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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 374 連続本塁打王へ

2015年05月13日 | 1983 年 



少々話は古くなるがオールスター戦中の事、全セ軍のベンチで掛布が山本浩の傍にそっと近づき「随分と飛ばしてますね。あんまり走られると追いつけませんよ。第一、独走したらファンも白けますよ」とニタニタしながら話しかけた。勿論、山本浩のホームランダービー独走の件だ。山本浩は「バカ言うな、年寄りは先を走らんと若い連中に直ぐに追い抜かれるんじゃ」と返した。その予言通り原が量産体制に入り掛布もピッチを上げ始めるのと対照的に山本浩のペースがダウンし始めた。「チャンス到来だ」と昨季の本塁打王の掛布に火が点いた。9月13日時点で掛布は3本差の28号で「この差なら射程圏内」と自信を見せる。しかし夏場を迎える前の掛布は正直言ってタイトルどころの話ではなかった。

5月に原因不明(後に疲労が原因の帯状疱疹と判明)の胸の痛みのせいでフルスイングが出来ない状態だった。それが癒えると今度は腰痛に見舞われた。軽度だった為、大事には至らなかったが「とてもまともに野球が出来る状態ではなかった」と猿木トレーナーは振り返る。更に一部スポーツ紙に視力が急激に低下していると報じられたがこれは全くの誤報だったが本人のイライラは頂点に達した。「ちょっと成績が上昇するとマスコミの皆さんはピタッと話題にしなくなって…」と掛布は皮肉まじりに笑う。体調の話題が一段落して鎮静化すると今度は一塁へのコンバート話で周辺が騒がしくなる。「そうなんスよ。最近は打撃の話はそっちのけでコンバートの話ばかりで」と苦笑する。

そもそもコンバート話が起こったのは右足の大腿二頭筋部分断裂の大怪我を負い2ヶ月も戦列を離れていた岡田の復帰が近づいてきたからだ。怪我がほぼ完治した岡田は即一軍昇格を希望したが慎重の上にも慎重をを期す、との安藤監督の判断により先ずは9月13日の二軍戦で実戦復帰を果たした。ポジションは横の動きの範囲が大きく足に負担がかかる二塁ではなく三塁を守る事となったがこれが波紋を呼ぶ事となる。実は安藤監督は一軍復帰後の岡田を一塁に起用する考えだったので当初は一塁を守る予定だった。だが岡田本人が不馴れな一塁守備ではなく大学時代から馴れ親しんだ三塁を希望した為に三塁を守った。岡田が三塁を希望した事に深い意味は無く、単に馴れない一塁守備で怪我が再発するのを防ぎたかっただけだった。

いくら安藤監督が岡田を一塁で起用するつもりだ、と声高に叫んでも一塁にはバースや藤田がいる。じゃあ外野か?と言っても岡田は新人の時に失格の烙印を押されているから無理。当然、動きの多い遊撃や二塁も有り得ない。となると残されたポジションは三塁しかない。しかし三塁には掛布がいる。さぁどうする?トラ番記者は大騒ぎとなった。記者が向かったのは岡田ではなく掛布の所だった。「三塁を岡田に明け渡すのか?」掛布に対する質問はこの一点だけ。掛布は「チームにとって一番良い方策に従う」と心の奥底を見せず大人の対応に終始する。しかしそれが本心だとは誰も思っていない。長嶋さんに憧れて始めた野球だから三塁で、という本音を掛布はこう表現する・・「僕の夢は生涯一ポジションなんです」

そんな周囲の喧騒に今の掛布は無関心だ。寝ても覚めても生まれたばかりの息子(啓悟ちゃん)にデレデレなのだ。掛布は常々「俺はね外出先から家に電話をするのが好きじゃないんだ。女房を無視している訳ではないけど男が一歩外へ出たら家の事は考えないようにしている」と語っていたのだが息子の誕生で一変する。遠征先のホテルからの電話代がめっきり増えた。「朝と晩、多い時は宿舎を出る昼前にも。ええ、私には何の用事もないのに『ちょっと啓悟の声を聞かせて』と電話を掛けてくるんです」と安紀子夫人は笑う。結婚5年目にして待望の2世誕生だけに元々の子供好きに拍車をかけた溺愛ぶりなのだ。「まだ『ア~』とか『ウ~』としか喋らないけど声を聞くだけで活力が沸いてきます」「息子が大きくなって甲子園に応援しに来られるくらいまで現役を続けたい」と周囲にしみじみと話しているという。連続本塁打王への起爆剤は山本浩より息子の存在なのかもしれない。



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# 373 老舗 vs 新興

2015年05月06日 | 1983 年 



新興勢力の西武ライオンズのあらゆる面での物量作戦に老舗の巨人軍もタジタジ…これが一般的なファンが抱くイメージだろう。しかし事はそれほど単純ではない。巨人の巻き返しも急でありCM出演を禁じている西武が密かに巨人に倣うような動きを見せている。巨人と西武の微妙な絡み合いを設備や待遇面から比較してみたレポートである。

東京・池袋駅から西武線に乗り約1時間、「西武球場前駅」の改札口を出るとそこには別世界が現れる。5年前に堤オーナーが新球団創設の際に投資した金額は約100億円と言われている。その内訳は

             ・ 球団買収費用…10億円        ・ 新球場建設費…35億円
             ・ 球場付帯設備費…5億円       ・ 西武線沿線補修費…35億円
             ・ 合宿所建設費…2億円         ・ 海外キャンプ費…1億円
             ・ 選手補強費…4億円          ・ その他、球団運営費…2億円

これだけではない。一昨年には飛行機の格納庫のような室内練習場や本球場に隣接するサブグランドを作り「西武タウン」を完成させた。昨年、監督に就任した広岡監督はこうした設備を視察した際に「日本でこれだけの設備を揃えている球団はない。無理をして九州や四国でキャンプをする必要がないくらいだ」と驚嘆の声を上げた。最高の技術は最高の環境の中で生まれる、という信念に基づいている西武グループらしいやり方だ。広岡監督の脳裏に自らが育ってきた巨人の練習環境が浮かんだと想像するに難くない。あの多摩川の練習場だ。河川敷にある2面のグラウンドは吹きさらしで強風と砂埃に悩まされ続けている。昨年は台風の影響で幾度も水没し、人工芝が捲り上がる被害を受けた。球団もただ手を拱いていた訳ではなかったが多摩川は1級河川である為に勝手に工事する事が条例で禁じられていて改善出来なかったのだ。

ただ良い環境、施設が無いから強く逞しい選手は輩出されない訳ではない。今年、巨人に槙原・駒田・吉村といった「50番台トリオ」が出現した事に広岡監督は軽くショックを受けた。「彼らのような2~3年の選手をジックリ鍛える余裕と伝統が巨人にはある」…広岡監督が言わんとしているのは巨人には有形・無形の伝統が脈々と受け継がれているという事だ。それは西武の豊富な資金をもってしても手にする事は出来ない。川上や千葉、長嶋や王などのスター選手が汗を流して切磋琢磨した姿を若い選手は見て育った。西本しかり、篠塚や中畑や若き日の広岡自身もそうだった。こうした伝統が今も巨人に根付いている。設備が充実していても西武にはこれが無い。広岡監督は伝統の底力の違いを感じているのかもしれない。

施設面で遅れをとっている巨人だが昨年にはキャンプを張る宮崎運動公園内に2億円を投じて室内練習場を設けた。約3000㎡を誇る室内では投内連携プレーも出来てブルペンも完備されており選手達は大満足。東京にもこんな練習場が欲しい、という声に押されて球団も重い腰を上げ始めた。創立50周年を迎える来年を目途にジャイアンツタウン構想をぶち上げた。多摩川グラウンドを離れて東京・稲城市にあるよみうりランド内に2面の球場と室内練習場を建設する計画だ。メイン球場は両翼99㍍、中堅122㍍というもので「新興の西武に球界の盟主の座は渡せない」という老舗の危機感と意気込みが感じられる。

伝統を誇る巨人と新興の勢いをエネルギーにする西武で最も対照的なのが本拠地の球場である。「ウチは昭和12年にオープンしているんですよ」と後楽園球場の支配人・丸井氏は笑うだけである。つまり言外に「つい最近誕生したばかりの球場と比較してくれるな」とのプライドがあるのだ。古いだけではなく人工芝にしたのも、電光掲示板にしたのも、その中心にカラーのオーロラビジョンを設置したのも後楽園球場が最初であるとの自負がある。大リーグの球場を何度も視察に訪れて常にファンを喜ばせる工夫を続けてきた。親善野球で後楽園球場に足を踏み入れた大リーガー達が「アメリカと遜色ないじゃないか」と言ってくれたのも自慢だ。「西武さんとは交通の便が違いますから。都心にあるという利点は大いにあります」とチクリ。

一方の西武球場関係者もまた後楽園球場を意識している。「ウチは座席がゆったりしているでしょう?後楽園球場は無理して5万人収容にしているから椅子の幅が狭くて窮屈でしょ」と白井球場長は胸を張る。西武球場はスコアボード周辺以外に広告が無いのが売りで美観となっていてファンにも概ね好評だが難点もある。地面からすり鉢状に建設されている為にスタンドの下に空間が無く雨を避ける事が出来ない。またトイレが最上段にしか設置されておらず前列で観戦している観客は大変な思いで階段を昇る事になる。更に遠隔地にありながら駐車場が全く無い。「球場にやって来るお客さん全てを西武線で運べば運賃だけで西武グループが手にする額は相当なものになる。加えて西武線沿線の地価も上昇しグループ所有の不動産の価値が上がった。" カネは正義なり " の西武独特の商魂は逞しい」と財界関係者は語る。

では選手の待遇面はどうだろうか?これは西武、巨人ともに大差はなく人件費は7億円前後と言われている。しかし西武の選手達が思わず溜め息をついたのが5月1日に毎年恒例の高額納税者、いわゆる長者番付が発表された時だ。スポーツ界でトップは原で所得額は1億7266万円、年俸1440万円(推定)を考えると意外も意外な結果だった。また4位には江川が入り、こちらも年俸4440万円(推定)の倍近い8745万円の所得だった。つまりは両者ともに本業以外のCM契約で稼いでいた事が分かった。原は「味の素・明治製菓・明治乳業・富士重工・大正製薬・美津濃・オンワード」の7社、江川も大手企業4社と契約している。CM契約を禁じられている西武の選手達が羨ましがるのも無理はない。

こうした傾向を広岡監督は快く思っていない。プロだからどこでどう稼ごうと批判される筋合いはない、との声に断固として邪道だと決めつける。昨年の暮れに監督就任が決まった際に石毛と原の比較を問われて「CMに出るわ、ハワイで遊ぶわで原は1年で終わりですよ。石毛との差は開くばかりですよ。放っておく球団も悪い」「プロ野球選手がグラウンド以外で金を稼ごうという考え方が間違っている。その為にプロで売る技術が疎かになったらファンに失礼ではないか」と一刀両断した。その後の原の活躍を見ると指摘は外れたようだが広岡監督に同調する意見が多いのも事実。その内の一人でありアマチュア精神を尊重する堤オーナーは選手のCM出演を認めていない。石毛だけはポスターだけという条件でオンワードと契約しているのは例外中の例外。

海の向こうアメリカはどうなっているのか、原の同僚スミスが答える。「アメリカでは野球選手にテレビCMのオファーは殆ど無い。それだけ日本ではプロ野球選手の社会的地位が高い事の証明なのだろう。需要があるなら供給するのが資本主義の原則で批判するのはおかしい」と肯定的。ここにきて西武球団フロントの中にCM解禁に向けた動きが出始めている。きっかけは昨年暮れに田淵に対し12社からCM出演のオファーがあった事。ちなみに出演料は総額1億8000万円だったらしい。「CMも人気政策の一環としては一つの方法ではないのか。ウチの選手に田淵以外のスター選手がいないのもその辺に理由があるのでは…いつまでたっても全国区の選手が出て来ない」とある西武球団フロントの一人は嘆く。施設面では巨人が西武に、人気政策では西武が巨人に歩み寄る。かように西武と巨人は米ソ関係のように相対立しながら微妙な緊張と緩和を保っている。



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# 372 第65回・夏の甲子園大会

2015年04月29日 | 1983 年 



高校野球史上初の「夏・春・夏」の三連覇を目指した徳島・池田高に対し全出場校が打倒池田に燃えた1983年の夏だった。第1の挑戦者は群馬・太田工、左腕の好投手・青柳を擁し戦前の予想も意外と善戦するのでは、と見られていた。試合開始早々に太田工が先制点を取り「もしや」と思わせたが2回にあっさりと池田高が逆転すると終わってみれば16安打・8得点で圧勝。青柳投手は「江上と水野には打たれたくなかった…」と意識する余りリズムを崩してしまったようだ。ただ勝つには勝ったが初戦という事もあって池田高に硬さもありやや物足りない面も目立った。続く2回戦の高鍋高戦では試合前のシートノックから気合が入ってキビキビと動いていた。恐らく蔦監督に手綱を絞められたのだろう、初回からの先制攻撃で勝負あり。試合前に「胸元にシュートを投げて仰け反らせてカーブで勝負」と語っていた高鍋高のエース・清野投手だったが9回を除く毎回の20安打・12失点と当初の目論見は脆くも崩れた。

