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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 896 八木沢壮六

2025年05月14日 | 1977 年 



豪速球を、また懸河の如きドロップを見せてくれるわけではない。淡々としたマイペースのピッチングで表情も殊更ない。一つも派手なところのない八木沢莊六投手だが今やロッテの支柱。あのカネやんさえも「みんな見習え」と叫ぶ。

不意のアクシデントを克服して
勝負には力とは別に運がどれだけ大事かを誰もが知っている。八木沢投手は高校(作新学院)、大学(早大)、プロ野球(ロッテ)でそれぞれ日本一になるという滅多にない経験をしている。強運のチャンピオンみたいに思われている長嶋監督でも高校時代は甲子園優勝どころか出場すらしていない。だが簡単に運が良い選手だとは言えない。ちょうど15年前のセンバツ大会で優勝投手になり、その夏に作新学院は高校野球史上初となる春夏連覇の偉業を成し遂げたが、八木沢投手は甲子園入り直後から下痢の為に満足にプレー出来ない不運に見舞われた。それでも気落ちせず進学した早大でエースとなり三度の優勝に貢献した。

輝かしい球歴を持つ八木沢投手だがプロ入り後しばらくはパッとしなかった。ようやくその名を馳せたのはプロ10年目の昨年だった。それまでの9年間で2桁勝利は無く、コーチ兼任となった昨シーズンに15勝をあげてやっと球歴に相応しい一線級投手の仲間入りを果たした。それでも監督のカネやんは「ロクを当てにはせんでぇ」と言っていた。つまり先発ローテーションには入れないということだった。「台所事情が苦しくなったらロクに頑張ってもらえばエエ」とカネやんにとって八木沢投手は " 員数外 " の投手と考えられていたのだ。更に今シーズンは投げる度に防御率は良くなるにも拘らず勝ち星は一向に増えない不運にも見舞われた。


投手生命を長くするための心配り
172cm・75kgはプロ野球選手の中では小柄な部類で、加えてロッテ宿命のジプシー生活が体力の消耗を増加させる。特に夏場の体力消耗度は相当なものだ。「中4日の登板が続くと体力的にシンドイ」と吐露するのも33歳のベテランにとっては無理からぬ話だ。スタミナ回復の為に次の登板までの日数が増えることもカネやんが八木沢投手を員数外扱いする理由のひとつ。スタミナ消耗を減らす為に理にかなった投球フォームを身に着け、球威よりコントロールを重視し打者の心理を読むなどして打たせてとる投球術で球数を減らす工夫をし、右打者の外角への変化球も大小のカーブとサッと逃げるスライダーを使い分けている。

選手生活に全てを集中させている八木沢投手が野球の緊張をほぐすのが日曜大工である。棚を作るなんて朝飯前で、図面を引かずにデラックスな犬小屋も作り上げてしまう。根が起用なのであろう。本職裸足もここまでくるとピッチング同様に職人芸だ。由美子夫人や長男・公男くん、長女・美香ちゃん、次男・祐児くんが見守る前でトントン・カチカチ。平凡なサラリーマンの幸せな家庭生活を思わせる。シビアな世界に生きるプロ野球選手には似つかわしくないほど素朴で温かみのある家庭を築き上げている。ナインから「ロクさんのコントロールの良さは家でも発揮されているよ。お子さんも " 一姫二太郎 " ですべてストライクだもん」と冷やかされる。


勝ち星を計算できる32歳の投手に
コーチ兼任になったのは昨年。シーズン中は投手に専念だったが自主トレ・キャンプ中はコーチの二足の草鞋を精力的にこなしていた。ロッテ名物の " 死のランニング " も自ら率先して参加した。「あのランニングのお陰で投球に力強さが増して15勝できた」と振り返る。こうした八木沢投手にカネやんは「もう投手陣はロクに任せておけば大丈夫や」と「ロクを当てにはせんでぇ」の前言を翻した。9月3日現在、8勝12敗1S・防御率 2.50とフル回転の一方でコーチ業も抜かりはない。移動日など投手陣の練習には自身が登板後で疲れていても必ず顔を出し若手を励ます。

