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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 667 近鉄バファローズ

2020年12月23日 | 1977 年 



阪急絶対優位のパ・リーグで「気力で倒してみせる」と宣言した近鉄。そこには西本監督&米田コーチ兼投手の師弟コンビの復活によるチームの意識革命の成功がある。さて、その猛牛を変えた " 革命 " の実態を覗いてみると…

25歳になった太田幸司の意識革命
四国・宿毛にキャンプを張る近鉄に何やら変化が。練習方法が変わったとか、選手の身体つきが大きくなったとかではない。意識の変化である。その例として太田投手を取り上げてみよう。これまでのシーズン最多勝利は昭和50年の12勝。それでも毎年オールスター戦に選ばれてきた太田も昨年はとうとう夢の球宴に出場できなかった。人気も実力もジリ貧状態だが西本監督に「あいつもようやく大人になりよった」と言わせるほど今年のキャンプでは変貌した姿を見せた。1月23日には25歳になり、いつまでもセーラー服の女学生に追いかけられて喜ぶ歳でもない。それに今年は体調がすこぶる良いのだ。

昨年の今頃は右ヒジを痛めて他の投手たちが投げ込むのを寂しそうに眺めていたが、今年はブルペンで思い切り投げてシート打撃にも積極的に登板している。このところ毎日、150球から200球を投げ込んでおり変化球も投げ始めていて調整は順調だ。「いつまでも10勝あたりをウロウロしていてはダメ。15勝いや20勝して今年こそ何かタイトル争いをしたい。プロ野球選手としてここ1~2年が勝負だと思うし、今年ダメならそこまでの選手だということ(太田)」と話す内容も逞しくなった。ブルペンで太田の投球を受けている岩木や木村が口を揃えて「今年のコーちゃんは違う」と太田の変化を肌で感じている。

太田はプロ入り8年目を迎えた。「だいたい稲尾さん、金田さん、村山くんなどの大投手は7年も8年もかけてエースになったわけではない。8年目の太田もここらで頑張らんとその他大勢クラスの投手で終わってしまう」と杉浦投手コーチは警鐘を鳴らす。太田にとって耳の痛い話だ。昨年の暮れに佐々木選手や栗橋選手と一緒に宝塚にある西本監督宅を訪ねた際に西本監督からたっぷりと野球談議を聞かされた。「監督が自分に期待しているのが分かったし、身の引き締まる思いだった(太田)」そうだ。その日以降、太田の生活態度が変わった。プロ並みの腕前と称されるゴルフを封印し、大好きな麻雀も年が明けてからはやっていない。

もともと酒は飲まずタバコも吸わない太田。キャンプの休日は手持ち無沙汰で宿舎の部屋に籠ったまま過ごしている。「キャンプは遊びに来ているわけじゃない。野球をしに来ているのだから、野球をやらない日は身体を休ませるのが当たり前」とちょっとキザに聞こえる台詞も今では真実味を帯びている。また昨年までは練習が終わるとグラウンドから宿舎までの約3kmの道をランニングをして帰って来ていたが、今年はタクシーを利用している。「練習ですべてを燃焼させれば走って帰る余力は残っていない。宿舎へ帰ったらバタン・キューですよ」と笑う顔は精悍だ。何もかもが一回り大きくなった感じの太田は " 何か " を掴んだようである。


大ウケのベテラン米田の革命説話
何が太田を変えたのか?西本監督や杉浦コーチの助言もあるが実は米田コーチ兼投手の存在が大きい。阪急から阪神へ、そして今年から近鉄に移籍して来たベテラン投手は今年でプロ23年目。その米田と太田は宿舎で同室となった。「本当に驚くことばかり。当たり前のことなんだけど教えられることだらけです(太田)」と。近鉄は米田の豊富な経験を投手に限らず若い野手にも注入したいという西本監督の提案で米田をコーチ兼任にした。「僕はまだ投手として目標を持った現役。コーチという肩書きは意識しない(米田)」と言うが、肩書きより自らの行動で若い選手にプロ意識を植え付けている。

米田はキャンプ地に自宅から枕を持ち込み太田を驚かせた。翌朝、起床した太田が着替えをしていると米田が「宿舎のこの部屋は君の城みたいなものだ。服を雑然と置いておくもんじゃない。君専用の整理タンスを用意しなさい」と言われて直ぐに宿毛市内の家具店にタンスを注文するくらい米田イズムにすっかり傾倒してしまった。それに対して米田は「みんな考えが甘いんでビックリした」と近鉄ナインの印象を端的に言ってのけた。やれガッツだ、突進だ、と宿舎の壁にスローガンが貼ってあったりグラウンドでは元気のいい掛け声が飛び交っているのだが、米田の目には単なる掛け声にしか映らない。

「プロとしての心構えがなっとらんですね。色々な投手と話をするけど " 僕は6回くらいに打たれることが多い。完投できるコツを教えて欲しい " と聞かれる。コントロールもないくせに力いっぱい投げ続けていたらバテて中盤以降につかまるのは当たり前。投手1人でマウンドに上がり9人の打者相手に喧嘩するのと一緒。相手の力量を見極めて攻め方を変えるのが常道。球種や間合いも大切だけどコントロールをつけるのが近道」とこんなところが近鉄ナインに必要な意識改革だろう。今は着実に進行している。あとはオープン戦を通じて「なぜ打たれたか、どう攻めればよかったのかを教えていきたい(米田)」という。