3回戦では史上初となる前年度の決勝戦カードの再現となった広島商戦。広島商・沖元投手は球を低目に集めて先ずは無難な立ち上がりだったが2回に水野に本塁打を喫したのを皮切りに4回に集中打を浴びた。水野と並ぶ主砲の江上は水野とは違ったタイプで水野が初球から積極的に打つのとは逆に狙い球を絞って打つタイプなのだが広島商の分析は充分ではなかった。打ち気のない江上に際どいコースを狙って制球を乱して歩かせ、打ち気にはやる水野や高橋といった後続に痛打を浴び大量得点を許してしまった。この試合の水野投手は出来は悪く高鍋高戦より球威は無くスライダーを多投して広島商打線を抑えていたがアクシデントが起きた。沖元投手が投じたシュートが水野の左側頭部を直撃し水野はその場に昏倒した。投げ終えてベンチに戻る度に氷で冷やし続けて奮闘する水野に打線も援護しベスト8一番乗りを果たした。ちなみにこの試合に勝って春・夏甲子園通算14連勝の大会記録をマークした。

準々決勝の相手は中京高。今大会で池田高を倒す最有力候補と呼び声が高くエース・野中投手は水野投手と遜色ない好投手と言われていた。投手力は互角、攻撃力は池田高が上だが守備力は中京高が優り横綱同士の対決が実現した。野中投手は期待通りの投球で池田打線を5回まで8安打・1失点と好投したが中京打線は水野投手に4回までに7三振と沈黙。中京ナインは「やっぱり水野は速い、凄い」と圧倒された。5万8千人の大観衆の異様な熱気に押されたのか両チームとも硬さが見えて試合巧者の池田高にもミスが出た。5回表無死から安打で出塁した井上が坂本の右中間二塁打で本塁突入するもタッチアウト。無死二・三塁にするのがセオリーだったが焦りが出た。これで流れが変わり5回裏に中京高が同点に追いついた。野中投手の投球が冴えて追いついた中京高が有利な筈だが池田高はここから底力を見せる。1対1で迎えた9回表「後半の野中君はカーブを多投していたがカーブを捨てて必ず投げて来る内角球を狙え」と指示していた蔦監督。その指示通りに吉田が3球続いたカーブを見送って次の直球を捉えて決勝点となる本塁打を放ち池田高が勝った。

最大の難敵を倒して三連覇まであと2勝となった準決勝戦の相手は1年生エース・桑田投手がいるPL学園。試合はPL学園の打線が爆発する。広島商戦での死球の影響が残っていたのか水野投手は本調子とは程遠かった。PL学園は2回に小島が安打で出塁すると続く桑田はカウント2-0と追い込まれながらも3球目のインハイの直球を強振すると打球は左翼席へ。水野投手が甲子園に来て初めて浴びた本塁打だった。PL学園の攻撃は続き住田も本塁打を放つ。水野投手は打ち込まれて大量失点を喫した。「2回に4点取られてもまだ大丈夫と気持ちを入れ替えたけど6点を追加されて緊張の糸が切れてしまった。PL学園は強かった」と主将の江上も潔く負けを認めた。一方のPL学園の桑田は「たとえ打たれても相手は3年生、当たり前だ」と開き直って小気味いい投球に終始した。伸びのある直球と縦に大きく割れるカーブで池田打線を翻弄し、昨年夏の徳島県予選大会から続いた連勝を「38」で止めた。強いチームも負ける、それも零封で。これもまた高校野球だ。

決勝戦に勝ち上がったのは今春のセンバツ大会でも決勝まで進んだ横浜商とPL学園。好勝負が期待されたがPL学園は加藤と清原の本塁打などで横浜商を寄せ付けなかった。特に桑田投手の力投が優勝の原動力となった。横浜商は桑田投手の立ち上がりを攻めて二盗、三盗塁と足で揺さぶったが1年生エースは動じなかった。過去に坂本(東邦高)や荒木(早実)など1年生の活躍はあったが桑田ほど堂々と決勝戦まで投げ抜いた例はなかった。完投する余裕はあったが最後は上級生に花を持たせる形で7回でマウンドを降りた。桑田と同じく1年生の清原も先制本塁打を放つなど活躍した。過去の優勝チームで1年生がこれほど躍動した例は記憶にない。今大会は池田高の史上初となる三連覇が話題となったが達成出来なかった。この記録を塗り替えるのは桑田や清原を擁するPL学園かもしれない。



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# 371 後半戦に賭ける男たち ④

2015年04月22日 | 1983 年 



落合博満(ロッテ)…今シーズン前に高らかに " 打率4割 " 宣言をした落合が苦しんでいる。球宴直前にようやく3割に乗せた。並みの打者なら及第点だが三冠王にとって満足するには程遠い前半戦だった。落合がスランプを脱するきっかけとなったのがオールスター戦だった。今季から一塁にコンバートされたがファン投票では田淵(西武)に大きく水を開けられてしまったが広岡監督によって推薦出場が決まった。しかも田淵が左腕尺骨骨折の為に出場を辞退したので一塁でフル出場する機会に恵まれた。「正直言って日本一の監督さんが認めて推薦してくれたんだからこんなに名誉な事はない。精一杯プレーするよ、何とか自分の持ち味を出して後半戦に繋げたいからね」と落合にしては珍しく殊勝に真顔で語った。今季は何度も調子の波に乗り遅れてしまった落合としてはキッカケが欲しかった。そのキッカケを栄えある夢の球宴で掴もうとしていた。

色々と試行錯誤を繰り返した。7月4日から金沢で行なわれた日ハム3連戦の2戦目試合前、落合は若手の西村や佐藤健らと共に早出特打ちを行い打撃フォーム改造に踏み切った。これまでの名月赤城山の国定忠治ばりの顔の前にバットを立てていたのをオーソドックスな構えに変えた。更に下半身の重心を下げてクローズドスタンスにした。シーズン中に打撃フォームを変えるのは大博打だが本人は「今のフォームでも悪くは無いんだが俺は今年だけじゃなく数年先の事を見据えているのさ。新たなフォームで打つようになるのは来年のキャンプ以降だよ」と新打法はまだ練習段階のようだ。技術以外の肉体的なケアも試していた。球宴の10日ほど前から医師でもある友人の勧めで大好きな酒とコーヒーを断った。「体重も落ちてスッキリして動きも軽くなったよ」と早くも効果を実感していた。

新打法の予行演習となった球宴の初戦こそ低迷した前半戦の様な内容だったが第2戦では川口投手(広島)から本塁打を放った。外角高目の速球を狙いすました様に右方向へもって行く落合本来の一発だった。「球宴で初めての本塁打だったので気持ち良かった」と大舞台に強い所を見せ復活の狼煙を上げた。第3戦(広島市民球場)では北別府投手(広島)からバックスクリーン左に先制ソロ、9回表には角投手(巨人)から軽々と左翼席上段へダメ押し2ランを放った。勿論、MVPを手にした。「北別府と角に感謝しなくちゃ。まだまだ完全じゃないけど良い手応えは掴めた」と自信に満ちた表情が戻ってきた。

案の定、球宴明けの南海戦で3安打、次の試合では自身初の4打数4安打。それも全て中堅から右方向、来た球に逆らわず打ち返す落合本来の打撃が戻った。結局南海3連戦で8安打し打率を一気に上げた。「まだまだ。でも好調時に戻りつつあると感じてる」と久々の笑顔に。8月2日の日ハム戦では0対5とリードされた9回裏、高橋一投手から13号ソロを放つとロッテ打線に火が点き打順が一巡した打席で今度は抑えの江夏から右翼席にサヨナラ本塁打を放った。目下、打率.316 (8月2日現在) で香川(南海)を猛追している。香川との差はまだ5分近いが夏場が苦手な香川はジリジリ打率を落としている。落合は「3割3分台になるまでは大きな事は言わない」と舌を出すがその表情は不調だった前半戦とは別人である。



福間 納(阪神)…毎朝の食卓にスポーツ紙を広げて一人ニヤニヤ笑っている福間を見て早公子夫人は「主人は頭が変になったのかと思いました」と心配したという。福間が5分も10分もジッと眺めていたのはセ・リーグ投手部門。防御率欄の第2位に福間の名前がある。「だってね、自分の名前がこれだけ新聞に載るなんてプロ入り初めて。やっぱり気分いいっスよ」と明かす。肘を痛めて深沢投手との交換トレードで阪神にやって来たが獲った阪神も「左打者専用のワンポイントに使えれば御の字」程度の評価だった。ところが福間はまさに水を得た魚の如く開花した。「珍さんがいなかったらどうなっていたか。お世辞抜きで貴重な戦力です」と安藤監督が言うほど今や阪神に欠かせない投手となった。ちなみに「珍さん」は川藤選手が福間の風貌から付けたアダ名である。

痛めていた肘は自然と癒えた訳ではない。阪神を最後の死場と追い込まれた福間が尼崎の整体師の治療を受けて治したのだ。「彼(整体師)は高校の先輩なんです。『俺が絶対に治してやる』って銭・カネ抜きでやってくれて。持つべき者は先輩です」と振り返る。肘さえ治ればもう何の心配はない。「こんな事を言ったら世話になったロッテには申し訳ないけど閑散とした川崎球場と満員の甲子園球場ではやる気が全然違いますよ。あの歓声を浴びたら次も頑張ろう、って自然となります。阪神に来れて本当に幸せです」とロッテ時代には見せなかった笑顔で語る。ロッテでは在籍2年間で27試合登板だったが阪神移籍1年目は35試合、昨年は実に63試合に登板して8月14日の巨人戦でプロ初勝利を飾った。

福間が重宝されたのは左腕である事が第一だが同じ左腕でも藤原投手は先発タイプ、益山投手は準備に時間が必要で急な登板には不向き。山本和投手は抑え役だから投げる場面が決まっている。そこへいくと福間は少しの肩慣らしで準備OKでワンポイントや中継ぎもこなせて安藤監督にとって使い勝手が良かった。瞬く間に信頼を得た所へ藤原と益山が肘痛で二軍落ちした為に福間の出番が更に増えた。ワンポイントや中継ぎ役の筈が今季は不調の山本和の代わりに抑えまで務めた事もあった。「俺は10~20球くらいの肩慣らしでも大丈夫。こんな小さな身体( 174cm,67kg )だけどスタミナには自信がある」と胸を張る。

そんな貴重な左腕が倒れた。球宴後の中日戦で大島の放ったライナーが左腕を直撃、担架で運ばれ即入院。スワ、骨折か?とマスコミは大騒ぎとなったが何と2日後にはケロッと戻って来た。試合(対巨人18回戦)は工藤~山本和のリレーで出る幕はなかったが「行けと言われたら行きましたよ。マスコミの皆さんは『今季絶望か』なんて騒いでいましたけど、ピンピンしています」と何事も無かったよう。給料査定係の石田博三氏は「仮にチームがBクラスになっても福間だけは別格。貢献度はNo,1です」と評価もウナギ登りだ。実は今オフに自宅を改装する予定で「殆どが借金ですけど初めて嫁さん孝行が出来そうです」と心は早くもバラ色のオフへ。後半戦も頑張る理由はそんな所にも有りそうだ。



田淵幸一(西武)…スタンドから沸き起こる大歓声の中、ゆっくりと誰にも邪魔される事なくベースを一周する。それは本塁打を放った者だけに許される時間だ。田淵はこれを過去459回も経験してきた。今季は嘗てない好調さで本塁打を量産して他者を大きくリードしていたが7月13日の近鉄戦で柳田投手から左手首に死球を受けて尺骨を骨折してしまった。当初は20日間で骨はつく、と診断されていたが実情は遅れている。「今は何を言っても始まらないよ。骨がつかなければ何も出来ないし…」と現在は埼玉・小手指にある自宅で長男の裕章ちゃん(1歳8ヶ月)相手に良きパパとなって一緒に遊んであげている。無類の人好きでファンに対して怪我をしている暗さは見せない。治療に通う病院の前でカメラを持つ少年にも「写真?いいよ一緒に写ろう」と快く応じる程だ。

プロ15年生。幾度となく怪我や病気と闘ってきた。「野球選手に怪我は付き物」と文句一つ言わない。昭和45年8月、外木場投手(広島)から左側頭部に死球を喰らい生死を彷徨った。球の避け方が下手でその後も死球を受けて欠場を余儀なくされたり急性腎炎を患い戦列を離れたりしたが、その都度這い上がってきた。本塁打王争いを独走中で久々のタイトル獲得が見えていただけに今回の怪我のショックは大きかったが望みは残っている。現在の29本塁打はまだトップである。8月いっぱい西武が順調に試合を消化していくと103試合で27試合残っている。仮にテリー(西武)が8月中にあと7本打つとすると34本、門田(南海)が10本打っても33本でまだ追いつくのは可能だ。

プラス材料は田淵に多い。先ず、田淵は固め打ちが得意で1本出ればポンポン続く事が多い。テリーは4月こそ量産したが5月以降はポツリポツリだ。二つ目は日本人選手であるという事。実はこれが大きい。相手から見ても「同じ打たれるなら外人選手より日本人選手の方がマシ」という心理が働くのは過去の動向からもハッキリしている。三つ目はテリー自身が本塁打に拘っていない点。「ボクは長距離砲じゃない。春先にポンポンと出た時に本塁打を狙ってフォームを崩してしまった。安打を沢山打つのがボクの役割」と本塁打王は眼中にはない。もう一人の門田も怖い存在だがテリー以上に量産体制が必要でベテラン選手には酷と言える。

