豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年02月12日 10時25分21秒 | 日記
 ( Vol 2416 ) 主権は 政治家でない 政党ではない 国民である このことは 憲法にも記されている もう一度 政治とはなにか 考える必要がある


国民主権 この言葉は 非常に重い言葉である

日本の戦後の政治は 新憲法の下 変わった

国民が 選挙で 議員選出する

その単純なことが 歪められてしまった


血縁 地縁 雇用主と雇用される者 との関係は 選挙という 仕組みの中で

大きく変えられてしまった

議員あっての 選挙 すなわち 議員に主権があるかのようになってしまった


選挙権は 個人の意思によって 行われる ことが前提であるが

力関係で それは歪めれてしまった

企業の有権者への圧力

労働組合の有権者への圧力

宗教の有権者への圧力

地域のもつ 有権者への圧力

と いろいろな圧力が生まれ

議員ありき という状況を作ってしまった


その結果が 政党の暴走

議員の暴走

を生んだ


まるで 主権は 政党 国会議員 にあるかのようにしてしまった

有権者を無能にして 選挙の自由を奪ってしまった


今の 選挙は 建前は 国民主権である

しかし 実態は 理想から 大きく離れている


政党の暴走 政治家の暴走 を防ぐには 国民が真の主権をもつことである



「国民」と 「政党 国会議員」との力関係は 国民 有権者が 上である ということを 改めて認めることから 日本の政治を 理想のかたちに することではないか


主権は 国民にある


血縁 地縁 親会社 労働組合 宗教団体による 圧力には 屈することなく 有権者としての 権利を行使することが 日本の政治を 理想の方向へと 導けるのではないか













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豊前善三つれづれ日記

2019年02月12日 07時58分15秒 | 日記
 ( Vol 2415 ) 堺屋太一氏の死を悼む  

昭和の好景気の躍進の立役者の一人が 去った

「団塊の世代」という 言葉も生んだ

団塊の世代は 昭和も好景気に入ったときの 大きな原動力になった

その世代の総称としては 素晴らしいネーミングであった

その 団塊の世代は 存在感を示し続けている

団塊の世代という総称の名付け親が 逝くというのは 昭和世代が遠くなっていく 感じを抱く

昭和を振り返ると 1960年から1970年代の 好景気は忘れられない

強烈な時代であった

この時代に思い浮かべる 政治家の言葉は 

所得倍増 日本列島改造 という 国民を扇動した言葉である

その中に 申し子のように 堺屋太一氏は 現れた と言えるのではないか

そこには メリットだけではなく デメリットもあった

デメリットは 社会保障に目が向かなかったことであろう


経済政策は 景気対策だけではない それに伴う市民生活の支えとなる 社会基盤の充実も 同時に必要になる

好景気の時期に 社会基盤 社会保障を 軽視してしまった ことが いま振り返ると 悔やまれる

今 団塊の世代が 後期高齢世代へと突入 そして 少子化 という 現象が起きている 

このことは 好景気の時期の 社会保障対策が不十分であった ことを気づかされる


今 再び 安倍政権は 1970年代の 所得倍増という政策の 過ちを 行おうとしている ことに気づかされる


堺屋太一氏の 功績は大きかったと思う

堺屋太一氏の ご冥福をお祈りいたします




















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