「投げている時はコーチ兼任だという意識はないですよ。でもあんまりヘマなことは出来ないですけどね」と淡々とした語り口はいぶし銀そのものだ。周囲からの称賛にも八木沢投手の態度は変わらない。ロッカールームでは努めて明るく振る舞ってナインを鼓舞する。八木沢投手が持つ野球人生の " ツキ " はその生活信条から得られるものだと考えられる。カネやんロッテを支える32歳の強運投手兼リーダーが、何やら今年は勝利の女神に祝福されそうなムードが漂ってきた。



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# 895 悲願の初優勝へ

2025年05月07日 | 1977 年 



『西本監督留任』このニュースはさほど人々をビックリさせるものではない。むしろ留任が当然の名監督をこんなに早く発表したのかという意地悪な感想の方が強いのである。それとも何か早々と留任を決めなければならない理由でもあったのだろうか?

最も固い西本監督の急拠発表の不思議
秋風が吹き始めると首スジのあたりがヒンヤリと感じる人が増えるのがプロ野球界。あのツルさん(鶴岡一人氏)でさえ「孫子の代まで絶対にプロ野球の監督はやらせたくない」と言うほど非情な世界なのだ。そんな中、長嶋監督(巨人)と共に絶対安泰と言われるのが西本監督(近鉄)。なのに…だ。近鉄球団は8月22日に大阪・森の宮の球団事務所で早々と西本監督の留任を正式に発表した。昨年暮れに富和宗一近畿日本鉄道社長(当時はオーナー代理副社長)、山崎弘海球団社長と西本監督の三者会談で球団側が5年契約を提示したが西本監督が「1年1年勝負している選手に示しがつかない」と1年契約を申し出て了承された経緯がある。

つまり契約延長は既定路線であるにも拘わらず、わざわざ異例の時期に留任を発表した意図は何だったのか。それは西本監督が今シーズン限りで近鉄を退団するらしいという噂が球界を駆け巡ったからだ。その為、フロント陣が西本監督に「売約済み」の札を焦って張り付けたのが真相だ。ではその噂の出処はどこだったのか。8月22日の契約延長の記者会見で富和オーナー代理がチラリと漏らした。「最近あるマスコミが西本監督がチームに嫌気がさして退団するようだと書いた。そこで私は佐伯オーナーの意向を汲んで近鉄はあくまで西本監督で優勝を目指すのだということを改めて確認しておく必要があった」と述べた。


" 西本辞める " の怪情報は意外な人が
留任発表の1週間ほど前、仙台・宮城球場でのロッテ戦の為に遠征中の野村監督が市内のホテルのロビーで南海担当記者と雑談中に「西さんが今年で辞めるで」と発言した。まさか、と記者たちは信用しなかったが「ワシが得た情報では西さんはスギ(杉浦投手コーチ)に後を任すらしいぞ」と追い打ちをかけた。球界人事に関しては情報通と定評がある野村監督の発言だけに記者たちは色めき立ち、すぐさま電話に飛びついたのは言うまでもない。「西本監督が辞める」仙台から大阪に飛び火したノムさん情報で近鉄球団周辺に徹底したマーク作戦が取られることになった。人間という者は奇妙なもので先入観でどんどん見方が変わる。

どんな大負けをしても西本監督は記者からの質問に淡々と答える。気に食わない質問にも嫌な顔をすることもなく。それは既にチームを見放しているかのようにも感じられた。もしかしたら本当に辞めるのかもしれない、と考える記者も増えた。「怒らない西本監督なんて○○を入れないコーヒーみたい」と冗談を言う阪急監督時代を知る各社ベテラン記者は直感的に何かあると取材を開始し、西本監督の周辺がキナ臭くなった。そんな空気を察した山崎球団社長が予定より早く留任を発表したのだ。8月22日の会見当日に練習を終えた西本監督を急遽、球団事務所に呼んで留任発表の了承を得るほど急な話だった。