水銀柱が35℃を超える真夏の炎天下、セミの鳴き声を背中に受けて黙々と走り込みをする田淵の姿がある。自身の誕生月でもある9月と言えば好きで燃える季節だ。また9月15日は敬愛する父親・綾男さんの命日で毎年9月は他の月以上に気合が入り本塁打を量産してきた。運命の糸に引かれるように白球をスタンドへ運んだ。自分でも「この季節は打てる」と信じて打席に入っている。動かせない左手を机の上に置き右手でメモを取りながら味方の戦いぶりをジッと見つめている。復帰する時の心の準備だけは怠っていない。「まだ大丈夫。俺はまだ終わっていない」…最後の27試合に賭ける田淵の熱き闘志を込めた雄叫びが漏れてきた。



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# 370 後半戦に賭ける男たち ③

2015年04月15日 | 1983 年 



宇野 勝(中日)… " チョンボ " の宇野が後半戦から三塁を守っている。お披露目となった7月29日の対阪神14回戦(甲子園球場)、いきなり先頭打者・真弓が放った打球が三塁ベース際を襲った。一瞬、目をつむった中日ベンチだったが宇野は横っ飛びして捕球すると一塁へ矢のような送球で難なくアウトに。「あれでスーっと気持ちが落ち着きました。ベンチが総立ちで拍手した?いやぁ普通のプレーですよ」と宇野本人は涼しい顔。このプレーで近藤監督から合格のお墨付きを頂戴した。宇野の三塁手起用が真剣に検討され始めたのは前半戦終了間近に、正三塁手であるモッカの怪我(左股関節痛)が長引きそうで「ひょっとすると後半戦の出場も危うい(山田チーフトレーナー)」と首脳陣に報告された頃だった。

「思い切って宇野を三塁に回す以外に策はない」と近藤監督はコーチ会議で提案したが複数のコーチ達が難色を示した。その内の一人だった作戦守備担当の高木コーチは「宇野の遊撃手としての守備力は格段に進歩している。今、宇野を三塁へ回す事は簡単だが代わりの遊撃手が見当たらない。それにシーズン中のコンバートは打撃面に悪影響を与えるリスクもある」と反対した。だが近藤監督は就任当時から宇野の長距離打者としての資質を伸ばすには「三塁手・宇野」が理想であるとの持論があった。モッカ不在という差し迫ったチーム事情によって近藤監督は「多少のリスクはあっても長い目で見れば今がチャンスなのでは」と反対意見を押し切り三塁転向を強行した。

実は今年のキャンプでも三塁転向が検討されたが宇野本人が「ショートを守っていないと野球をやっている実感が無い。サードが嫌だという訳ではなくてショートが好きなんです」と三塁転向に難色を示していた。首脳陣は三塁転向が打撃に悪影響を与えたら大変と判断し遊撃手に固定したがシーズンが始まると期待の打撃は大不振。下半身が崩れて粘りが出ず凡打を繰り返し、あれだけ固執した遊撃の守りでもチョンボが続出。挙げ句に6月29日のヤクルト13回戦ではマウンド上で近藤監督と取っ組み合いになりそうな喧嘩を始める始末。本来ならば罰金ものだが近藤監督は「親子喧嘩のようなもの。ちゃんと叱っておいたのでそれで終わり」と不問に付した。

この寛大な処置に宇野の心境に変化が起きた。「俺が甘かった。自覚しなくちゃ」という気持ちになった所に降って湧いたような三塁転向話はグッドタイミングで今回は素直に受け入れた。三塁を守る宇野の動きは日を追う度にサマになっていった。打順も転向2試合目からトップバッターに抜擢された。一番を打つのはプロ入り初の事だったが「最初はどうしていいか面食らったけどやってみると実にいいもんです。楽しいですね」と戸惑いはないようだ。長距離砲として将来のクリーンアップ候補と言われていた宇野が自由奔放に打ちまくるトップバッターを務めるのもまた一興だ。宇野が低迷する中日のカンフル剤となれば近藤監督も万々歳だろう。



島田 誠(日ハム)…「ここまで来たら是が非でも狙ってみたい、と言うより必ず取ります」・・滅多に大言壮語しない島田が真顔でタイトル獲得への思いを打ち明けた。プロ入り7年目の今シーズンは開幕から順調に戦績を積み上げてきた。球宴前ラストゲームとなった7月19日の南海戦を終えた時点での成績は打率.343 で香川(南海)に次ぐ2位。盗塁数も大石(近鉄)・福本(阪急)に肉薄しており共にタイトルの射程圏内につけている。特に打者としての最高勲章とも言える首位打者のタイトルを虎視眈々と狙っている。開幕39試合目の6月2日の西武戦で打率を3割の大台に乗せると後はコンスタントに打ち続け率を上げていった。勿論、打てない日もあったが無安打を2試合と続ける事がなかった。そこには技術云々以前に人間として一回り大きくなった姿が浮き彫りにされている。

一昨年、自己最高の打率.318 をマークし日ハム球団初優勝に貢献したがその翌年は打率.286 と成績を落とした。しかも両肘痛に見舞われて前期日程終了時点では2割4分台の体たらくだった。「オメイなんぞ2千万円プレーヤーじゃねぇ、20万円でも高けぇぐれいだ」と全ナインの前で大沢監督に叱責され悔しい思いをしたが何一つ反論出来なかった。「あんな思いは二度としたくない。今年は誰からも後ろ指を指される事のない成績を残したい」と決意し、❶ 1年を通じて万全な体調を保つ ❷ 1試合、1打席を大事に気を抜かない ❸ タイトルを絶対に取る・・といった目標を掲げてシーズンに臨んだ。更に公言しなかった目標もあった。尊敬する福本(阪急)のあらゆる成績を上回る事だ。打率は勿論、難攻不落の盗塁数もだ。即ちそれは盗塁王獲得を意味していた。

「福本さんに追いついても大石に抜かれたら意味がない。その為にも首位打者と盗塁王になる事が2人に勝つ絶対条件なんです」 「2部門とも追う立場。暫くは離されずに追いかけて一気に追い越したい」と何時にない執着心を垣間見せる。島田にとって意気込みだけではなく充分狙える条件も整っている。それは暑い季節の到来である。1㍍68㌢、65㌔ という小兵ながらスタミナには自信を持っている。1年を通じて不振だった昨年でも8月は3割4分4厘の高打率をマークした位に夏場は得意なのだ。暑さを乗り切る為のスタミナ源である焼き肉やモツ類を貪り喰い、逸子夫人特製の酢料理メニューのお蔭で怪我防止対策もバッチリなのだ。「怪我さえしなければきっとやってくれると信じています」と逸子夫人は結婚以来初となるビックプレゼントに早くも胸躍らせている。

夫人が島田の活躍に期待している訳には理由がある。後援会の有力者が3割3分以上の打率を残せば家族4人にハワイ旅行をプレゼントすると約束しているからだ。この人物は「島田誠を励ます有志の会」の世話人代表をしている北九州市八幡西区にある山地産業(株)の山地社長。社長の奥様と島田が従姉弟という関係で単なる後援者以上に親身になって応援してくれている。このビッグプレゼントも島田にシーズンを通して良い意味の緊張感を持続させる為の親心の一環だろう。チームは残念ながら下位に低迷中だが大沢監督は島田の活躍に及第点を与えている。「塁に出た以上はどんな事があってもホームベースを踏みたいというのがトップバッターの願望です。残りのシーズンに完全燃焼したいと思ってます」 島田誠、通称 " チャボ " は山椒のようなピリリと辛いプレーをする毎日を送っている。



西村博巳(横浜大洋)…25歳の年増ルーキーが大洋の外野の一角を奪い取ろうとしている。176㌢ 78㌔ のズングリとした体型ながら近藤作戦コーチが「肩も足も普通だが勝負所では力を発揮する球際に強いタイプ」と感心する。球宴明けの7月26日のヤクルト戦に代打で登場すると梶間投手から決勝点となるプロ入り初本塁打を放ち、31日からはスタメン出場を果たし規定打席不足ながら打率3割をキープしている。「別に力みとか気負いは無いですね。出番が増えれば安打も増えると思ってましたから。一軍の投手?ウ~ン、一軍の投手だからと言って特に意識は無いです。小松(中日)なんかはもっと速いと思っていたけど…」と頼もしい限りの台詞を吐く。それが " 大人のルーキー " と言われる所以だ。

和歌山県・紀の川のほとり、高野山の近くで生まれ育ち高野山第一中学校で野球を始めた。紀の川を挟んだ隣町の九度山中学には現ヤクルトの尾花投手がいた。「ええ、1年先輩で一度だけ対戦しました。2安打しましたよ、カーブと直球でしたね」と懐かしそうに語る。伊都高校に進学すると2年生の春にセンバツ大会に三番打者として出場したが初戦で札幌商に敗れた。高校卒業後は住友金属に就職して昨年には都市対抗野球で初優勝を達成し、その活躍が評価されて大洋から3位指名されプロ入りした。安定したサラリーマン生活から25歳と遅いプロ入りは勇気と覚悟が必要だと思われるが本人は「いやぁ即決しました。だってサラリーマンでも交通事故で明日にでも死ぬかもしれないでしょ。あれこれ心配したって始まらないじゃないですか」と常に前向きなのだ。

住友金属時代は周囲から「壁にぶち当たらない男」と言われていた。年間50試合程を行なうが西村は毎年3割&10本塁打をクリアしてきた。更に盗塁も30個を下回る事がなかったという。中学、高校、社会人と一度もレギュラーの座から外れる事はなかった。だから梶間投手から放ったプロ初本塁打は野球人生初の「代打本塁打」だった。「根が単純だから直ぐに周りに同化しちゃうんです。高校野球なら高校レベルに、社会人野球なら社会人レベルに順応出来た。だからプロでも同じでキャンプでも特にレベルの違いは感じなかったです」と順調にプロ生活を送っていた西村にアクシデントが襲った。キャンプの練習中にスライディングをした際に左肩を脱臼してしまった。全治3週間の診断を受け壁にぶち当たらない男に初めての試練が訪れた。「入院なんて生まれて初めてだったんで不安でした。でもくよくよ考えたって早く治る訳ではないので開き直りました」

幸い開幕には間に合ったが二軍スタートを余儀なくされた。狂った歯車はなかなか噛み合わず二軍でも結果を出せずにいた。5月末、二軍の視察に訪れた関根監督は打率1割台に低迷していた西村に「オイ、この成績は何だ。とても一軍じゃ使えんぞ、二軍で3割以上を打っても一軍で2割8分がせいぜいだ。3割5分を打ったら一軍へ上げてやる」と言ってハッパをかけた。「分かりました」と答えた西村は関根監督の注文を僅か1ヶ月足らずでクリアした。二軍での打率.347 を引っ提げて6月28日に一軍に昇格した。午前中に合宿所で特打ちをやった後にナイターの球場に向かう日常を送っている。「3割は何としても達成したい。それが今年の目標ですね」…と大人のルーキーは至極当たり前のように言って今日も元気にグラウンドへ飛び出して行く。



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# 369 後半戦に賭ける男たち ②

2015年04月08日 | 1983 年 



井上祐二(南海)…ニックネームは「クマ」、南国宮崎出身だが風貌や動きが北の白熊のような雄大さを感じさせる。8月4日現在、25試合に登板して6勝7敗2Sと特筆すべき成績ではないが底知れぬ可能性を秘めた20歳の若者は必ずや近い将来の南海のエースになる逸材だ。それは首脳陣の起用法にも表れている。投手分業制が確立した現在では珍しく井上は先発完投は勿論、中継ぎや抑えもやっている。南海投手陣が人材不足なのは確かだがそれが井上に一人三役を任せている理由ではない。エースになるであろう男に様々な役割を経験させるべく長期的プランに立った起用である。前半戦は西武キラーを前面に押し出してパ・リーグに旋風を巻き起こした南海だったが徐々に力不足を露呈し、今ではBクラスに低迷している。優勝は無理としてもチーム再建の第一歩として何としてもAクラス入りを果たしたい所。そこで井上にかかる期待は大きい。

「今の勝ち星(6勝)には満足していません。最低でも10勝はしたいです」と文字にすると僅かだが実際は言葉を選んで朴訥と話す様子は今時の若者らしくない。しかし逆にそれがスケールの大きさを感じさせる。高校(都城)を出て3年目だから先ずは順調と言える。しかし人知れぬ悩みに苦しんだ時期もあった。それは今年の呉キャンプでの事、井上は河村投手コーチに徹底的に鍛えられた。先ず手始めにスムーズな体重移動が出来るように投球フォーム改造が敢行され、27日間で合計4千球を超える投げ込みにも耐えた。「うん、よく耐えた。コチラの厳しい注文にも歯をくいしばった」と河村コーチは振り返る。ただ井上も一度だけ反抗した。否、正確に言うと反抗しているように見える場面があった。首脳陣が見守る前でネットに向けて大声を叫びながら球を投げつけたのだ。

