豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2015年04月24日 07時34分43秒 | 日記
( Vol 1251 ) 戦争など 争いによる 虐殺について なぜ勝者側は 問われないのか おかしいのではないか 

先日 イスラム国組織による 大量虐殺について 批判的報道がなされていた

また 過去の事例をみると ナチスドイツによる 虐殺 日本軍による虐殺

敗戦国による虐殺は 糾弾されてきた

しかし 勝者による虐殺は 糾弾されていない

ベトナムにおける アメリカ軍による虐殺

第二次世界大戦による 日本の広島 長崎への原爆投下による 虐殺

これらは 勝者の論理で 糾弾されていない


虐殺は 勝者も敗者もない

すべて関わった者は 糾弾されるべきものではないか


特に 原爆投下の正当性は 詭弁でしかない


戦争 争いは 双方に 争いを起こす原因を持っている

相手だけの問題ではない


勝者は 敗者に 原因のすべてを 求め 謝罪させる

それが 今までの 戦争のけじめであった

しかし それが本当のけじめだろうか


戦争による 多くの犠牲者は 一般市民である

どう一般市民に対して 謝罪し 責任をとるのか


虐殺を 批難する 気持ちがあるのなら 勝者 敗者 関係なく 謝罪の意思を 一般市民に表明し 糾弾されるべきではないか


今の 戦争による虐殺に対する 糾弾は 偏重したものである

いまだに 勝者の論理を通し 糾弾から逃れているのは おかしい


真の世界平和を 実現するには 勝者も敗者も 過ちについて 謝罪すべきである


不核拡散防止条約はなぜ 効力を発揮しないのか

なぜ 争って核を保有しようとするのか

そこには 核兵器の使用による 大量虐殺行為に対する責任糾弾がなされていないためである


真に 核を廃絶するには 核兵器使用に対する 使用責任 被害者への保障 が絶対である 


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