豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年09月02日 08時46分29秒 | 日記
 ( Vol 1122 ) ハード面の 防災には 限界がある ソフト面を重視すべきではないか

東日本大震災以降 津波対策について 過敏になっている

最近では 太平洋側における地震対策として 津波被害に対する対応が強化されようとしている

NHKで 津波対策として 高知県の ある地域の高台移転に対する 住民 自治体の 意識動向について 報道していた

この報道を見ていると 何が何でも高台へ移転 ということには 限界があることが伺える

自治体の財政力 住民の財政力 という点において 難しさを 露呈させていた


ハード面だけで 考えると 被害を少なくするために 高台移転が ベストということになる

本当に ベストか 疑問 

高知県には 増水時に沈む橋 がある

この考え方には 自然を受け入れた 考え方がある


建造物に被害があっても 人には被害が及ばない という考え方も通じるのではないか


津波災害に対する対策とは なにが目的なのか

人が災害に遭わない方法を考えるのだが その考え方が 安易すぎるのではないか


温故知新 ということばがあるが 過去の対応も 参考にする必要があるのではないか


ハード面の 重要視から ソフト面の重視へと 変更を図ることではないか


早めの予防 という言葉があるが 防災にも あてはまるのではないか


過去の災害を見てみると 対応が後手になっている

そこには 行政の責任の取り方にある

責任回避のために 行動が後手になっている

結果から行動する 体質

予測から行動する 姿勢がない

行政は 積極的な対応が求められている のではないか

防災の基本は 早めの対応 ではないか

早めの対応ができるシステムを 構築できれば 被害を少なくできるのではないか

ソフト面の重視 が求められるのではないか

高台移転が 最良の判断ではない

その土地 環境 生活 にあった対策が 必要ではないか

金太郎飴のような 対応では 困る


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豊前善三のつれづれ日記

2014年09月02日 07時25分04秒 | 日記
 ( Vol 1121 ) 広島市は 気象台からの予報FAXを 見落とした このことから ソフト面の重要さを 認識する

どんなに 机上での対策をとっても 実際に運用されなければ 対策にならない

特に 人が関わる面が 重要になる

担当者の 責任感の希薄さが 招いたとも言えるのではないか


今回の 広島市で起きた 土石流災害は 対応の遅れが 被害を大きくしたのではないか

避難者が出たとしても 行方不明者 死亡者を出すことは 避けられたのではないか


ハード面 だけが重要視されてきたが ソフト面がしっかりしていなければ 機能しない

ハード面を補うのが ソフト面

今回の被害は ハード面 ソフト面 がうまくかみ合っていなかった 

ハード面は 限界がある 

その限界を 補うのがソフト面

被害をなくす ということは難しい

だが 少なくすることはできる


今回の場合 建物の被害はあっても 人の被害については 回避できたのではないか

報道によると 

午前1時15分 土砂災害警戒情報 
午前1時49分 1時間に最大70ミリの降雨予想 FAXの見落とし
午前3時   避難勧告の目安を越える雨量観測
午前3時21分 土砂崩れによるこどもの生き埋め通報を受ける
午前4時15分 避難勧告発令

という時間経過があったという

午前1時15分の情報の段階で なんらかの対応をとらなければならなかったのではないか

防災対策における 危険を察する意識が 希薄であったのではないか


日頃から 防災に対しては 担当者は 他都市で起きた災害の対応について 参考にしながら 迅速な対応ができるような 体制を築いてこなかった 結果ではないか

何度となく このような災害が起きている

しかし そのソフト面での対策は とられてこなかった


今回の広島市における災害を 大きくしたのは ソフト面の欠陥によるもの

ソフト面の重要性を 再認識してほしい

担当する人の 意識の向上をどうするのか


検証しても それを活かさなければ なんにもならない

今回の災害を 教訓にしてほしい

人の命が 関わっていることを 自覚してほしい


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豊前善三のつれづれ日記

2014年09月01日 08時45分08秒 | 日記
 ( Vol 1120 ) 常識 ルール は普遍ではない トラブルは変化についていけないところで起きる

なぜか 常識が 時代によって 違う

時代の要求によって 常識が 変化する

生活様式なども 影響する

先日 コンビニにいったら レジ窓口の前に チェーンで入り口 出口を 設けてあった

最近 レジの前での待つ仕方が ホーク型と呼ばれる 一列になって 待つ方法が 広まっている

窓口が 複数あるところでは ホーク型の待つ仕方が 常識になりつつある


以前は 好きな窓口の前に 並んで待っていたのだが 違ってきている


常識だと思っていたことが 常識ではなくなる

世代間でも その違いが見受けられる
 


その人の 柔軟性にもよるのだろうが

経験の中で 培われたものは そのまま 常識として 定着

時代の中で 変化する 常識についても 柔軟性があれば 変化についていける

しかし 柔軟性に欠けている人は 常識は 以前のまま


常識 ルールは 時代の風に 変化 揺れる


多数意見 権力 によって 常識 ルール が変えられる


常識 ルール は 普遍ではない

時代によって 変わる


だが このことが なかなか受け入れることができない のが現実


常識でしょ

と言われて それが 本当に 常識なのか と疑いたくなる


常識は 非常に あやふやであるが トラブルを避けるためにはその場での常識は 尊重する 必要がある


世代の違う人たち すんだところが違う人たち が 集まっているところでは その場の常識が 優先される

場を どう受け入れることができる のか





 

 






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