「はい。あれは全然上達しない自分が情けなくて…自分でも突然あんな行動に出たのが不思議で。それ程マイっていたんでしょうね」と振り返る。エース帝王学を着々と学んでいる井上。「投手陣の頭数が足りない事もあって今のような使い方をしているけど決して無理はさせていないし、彼の将来の為にも大きな肥しになると断言できるよ」と語る河村コーチの言葉を借りるまでもなく " 真のエース " は先発完投は勿論、大事な所では抑え役もこなさなければならない。そんな投手の理想像に井上は邁進している。井上本人も「そりゃあ最初は戸惑いましたよ。調整の仕方とか難しい面もありましたから。でも今は慣れましたし試合展開を読んで自分なりに出番が分かるようになりました」「僕は完投しても2日あれば投げられます。肩の回復が早いんです」とすっかり自信をつけた。「勉強です。勿論、全て成功するに越したことはないですが失敗しても勉強になります」後半戦も当然フル回転するつもりでいる。



篠塚利夫(巨人)…王助監督をして「彼の打撃は完成の域に達しつつある」とまで言わしめた篠塚だったが今季前半は不調に苦しみ続けた。「レギュラーになって4年目だけど調子が悪くなった事は当然だけどある。でも打席の中で構えを変えたり工夫をするうちに自然と元に戻った。それが今年は何をやってもダメだった…こんな長いスランプは初めて」 スランプの原因は技術的な事だけではなかった。7月中旬に一部スポーツ紙に政美夫人との別居が報じられた。思えば6月に入って極度のスランプに陥ったのも私生活の不和が原因だったと想像出来る。篠塚本人はこの問題について多くを語りたがらないが「皆さんは僕のスランプを私生活と結びつけて考えているようですが違います。これだけはハッキリさせておきたいんです。家庭内の不和で調子を落としたなんて書かれていますが関係ないです」と普段は温厚な男が語気を強めた。

では安打製造機とも言われる打撃に狂いが生じた原因は何だったのか?篠塚曰く「視力が急に落ちちゃってね。元々近眼で両目とも 0.7くらいだったのが6月に入ると右目が 0.1、左目が 0.3になった。原因?分からないです」 いくら打撃の職人と言えどもこれだけ急激に視力が落ちたらプロの投手が投げる速球や変化球に対応する事は難しいだろう。だが逆に言えばそのような状況下でも打率3割を維持していたのは流石である。そして後半戦、篠塚は8月を勝負の月と考えている。「正直、首位打者のタイトルは難しいが取り敢えず3割2分か3分に上げる事が出来たらまだチャンスはある」と諦めてはいない。3割そこそこの現状を篠塚本人もファンも納得していない。シーズンが終わってみれば3割2分以上は打っていると誰もが信じて疑わない。だが野球人生最悪のスランプは意外な副産物をもたらした。「スランプになってから長打が出るようになってね。理由は分からないけど余分な力が入っていたんでしょうね。悲しいかな柵越え程の力は無かったから勘違いしないで済んだけど」

ただ肝心の視力低下の原因は今も分かっていない。「少しは良くなってはいるけど…(篠塚)」と不安は残る。その為に首脳陣の中には眼鏡やコンタクト着用を勧める者もいるが本人は「眼鏡をかけるくらいなら野球を辞める」と言い切り頑として受け付けない。そこには天才にしか分からない何かがあるのだろう。一昨年、藤田(阪神)と熾烈な首位打者争いを繰り広げた時も視力は 1.0に満たなかった。プロ入り前から守っていても捕手のサインは見えていなかったと言う。そんなハンデを負いながらも安打製造機とまで言われるまでになっただけに「今さら眼鏡なんて」という心境なのだろう。現在は篠塚本人の意志を尊重している藤田監督や王助監督も仮に今季の成績が3割を切るような事になったら意見が変わるかもしれない。「色々と言われるけど僕には野球しかない」と力強く言い切る篠塚の表情が明るいのが救いだ。



バンプ・ウィルス(阪急)…目立たないが隠れた所でキチッと自分の役割を果たす・・まさにバンプの事である。去る対近鉄16回戦の8回、4対1とリードした一死満塁の場面で打席に入ったバンプは左犠飛を放ちダメ押し点をあげた。この試合の主役は先制の20号本塁打を放った水谷であり中押しとなる2ランを放ったブーマーであるがサヨナラ負けが続いた阪急にとってダメを押したバンプの犠飛は大きかった。「日本に来たガイジンの多くは本塁打を求められるが僕は大きいのを打つタイプではないし阪急にはブーマーもいる。僕にしか出来ないプレーをするように心掛けている。自分の仕事をするだけだ」とバンプは静かに語る。これこそバンプ・ウィルスだ。多くのファンを欣喜雀躍させる事はないかもしれないが玄人受けのするバイプレーヤーなのだ。

しかし前半戦の印象は今ひとつ。年俸1億円の4年契約、現役大リーガーとして華々しく来日したが怠慢プレーが目立つと酷評された。いわば悪評プンプンの「害人」に成り下がってしまったバンプ。確かに本人が認めているように長打力は期待出来ないし、打率.280 前後を打ってもチャンスに弱く勝利への貢献度も低い。また守備面でも堅実ではあるが美技は少なくチーム内外から「あの程度なら若手と大差ない」の声も聞かれる。こうした技術面以外では凡打やエラーをしてもシラーッとした姿に「無気力」「怠慢」と失望するファンも多く、前評判が高かっただけにその反動もまた大きい。これで本当に後半戦に期待出来るのか?

そもそも酷評の殆どは誤解によるものと言える。先ず大リーガーの内野手に長距離打者は少なくシュアなタイプが多く、バンプのような盗塁王に長打を望む事自体が間違っている。チャンスに弱い事に弁解の余地はないが敢えて庇うならストライクゾーンの違いや変化球が多い日本の投手に慣れるのには時間が必要なのではないか。周知の通り大リーグのストライクゾーンは日本と比べると総じて低く必然的に大リーグの打者の多くがアッパースイングになる。これでは決め球に低目のボールになる球を多用する日本では打てない。前半戦のバンプは3割には届いていないが健闘しているとも言える。守備面でも同じで美技がないのは美技を普通のプレーに見せているとも言える。そして「無気力」は感情に左右されない「冷静さ」の裏返しではないのか。感情を表に出さない姿勢こそ大リーガーらしさである。

日本式ストライクゾーンへの対応はどうなっているのか?決め球の変化球同様に高目のボール球への対処が鍵となる。大リーグ式アッパースイングでは高目のボール球を打つ事は出来ない。キャンプから住友打撃コーチがレベルスイングへの矯正を指導しているがバンプ本人は直す気はなく「日本の変化球にも慣れてきた。高目?大丈夫、まぁ見ててくれよ」と自分のスイングに自信を持っている。残り50試合を切って、些か呑気過ぎる気もするが後半戦に入り打ち始めた事もあり周囲は見守るしかない。ただバンプに4年契約による安心感がある事は否定出来ないが決して「害人」ではない事だけは確かである。



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# 368 後半戦に賭ける男たち ①

2015年04月01日 | 1983 年 



冷夏の予想を覆し日本列島は猛暑が続いている。プロ野球はこれからが本当の勝負所となる訳だが後半戦にかける12球団の注目の男達に迫ってみる。

達川光男(広島)…達川は " 生涯一捕手 " の野村克也氏を目標としている。野村氏との出会いは人に紹介されたものではない。球場を訪れた野村氏に直接「ちょっと教えて下さい」と頼み込んで以来の師弟関係だ。「原(巨人)はどうやって攻めたらいいんですか?」と現役捕手としてのプライドを捨ててまでして教えを乞いている。その達川を見る野村氏の目も昨年までは「学ぼうとする姿勢は認めるが、まだ私の言っている意味を理解出来ていない」と厳しかったが今年になって変わってきた。今年のオールスター戦に達川は出場し、解説者として球場に現れた野村氏に「お前もようやく一人前になったなぁ」と声をかけられた。オールスター戦に選ばれたからではない。前半戦での津田投手や川口投手に対するリードを野村氏は讃えたのだ。

前半戦の広島の躍進は達川を抜きにして語る事は出来ない。昨年までは水沼、道原に次ぐ第3の存在だったが今季は正妻の座をガッチリと掴み若手投手陣を引っ張っている。達川は一人前でなかった過去5年間を「マスクを被ると打たれてはイカン、と消極的な考えしか頭になかった。打たれると自分のリードは棚に上げて投手のせいにばかりしていた。今年は出づっぱりなので打たれてもイチイチ考え込む暇もなくベンチの監督の顔色も気にしなくなった」と振り返る。古葉監督は衰えが顕著な水沼に代わって道原を起用するつもりだったが故障した為に仕方なく達川を使ったが力不足は否めずシーズン当初は我慢を強いられた。それが試合を重ねる毎に逞しくなっていった。達川が定位置を確保した事で課題だった弱かったバッテリー間が改善され広島の快進撃が始まった。

達川に後半戦の展望を聞くと「前半戦の通りにやるだけですよ」と即答した。昭和54、55年の優勝は経験しているが殆どがベンチで先輩達の活躍を眺めているだけでシーズン終盤の緊迫した場面での出場は少なく、修羅場の経験不足を懸念する声もあるが本人は「任せて下さい」と意に介さない。なるほど達川の経歴を見ればその余裕ぶりも頷ける。広島商時代は3年の春に怪物・江川卓を倒して準優勝、夏は全国制覇し東洋大学でも東都リーグ初優勝に貢献している。特に負ければ終わりの甲子園を制した事が自信になっている。余談になるが古豪と呼ばれる広島商だが春夏の甲子園大会で記念すべき初本塁打を放ったのが達川だった。プロでは非力で通っているだけに意外であるが本人は「僕は木製バットで打ったんです。池田高がよく打つと言ったって金属でしょ?格が違いますよ」と今でも鼻高々なのである。

日本シリーズを念頭にオールスター戦中にはしっかり西武勢の偵察もしている。移動日に西武ナインは広島の練習場で調整を行った。ブルペンで投げ込む投手陣を観察し、練習後は旧知の松沼兄弟・石毛・森と久しぶりの再会を楽しんだ。松沼兄は東洋大の3年先輩、弟は1年後輩。石毛と森は同じ東都リーグで対戦した仲間である。「彼らの癖は知ってます。今は彼らの方が格上だけど勝って俺の格を上げたい」と頭の中では既に日本シリーズで西武と戦っている。ここ迄は順調に来ているが周囲が心配いているのが達川のチョンボである。緊張すると周りが見えなくなり思いがけない行動をしたり発言をしたりするおっちょこちょいな性格なのはよく知られている。鈍足ぶりを揶揄した" 大杉石コロ発言 " などはいい例だ。グラウンドの外でも先輩の金田留投手に連れられて美空ひばり邸を訪れた際に「何で小林旭と別れたんですか?」と聞いて金田を大慌てさせた事もあった。尊敬する野村氏を真似て囁き作戦を敢行しているが先人の域にはまだまだ遠く及ばない。



大石大二郎(近鉄)…作家の山口洋子さん曰く大石は球界の「おしん」だそうだ。言わずと知れた朝のテレビドラマの主人公の事だがドラマの中で幼少期を演じた小林綾子ちゃんのポッチャリ笑顔とクリクリした瞳が大石を彷彿させるらしい。下位に沈んだまま浮上のきっかけすら掴めない猛牛軍団。そんなチームの中で唯ひとり打撃ベスト10に入り、走っては35盗塁するなど166㌢と球界で一・ニを争う小兵が孤軍奮闘する姿が「おしん」とダブるのだそうだ。しかし実際の大石は静岡市内で鮮魚業、酒店、仕出し屋と手広く事業をする家の次男坊として生まれて何不自由なく育ち、静岡商→亜細亜大学→近鉄のドラフト2位指名と歩んできた野球界のエリートである。

大石の礼儀正しさは球界内でも有名だ。挨拶魔とさえ言われている程で顔を合わせる度に頭を深々と下げる。それは先輩選手に限らず担当記者の中には1日に7回も挨拶された者もいる。初めてファン投票で選ばれた今年のオールスター戦でこんな事があった。サインを頼まれたのだが寄せ書きで、しかも自分が最初だった。まだ誰のサインも書かれていない色紙を渡されると「先輩達を差し置いて自分が書く事は出来ません」と頑なに断った。たかがサインでも長幼の序をわきまえている。これが原(巨人)だと「ブリっ子」と言われるが大石だと「おしん」と評される。別の人が同じ事をやると優等生過ぎて鼻につく行動も大石だと健気と言うかひたむきと捉えるの人が多いのも人徳のなせる業だろう。

プレーぶりにもそれは表れている。二塁手としてのプレーは決して派手ではなく見栄えのするダイビングキャッチはやらない。最後の最後まで立って捕球する事を諦めず打球を追いかける。一歩でも足で追いかけた方がダイビングキャッチより守備範囲は広がる。また内野ゴロの際の送球に対するバックアップは大石の象徴でもある。必ず全力疾走で一塁カバーに向かう。殆どが無駄に終わるが万が一に備えて自分に課せられた事として決して怠らない。近鉄の選手で一番運動量が多いのも大石だろう。守りで動き回り、8月2日には両リーグを通じて100安打一番乗りを昨年よりも21試合早く達成した。出塁すれば盗塁王・福本(阪急)に4個差をつけて35盗塁でトップをひた走り、チーム唯一の全試合出場を続けている。