敗戦続きにクールな西本監督のナゾ
前期シーズンから低迷が続き、猛練習をしても負ける。弱い、ボール球に手を出す、バントは失敗する。一体このザマはなんだ。西本監督の心に「俺の指導法が間違っているのか」という疑問が自然と湧いてきた。弱気になる西本監督の最大の原因が羽田選手の存在だ。羽田選手は西本監督就任1年目のシーズンに4打席連続本塁打を放つなど華々しいデビューを飾り、一体どんな大打者に成長するのかと期待が大きかったが羽田選手の気の弱さと体の柔軟性に欠けるなどでズルズルと時間だけが過ぎた。西本監督の持論であるダウンスイングを仕込んだがモノにならず、西本打法そのものの価値を左右する事態まで発展した。

その羽田選手が後期シーズンに入ると徐々に実力を発揮し4年かかって四番打者に成長した。指導者として1人でも育てられたら合格なのにそれが四番打者なら満点だ。内心では羽田選手が第二の長池選手になる目途がたったことで、たとえチーム成績が芳しくなくても西本監督の心は穏やかなのではないだろうか。他にも石渡・平野・栗橋・島本選手ら西本監督が期待する若手選手が少しずつではあるが成長していることも西本監督を上機嫌にさせているのだろう。「西本監督を喜ばせるのは簡単。若手選手が育ってくれば監督はヤニ下がる人だから」と担当記者は言う。




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# 894 球団創設初の2位

2025年04月30日 | 1977 年 



いつかは定位置のBクラスに落ちると見られていたヤクルトが巨人には離されてはいるが堂々と2位を維持している。このまま行けば来春のブラジルキャンプも景気の良いモノになるだろう。このヤクルトの強さはやはり硬骨漢・広岡監督の頑固なまでの新イズムの浸透にあるようだ。

王と真っ向勝負を厳命した姿勢
広岡監督の背筋はいつもシャキッとしている。" 名は体を表す " 通り、広岡監督の姿勢はそのまま人間・広岡達朗を表している。最近の例で言えば756号騒ぎがあった先月末の対巨人3連戦(神宮)。投手にとっては新記録に名前を残されるのは嫌で、出来れば避けたいのが本音だ。しかし広岡監督は「逃げずに勝負しろ」と厳命した。先発投手に会田・松岡・安田と主戦級を起用し、安田投手には初戦と2戦にもリリーフ登板させた。例え打たれてもそれはそれで良し。打たれて悔しい思いをしたくなかったら打たれないように考えて投球しろというのが広岡監督の考えだ。だからこそ第3戦の最終打席で四球を与えた西井投手に不満をぶつけたのである。

明らかに勝負を避けた投球ではなかったが「堂々と向かって行けば球場のファンもテレビ中継を見てるファンも西井を評価してくれたのに残念だよ」と広岡監督は落胆した。それ以上に広岡監督が悔しかったのは大騒ぎの観衆を前にしてヤクルトナインが委縮して自分を見失うプレーをしたこと。合格点を与えたのは安田投手くらい。若松選手でさえフォームを崩し悪球に手を出してしまった。大杉選手や外人選手までもが雰囲気に飲まれて普段通りのプレーが出来なかった。「浅野を見てみなさいよ。ウチから巨人に移籍して1年も経たないのに堂々としているじゃないか。情けない話ですよ」と歯がゆくて仕方ない。

昨シーズン途中に荒川前監督を引き継ぐ形で指揮を執り始めると、さっそくヤクルトナインの意識改革に着手した。しかしそれは容易なことではなかった。それまでのヤクルト球団は成績不振を監督のせいにし、毎年のように監督のクビをすげかえてきた。これがいつしか選手らに責任逃れの観念を植え付けることになる。厳しさから逃避し不平不満だけは一人前のヤクルトナインは広岡監督の手法に猛反発した。「門限はやめてほしい」「試合後に麻雀をして何が悪いのか」「酒を飲むことは悪いことではない」などなどチーム内に広岡監督への不満や反発が充満した。某コーチなどは麻雀復活を広岡監督に直談判したくらいだ。


