊前善三のつれづれ日記

2022年04月18日 12時58分50秒 | 日記
  (  Vol 3034 )  ウクライナへのロシアの侵略を機会に 戦争は犯罪である という認識に立つことではないか 

いま ロシアのウクライナでの侵略行為について 戦争犯罪の証拠を集めている

なぜ 戦争犯罪か ということを考える 必要がある

ここには 人道的立場が 基本にある

これが守られているか ということである

戦争を考えるとき いつの時代の 戦争も 人道的立場にたった戦争は行われていない

すべてが 人道的立場を無視した 戦闘行為をやってきている


民間人を巻き込んだ戦争

そして 戦争という名の下に 悪行の限りをつくしている

この悪行を いままでは 黙認してきた

ここに来て 戦争犯罪ということを 言い出しているところに 新たなる思考がある

これは ウクライナの ゼレンスキー大統領 の 世論に対する訴えかたが 戦争と人道的な問題を 戦争犯罪 として提起した形になったといえる


あらためて 戦争そのものが 犯罪 という 認識を持つことから 始めなければならない

第二次世界大戦における 広島 長崎 への原爆投下 も人道的な立場から言えば 戦争犯罪

1970年の ベトナム戦争における 枯れ葉剤散布作戦も 人道的な立場から言えば 戦争犯罪

他の戦場においても 一般市民は悲惨な目に遭っている

市民生活を脅かしている


これを 戦争だから 不問にする というのは 屁理屈 戦争を起こした国の責任を問われないようにする 行為である

戦勝国 も 敗戦国 も 市民に対して 被害をもたらしたことは 戦争犯罪である


市民の生きる権利を奪った という観点から 市民から 戦争犯罪として 訴えられるべきである

原告は 被害を被った市民 
被告は 戦争という武力行使をして 市民に被害を与えた国家及び最高指導者 当事者


例えであるが

自分は嘘をついても 許される

しかし 相手が 嘘をついたら 許さない

という論理が負かり通っていること事態が異常である


戦争における 戦勝国は 戦争犯罪は認めようとしない 

敗戦国に対しては 戦争犯罪を追及



過去は過去

いま という時代に 人類は何をしなければばらないか ということを 問いかける 第一歩
として あらためて 戦争は 戦争犯罪であるという 認識をしてもらいたい



ロシアのウクライナ侵略による 市民生活が崩壊している映像は そこから見えるものは 戦争犯罪 そのものである



どんな理由にせよ 戦争は犯罪 という認識を持つことが 常識になってほしい


この機会に 常識を変える 行動をしてもらいたい










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2022年04月12日 18時18分26秒 | 日記
 ( Vol 3032 ) 独裁者の論理には 無理がある ロシアのウクライナ侵略理由は身勝手な論理によるもの 許されることではない

いつの時代も 独裁者は 時代の安定を 不安定にする

そこには 自分の欲望を満たすために 身勝手な論理を展開する

ある特定の時代に遡って 自国領土の範囲を正当化しようとする 身勝手な論理で 相手国に侵略をする

いまの ロシアはまさしく そうである


これは ロシアのプーチン 中国の習近平 ともに 同じ論理を繰り広げている


これは 侵略である


大事なのは 現状を受け入れる ということが大事である

繁栄した時代への憧れを 現実のものにしようと 欲望を満たそうとする行為は 許されない


そこには 生活している市民がいる ということである

違う自治がある ということである


自分の国が 他国から 同じような 無茶苦茶な論理をもって 侵略されたら どう思うのか


侵略される側の気持ちは 容易に理解できる

相手の気持ちを 理解しない という行為は いまの時代には 許されない


ロシアのウクライナ侵略行為は 許されない ことである


どんな理由を並べても それは身勝手な論理である


世界中の人々は 声を上げて ロシアのウクライナ侵略行為について 非難すべきである


ロシアのウクライナ侵略行為は 殺戮である

人間として 絶対に許されない ことである








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豊前善三のつれづれ日記

2022年04月01日 20時21分48秒 | 日記
 (  Vol 3031 )  夫婦別姓問題 を 氏と家 という比較で考える

そもそも 氏は 生まれた姓 それが時代の変化で家名が 氏となっていった

明治になって 結婚すると 夫婦は一つの氏を名乗るようになった

これは 明治以降の法律によって 夫婦同一の姓を名乗るようになった


そもそも 氏は 生まれた姓を表す ということからかんがえると

夫婦別姓でも良い ということになる

むしろ 夫婦同一姓というのは 政治によって 管理の点からなされた といえる


今 国会で論議されている 夫婦別姓を認めるか ということは 

明治以降の慣習を根拠に 言っているに過ぎない

もっと 氏とは何を意味するものなのか ということから 考える必要があるのではないか


例えば 中国では 韓国では 同じ漢字圏でありながら 夫婦別姓である


このことからも 氏は その人 個人を表すものと 捉えるべきではないか


よって 姓は 別々 でも 同一 でも 選択の自由 といえる


夫婦別姓は ダメだという根拠は 単なる 感情論にしかすぎない といえる

 
 





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