今季の盗塁数の目標は50個。昨年はシーズン終盤まで福本と盗塁王を争ったが最後は福本「54」、大石「47」と振り切られ福本が13年連続で盗塁王となったが2人の差は「三盗」で福本の12個に対して大石は5個だった。しかし今季は既に8個の三盗を決めており、更には本盗2個を成功している。後半戦になっても勢いは衰えず4試合消化時点で3個増やしている。出塁すれば必ずと言っていい程盗塁を試みているがそれはチーム状態と関連している。後半戦になっても負けが込みチーム内の雰囲気は沈んだままだ。「お客さんも盛り上がらないでしょう。だから僕が走って少しでも雰囲気が良くなれば…」 本来なら勝つ為の戦術として盗塁があるのだが今の近鉄では勝っても負けても走らなければならないのが物悲しい。だが大石の盗塁は低迷する近鉄の中でもキラリと光る希望の閃光である。



井本 隆(ヤクルト)…心なしか瞳が潤んでいるようだった。次々と差し出される手を井本は固く握り返した。7月30日の大洋戦に後半戦初先発した井本は若松の本塁打による1点を守り抜いて近鉄時代の昨年8月29日の西武戦以来の完封勝利をあげると「ヤクルトに来て初めて勝った時より嬉しい…」と言葉に詰まった。今シーズンで11年目を迎え近鉄時代は鈴木啓志と共に「右のエース」と並び称されていた事を考えれば、たかが1勝に大げさなと思われるが本人は精神的にそこまで追い詰められていたのだ。ヤクルトが昨年の開幕投手を務めた鈴木康投手を放出してまで獲得し、武上監督も「これでウチにも太い柱が出来た。年齢的にもベテランの松岡と若手の尾花の間でバランスも取れている。井本には15勝を期待している」と胸を張った。事実、キャンプからオープン戦を通じて結果を残し評価は揺るぎないものとなっていた。

ところが本番のペナントレースが始まると4月と5月に1勝づつしただけで期待を裏切り続けた。セ・リーグのストライクゾーンに戸惑ったのか直球とカーブでカウントを稼ぎシュートやスライダーで討ち取る得意のパターンが消えてしまった。身上としていた内角球でエゲツなく攻めて打者をのけ反らせる事も少なくなった。「新しいリーグに遠慮してよそゆきの野球をしている」と投げればKO続きに武上監督の信頼も失いつつある。6月18日の阪神戦に先発した井本は初回に打者6人に対し3安打・2四球で5失点、犠牲バントの1死を取っただけで1回持たずにKOされた。遂に武上監督は井本に二軍降格を言い渡しミニキャンプ指令を出した。上水流トレーニングコーチが専従し「とにかく走って走って倒れても更に走らせた」という特別メニューを課し、井本は日に日に強まる陽射しの下で走り続けた。

ミ二キャンプは10日間で終わったが即一軍に呼ばれる事はなかった。井本が不在の一軍投手陣はベテランの松岡・梶間投手にヘバリが見え始め尾花も打球を右膝に当てて怪我をするなど満身創痍状態でノドから手が出るほど井本の復帰が待たれたが、首脳陣は調整に万全を期して一軍昇格は1ヶ月後だった。「正直言って苦しかったです。これだけやってダメだったら今年はもう使ってもらえないかもしれない(井本)」 井本は打撃投手まで買って出て投げ込んだ。近鉄時代のプライドも全て捨てて鍛え直した。にも拘らず7月13日の大洋戦に先発した井本はまたしても期待を裏切り6回・6失点でKOされた。降板後はベンチに放心したように座って虚ろな目でグラウンドを見つめる姿が印象的だった。

井本にはどうしても頑張らなくてはならない事情がある。そもそも今季の不調の原因とまで言われている現夫人との離婚問題は解決していないが同棲中の女優・横山エミーさんがこの8月に出産する予定だ。井本にとって初めての子供だがその子の為にも今オフまでには離婚を成立させ心機一転、親子3人の新たな家庭を築かなければならない。公私ともに背水の陣で臨んだのが今季初完封で勝利した冒頭の大洋戦だった。「自分がどれほど期待されているのか、は分かっていました。ただそれで意識過剰になり必要以上に力が入り過ぎていました。それを反省して自分のピッチングをする事だけに集中しました。本来の自分を取り戻せば勝てる、と言い聞かせて投げました」と後半戦初勝利を振り返った。ヤクルトに請われてやって来た井本が初めて見せた自分らしさだった。「やっと開幕した気分ですよ」 手負いの男の逆襲が今始まった。



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# 367 予選敗退

2015年03月25日 | 1983 年 



長嶋一茂(立教高)と藤王康晴(享栄高)、言うまでもなく甲子園不出場組の中でも話題性・人気度が高い両巨頭。彼らの進路に注目が集まっている。2人はどんな野球人生を選ぼうとしているのか・・


長嶋一茂(立教高)…7月29日の埼玉県予選準決勝、所沢商に敗れて最後の夏は終わった。「惜しかったなぁ…」 肩を落として田園調布の自宅に戻った一茂に父・茂雄は「ご苦労さん」と声をかけたという。グラウンドでは涙を見せなかった一茂だったが父親の一言に熱いものがこみ上げて堪え切れず涙を流した。父親が果たせなかった甲子園出場にあと少しという所までいったが昨年の夏は準決勝で熊谷高に9回サヨナラ負け。今年こそは、と意気込んだ最後の夏も同じく準決勝で延長10回サヨナラ負け。夏の県予選が始まる前に立教高は県内外の強豪校を相手に練習試合で腕を磨いてきた。法政一、東大和、横浜商、桐蔭学園などに加えて関西地方にも遠征して宇治山田や明野とも対戦した。

" 親の七光り " と言われがちだが練習試合の打率は3割を超えており四番の座は自らの力で手に入れたと言っていいだろう。「今年の立教は強い」と言われて本命の上尾高と共に優勝候補の一つに挙げられていた。予選が始まる直前の6月30日には茂雄氏が合宿所を訪ねてメロンやグレープフルーツなどの果実類を差し入れてナインを激励し、相前後して亜希子夫人も合宿の手伝いの為に頻繁に訪れるなど一家をあげて一茂の最後の夏を応援していた。立教は快調に勝ち進んだ。7月19日の幸手商戦で一茂は4打数2安打と活躍し8対0でコールド勝ち。22日の慶応志木戦も4打数2安打、24日の所沢高戦では二塁打・三塁打と長打を連発。25日の熊谷西戦でも2安打するなど好調を維持していた。

7月27日の春日部共栄戦には茂雄氏が初めて一茂の試合を観戦しに来た。父を前に硬くなったのか大会初の無安打に終わったがチームは勝ち準決勝に駒を進めた。息子のプレーぶりに茂雄氏は「ちょっと大振りが目立ちますね。1100g のバットは重過ぎじゃないでしょうか、彼の腕っぷしなら軽いバットで軽打しても飛距離は充分。次の所沢商戦がヤマでしょう」と感想を述べた。茂雄氏が正念場と言っていた準決勝に敗れ甲子園出場は叶わなかった。延長10回、一死一・二塁から山下選手が放った打球は一塁を守っていた一茂の頭上を越える右前打。本塁上でクロスプレーとなったが生還し決着がついた。一茂の高校最後の試合は4打数2安打だった。

次なる目標は立教大学進学。立教高では9割が大学へ進める。一茂が父親と同じ経済学部に合格する為には猛勉強が必要。「出来れば友達と旅行でもしてノンビリしたいんですけど勉強しなくちゃならない。プロ野球ですか?全く興味ないです。大学へ行って野球を続けるかどうかも今はまだ決めていません」 立教高の大野監督は「中学時代は全く野球をしていなかった訳ですからこの3年間での成長は大したもんだと思いますよ。やっぱり血は争えませんね。彼が本当に開花するのは2~3年後じゃないですか、だから私としては是非とも大学へ行っても野球を続けてもらいたいです」と語る。1㍍81㌢、79㌔と父親よりも一回り大きい一茂クン。やはり父親と同じ立教大のユニフォームを着るのが一番似合っている。



藤王康晴(享栄高)…153校が参加する全国第3位の激戦区である愛知県の頂点にあと一歩届かなかった。春夏連続出場の為には避けて通れない野中投手擁する中京高との決勝戦に敗れた。今春のセンバツ大会での活躍は特筆すべきものだった。11打席連続出塁(大会新記録)、8連続安打(タイ記録)、3本塁打、20塁打等々記録づくめだった。大会終了後はマスコミが殺到し一時はスランプに陥ったが5月末に静岡県で行われた東海大会では見事に復活し3試合連続で4本塁打を放ちチームも優勝した。広い草薙球場の場外に放った一発はプロでも滅多にお目にかかれない。スカウト連中を驚かせたのは左方向への2発だった。逆方向への打球というのは切れて行くのが普通なのだが藤王の打球は一直線にスタンドに突き刺さった。

7月10日に夏の県予選大会の選手宣誓を務め連続出場へのスタートを切った。初戦から安打は出るものの相手校の四球攻めや変形シフトに惑わされて不発だったが5試合目の尾北戦で待望の高校通算48本目が出た。翌日の準々決勝戦でも中堅場外に3ラン、準決勝戦も勝ち遂に甲子園出場を賭けて宿敵・野中投手と雌雄を決する時が来た。7月29日の熱田球場は1万人の観客が詰めかけて試合開始前に満員札止めとなった。享栄高は初回に伊藤が本塁打を放ち先制。藤王の初打席は初球のカーブを右前打、第2打席は速球に詰まって右飛、第3打席は 「外すつもりだった(野中)」 シュートを 「ボールだと思った(藤王)」 と見送るも判定はストライクで三球三振。試合は先制された中京が逆転。藤王はゲームセットの瞬間をウェーティングサークルで迎えた。

「完敗でした。野中投手の球は速かった…」 小学生の時に友達の少年野球を応援に行って目にしたのが当時既に県下で有名だった野中投手。今では電話で近況を語り合う仲だが「凄い投手だと思った。高校を選ぶ時、一緒に出来たらと考えた事もあった」という野中は中学時代に全国大会準優勝、甲子園でも昨春夏で7勝するなど常に藤王の先を走るライバルであり目標だった。野中のいる中京とは4度対戦して勝ったのは1度だけ、藤王個人も14打数4安打と抑え込まれた。通算本塁打は目標だった大台の50本に1本足りず、チームも春に続く甲子園出場も叶わず藤王の夏は終わった。「もう一度走り込みをやって鍛えないと…」と語る藤王の視線は次なる舞台に向いている。

「大学生でもこれだけの打者はいない(広島スカウト)」 「懸念されている守備も練習すれば大丈夫。王さんだってプロ入り前は一塁手の経験は無かった(巨人スカウト)」 「どう考えても1巡目で消える素材(大洋スカウト)」「藤王君には気の毒だけどウチとしたら甲子園で活躍されて今以上に評価が上がり1位入札球団が増えるよりは負けてくれて助かった(中日スカウト)」 とスカウト達の評価は依然として高い。進路にはプロ以外にも大学や社会人もあるが本人が「勉強は嫌いです」と公言しており大学進学の可能性は低く、社会人側も「藤王は即プロへ行くもの」と判断しているのか現在の所まで接触を試みた企業はない。「回り道する必要はないでしょう」と父・知十郎さんが言うようにプロ入りは確実。来春には真新しいプロのユニフォームを着てプレーする藤王の姿を見られる筈だ。



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# 366 岐路に立つ怪物

2015年03月18日 | 1983 年 



江川卓・28歳。確かに投手として転換期を迎えている。ネット裏では「もう潰れているんじゃないか」やら「寝たふりをしている」とか議論百出。先ずはプロ入り以降ずっと江川を見続けている他球団のスコアラーの声を紹介しよう。

広島の中村スコアラーは「元々江川の持ち球は直球とカーブだけ。ただ2つとも "超"が付く一級品で好調時は球種を絞っていても打てなかった。今季はその "超" が取れただけで一級品である事に変わりない。要するに求められる内容が高過ぎるからあれこれ言われる。今でも充分な働きをしてますよ」と限界説には否定的。ヤクルトの岩崎スコアラーは「球種が少ないから球威が落ちれば打たれる確率は高くなる。相手もプロですからただ速いだけでは抑えられない。今季の江川は球速よりもキレが落ちている。ただ球速は歳と共に落ちて回復させる事は困難だがキレは戻せる。でも今季中に戻すのは無理じゃないかな」と語る。一方で大洋の沖山スコアラーは速い球を投げられないのではなく、あえて投げない「寝たふり」派だ。「8月2日の対戦でもここぞと言う場面では速かったですよ」 「昔は " 太く短く " が当たり前だったけど江川は " 細く長く " と考えているんじゃないかな。だから僕は世間で言われるほど深刻だとは思ってない 」と。

ただ江川自身の昨年までの自信が揺らいでいるのがコメントから推測出来る。6月30日の阪神戦では掛布に初球を打たれて初回から大崩れで「プロの怖さを改めて教えられた。長いこと野球をやっているけどこんなの初めて」 7月12日の同じく阪神戦は延長12回まで縺れ込み193球も投げたがまたも掛布に打たれた。「前にインコースの直球を打たれたので外角にカーブを投げたけど…本当に今年はやる事なす事上手くいかない」と弱音を吐き「今年はもう上昇しないでしょうね。現状維持が精一杯」と親しい知人に漏らしている。全てはキャンプで肩をパワーアップしようとした際の怪我が原因。鉄アレーを使って筋肉強化をしていてギクッと痛めてしまった。それ以降、江川の歯車は狂い直っていない。「投手というのは悪くなっていく時はたった一箇所の原因でどんどん深みに落ちて行く。でも直すにはその一箇所を修正しても元に戻らない。それくらい投手とは繊細な生き物なんだ」と堀内投手兼任コーチは言う。