不満分子を納得させた論より証拠
広岡監督がいくら説明しても納得せず「ウチと巨人は違う」「ずっとこれでやってきたので今さら変えるのは無理」と従わなかった。業を煮やした広岡監督は「ならば好きにやってみて好成績を残せたら私は何も言わない」と選手らに一任した。結果は52勝68敗10分けの5位に終わり、ヤクルト生え抜きの某コーチは「監督、僕らが間違っていました。どうか監督のやり方でチームを強くして下さい」と頭を下げた。「いくら言っても分からん人には、いっぺん好きにやらせてみるしかないんだ。自分の頭でこのままじゃダメだと気がつかないといくら練習したって身につかない」と広岡監督は言い切った。

昨年オフに広岡監督が秘密裡に動いたのが巨人から土井選手を借り受ける交渉だった。ヤクルトに欠けているのは守備力とインサイドベースボールの思考力と判断し、この2つを土井選手なら実践しながらチーム内に浸透させることが出来ると考えたからだ。しかしこの金銭トレードは長嶋監督が許可せず頓挫した。代わりに浅野投手と倉田投手の交換トレード交渉となったが今度は広岡監督が難色を示した。すると巨人側は上田選手を追加し1対2でのトレードはどうかと言ってきた。だがこれも広岡監督は拒否した。その理由が背筋がシャンとした広岡監督らしかった。付け足しの印象が強くなる上田選手が気の毒だと。結局、浅野⇔倉田の投手トレードに落ち着いた。


若松コンバートと松岡2軍の野球観
若松選手はもともと実績のある選手である。その若松選手が今シーズンひと皮むけたのはレフトからセンターへコンバートされた影響が大きい。中堅手は捕手が出すサインや構えの位置で飛んでくる打球を推測することが可能で、それを左翼手や右翼手に伝える役割がある。自然と野球に対する心構えが変わり若松選手の野球観は深くなった。過去の名前だけで起用しない広岡監督は開幕からピリッとしない安田投手や松岡投手を先発ローテーションから外し、代わりに鈴木康投手や新人の梶間投手を重用するようになった。安田投手は自ら打撃投手を務めるなど奮起し先発陣に戻ったが、松岡投手は処遇に不満を表わした。

6月末に脇腹痛の診断書を添えて負担軽減を広岡監督に申し入れた。これが広岡監督の逆鱗に触れた。「そんなに状態が悪いなら徹底的に治す必要がある」と松岡投手の二軍落ちを即決した。先発投手陣の層が薄く台所事情が苦しいヤクルトにとって1人が欠けるだけでも大変なのに、たとえエースであってもバッサリ切り捨てる非情さを広岡監督はチーム内に示した。助っ人のマニエル選手とロジャー選手も例外ではなかった。広岡監督は両助っ人の弱点を指摘し改善するよう命じた。まさか自分らが標的にされるとは考えていなかった2人は慌てて奮起し現在の好成績を残すようになったのである。


2年後の優勝に照準合わす計算
現在のヤクルトが人材不足なのは誰の目にも明らかである。ならばトレードは不可欠なのだが前述の土井選手や上田選手の獲得は難しい。ならば狙いをパ・リーグ球団に変更しようと模索している。広岡監督の持論は「同じ位の力量なら強豪チームの選手の方が基礎もしっかりしていて野球に対する考え方も間違いない。パ・リーグなら阪急や南海がそれに適している」である。巨人との差はまだ大きいが、目標は2年後の1979年のシーズンに置かれている。その頃には酒井投手も成長し投手陣の柱になっているだろう。単に投げて打って走るだけでなく頭脳の方も広岡イズムに磨かれている筈。今は優勝を問われて苦笑いする広岡監督が胸を張れる日も近い。


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# 893 原・酒井を上回る大器

2025年04月23日 | 1977 年 



高校野球にスターは不必要というが、何人かの抜群の好選手がいてそのスターを倒そう、抜こうということから高校野球はますます大きく逞しく向上する。今年の夏の甲子園大会参加校の中からピックアップしてみよう

