豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年09月16日 08時24分10秒 | 日記
 ( Vol 2472 ) 台風15号の被害から考える 自然との対応には 完璧な対応はできない

電力会社は 自然災害に対して 福島原発事故の経験をいかせていない

今回の 台風15号による被害は 一般的には 予想外の出来事に映る

しかし 過去の台風による被害を調べてみると 同じような被害はあった

2018年の 関西電力管内で 起きた 台風21号の被害である

停電は 約220万件
電柱の折損は369本
その時の台風の 最大瞬間風速は 58.1 m/s

回復には 他からの応援受けながら 数日かかった

この経験を すべての電力会社 自治体 国 はどう活かしたのか

また なぜ 停電に至るような状況が生まれたのか

そこには 台風の最大瞬間風速変化がある

ここ数年 台風の中心気圧が 950phaでありながら
最大瞬間風速は 40m/sであった

しかし 去年辺りから 台風は 中心気圧が950hpa前後でありながら 最大瞬間風速 50m/s を越える 事態になった

では 電柱は どの程度の最大瞬間風速に耐えられるのだろうか

調べてみると ある資料によると
10分間平均風速40m/s,最大瞬間風速60m/s
ということらしい

ここに 電柱と張られている電線の力関係も加わってくる

そう考えると

今の電柱の設置の仕方を考え直さなければならない のではないか

今回の 台風15号の最大瞬間風速は 千葉市 57.5m/s 955hpa


限界を越える状況にきている ことを表している

台風被害を考えるとき

雨 土砂崩れの被害に 注目が集まるが これからは 電気についても 重視しなくてはならない

現代の日本社会は 電気が社会の基盤になっている ことを気づく必要がある


社会で起きる 被害を 他人事ではなく 自分たちの被害として 捉えて 対策を考えてもらいたい


二度と 同じ過ちは 起こさない という 安全対策を考えてもらいたい
















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豊前善三つれづれ日記

2019年09月16日 06時31分46秒 | 日記
 ( Vol 2471 ) アサヒ飲料CMに疑問を抱く CMは 効果を求めるものであるが 表現は 自由であるが 大衆への影響も大きい 理性ある思慮ある 表現を考えてほしいものである

アサヒ飲料 ルワンダCMにおいて

「 バカ正直な人ばかりになっちゃうと 世の中 面白くなくなる気がする ・・・」

これは 生真面目を揶揄している

世の中 真面目 正直 に生きる ということをを 否定するように映る

少し気を抜いて 生きてみたら と表現したかったのだろうが その意図は 視聴者には 届かないのではないか

生きる ことにおいて 正直に生きる ことを 是認することによって 世の中 心にゆとりをもって生きることができるのではないか

正直に生きることを 否定するような 表現は 真面目に生きることを 批判し 真面目に生いきなくても 良い と受けとられてしまうのは よくないのではないか


それでなくても 今の日本は 正直者はバカをみる という状況になっている

正直に生きることを 是正する 表現が必要なのではないか

最近目に余るのが 芸人のふざけた表現である
芸人自信 真面目に生きているはずである

生きるためとはいえ 度を越している

笑いとは 落語の真髄にあるのではないか


いまの お笑い芸人は 自分自身の生き方をさておいて 正直に生きることが バカ と思わせる 自分自身を偽った 受けるだけの表現している

一昔前に 流行った歌の スーダラ節を思わせる

いまの時代こそ 閉塞感を取り除くには 正直であることを 称賛 是認 することを 表現することが 大事なのではないか


多くの人は 正直に 真面目に 生きているのである

その人たちの 生き方を 否定するような 表現は慎むべきではないか


アサヒ飲料の CMための 表現を考えたコピーライター 採用した企業 に不快感を覚える


ふざける のも 度が過ぎると 不快になる


CM 表現は 視聴者にとって 心地よいものであってほしい

売れるためには 気を引くためには 何をしても良い という 考えは控えてほしいものである


いま大事なのは 個人の生き方を認める ことではないだろうか

他人と比較しない 生き方 

自分が 自分の生き方を 肯定する 生き方が 必要なのではないか


それを痛感してほしいものである


表現するのであれば

ちょっと気を抜くための 気分転換するための バカンス 休暇 という 時間をつくったら という 提案を考えてもらいたい ものである













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豊前善三つれづれ日記

2019年09月13日 08時54分36秒 | 日記
 ( Vol 2470 ) 政治と環境は 矛盾の代表 人間社会は 政治家によって 矛盾の多い社会を生んでいる