相手選手の目にはどう映っているのだろうか? 同い歳で自他共に認めるライバルの掛布(阪神)は「かわしてくる江川は本当の江川じゃない、と思っている。だからかわす投球をする彼を打っても心底から喜べない。現実に戦っている相手に失礼かもしれないが逃げないで勝負していた頃が懐かしい。敵地で2ランと満塁、甲子園で決勝2ランと3本打ってるけど気分は今一つ」マウンド上の姿も小さく見えて寂しいとまで。田尾(中日)は「去年までの江川の球は振っている所から浮いてきた。そんな球を打てるわけない。ホップするからファールにも出来なかったが今季の江川ならカーブを待っていて直球が来てもファール出来る。キレが全然違うよ」と証言する。オールスター期間中に江川にフォークボールの投げ方を教えた際に色々と語り合ったと報じられた牛島(中日)は「江川さんの肩や肘の状態?秘密です。少なくとも今の僕より江川さん方が速い球を投げてる。本当に痛かったら球を握るだけで激痛が走りますよ」と故障説を否定した。

過去に球速が落ちた速球投手が再び球速を取り戻した例はない。池谷(広島)は昭和51年に20勝したが翌年には疲労による肩の故障を起こし、再起を図り筋力アップやフォーム改造など色々と試みたが願いは叶わず今や並み以下の投手。松岡(ヤクルト)も例外ではない。既に5~6年前にはスピードだけでは通用しなくなった事を自覚し投球のモデルチェンジを余儀なくされた。松岡もまた江川と同じく直球とカーブだけでプロの世界で生き残ってきた男だったが、スライダーを活かす為に打者の胸元を執拗に攻め、スライダーに対応されるとフォークボールを新たに会得し投球の幅を広げた。「若い時はがむしゃらに直球を投げ、それで抑える事が出来た。でも球威は一度落ちると二度と戻らない。その事実を乗り越えるのにどれほど苦労した事か。恐らく江川も現実と向き合って苦悩しているんじゃないかな」と松岡は江川の心中を察する。

問題は江川が速球投手としてのプライドを捨て去る事が出来るかだ。高校時代の江川を題材にした漫画の中で昭和48年のセンバツ大会の広島商戦を描いた場面があった。江川の連続イニング無失点記録を佃選手の右前打で止めたのだが、作者は佃選手が左腕投手だった為に左打ちに描いたが実際は右打ちだった。そこに江川はカチンときた。「あの当時の俺の直球を引っ張って打てる打者はいなかった」 確かに右打ちの佃選手の打球は振り遅れてライト前にポトリと落ちたポテンヒットだった。たかが漫画にこれ程まで拘る速球投手としてのプライドを捨て去るのは容易ではなさそうだが出来なければ江川の投手生命は短くなる一方だろう。ここで昨年引退した星野仙一氏のコメントを紹介しよう。「スピードが落ちたと言っても並み以上は出る。もしも俺にあのスピードがあれば引退せずに済んだ」…星野氏は決して速球投手ではなかった。打者を騙す、脅すなどして生き延びてきたのだ。球速がなくても打者を抑える事は出来るが自分の持ち味は速球、あくまでもスピードに固執して短命の道を選ぶのもまたプロとしての生き様。江川の選択に注目だ。



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# 365 前年覇者の失速

2015年03月11日 | 1983 年 



中日がドロ沼に嵌り込み、もがき苦しんでいる。昨年の覇者がどうしてこうも落ちぶれてしまったのか?首位争いどころか最下位脱出に一喜一憂する姿は痛々しい。一体、中日内部で何が起こっているのか?

『昨年の王者が再び借金9・・最下位大洋とゲーム差無しで並ぶ』 地元紙にこんな大見出しが載った5月27日、ナゴヤ球場のネット裏に記者連中のヒソヒソ話の輪が出来た。「いくら何でも去年の優勝監督がコレ(首を切る仕草)って事はないよな」「何をするか分からん所が中日だからな、気をつけないと」とは若手記者たち。それとは少し離れた場所にベテラン記者と球団フロントの輪も出来ていて、記者が「常識的には安泰ですよね?」と問いかけると「まぁね。でもチームは永代だけど監督は一代だから…」と意味深な答え。球団フロントも記者もそして当事者の監督や選手も連覇を念頭に今季をスタートしたのだが僅か開幕34試合でこのような事態に陥るとは夢にも思っていなかった。同じく連覇を目指す西武は快調に勝ち星を重ねている。両者の違いの原因は何か?

「昨年の契約更改の時点でウチと西武じゃ雲泥の差でしたから、今思えばあれが原因じゃないですかね。やる気が違い過ぎますもん」とある主力選手は漏らす。 「田淵 5千万円、山崎4千4百万円」…予想を上回る提示額に選手の方が戸惑う位だった西武の大盤振舞いに比べると中日の渋チンぶりが際立った。MVPの中尾は7百万円から2千3百万円、都と牛島は1千3百万円になるなど年俸が低かった選手はそれなりにアップした。しかし問題はダウンと現状維持の選手をかなり出したのが西武との違い。胴上げ投手の小松が百万円のダウン、苦しかった終盤に谷沢と共に牽引した大島も百万円のダウン。「やり方もマズかった。『個人的に成績を残してもチームが優勝しなければ…』と抑えられてきたのに、いざ優勝したら球団フロントの一人が『優勝と個人は別』と失言しちゃったのがねぇ」と球団関係者が語る。

選手が金の怨みなら首脳陣の不満は優勝しても何ら改善される事のない貧層な施設に象徴される球団や親会社の野球に対する誠意の無さだ。「とにかく驚いたのは近藤監督が中日新聞本社の役員会で話す内容は『二軍専用球場が欲しい、雨天用の室内練習場が欲しい』そればっかり言い続けている事でした(中日担当記者)」に代表されるように近藤監督をはじめ首脳陣の施設面に対する不満は大きい。二軍の選手たちは電電東海のグラウンドを借りて練習している有り様で「この機を逃したら球団改革は有り得ない」と近藤監督はマスコミに向けても発言を繰り返している。しかしこの言動が一部本社役員の不評を買い「最近の近藤監督は分をわきまえていない」と煙たがられていた。今季の中日は昨年来の課題を残したまま開幕を迎えた。解決されず燻ったままの諸問題はいつ爆発してもおかしくなく、今は不気味な静寂にあるに過ぎない。

実は鈴木球団代表は万が一に備えてある手を打っていた。それはオフの契約更改でコーチ陣全員の契約期間を単年契約に統一していたのだ。年末の仕事納めの会見で「近藤監督の契約は来季が最終年なのに来年以降も契約が残っているコーチが何人かいた。チームが好調なら問題も起きないだろうが、まぁいざという時の備えですよ」と発言。その場にいた報道陣も気に留めず記事にもならなかったが今となっては先見の明に長けていたと言わざるを得ない。もしも首脳陣が一蓮托生でなかったら近藤内閣は今ごろ空中分解していたかも知れない。ただチームが不振に陥ると必ず責任を負わされる選手が出てくる。今の所その哀れなスケープゴートは昨年のMVPに輝いた中尾である。4割を超す盗塁阻止率に打率.282・18本塁打と「強肩&強打の捕手」として優勝に貢献し、近藤監督が連覇のキーマンに真っ先に挙げたのも中尾だった。

元来の近藤監督は放任主義で3年目の中尾にもマイペースの調整を許した。ところがある関係者によれば中尾は放任を履き違えてしまった。「そもそもプロを2年しか経験していない選手に調整法なんか分かる筈がない。野球を舐めてしまったかもしれない」「オープン戦が始まっても相変わらずマイペース。寒いと怪我をするからと試合を欠場したあたりから周囲の見る目が変わってきた」 それでも活躍すれば問題なかったが開幕2試合目に右手の指を怪我したのがケチの付け始め。しばらくは怪我を押して試合に出続けたが負けが込んでくると金山に先発マスクを譲るようになった。皮肉な事に中尾が欠場したとたんにチームは勝ち始めた。そうなると中尾も面白くない。たまに代打で出ても凡打を繰り返すだけで打率は1割にも満たずようやく「1割の大台」に乗ったのが5月24日という始末。可愛さ余って憎さ百倍とでも言うのか近藤監督の愚痴の矛先は中尾に向くようになる。

しかし今の中日は監督がどう、中尾がどうといった次元の問題ではない。5月下旬の甲子園での阪神戦の試合前ミーティングの内容は耳を疑うものだった。「試合に全力を尽くそう」と当たり前の台詞に続いて近藤監督が選手に対して発した言葉は「とにかく全員がベンチに座って仲間を鼓舞しよう」だった。試合中にも拘わらずロッカールームで喫煙したり軽食を摂っている選手がいるという。ベンチにいる事を義務づけるとは、まさに前代未聞の指示だ。正体見たり…と言ったら酷だろうか?戦う集団として当たり前の事が出来ていなければ勝てる筈がない。「まだまだ諦めない」と近藤監督は言うが中日ナインに野球選手としての魂が戻って来るのは何時の事だろうか?



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# 364 予告先発

2015年03月04日 | 1983 年 



" 予告先発 " ペナントレースでは珍しい。オープン戦や公式戦終盤の消化試合でたまに見られる程度の事。武上監督が前夜に荒木先発を打ち明けた時、当然の如く「先発投手を知らせるなど敗退行為」「人気商売とは言え度が過ぎている」など批判する声が大勢だった。大リーグと違って日本では先発投手を事前に公表しない。そんな事は武上監督並びヤクルト球団は百も承知。ただ先発投手を公表してはいけないと禁止している訳ではなく言わば超法規的措置であり、ズバリ「客寄せパンダ」という訳だ。当日のヤクルト応援席でも「本音を言えば槙原(巨人)みたいに二軍でしっかり体力作りをしてから一軍で投げて欲しかった。荒木の将来を考えたら悲しい予告先発ですね」 との声がある一方で 「少なくとも敗戦処理とは言え、結果を残したのだから胸を張って投げて欲しい」 と肯定的な意見もあった。事実、初先発までに4度登板して武上監督は合格点を与えていた。


    ・ 4月26日 対広島 0対5 の8回 2イニング 4安打・2失点

    ・ 5月3日 対広島 2対5 の9回 1イニング 1安打・無失点

    ・ 5月8日 対阪神 0対5 の6回 2イニング 無安打・無失点

    ・ 5月15日 対広島 0対6 の8回 1イニング 1安打・無失点 



デビュー戦こそ2失点したものの2イニング・打者10人から5奪三振。その後も投げる度に力を出しているのが傍目にも分かり、先ずは実力で勝ち取った先発と言って構わない。ただし初先発の対戦相手には首脳陣の配慮が感じられる。ローテーションの谷間で且つ神宮球場であると言うのが武上監督が設けた条件で、更に「調子を落とした相手打線」と追加された条件をクリアしたのが5月19日の阪神戦だった。掛布は本調子には程遠く真弓とアレンが怪我で不在、3連戦の1・2戦でエース格の松岡と梶間が徹底的に内角を攻めて調子を狂わせ尾花を救援投手にスタンバイさせる万全ぶりだった。結果は5回を投げて打者21人・3安打・3四球・3三振・内野ゴロ8・内野フライ1・外野フライ2・投球数78 だった。6回からは尾花が投げ切って2対1で勝ち荒木にプロ初勝利をプレゼントした。ヤクルトの高校出の新人が勝利したのは昭和41年の西井投手以来13年ぶり。


聞き手…プロ初先発が予告先発でしたがどうでしたか?
荒 木…特に意識は変わらなかったですけど、朝から取材が凄くて試合に集中出来ませんでした
聞き手…緊張しましたか?
荒 木…はい。生まれて初めての経験でした。甲子園で投げた時でもあれ程の緊張はしませんでしたね
      とにかく試合を壊さない事だけ考えました

聞き手…1点リードの4回表、無死二塁で岡田を三振。その後二死満塁で伊藤のカウント2-3の場面が最大のピンチでしたね
荒 木…はい。岡田さんに投げた直球はベストピッチでした。伊藤さんの三振も直球でしたがあれはボール球だったので助かりました
聞き手…継投した尾花投手が投げているのを見ている時の心境は?
荒 木…4イニングがあんなに長いとは思いませんでした
聞き手…改めてプロ初勝利の感想は?
荒 木…とにかく嬉しいの一言です。こんなに早く勝てるとは思っていませんでしたから
聞き手…目標とする選手はいますか?
荒 木…野球選手ではないですがアベベ選手です。母親から聞いたのですが生後5ヶ月の僕が最初に見たスポーツが東京五輪の
      マラソンだったそうです。アベベ選手は淡々と走るランナーだったそうで僕もアベベ選手のように沈着冷静な選手になりたいと
      思っています



しかし荒木のプロ初勝利は首脳陣にとって痛し痒しなのである。駒田の活躍や槙原の快投が示すように高卒選手はプロとしての体力を着ける事が先決。多くの有望視された選手が怪我で実力を発揮する事なく球界を去った。息の長い選手になる為にも二軍で鍛えたい一軍首脳陣と初優勝以降ジリ貧傾向の人気を荒木で回復したい松園オーナーは相容れない。ドキリとする情報がベンチ裏にあった。「荒木は先発した試合で打ち込まれていたら二軍行きだった」…穿った見方をすればBクラス相手でも勝てない荒木の未熟さを松園オーナーに突き付けて二軍落ちを納得させたかった、という事である。打たれるのを望むなら巨人相手に木端微塵に玉砕させれば…と思うがそこは親心。立ち直れない程打たれては駄目で阪神あたりに丁度良い位に打たれれば良かったのだが目算が外れたという訳。そんな首脳陣の願いが通じたのか二度目の予告先発となった6月4日の中日戦は初回二死から4安打を浴び4失点、3回に無死一・二塁となった所で降板した。次の登板が正念場となる。


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# 363 本命なき去就

2015年02月25日 | 1983 年 



またぞろ長嶋氏の去就に関する見出しがスポーツ紙の一面に踊った。『ミスター遂に決断』…5月21日の後楽園球場内のサロンには長嶋派と呼ばれている面々が「今朝の見出しを見た?」「在京の大洋、ヤクルト、日ハム以外のチームは初めてだけど本当かね?」とヒソヒソ話。金田正一、張本勲、杉下茂、土井正三らは情報を持ち寄り情勢分析を頻繁に行なっている。彼らが最近しきりに口にするのが「大洋は長嶋さんに似合わない」である。開幕から巨人を走らせた最大の原因は大洋の対巨人の不甲斐ない戦いぶり。殆どが試合序盤で大量失点したり、リードしていても終盤でひっくり返されるパターンが常態化している。「二度と惨めな思いをさせたくない」と言うのが彼らの共通した思いで長嶋巨人1年目に最下位になった時の二の舞いは御免という訳。巨人と対等に戦えるチームでないとダメだとすると既出のチーム以外で監督召致に動く可能性のあるチームはあるのか?