度胸も球威も江夏そっくりの大物
今大会は打高投低と言われていた昨年の傾向を一変し投高打低との前評判だ。先ず東洋大姫路高の松本正志投手。松本投手を見た人は「まるで江夏の若い頃にソックリ」と唸る。ノッシノッシと歩くガニ股の足取りから母校を1人で背負う度胸と不敵さもソックリ。また「球質は重いしカーブが曲がりきらんところまで似ている」と江夏投手を阪神に入団させた川西スカウトは言う。開幕前の甲子園練習で松本投手は早々と大物ぶりを見せた。昨年春のセンバツ大会以来1年半ぶりのマウンドでほんの肩慣らしの投球練習だったが最後の5球をバックネットに向けて直接ぶつけた。梅谷監督の指示でワザと暴投したのだった。

これまでの松本投手は三振か四球かという投球だった。昨秋の兵庫県大会での滝川高戦で3回まで9アウトのうち8奪三振。スタンドを大いに沸かせた直後から四球、四球のオンパレード。結局、13奪三振・13四球という悪い意味で松本投手のワンマンショーと化して、松本投手の注目度は増したが東洋大姫路高は県大会で姿を消し近畿大会にも出られなかった。そんな松本投手に野球部の仲間が付けたあだ名は " オーメン " 。悪魔に取り憑かれた少女が次々と恐ろしい行動に出る映画から得たものだ。このあだ名に松本投手は大喜び。「だって次々と予想もしないことを起こすんでしょ。相手に恐怖心を与えるなんて最高じゃないですか」と笑う。


三振をとれる注目の新旧エース
松本投手の魅力は速球であるがそれに匹敵するのが小松辰雄投手(星稜高)と三浦広之投手(福島商)の2人。小松投手は昨夏の甲子園で星稜をベスト4に進出させた立役者。今年のセンバツ大会では滝川高に敗れたものの、持ち前の快速球で13三振を奪った。夏の県予選を前に右かかとを痛める不運もあり体調は万全ではなかったが6試合で計65奪三振と見事な投球を披露した。快速球とシュートやカーブといった変化球の切れ味も抜群で総合力は松本投手の数段上をいく。更に3年生になってからは力任せの投球だけから打たせて取るコツも覚えてセンバツ大会の時より一回りも二回りも成長している。

「高校生の投手がプロで通用するか否かの基準は何といってもどれだけ空振りが取れるかにかかっている。1試合平均2ケタ奪三振なら合格。その点でも小松君は文句なし」と中日の田村スカウトは言う。能登半島の小さな漁港で生まれ育った。運動神経は群を抜いていて、早くから地元のスポーツ少年団に入った小松少年の名前が知られるようになったのは小学校5年生の時の体力測定だった。ソフトボールの遠投でそれまでの最長記録53mを大幅に超える75mを投げた。この記録は未だに破られていない。天性の肩の強さに加えて強烈なスナップスロー。制球力も良いとあっては星稜・山下監督の信頼も厚い。

もうひとり楽しみなのが福島商の三浦広之投手。県大会で44イニング無失点を記録した大型右腕だ。185cmの上背からのストレートは角度がある上に滅法速い。2年生まではただ大型投手というだけでコントロールも悪かったが、昨冬から今年の春にかけて徹底的に走り込んで下半身が安定したお陰で制球力が増した。福島商打線が好調過ぎてコールド勝ちが多く、参考記録ながら完全試合やノーヒットノーランもマークしている。県予選6試合で62奪三振はコールドゲームで投球イニング数が少ないことを考えると松本投手や小松投手に引けをとらない数字だ。加えて四球が僅か2個というのも驚かされる。

ネット裏に駆け付けた在版のスカウト達の評判もすこぶる良い。「確かに福島県全体のレベルを考えると44イニング無失点を鵜呑みにするわけにはいかないが、良い球を投げるのは間違いない。低目をつく速球は高校生では打つのが難しい。体が少し開き気味なので右打者の内角を突くストレートが棒ダマになるのが気になるが、球威は江川(作新学院➡法大)と遜色ない。コントロールを乱すことがなければ甲子園でも全国の強豪校相手に勝てるのではないか。今大会に出場する投手で5本の指に入ることは確かだ。ウチも注目している選手のひとり」と阪神の谷本スカウトは力説する。