午前10時から始まって延々6時間続くキャンプ中に米田は投手たちと個別に話し合う。「体験談だけや」と多くは語らないが意識改革だけでなく、太田には " ヨネフォーク " と呼ばれる米田直伝の変化球を教えている。「詳しくは話せないが球の縫い目に指を掛ける方がコントロールがつく(米田)」のだそう。これまでとは違う投げ方に太田は「今までは縫い目に指を掛けずに投げていたけどシュート回転したり安定しなかった。どの指を掛けるかは秘密だけど確かにコントロールしやすい」と手ごたえを実感している。「まだまだ甘い。こんなんで阪急に勝てるもんか」と米田の意識改革は始まったばかりだ。


「経験談を話すだけ」と米田兼任
西本・米田の阪急時代の師弟コンビが放った近鉄の革命宣言、そして米田の投手教育が好評となると杉浦投手コーチの立場が微妙になるのでは、とヤジ馬は勘繰りたくなる。杉浦コーチは現役13年、その間は南海のエースとして球界を代表する大投手。言うまでもないが立教大学時代は長嶋監督(巨人)と共に神宮の森を沸かせたスターだ。長嶋のような派手な性格ではなく物静かで目立たないが近鉄でのコーチぶりは西本監督に大いに評価され「投手のことはスギに任せておけば大丈夫」と催促されない限りキャンプ中に西本監督がブルペンに足を運ぶことはないほどだ。そこに米田が新たに加入してきた。

船頭多くして…の諺を危惧する声に米田は「いやいやコーチといっても僕の軸足は現役で、技術的な指導は杉浦さんや中西さん(元大毎オリオンズ)がしてくれる。僕は聞かれたら答えるだけでコーチとは名ばかりだよ」と笑い飛ばす。米田は現役生活23年目、あと3勝で通算350勝の大投手。「身体はどこも悪いところはないし、仕上がりは早い方だし開幕に焦点を合わせて調整していく。僕が10勝したら近鉄は優勝争いに食い込める(米田)」と言い、自分を温かく迎えてくれた球団と西本監督の恩に報いる為に必死であり、投手陣に対する意識改革もその一環なのである。

一方の杉浦コーチも米田に対して「貴重な経験を持った大投手だし、力強い存在だ。チームが危機に陥った時に米田みたいな投手がいるかどうかで踏みとどまれるか落ちていくかが決まる。投手としてもコーチとしても必要な人材だ。米田には投げるだけでなくブルペンで目を光らせてもらう」と期待を寄せており、わだかまりはないようだ。怪我とは無縁で強靭な肉体を駆使して金田正一氏に次ぐ勝利数を上げている米田と現役時代に右腕の血行障害を手術と長いリハビリを経てカムバックした精神力の持ち主である杉浦コーチがタッグを組んで近鉄投手陣を体力と気力の両面から鍛え上げていく。


デスマッチと取り組む西本監督
しかし選手やコーチ以上にやる気を見せているのが西本監督だ。「オレがやると言うたらとことんやるんや」3年間近鉄の監督を務め、昨年末に再契約をし4年目を迎えた西本監督はガラリと態度を変えた。「昨年までは少し選手を甘やかしてきた。オレはやはり年中がなり通して丁度ええんや」と豹変した理由を話した。昭和35年に大毎オリオンズを率いてパ・リーグを制したが日本シリーズの用兵を巡り、当時の永田オーナーと衝突して辞表を叩きつけて退団。あの時の血気盛んな青年監督の面影が今や白髪となった西本監督の表情に漂っている。大洋に別当監督が就任して大正生まれの監督が中日・与那嶺、クラウン・鬼頭と合わせて4人になった。まだまだ元気で昭和生まれには負けない。

昭和50年の後期シーズンに優勝をして次はリーグ優勝を、と期待された昨年は前・後期ともにダメ。打倒阪急にナインを叱咤激励する西本監督だが実は狙いは別の面もある。「選手たちはいつまでも野球だけをやっていけるわけではない。やがて引退して第二の人生を歩むことになる。それまでに社会人として一人前に育てるのも自分の役目(西本)」と自問自答しながらグラウンドで仁王立ちしているのだ。西本監督は米田方式とは違ってノックバットでのシゴキが中心だ。午後1時過ぎから始まる個人ノックは時間制限なしに延々と続くデスマッチ。「選手が分かるまでやめない」「多少の怪我は唾でも塗れば治る」等々、西本監督の口から出る言葉は激しい。

宿毛キャンプで座るのは昼食のパンを口にする10分間だけ。あとはノックバットと拡声器を持って終始立ちっぱなしの西本監督。夕食後は宿舎でビデオ録画した映像で各選手をチェックする。「ウチの戦力では阪急には勝てん。しかし勝負は戦力だけでは決まらない。気力で勝ってみせる」と大正生まれらしく太平洋戦争下での " 打ちてし止まん " 精神ばりでは今の選手たちは理解できそうもないのが気になるが。「ウチの連中は球を打つポイントも知らんし、体の移動の仕方も分かっておらん」「あんなフォームで試合で打てると思っている時点でダメ」と西本監督の口から出るのは怒りと愚痴ばかり。

「怒鳴られている時は怖いオヤジと思うけど、あれだけ熱心に動き回る姿を見るとこれが西本イズムなんやなと分かるようになった」と佐々木選手は言う。今の時期は12球団どこのキャンプ地を訪れても監督は意気盛んだ。みんなヤル気がみなぎっているが西本監督ほどの殺気走った " 本気のヤル気 " を見せている人はいない。その西本監督を見て米田が呟いた。「あのオッサン、昔とひとつも変わっていない。阪急を優勝させた時と同じやから近鉄の優勝も近いぜ」と。阪急を日本一にした男の見立てである。
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