長嶋氏周辺には解任した読売グループを未だに許していない人は多い。長嶋氏本人の本音は巨人復帰であると推察されるが周りは巨人を倒せる球団を考えている。だから大洋やヤクルトでは駄目でリーグの違う日ハムなど論外なのだ。では現実問題として希望に適した球団はどこなのか?「仮に西武がセ・リーグだったら文句なしだがそれは有り得ない。巨人のライバルと言えば阪神だがあそこが巨人出身の長嶋を受け入れるとは到底考えられない。とすると消去法で中日が残る」と言うのは某スポーツ紙記者。中日と言えば巨人とは親会社が新聞戦争を繰り広げているライバル球団だが長嶋氏本人は中日に対して悪い印象は持っていない。昨年8年ぶりに優勝した中日がまだ巨人が首位だった夏頃に早々と中日優勝を予言していたのは数ある評論家の中で長嶋氏ぐらいだった。

「宇野、田尾、中尾らビビらない肝っ玉の持ち主が揃っている。このタイプは接戦になればなるほど力を発揮する。投手陣にも疲れ知らずの若手が多く最後に抜け出すのは中日」と多くの評論家が巨人優勝を唱える中で中日の逆転優勝を宣言した。そもそも中日は長嶋好みのチームカラーで巨人の監督時代から三振が多く穴だらけで忘れた頃に一発を放つ程度の選手だった宇野を見て「いいねぇ、ああいうタイプは好きだね。打者はあれ位の思い切りが必要、2~3年後には良い打者になる」と言い切っていた。昨年終盤の直接対決でに9回裏に江川から4点を奪ってサヨナラ勝ちした時のような野武士的キャラクターが揃っている中日は実は長嶋氏好みなのだ。しかも中日球団フロントも長嶋氏に対してはライバル球団の元監督ではなく、球界の功労者という認識で長嶋氏個人には好印象を持っている。巨人出身の黒江コーチの存在が巷間言われる " 巨人アレルギー " は過去の話である事を証明している。

今季の近藤体制は盤石の筈だった。日本一は逃したが昨年8年ぶりの優勝を果たした近藤監督は投手分業制の確立や大胆な采配で評価を高めた。普通なら監督を交代させる理由はないがシーズンが始まると予想外にもたつき、様々な不協和音が漏れ伝わるようになった。しかし、何故長嶋氏なのか?そこには激化の一途を辿る中部地区での親会社同士の熾烈な新聞拡張戦争があるという。巨大全国紙に勝つ切り札こそ長嶋氏なのだ。企業戦争では相手方のエースを引き抜く事が最も手っ取り早い戦略であるのは明白。そのエースが相手企業のシンボル的存在なら効果は絶大だ。昭和44年に巨人の監督を永く務めた名将・水原茂を中日の監督として迎えた時の名古屋市民の反応は「宿敵の将をよくぞ獲ってきた」と好意的だった。長嶋氏の場合は恐らくこの時を上回る爆発的な人気が巻き起こるのは間違いない。

大洋は確かに長嶋氏が解任された翌年に中部藤次郎大洋漁業社長が正式に長嶋獲得宣言をし、昨年は大洋球団の株主であるサンケイグループと歩調を合わせて獲得を目指したのは事実。フジテレビの副社長との接触や長嶋氏が信頼するニッポン放送の深澤アナウンサーが使者となって交渉が進み監督就任は間近と言われてきた。ところがここにきて大洋漁業本社内に「監督としての能力は本当の所どうなのか」と疑問視する声が出始めるなど足並みの乱れが見えるようになり、そこに今回の中日説の出現。更に新たに中日説は巨人の陰謀だ、という声が飛び交うなどして事態は混沌としてきた。巨人の陰謀とは中日内部を混乱させてスタートダッシュに失敗した昨年の覇者の息の根を止めてしまおうとしている、という情報操作であるというもの。話がここまで飛躍すると何処までが真実なのか分からなくなる。

ところで肝心の巨人内部では現時点での長嶋氏はどういう存在なのか?日本テレビの氏家斉一郎副社長が年始の定例懇親会で「長嶋君が巨人のユニフォームを着る事はないだろう」と発言した。それに呼応するように球団内部に「そろそろ区切りをつけてあげた方が長嶋の為。淡い期待を持たせ続けるのも気の毒」との機運が漂い始めている。一方で長嶋氏が好き勝手に球団を選べるかというとそうではない。長嶋氏と個人的に親しく今でも球団の要職就任を要請し続けている正力オーナーの存在が大きい。過去2年間に複数の球団が正式要請する前の打診する段階で一つの関門となっていたのが正力オーナーで、オーナーが「ウン」と言わなければ打診すら出来ないのが実情。となると必然的にオーナー同士が懇意なあの球団が浮上してくる。ヤクルトである。松園オーナーは昨年の暮れ、セ・リーグオーナー懇談会の議長職を正力オーナーからバトンタッチした。常々、「正力オーナーの意を汲んで…」とまるで兄弟のようだ、と揶揄される程の間柄。ヤクルトも大洋同様にフジサンケイグループの一員、ここにきてヤクルト本命説が最右翼となりつつある。



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# 362 嗚呼、阪神…

2015年02月18日 | 1983 年 



「安藤!お前が監督をしていたら阪神は勝てん。即刻ユニフォームを脱げ。さもないと…」宝塚市梅野町にある安藤監督宅に差出人不明の手紙が届いた。「現場の責任者への風当たりは強い。夫が阪神の監督に就任した後は宿命だと諦めています」と最近は多少の事では驚かなくなった宏子夫人。しかし手紙に同封されていた " 異物 " に悲鳴を上げた。カミソリの刃とゴキブリの死骸が入っていたのだ。夫の安藤監督は開幕直後の勢いが嘘の様に低迷を続ける阪神の責任を一身に背負っている。そんな夫に野球以外の事に神経を使わせたくない、と脅迫まがいの手紙は夫が目にする前に捨てているが無様な負け方をすると2~3通の手紙が送られて来る。しかし安藤本人は紳士的な外見と違って意外と図太い。監督生活も2年目となると「カミソリでもゴキブリでも何ともないですよ。そんな事で気が済むのならどうぞ送ってきて下さい。いちいち気にしていたら命がいくつあっても足りませんよ」と当初は落ち着いたものだった。

開幕戦こそ負けたが直後の巨人戦で定岡と江川を攻略して2勝1敗と勝ち越して昨年同時期の5勝13敗2分と比べたら大違い。しかし首位巨人が勝ち過ぎて阪神の健闘ぶりが霞んでしまっている。「いくら阪神がソコソコ勝って例年よりエエと言うても巨人を見てみい、関西のマスコミが19年ぶりの優勝気運が高まったと煽ってもシラけるだけだわ」と阪神ファンは冷めている。更に悪い事に開幕から1ヶ月が過ぎると徐々に阪神の調子が落ち始めた。5月10日の甲子園での中日戦に4対8で敗れたのに続き翌11日も7対10で敗れた。試合後の安藤監督は「今日は何も言う事はない・・失礼」と報道陣の前から消えた。既に1ヶ月前の余裕は無くなっていた。負けが込んできた原因は投手陣の踏ん張りが利かなくなってきた事に加えて開幕直後は絶好調で「4割打者の誕生か」位の勢いだった掛布のスランプも。更に真弓が左太腿肉離れ、アレンが左手人差し指を骨折して登録抹消になるなど故障者も続出した。

嘘か誠か最近「関西のスポーツ紙の中でA紙の夏のボーナスは全員カットされるらしい」との噂が渦巻いている。他社は宅配が主なので阪神の勝ち負けで販売数は変わらないがA紙は駅売りが中心なので阪神が負けると売上げが激減するという。事ほど左様に関西地方において阪神の動向はあらゆる方面に影響を与える。刺激的な見出しに定評のあるB夕刊紙に「阪神主力選手に大麻疑惑」の文字が躍った。事実なら大事件だが後追いするマスコミはなかった。記事では大阪新地キタに芸能人が頻繁に出入りすPという高級クラブがあり、そこで夜ごと大麻パーティーが開かれて逮捕者が出た。その店の常連に阪神の選手もいるから怪しい、ただそれだけの事で「疑惑」には程遠い憶測だった。つまりは困った時の阪神頼みで関西ではよくある話だが、その頼みの綱が開幕2ヶ月で路頭に迷った。独走する巨人の姿は遥か先…

巨人は20以上も貯金しているのに阪神ときたら6月5日現在、借金生活だ。思えば5月中旬から下旬にかけての対ヤクルト、広島戦の6連敗が痛かった。「私の計算では悪くて3勝3敗、上手くいけば4勝2敗と踏んでいた。今思うとそれでも甘い考えだったがまさか6連敗するとは…監督の不徳の致す所で弁解の余地は有りません」と安藤監督は項垂れた。続く中日戦は2勝1敗と勝ち越したが相手の中日は今の阪神以上に状態が悪く、監督と選手間がギクシャクしており阪神のお株を奪うかのようなお家騒動を展開中だ。その中日には勝ててもその後の巨人3連戦は負け越した。しかも負けた相手が江川や西本なら分かるが新浦と堀内といった " カビが生えたような " 投手に抑え込まれる体たらくにファンの怒りも頂点に。特にコーチ兼任のヨレヨレの堀内に負けた翌日の関西スポーツ紙はこぞって阪神の意気地の無さと「伝統の一戦」の看板が泣いているという記事が溢れた。

低迷の元凶は一体何なのか?行き着く所は主砲の掛布であり、開幕前の「3割・20本」宣言が虚しい岡田や故障続きで空砲のバースなどの打線の不調にある。開幕前に危惧されていた投手陣はベテランの野村や新鋭・工藤の台頭もあって何とかやり繰り出来ている。真っ先にやり玉に挙げられるのが掛布だ。開幕しばらくは絶好調で三冠王もしくは4割打者か、と騒がれたが5月中旬あたりからパタっと打てなくなった。原因は突然に胸部に激痛が走る奇病を患ったせいだ。現代医学でも原因不明の病で疲労が蓄積すると発症し、痛みだけでなく皮膚の一部が黒ずむ難病だった。激痛を抑える為にサラシをグルグル巻きにして打席に立った。一時、左方向へ流し打ちばかりだったのを憶えている方も多いだろう。「いいねぇ、最近は外角ばかり攻められるので引っ張らずに左方向の打球が多いんですよ。調子の良い証拠です」と掛布は言っていたが真っ赤な嘘。激痛で思い切り振る事が出来なかったのである。

5月の6連敗中の掛布は19打数4安打・打率.211・4打点、直後の巨人戦も12打数1安打と1割を切る打率。しかし当たりが止まっているのは掛布ばかりではない。不振の岡田やバースに加えて2000本安打達成後は極端に打てなくなった藤田、守りと走塁は一流だが打撃は二流の北村、盗塁がフリーパス状態で打撃まで神経が回らない笠間、新人の平田などに強打を求めるのは酷な話。だが打線にばかり低迷の原因を押し付ける訳にはいかない。野村や工藤など奮闘している投手もいるが肝心のエース・小林がだらしない。小林は6連敗中に2度先発したが玉砕。特に巨人戦では新浦に投げ負けただけでなく、新浦にプロ2本目となる本塁打を喫した。掛布に次ぐ高給取りが投手に打たれるようでは巨人に勝てる筈がない。何はともあれ猛虎復活の為に選手一人一人にガッツと自覚を促したい。