今夏の甲子園大会は好投手のオンパレードで野手で昨年の原辰徳選手(東海大相模➡東海大学)のようなスター選手は見当たらない。そんな中でも各球団のスカウト達が注目するのは津久見高の遊撃手・古田徹選手と川口工高のスラッガー・駒崎幸一選手だ。古田選手は攻守ともにソツなくこなす三拍子揃った選手。パンチ力で優るのが駒崎選手で180cm・78kgと均整のとれた強肩強打の外野手。埼玉県予選では20打数6安打と振るわなかったが6安打中4安打が長打とパワーを見せつけた。



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# 892 756号 ⑤

2025年04月16日 | 1977 年 



初めて守ったライト
8月31日の大洋戦の1回裏に世界タイの755号を打ったあとに王選手はペナントレースでは初めて1イニング限定で右翼の守備位置に就いた。新人時代にオープン戦で右翼から一塁に転向して以来、公式戦では一塁以外を守ったことはない。この日で通算2426試合出場。2000試合以上の出場した10人の選手の中で一つのポジションしか就かないのは王選手だけだ。 " 生涯一捕手 " と呼ばれている野村監督だが実は捕手以外に一塁を6試合、外野を3試合守っている。

公式戦以外では昭和44年の東西対抗第2戦、翌45年のオールスター第2戦、更に今年のオールスター戦では2試合右翼を守っている。幸い?なことに右翼手・王選手の所には一度も打球は飛んでこなかった。公式戦で初めて守った今回は長崎選手が放った右翼前打を無難に処理しただけで済んだ。右翼手・王選手の通算守備成績は5試合で依然、守備機会(刺殺・補殺・失策)はゼロである。


四球も世界新
今シーズンの王選手は本塁打記録より前に " 世界新記録 " を達成している。それは四球である。大リーグの最高記録はベーブルースの2056四球。ハンクアーロンはグッと少なく1420四球。王選手は昨シーズンまで1989四球(死球は除く)。7月16日の広島戦で今シーズン67個目の四球を選んでルースの記録に並んだ。翌17日の広島戦の2四球で世界新を樹立し、目下97四球で着々と世界記録を更新し続けている。死球を含めると100個を超えるだけに本塁打を放つ機会を失うことにもなる。

10.4打席に1本塁打を放っている割合の王選手なら、せめてアーロン並みの四球数なら600打席は多いわけで割合からすれば60本ちかい本塁打が加算されていてもおかしくない。日米の球場の広さや野球のレベルの違いがあるので世界新記録と呼ぶことに議論が交わされているが、王選手が物凄いペースで本塁打を放っているのは厳然たる事実だ。アーロンは1万2364打席で755号を放ったが王選手は7871打席で達成したのである。


三振も多いけど
四死球で断然トップの王選手は通算三振数は1125個で1354個でトップの野村監督に次ぐ2位。洋の東西を問わず長距離砲にとって三振は付き物でルースの1330個は長らく大リーグ記録だった。プロ2年目の昭和35年には101個、同37年には99個と三振が多い選手だった。昭和35年7月31日の阪神戦で4三振を喫し、7月15日以来12試合連続三振を記録した。一本足転向直後の昭和37年7月22日の対国鉄ダブルヘッダー戦では両試合3三振ずつ計6三振もしている。

そんな王選手も最近はめっきり三振が少なくなった。昨シーズンは45個、今シーズンは開幕から43打席目が最初の三振だった。8月20日の阪神戦で3三振したが26個目と少ない。あれだけの本塁打を放つ選手としては驚異的に少ない三振数だ。昨年までシーズン年間40本塁打以上を放った延べ34選手の年間平均三振数は58.6個なので王選手の三振数は明らかに少ない。王選手は取りも直さず今や技術の頂点を極めたという感じである。



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