豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年11月09日 09時54分59秒 | 日記
 ( Vol 1145 ) 安楽死は認めるべきか 最近のアメリカの女性の安楽死報道から 考えたい

一般に 死については 自然に任せる という考えがある

それ故に 自殺については 批判 否定的である

現代社会は 科学の発展 文化の発展と共に 死に対する考え方は 変わりつつある

死に対しては 自然死 安楽死 尊厳死 自殺と 死にたいする選択の考え方が 出てきた

また 医療の発達により 生への執着も 強くなった

命の延命治療 ということも起きている


命を どう考えるか 問われる時代になった といえる


私は 死ということに対して 個々人の問題である という立場に立ちたい


個々人が 人生の最後を どう迎えるのか


今ほど 考えさせられる時代は ないのだろうか 


医療現場では 本人の意志に反して 延命を試みられる

医療が 今日のような 高度医療ができるほど 発展していない時代では

諦め というかたちで 死を受け入れた


しかし 現代社会では 死を安易に 受け入れない 生への執着が強い

特に 医療現場では 何が何でも 延命処置をすることが 本人にとっても良いのだという 考え方に立つ ことが多い

だが それで良いのか という 疑問を持つことを 避けているのが 現状ではないか


患者側にも 処置に対する判断に 関わる 環境をつくる必要がある

医師の判断が 絶対という 医療現場は異常であることに 医師たちは 気づいていない

そうした中 患者側が 判断をもつ という 行動が出てきているのだろう


私自身が その場面に患者として いたならば

私の意志を 尊重して欲しい という思いを医師に伝えるだろう

私としては 無用な延命処置を 施さないことを望む


自然死とは何か 尊厳死とは何か 安楽死とは何か 自殺とは何か

ということを もう一度 考えてみるのも良いのではないか


人生哲学として 自分の人生をどう終わらせるのか

考えてみれば いい


宗教的な観点から 自然死のみ を認めるという考えは 現代には 通用しないのではないか





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