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# 361 スパイ大作戦 ④

2015年02月11日 | 1983 年 



話は半世紀前に遡る。アスレチックスにH・アームキーという35歳のベテラン投手がいた。彼は大リーグ通算166勝の一流投手だったが1927年には既に肩はボロボロだった。ア軍はこの年の夏場に入って首位に立ち優勝を射程圏内に捉えた。このまま行けばワールドシリーズに出られるかもしれない。最後の遠征を前にコニー・マック監督はアームキーを呼び「君を遠征に連れて行かない。この先は君の代わりに若い投手を使うつもりだ。今までご苦労さん」と告げるとアームキーは「監督の言う事は理解出来ます。でも16年間投げてきた私の夢はワールドシリーズの舞台で投げる事です。優勝したら1イニングで構わないので投げさせて下さい」と訴えた。それに対してマック監督は「分かった。相手のナショナルリーグで優勝するのはカブスだと私は睨んでいる。今日から君は投げなくていいからカブスの弱点を探ってくれ。そしてカブスが相手と決まったら君に投げてもらう」とアームキーに新たな任務を課した。

こうしてアームキーの諜報活動が始まった。カブスの試合を追いかけ監督の作戦の傾向、サインの出し方、投手や打者の癖を探り克明にメモを取った。更に選手の私生活まで監視するようになった。その間にアスレチックスは優勝しマック監督の読み通りカブスがナショナルリーグを制した。1927年10月8日、遂に両チームによるワールドシリーズが始まった。第1戦のア軍の先発投手はアームキー、敵も味方も唖然とした起用だったが結果は1失点の完投勝利だった。最終回は三者連続三振、計13奪三振は当時のワールドシリーズ新記録だった。このケースはアームキー本人が情報を収集・分析をし実践するという実に有効かつ効率的だった。この年のワールドシリーズはア軍が4勝1敗で制した。アームキーの他にウォルバーグ、アーンショウ、ロメルの3投手が1勝づつしたがアームキーの情報を共有した事は想像に難くない。

このアームキーの一件は大リーグ各球団に大いなる教訓となり、多くの球団が大なり小なり情報収集をするようになった。日本で言う先乗りスコアラーで米国では " アドバンス・スカウト " と呼ばれて、それを専門の職とする者まで現れた。有名どころではアル・キャンパニス(現ドジャース副会長)だ。現役時代は二塁手だったが選手としては大成しなかった。後に今でも読み続けられている名著『ドジャース戦法』を書いたり、スカウトに転じてあのサンディ・コーファックス投手を発掘するのだが、アドバンス・スカウトとして手腕を発揮したのが1959年のホワイトソックスとのワールドシリーズだった。相手のあらゆる情報を収集しホワイトソックスを4勝2敗で下してワールドチャンピオンフラッグを初めて西海岸の球団にもたらした功労者である。

ドジャースは西海岸にやって来る以前にブルックリンを本拠地にしていた 1939年~48年は名将・ドローチャーが監督を務めていたが彼は後年に『お人好しで野球に勝てるか』という半自叙伝を出版したが、題名からも推察出来るように現役から監督時代に至るまで一貫して " こすっからい " 野球に徹していた。ドローチャーの指示でドジャースはサイン盗みをしていた。当時のエベッツフィールドには手動式のスコアボードが設置されていたが、その中に潜み双眼鏡で捕手のサインを覗いていた。H(安打)・E(失策)・FC(野選)を示す小窓からハンカチを振って打者に球種を教えていた。Hの小窓なら直球、Eならカーブ…、そのお蔭なのかドローチャー監督時代のドジャースは強く、1944年を除く全ての年で3位以下に落ちる事はなかった。

同時期のインディアンスのアルビン・ダーク監督も同じような事をやっていたがその方法は些か稚拙だった。外野にしかるべき偵察要員を配置するのは一緒、ただし打者への伝達方法がお粗末だった。偵察者は外野席の最前列に陣取り、靴を脱いで両足をフェンスの上に差し出すのだがその姿は少々奇異だった。両足に履いているの靴下の色が赤と白と左右別々だった。そう、御想像の通り赤色の靴下なら直球・白色ならカーブ・両足ならチェンジアップを意味していた。しかし左右で色違いの靴下を履く事自体奇妙なのに、それをわざわざ見せびらかす態度を不審がらない方がおかしい。直ぐ相手にバレてしまった。

ワールドシリーズは後になって別称が付けられる事がある。1977年のワールドシリーズは、R・ジャクソンが「Mr.オクトーバー」の名に相応しい活躍を見せ「レジー・シリーズ」と呼ばれるようになった。その前年の1976年は「ウォーキートーキー・シリーズ」と呼ばれている。日本語に翻訳すると「携帯無線シリーズ」だが何故このように呼ばれるようになったのか?第1戦での事、ヤンキースの球団職員がネット裏の最上段からベンチに無線で連絡を取っていた。「右翼手をもっと前に、中堅手を右寄りに」…これに対戦相手のレッズが抗議した。判断はコミッショナーに委ねられたがヤンキース側は「データに基づいて守備位置の変更を指示しているだけ。ベンチからだと全体像が掴めないので高い位置から見ている。ネット裏上段から見ているので相手ベンチや捕手のサインを覗く事は出来ない」と主張し、コミッショナーもこれを認めて無線の使用を許可した。

第二次世界大戦前のヤンキースにビル・ディッキーという捕手がいた。ある試合での出来事、新人が打席に入った。彼は1球毎に打席を外して三塁コーチの方を見るがサインは毎回同じ。たまりかねたディッキーは言った「オイ坊や、三塁コーチは何度もエンドランのサインを出しているんだ。次の球は外角に来るから上手くやれよ」と新人に花を持たせた。また今季に阪急に来たバンプ・ウィルスの父であるモーリー・ウィルスの場合も面白い。盗塁王の常連である俊足のウィルスが一塁に出塁して、すかさず盗塁を狙うが相手バッテリーの呼吸が合わずサインがなかなか決まらず投げられない。投手はカーブを投げたいが盗塁を阻止したい捕手は直球を要求していたのだ。業を煮やしたウィルスは捕手に向かって「カーブの時は走らないから投手の希望を聞いてやれ」と怒鳴った。塁上のウィルスにサインは筒抜けだったのだ。

マイナーリーグの場合はもっと大胆になる。とある試合でバッテリー間のサイン盗みが得意な三塁コーチは投球と同時に大声で球種を叫んだ。すると投手の中には咄嗟に投げる球を変えたりして対抗した。そこで三塁コーチはコーチスボックスの一角にスコアボードの電光掲示板に直結するボタンを埋め込んだ。ボタンを踏んで電球を点けたり消したりして打者に球種を伝えたのだ。しかしこの方法も露見してしまう。風が吹こうと雨が降ろうと三塁コーチが立つ位置が変わらない事に不審を抱いた相手チームがボックス内を隈なく調べてボタンを発見したのだ。いつの時代もスパイ行為は無くならない。なら対抗策は無いのか?少なくともバッテリー間の防止策なら有る。捕手がサインを出したら投手が間髪入れずに投げればいいのだ。最近の大リーグの試合時間が2時間10分~20分に収まっているのもそのせいだと思われる。スピードアップは観客へのサービスだけではなくサイン盗み防止も兼ねている。

話は現代に戻るが大リーグは今、新たなスパイ問題で揺れている。なんとコミッショナーが独自にスパイを雇って選手の私生活を監視しているというのだ。事の発端は選手会理事長のモフェット氏が「コミッショナーの監視に注意するように」との通達を選手にした事である。当初はコメントを出さず静観していたコミッショナー事務局だったがファンの間にまで抗議の声が広がると記者会見を開き「我々は大リーグの健全化を維持する為に選手らがギャンブルなどに手を出さないよう監督しているだけで私生活を覗き見している訳ではない」と釈明した。これに対し選手会側は「選手は勿論、家族のプライバシーまで脅かされている。事務局の説明は説得力に乏しく広範囲の調査は適切でない」と反論した。今の所コミッショナー側も引き下がる気配はなく今後の成り行きに注目が集まっている。



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# 360 スパイ大作戦 ③

2015年02月04日 | 1983 年 



投手が投げる球種が予め分かれば打てる確率が高くなるのは間違いないだろう。しかし一方でベンチから伝達される情報を気にする余り目の前にいる投手に対する集中力が削がれてしまうのを嫌う選手がいるのも事実。富田氏が指摘したように「カーブ」と信じて踏み込んだもののシュートが来て死球を避けられずに病院送りとなった例も少なくない。概して球に喰らいつくタイプの打者は球種を教えられると逆に打てなくなるケースが多い。スパイ行為にはそうしたマイナス面もあるのだがベンチからの伝達が一向になくならないのは何故か。

「そりゃ確実性が上がるからです」と多くの関係者が口にする。「例えば犠牲フライが欲しい場面でプロの打者なら球種さえ分かればほぼ確実に外野フライは打てる」と多くの打者は言う。球種が分かっていたら打ち易いのは当たり前で年間130試合トータルで見れば得点増に大きく貢献しているのは明白。打者は「この投手は次にどんな球を投げてくるのか」に神経を注ぎ、ある意味でそれが投手との戦いの全てだ、と言い切る打者が殆ど。「そうした神経戦をサイン盗みは省いてくれるのだから打者は楽だ」と。「僕らは相手の先発投手が発表されると、この前はああ攻めてきたから今日はこうくるかなとか色々ケースを想定するもんです。相手バッテリーとの腹の探り合いが野球の面白さなんですよ」とパ・リーグのある主力打者は言う。それがスパイ行為で球種を事前に教えられたら自分の頭であれこれ考える必要がなくなる。全て他人任せの状態に慣れてしまうといざ情報が与えられなくなると対応出来ない。自分で分析・蓄積してきたデータと経験があってこそ相手の出方を推測出来る。

長いプロ野球の歴史の中でスパイ行為なんかに依存しなくても自分で相手の動きを観察して癖を見破り、それを財産にして自分の投球や打撃を伸ばしてきた選手は数多い。それこそが本当の " 骨身を削る戦い " にもなる。現在ではどこのチームでもやっているビデオ撮影による研究は決してスパイ行為ではない。例えば江夏投手(日ハム)のセットポジションからの一連の投球動作で両腕の動きの違いで直球か変化球かを見破ったチームがあった。当然の如く江夏は滅多打ちされた。しかし江夏は自らその癖を逆手に取って利用し次に対戦した時は完全に抑え込んだ。鈴木啓投手(近鉄)もまた投げる際の口の動きで球種がバレた事があったが直ぐに修正した。定岡投手(巨人)の場合はカーブを投げる時だけ口から舌がチョロっと出てしまう。何度も直そうとしたが緊迫した場面では、つい癖が出てしまい痛打される事がしばしば続いた。そこで癖を直すのを諦めてカーブ以外を投げる時も舌をわざと出すようにして窮地を脱した。ビデオに撮り研究して癖を見つけるのもプロなら、それを乗り越えるのもプロである。

投球フォームの癖だけではない。例えば走者を背負った場面でフォークボールを投げるつもりで球を指で挟んでいたら素早く牽制球を投げる事は出来ない。そういう時は取り敢えずマウンドプレートを外すだけにとどまる。それだけの事で観察眼の鋭い打者は " フォークボールを投げるつもりか " と察知する。しかし経験の浅い若い打者はそうはいかない。「だから自分なりの対処法を持たない若手には癖を見破った三塁コーチなどから伝えてやる。それは決してスパイ行為ではない」と自軍は絶対にスパイ行為をしていないと断言するセ・リーグの某球団コーチは語る。かつて阪急にダリル・スペンサーという豪快かつ緻密な頭脳を持つ元大リーガーがいた。彼は相手投手の癖をメモした小さなノートをズボンのポケットに常に携帯して他の打者にも教えていた。それが後の阪急黄金時代の礎を築いたという関係者は多い。これもスパイ行為ではなくれっきとした戦略であり、相手の癖やパターンを読み解く野球の醍醐味の1つである。

最後に座談会にも出て頂いた富田・関本両氏に自身の体験談を語ってもらおう。「嘗て西鉄ライオンズで20勝して新人王にも輝いた池永正明投手は同い年だったんだけど、彼が引退後に『トミには痛い所でよう打たれたな』と言っていたが彼は気づいていなかった。僕が彼の投球パターンを見抜いていた事を。勝敗を左右する場面の決め球はいつもスライダーで、その前には必ずシュートを投げてきた。それも打ち取る為のシュートではなく死球すれすれのシュートを投げてきた。ベンチからの情報なんて必要なく次のスライダーを踏み込んで苦も無く打ち返した。自分で考え自分の身体で得た情報を駆使して打ってこそ投手を攻略した充実感を味わえる(富田)」

「南海や広島で活躍した国貞泰汎さんと去年に会った時に『関本君のシュートは投球フォームで分かった。お蔭で5回は死球を避けられた』と言ってた。ただ打つだけじゃないんだよ、無用な怪我をしないというのもプロとして大切な事なんだ」「ホリ(堀内)さんがプロ2年目で肩で風を切ってブイブイ言わせていた頃に誰にも打たれなかったカーブ、いや昔で言うドロップを武上(ヤクルト)さんだけには打たれた。球の握りで球種がバレてたと分かったホリさんはカーブの握りのまま直球を投げた。しばらくその投げ方で武上さんを抑えたそうだ(関本)」…スパイ行為によって教えて貰う情報に頼って自分では考えようとしない打者がいくら打っても、こういう野球の面白さは体験出来ないという裏からの証言である。



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