自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

循環経済に永続性

2009年01月18日 19時45分58秒 | コラム
 今日の新聞の声の欄に、『若者よ帰郷し農業をしよう』との投稿がなされていた。その中で主張されてるのは、「君たちの力は理不尽に使い捨てをするような企業のためにではなく、農業にこそ必要なのだ。」と熱く訴えている。後期高齢者ばかりの限界集落で、農で生き続けた人の願いでもある。

 確かにものが不足がちの時は、経済成長路線は善であった。1960年からの経済成長を可能にしたのは、海外の安い工業原料と、農村からの出稼ぎ、さらに農村からの若年労働力の収奪がそれを可能にした。物質的欲望を絶えずかき立てることによッて成り立つ経済成長路線は、その欲望を満たす“金”信仰を生み出す。

 そして、金の暴走を容認し続けた結果が、「100年来(?)の金融危機」であることに気付かなければならない。金をばらまいて購買力が上がれば景気が回復するとか、倒産しそうな企業に公的資金(国民の税金)を投入して救済することで、経済が回復するはずはない。

 おぼれかかった時は、じたばたしてもダメであり、足が底に付くまで、深く息をして沈み込むことだ。農牧畜の始まりが、人の生存、そして人口増加を保障した原点であることに心し、永続性のある循環経済である農業の人類的価値に気付く必要がある。投稿者の呼びかけに応じて、ずっと引き継いできた土地を荒らしたり、手放したりすることをしないで、地に足を着け、そこでの人間らしい生き方を模索して欲しい。

 アイガモ稲作という、取り組む価値のある農法がある。食の安全が話題となってる今日、有機農業とか無農薬農業も広がりを見せているが、問題点も多々ある。農薬を使わないと、周りからその無農薬の田畑に虫などが押し寄せる、その手動による駆除が間に合わず、虫が食ったあとがあると流通には載せて貰えない。最も、虫が食べてるものは人間が食べても害がないとの消費者が増えればいいのだが、、。

 アイガモ稲作をやっている人から話を聞くことが出来たのだが、その人は、中国に出向いて、中国の農家の人は自分が食する畑の作物は、網で覆ったり、手で虫を駆除したりしている。すぐ近くの日本の商社が現地の人を使って大規模に作っている野菜畑は真っ白くなる程農薬が散布されてるのを見て考え込んだそうだ。それ以来、食の自給自足を思いたち、アイガモ稲作に取り組んだとのこと。

 餌付けによって、縄張りを自覚させ、他に移動しないための網による囲い、幼鳥の頃、カラスや鳶鷹などに襲われないないための工夫が必要だが、除草の必要がないし、虫なども捕捉するので農薬も不要、糞をするから肥料も不要、稲の根本に刺激を与えるし、しっかり根を張り、水落しの必要もなくなる。丸々と太り成長したアイガモは、貴重なタンパク源となる。そして出来た米は、『米がこんなに美味しいとは、、。』が実感できるし、働く楽しみが味わえる、人としての生業にぴったしだ、、、。

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