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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 367 予選敗退

2015年03月25日 | 1983 年 



長嶋一茂(立教高)と藤王康晴(享栄高)、言うまでもなく甲子園不出場組の中でも話題性・人気度が高い両巨頭。彼らの進路に注目が集まっている。2人はどんな野球人生を選ぼうとしているのか・・


長嶋一茂(立教高)…7月29日の埼玉県予選準決勝、所沢商に敗れて最後の夏は終わった。「惜しかったなぁ…」 肩を落として田園調布の自宅に戻った一茂に父・茂雄は「ご苦労さん」と声をかけたという。グラウンドでは涙を見せなかった一茂だったが父親の一言に熱いものがこみ上げて堪え切れず涙を流した。父親が果たせなかった甲子園出場にあと少しという所までいったが昨年の夏は準決勝で熊谷高に9回サヨナラ負け。今年こそは、と意気込んだ最後の夏も同じく準決勝で延長10回サヨナラ負け。夏の県予選が始まる前に立教高は県内外の強豪校を相手に練習試合で腕を磨いてきた。法政一、東大和、横浜商、桐蔭学園などに加えて関西地方にも遠征して宇治山田や明野とも対戦した。

" 親の七光り " と言われがちだが練習試合の打率は3割を超えており四番の座は自らの力で手に入れたと言っていいだろう。「今年の立教は強い」と言われて本命の上尾高と共に優勝候補の一つに挙げられていた。予選が始まる直前の6月30日には茂雄氏が合宿所を訪ねてメロンやグレープフルーツなどの果実類を差し入れてナインを激励し、相前後して亜希子夫人も合宿の手伝いの為に頻繁に訪れるなど一家をあげて一茂の最後の夏を応援していた。立教は快調に勝ち進んだ。7月19日の幸手商戦で一茂は4打数2安打と活躍し8対0でコールド勝ち。22日の慶応志木戦も4打数2安打、24日の所沢高戦では二塁打・三塁打と長打を連発。25日の熊谷西戦でも2安打するなど好調を維持していた。

7月27日の春日部共栄戦には茂雄氏が初めて一茂の試合を観戦しに来た。父を前に硬くなったのか大会初の無安打に終わったがチームは勝ち準決勝に駒を進めた。息子のプレーぶりに茂雄氏は「ちょっと大振りが目立ちますね。1100g のバットは重過ぎじゃないでしょうか、彼の腕っぷしなら軽いバットで軽打しても飛距離は充分。次の所沢商戦がヤマでしょう」と感想を述べた。茂雄氏が正念場と言っていた準決勝に敗れ甲子園出場は叶わなかった。延長10回、一死一・二塁から山下選手が放った打球は一塁を守っていた一茂の頭上を越える右前打。本塁上でクロスプレーとなったが生還し決着がついた。一茂の高校最後の試合は4打数2安打だった。

次なる目標は立教大学進学。立教高では9割が大学へ進める。一茂が父親と同じ経済学部に合格する為には猛勉強が必要。「出来れば友達と旅行でもしてノンビリしたいんですけど勉強しなくちゃならない。プロ野球ですか?全く興味ないです。大学へ行って野球を続けるかどうかも今はまだ決めていません」 立教高の大野監督は「中学時代は全く野球をしていなかった訳ですからこの3年間での成長は大したもんだと思いますよ。やっぱり血は争えませんね。彼が本当に開花するのは2~3年後じゃないですか、だから私としては是非とも大学へ行っても野球を続けてもらいたいです」と語る。1㍍81㌢、79㌔と父親よりも一回り大きい一茂クン。やはり父親と同じ立教大のユニフォームを着るのが一番似合っている。



