
苦手の投手もいる
三浦投手(大洋)が打たれた世界タイ記録の755号は王選手に許した初本塁打だった。それまでの11打席で4安打・4四球で打率は5割を超えていたが本塁打は打たれなかった。これで王選手と10打席以上対戦し被本塁打ゼロの現役投手は次の6人となった。
・平岡一郎(広島):66打席
・江本孟紀(阪神):42打席
・榎本直樹(広島):22打席
・堂上照 (中日):17打席
・斉藤明雄(大洋):14打席
・田村政雄(大洋):11打席
このうち田村投手は7打数で無安打。江本投手は28打数2安打で打率は1割以下(7分1厘)に抑えている。既に引退した投手の中では北川芳男投手(国鉄➡巨人)が51打席、バーンサイド投手(阪神)が50打席で1本も打たれなかった。特にバーンサイド投手は37打数6安打・打率.162 と王選手をカモにしていた。
1本もない幻のホームラン
王選手は19年の現役生活で雨天ノーゲームで消えた本塁打はゼロだ。昭和38年8月25日の中日戦(ナゴヤ)は試合前から雨が降り続けて5回表の巨人が攻撃中に一時中断となった。51分後に試合が再開され、6回表二死一塁の場面で王選手は右翼席に勝ち越し2ランを放った。6回裏に江藤選手の一発で1点差とし、なおも攻撃を続けて一死一三塁の場面で再び雨が強くなり中断になってもおかしくなかったが、長打が出れば逆転できる状況だったので中日は試合続行を主張した。そのまま中止になれば5回裏終了で試合は成立するが6回表の王選手の勝ち越し本塁打は取り消される。結局、石川選手の適時打での同点止まりで試合は引き分け、王選手の本塁打は幻とはならなかった。
送りバントと盗塁
今では考えられないが王選手に送りバントが命じられたことがあった。記録上、犠打として残るのは昭和34年「1」、35年「3」、36年「4」、37年「3」。昭和43年10月6日、中日戦の延長11回表無死一二塁で三塁前に送りバントしたのが最後で合計12犠打。このうち1つはスクイズである。昭和35年7月16日の大洋戦(川崎)の初回に長嶋選手の二塁打と坂崎選手の安打で1点を先取し、一死一三塁で六番の王選手が打席に入った。大洋の先発・鈴木隆投手を苦手としていた王選手に対し水原監督は初球からスクイズのサインを出し、王選手は投手前に転がし生涯唯一のスクイズを成功させた。
犠打と同様に最近の王選手は盗塁とも疎遠になっている。昭和47年以降の盗塁は2・2・1・1・3個と1桁どまりで、今シーズンも6月8日の広島戦で記録した1個だけ。そんな王選手だが昭和36年には10盗塁している。この年の5月18日の国鉄戦で3盗塁を成功させている。それも二盗、三盗、本盗の " サイクル盗塁 " を達成した。先ず3回に二盗とダブルスチールによる本盗、4回には二塁打で出塁後に三盗に成功した。
不死身のフラミンゴ
偉大な本塁打記録に隠されて目立たないが王選手は怪我に強い選手でもある。昭和34年以降の巨人の試合数は2490試合に達するが王選手は2426試合に出場している。レギュラーに定着した昭和35年以降に限ると欠場は僅か28試合だ。シーズン全試合出場も昭和35年・37・38・39・44・46・47・48・49年で、今年も全試合出場を継続中だ。藤村富美男(阪神)や飯田徳治(南海)が持つ「10シーズン」というプロ野球記録に今年で肩を並べることになりそうだ。だがこれまで無事息災だったわけではない。死球だけでも104個を数え、欠場を余儀なくされることもあったがそれを最小限にとどめてきた。
昭和43年9月18日、甲子園球場での阪神戦でバッキー投手と乱闘騒ぎとなり、継投した権藤投手に頭部死球を喰らい救急車で病院に運ばれた。翌日の試合はもちろん欠場。21日になっても右耳鼓膜に炎症を起こした状態でまともに立っていられない状態だった。ところがナゴヤ球場に乗り込んだ王選手は元気いっぱいにフリーバッティングで10本の柵越えを披露し急遽、スタメンに起用された。結果は2本塁打を含む3打数3安打・5打点の活躍を見せ周囲を驚かせた。死球などで欠場したのは過去に六度あるが、そのうち五度で復帰した試合に本塁打を放っている。その5試合を通算すると21打数10安打・打率.476・6本塁打。怪我をものともしないまさに怪物である。