政治は 目的達成のためには 大義名分の下 すべてを無視

政治家は 環境問題を掲げて 有権者の指示を得ようと アピール

しかし 実態は それは パフォーマンス

政治という 魔物に 呑み込まれる

世界中が 平和を望みながら

軍備を保持

軍事施設は すべての 規制から 除外されている

軍隊の演習場は 市街地から離れた所を選び 郊外の自然豊かな土地を 演習施設にする

国の機関は 環境省という 機関があるが 政治には 規制をかけずにいる

軍事演習場は 環境破壊の 縮図

そこには 土壌汚染 廃棄物 などを 放置 

住民無視 動植物無視


騒音は 話題になるが 自然破壊は 問題視されていない


なぜ 軍事施設は 環境として 問題視しないのか

政治家は 環境破壊に 反対しながら  軍事施設には 見て見ぬふり 不問にしている

この矛盾 を 公然とやっている


なぜ このようなことが起きるのか

そこが 政治である

事を成すには すべての規制を排除する という考えがある からである


世の中 理想では 事が進まない という 理屈である


矛盾を承知で 政治家は 国民に 正義を 訴えている


「金」と「守る」 という 姿勢が 矛盾を生んでいる

これは 社会集団が 生まれてから ずーっと 続いてきている

それが 人間社会集団

人間社会は いかなる思想をもってしても 矛盾が存在する

理想を掲げても そこには 差別を生じさせている


人間社会は 矛盾に満ちている

この矛盾を いかに 少なくするかが 課題である

それを 妨げる一番の要因は 人間の欲望である

特に 政治家の欲望は とどまるところをしらない

いつも 裏で 欲望を満たす行動をしている









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豊前善三つれづれ日記

2019年09月09日 14時37分55秒 | 日記
 ( Vol 2469 ) 権力者には 清廉潔白な者は 一人もいない そこには欲望が絡んでいる からである

権力者は 目標達成という欲望のために  叶うことができるならば 何でもする

表の顔 裏の顔 をうまく使って 立ち回る

国民には 清廉潔白さをアピールしても 裏の顔では 違う

権力者の周りを見れば 裏の顔が見えてくる


権力には 必ず 利権がついてくる

この利権の 恩恵を受けようと 禿鷹のように 権力者に近寄る

言葉巧みに 権力者の裏の顔を 誘惑する

権力者は 欲望の塊である


権力者は 決して 無償では行動しない


権力者が 動けば 利権が動く

そこに 大きな問題も生じさせる


どんなに良い政策を 示しても ある特定の禿鷹によって そこから生じる 利権が奪われる

常に 権力者は 欲望という 利権に振り回され 裏の顔をつくっていく


権力者は 権力のないものとは 違う


清廉潔白ではいられない

清廉潔白では なにもできない プラスもマイナスも 両方使えなくては 権力を行使できないと思っている

大きなことを 成すには 裏の顔が必要である と思っている


権力者を 表の顔で 計っては 間違いである

権力者には 表の顔と裏の顔がある ということを 知っている必要がある

誰が 利権によって 富を得るのか










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豊前善三つれづれ日記

2019年09月09日 14時09分06秒 | 日記
 ( Vol 2468 ) 差別 いじめ は 力のある者 権力者 によってつくられる

学校での 生徒のいじめは その集団における 力のある者によって つくられる

企業での いじめは 力のある者によって つくられる

すべてが 力のある者の 気分で生み出される

自分の思うようにならなければ いやがらせをして いじめる

すべてが 強者によって つくられる

村八分 という言葉があるが それなども その類いである

民族闘争は 権力者によって つくられる

そして 結果 生まれてくるのが 差別である

権力者は 大衆を煽り 差別を誘発


いつの時代も どこの国も どこの民族も どこの地域でも 起こる


一度 戦争になれば 差別が 生まれる


過去を振り返れば 一目瞭然

第二次世界大戦において アメリカに移住した日本人は 戦争勃発と同時に 財産を奪われ 人権も奪われ 収用された

その事実は 何を意味するのか

同じ空気を吸って 生きていた環境において 平等に生きていた生活が 権力者によって 脅かされた ということである

いじめ 差別 すべてが 権力者によってつくられる


末端の市民は 権力を持たないために いじめ 差別 という行動にはでない

しかし 集団になると そうはいかない

集組織 という ことが 行動を歪める

集団組織の中の 権力者の意向が 影響をおよぼす

権力者は 集団にあって 力を発揮する

そこに いじめ 差別 ということを 生じさせる 要因が潜んでいる

権力者は 欲望 目的のためには 大義名分の下 平気で いじめ 差別をする


ここには 理性と言う言葉は 通じない

いかに 優位性を示すか しかないからである







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