藤王康晴(享栄高)…153校が参加する全国第3位の激戦区である愛知県の頂点にあと一歩届かなかった。春夏連続出場の為には避けて通れない野中投手擁する中京高との決勝戦に敗れた。今春のセンバツ大会での活躍は特筆すべきものだった。11打席連続出塁(大会新記録)、8連続安打(タイ記録)、3本塁打、20塁打等々記録づくめだった。大会終了後はマスコミが殺到し一時はスランプに陥ったが5月末に静岡県で行われた東海大会では見事に復活し3試合連続で4本塁打を放ちチームも優勝した。広い草薙球場の場外に放った一発はプロでも滅多にお目にかかれない。スカウト連中を驚かせたのは左方向への2発だった。逆方向への打球というのは切れて行くのが普通なのだが藤王の打球は一直線にスタンドに突き刺さった。

7月10日に夏の県予選大会の選手宣誓を務め連続出場へのスタートを切った。初戦から安打は出るものの相手校の四球攻めや変形シフトに惑わされて不発だったが5試合目の尾北戦で待望の高校通算48本目が出た。翌日の準々決勝戦でも中堅場外に3ラン、準決勝戦も勝ち遂に甲子園出場を賭けて宿敵・野中投手と雌雄を決する時が来た。7月29日の熱田球場は1万人の観客が詰めかけて試合開始前に満員札止めとなった。享栄高は初回に伊藤が本塁打を放ち先制。藤王の初打席は初球のカーブを右前打、第2打席は速球に詰まって右飛、第3打席は 「外すつもりだった(野中)」 シュートを 「ボールだと思った(藤王)」 と見送るも判定はストライクで三球三振。試合は先制された中京が逆転。藤王はゲームセットの瞬間をウェーティングサークルで迎えた。

「完敗でした。野中投手の球は速かった…」 小学生の時に友達の少年野球を応援に行って目にしたのが当時既に県下で有名だった野中投手。今では電話で近況を語り合う仲だが「凄い投手だと思った。高校を選ぶ時、一緒に出来たらと考えた事もあった」という野中は中学時代に全国大会準優勝、甲子園でも昨春夏で7勝するなど常に藤王の先を走るライバルであり目標だった。野中のいる中京とは4度対戦して勝ったのは1度だけ、藤王個人も14打数4安打と抑え込まれた。通算本塁打は目標だった大台の50本に1本足りず、チームも春に続く甲子園出場も叶わず藤王の夏は終わった。「もう一度走り込みをやって鍛えないと…」と語る藤王の視線は次なる舞台に向いている。

「大学生でもこれだけの打者はいない(広島スカウト)」 「懸念されている守備も練習すれば大丈夫。王さんだってプロ入り前は一塁手の経験は無かった(巨人スカウト)」 「どう考えても1巡目で消える素材(大洋スカウト)」「藤王君には気の毒だけどウチとしたら甲子園で活躍されて今以上に評価が上がり1位入札球団が増えるよりは負けてくれて助かった(中日スカウト)」 とスカウト達の評価は依然として高い。進路にはプロ以外にも大学や社会人もあるが本人が「勉強は嫌いです」と公言しており大学進学の可能性は低く、社会人側も「藤王は即プロへ行くもの」と判断しているのか現在の所まで接触を試みた企業はない。「回り道する必要はないでしょう」と父・知十郎さんが言うようにプロ入りは確実。来春には真新しいプロのユニフォームを着てプレーする藤王の姿を見られる筈だ。

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1 コメント

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いつもありがとうございます (th)
2015-03-28 00:14:59
週ベは選手名鑑号以外ここ20年以上購入していないと思いますが、毎週代わりにこちらで楽しませていただいております。

一茂は中学時代全く野球をやっていないから、それが大成しなかった理由の一つ、と聞いたことがありましたがその裏付け記事を読んだ気がいたします。

そもそも彼がプロを志望するなんて将来のタレントを目指していただけだったかも(笑)。

藤王も期待はずれでしたね。引退後にわずかながら世間を騒がせたりして生存確認をさせていただいた記憶があります。

あと文中に出た野中も大成しなかった。

素質云々だけでは通用しない厳しい世界なんでしょうね。
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