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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#332 十大秘話 ⑩ 空白の一日

2014年07月23日 | 1983 年 
今回のトレードで僕は江川君個人に対して特に言いたい事は無い。要は阪神が僕を欲しかっただけでしょう。プロの世界で1球も投げていない投手と僕を天秤にかけざるを得なかった讀賣グループも苦しかったと思いますよ。このトレードを拒否して野球を止めるのは簡単な事、でもそれがきっかけでプロ野球を見るのを止めるファンも増えてしまう気もする。僕が阪神に行く事で一連の騒動で嫌気が差して離れて行ったファンも戻って来てくれるかもしれない。今やこの問題は社会的影響も大きく江川君一人の問題ではなくなっている。

僕がこのトレードを受け入れる事でプロ野球界の改革の為にもっと次元の高い人達が動き出してプロだけじゃなく野球界全体が良くなる事を期待したい。僕のプロ野球人生は巨人が最下位になった年から始まった。今度は阪神が最下位から這い上がろうという時にお世話になるのも何かの縁を感じる。巨人で得た経験を阪神に持ち込んで良い刺激を加えて微力ながら名門チームの再建に力を貸す事が出来ればと思っています。ですから今回のトレードは今後の僕の人生においても意義あるものだと感じています。  【 昭和54年2月19日号より 】



昭和53年11月21日、いわゆる「空白の一日」を理由に巨人が江川獲得を発表した時から翌年の1月31日、キャンプイン直前に「阪神・江川」と「巨人・小林」の強い要望トレードで決着するまでの71日間は社会問題化した史上空前の大騒動だった。改めて当時の小林のコメントを読み返してみても小林の論理は整然としていて淀みがない。

「僕は江川の身代わりで阪神へ行くのではない。球界全体の混乱収拾の為に希望を持ち喜んで阪神のユニフォームを着る」・・・あるセ・リーグ幹部は「我々は小林君に足を向けて寝られない」とまで言った。小林は加えて「僕を人身御供的に見て貰いたくない。今日からは仲間ではなく敵です」「物質的に恵まれ過ぎた環境に慣れて本来の野球への情熱を忘れないで欲しい」と古巣・巨人の選手らにメッセージを残した。

この年の小林のピッチングは鬼気迫るものだった。嘗ての仲間は「打席であの眼を見ただけですくんだ」と口にした。中日~大洋~巨人~広島の順に首位が入れ代わる大混戦のペナントレースだったが小林に全く勝てない巨人が次第に首位争いから脱落していき、やがて絶対的守護神となった江夏を抱える広島が首位に立ちそのままセ・リーグを制した。

この年の日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦に江夏が近鉄相手に9回裏無死満塁の大ピンチを切り抜けた、いわゆる「江夏の21球」で広島を球団初の日本一に導いた。江川を巡る大騒動で揺れた1979年は1年が経過すると主役は江川から江夏へと代わっていた。やがて江川という劇薬の効き目が薄れていくと「プロ野球界全体が抱えた色々な問題と刺し違えた」とまで言い切った小林の気力も次第に萎えていく。

「国民的敵役」だった江川はプロ2年目から2年連続で最多勝、昨年は北別府(広島)に次ぐ19勝と「ひょうきんな実力派」へとイメージチェンに成功し幅広いファン層を掴んだ。一方の小林は移籍1年目に22勝で最多勝に輝いた大活躍以降は15勝前後とやや精彩を欠き、昨年はローテーション投手となって以来最低の11勝と沈み契約更改直後の会見で「来年は投手生命を賭ける」と漏らすほど追い込まれた。5年の歳月は2人の立場を逆転させた。手負いの小林が復活を果たすのか2人を巡るドラマはまだ終わっていない。

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