Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 496 結末 ②

2017年09月13日 | 1985 年 



江夏投手の大リーグ挑戦は3A降格ですらない " リリース(自由契約)" 即ちクビという最悪の結末となった。「江夏、大リーグ入りならず」の一報は4月4日、日本時間のお昼前に届いた。それはAP通信社の江夏本人のコメントもない209語からなる経緯だけを伝える簡素な記事だった。直近の3試合も精彩を欠き、前日のエンゼルス戦で2回・4安打・2失点の敗戦投手になった時点である程度は予想される結果だった。だがブ軍が発表した内容は江夏の想像を越えたものだった。江夏自身は今回、仮に大リーガーとして契約できなくても3Aチームとの契約は継続されシーズン中に大リーグ昇格を再チャレンジできるものと考えていたが結果は " リリース " 。一縷の望みすら断たれた、まさに首斬り宣告だった。

再チャレンジの機会を与えてくれないブ軍は非情なのだろうか?否、そうではない。日本と米国とでは組織、考え方が違うのである。ルーキーリーグから1A・2A・3Aとピラミッド型に組織されている大リーグでは下部チームは将来、大リーグに昇格する可能性のある若い力を育てる為にあるのであって、江夏のような高齢選手のテストは今直ぐに大リーグで働けるかどうか、の一点に絞られる。ブ軍関係者が度々「とりあえず3Aで様子を見て」と言っていたのは「米国国籍以外の選手が大リーグ入りするには一度下部組織を経なければならない」とした大リーグ独自の規定があるからだ。つまり、大リーグ昇格の可能性があると判断した場合のみ3Aに行ってもらうと言いたかったのである。

思い違い、認識の甘さは江夏の調整法にも現れた。日本での18年間の経験と実績がある江夏は先ずは下半身を鍛えながら肩を徐々に作っていく従来の調整方法にこだわった。だが大リーグのキャンプに参加する投手は初日から打撃投手として投げられるように仕上げてからやって来る。今から2年前、通算300勝を目指すトム・シーバー(ニューヨーク・メッツ)のキャンプを取材する機会があったが、彼は初日からブルペンで全力投球をしていた。当時38歳の大ベテラン投手にもかかわらず。大リーグのキャンプとはそういうものなのである。 " 郷に入れば郷に従え " を実践できなかった事が今回江夏が犯した最大のミスであろう。

否、「できなかった」と言うより「しなかった」と言った方が正しいかもしれない。キャンプイン早々、キャッチボールの相手を務めてくれたテッド・シモンズ選手について「あの『23番』は誰や?」と記者に尋ねた。シモンズは今でこそ指名打者専門だが、かつては大リーグでも指折りの捕手だった。かりにも自分が入団テストを受ける球団の下調べをする事すらしないのだから大リーグ全体のしきたりなど考える気など最初から無かったのであろう。日本では通用する態度も海を越えた米国では通じない。「自分が考えていた野球の常識を超えたものがあるという事を認識した。色々と騒がれたが実際に体験した自分しか分からないものを得た事をこれからの野球人生に生かしたい」と江夏は語る。

江夏が大リーグに挑んだ当初は昨季までの指揮官・広岡監督(西武)は「無駄な挑戦。成功するとは思わない」と冷たい態度だったが、挑戦失敗後は一転して「あの年齢でよくぞ挑戦した。エライよ」と褒めあげ「評論家と称しながら日本の野球界について学ぼうともせず偉そうな連中に比べたら未知の世界に、身一つで果敢に飛び込んだ江夏の方が向上心があって何倍も立派だよ」と感想を述べた。江夏には堂々と胸を張って日本に帰って来て欲しい。今回、江夏が得たモノを甘い体質の中でノホホンとしている日本の野球界発展の為に是非とも生かしてもらいたい。
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