自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

9・11で思考停止? その①

2008年08月31日 12時12分53秒 | コラム

 9・11には謎が多い。国際的テロリストによる宣戦布告だったのか、アメリカの世界政策に不満を持つグループの犯罪なのか、冷戦終結後の産軍共同体の利益を維持するための謀略活動だったのか、、、。例の情報公開によって50年後に真実が現れたとしても、それまでの人類の損失は決して償えるものではないだろう。いち早く、『テロとの戦争』を唱え、アフガンからイラクまで戦争を拡大したブッシュ政権だが、この戦争によって誰が利を得たか、誰が損失を被ったかを考えると、真実が見えてくると思う。処が何の判断もなしに、いの一番にその『テロとの戦いに』賛意を示し、自国の憲法はもう死に体とでも思ったのか、テロ特措法のみか、「自衛隊が派遣されてるところが非戦闘地域」との詭弁で、海外派兵まで実現させた小泉内閣、9・11の映像によるショックが大きすぎて思考停止してしまったのだろうか。現福田内閣も、内閣改造したものの夏休み状況、9月からの臨時国会でも、何としてもインド洋での給油活動の継続が最大の課題とか、有為な若者の死まで、『テロとの戦争』の正当性に利用している。               

  第二次世界大戦で、太平洋を挟んで日米が戦ったのだが、戦争の原因はあくまでも経済的利害関係である。海外に原料の供給地と製品の販路を必要とした日米が、中国を巡って対立したからだ。つまり第一次世界大戦時(欧州戦争)、直接当事国でなかった日本とアメリカは、好景気で生産力を飛躍的に拡大した。作れば売れるため、日本製品は粗悪品とのレッテルを貼られたのだが、、、。大戦が終わると、ヨーロッパ諸国の生産も回復し、日本のアメリカも生産過剰に陥り、アメリカ発の世界恐慌の引き金となった。アメリカは、ルーズベルトのニューディール政策で、資本主義の危機を乗り越えたが、日本は古くからの帝国主義政策を中国に対して実施し、原料(重工業に欠かせない石炭と鉄鉱石)を安く購入し、あわよくば領土的拡大を目指した。第一次世界大戦中にイギリスを追い越し、世界最大の工業国に発展したアメリカは、その製品の販路として中国を考えていた。領土的野心のないアメリカは、内戦中であった、当時の中華民国にとっては頼りがいのある大国であり、その支援を受け続けた。                                
                                                                       対日戦争で、その工業力を一時的に軍需化したアメリカは、その圧倒的な物量で日本を圧倒し、勝利したが、戦争終結後、元の平和産業(国民の生活に必要な製品の製造)に戻す必要があるのだが、それが成功していれば、アメリカの持つ巨大な生産力は、安価で良き製品を世界に供給し、人類に貢献したであろう。歴史にもしは禁物だが、戦後中国に親米政権が確立し、アメリカの市場としての立場を維持したのなら、日米戦に勝利した経済的利益を独占できたし、平和産業への移行も出来たかもしれない。     
                                                                    中華人民共和国の成立(1949年)がアメリカにとって最大の誤算であり、冷戦を発動し、軍需化を進めることとなった。資本主義の長所は自由競争から来る生産性の高まりであり、安価で良き製品を供給する、ということである。しかしその長所が、資本主義の持つ欠点にもなる。生産過剰から来る不景気、それが深刻となる恐慌、大企業が勝ち残り多くの企業が倒産し、失業者が増え社会不安が増大する。生産過剰を防ぐために、軍需化したアメリカは、定期的に戦争を必要とする国になり、世界に不幸をまき散らし現在に至っていると言えるだろう。


『ひとつの世界』、『ひとつの夢』はいつのこと、、、

2008年08月29日 14時20分27秒 | コラム
 現在の人類の直接の先祖は、5万年ほど前にアフリカを脱出した150人あまりの集団といわれているし、65億を超える現代人は、住む地域によって人種、民族、生活習慣、宗教、歴史等の違いを下に多くの国に別れていて、今回の北京オリンピックでも国連加盟国以上の国が参加した。『ひとつの世界』が、ロシアとグルジアの選手の抱擁で、オリンピック期間中は実現したし、『ひとつの夢』は争い、紛争を止めて平和に生きようとの人類の願いであると思う。

 古代ギリシャでも、オリンポスの神々の祭典のあとは、それぞれのポリス(都市国家)のエゴがさらなる争いを続けたのだろうか、、、。その争いをなくす術を、英邁なマケドニアの王子、アレキサンダーに託したアリストテレス。ギリシャからは蛮族扱いされていたマケドニアによって、内部対立を利用され征服されたが、文化的アイデンテティを維持していたギリシャの民は、19世紀に衰退化したオスマントルコから独立を回復した。北京オリンピックの後の各国のエゴの行き着き先はどうなるのであろうか、、、。

 『経済大国は軍事大国化する』は人類の歴史では厳然たる事実である。唯一の例外が、憲法第9条を持つ日本だったのだが、、、。今は小アジア半島、モンゴル砂漠、イタリア半島、アラビア半島、ブリテン島、イベリア半島にこぢんまりとした国となっている、トルコ、モンゴル、イタリア、サウジアラビア、イギリス、スペイン、ポルトガル、等はかって巨大な帝国を築き、多くの民族を支配統治した国である。ピヨートル大帝下のロシアの南下政策が最大の領地を確保し、それがソビエトに引き継がれ、15の共和国からなる、『ひとつの世界』に向かう一里塚としてのソビエト連邦だったのだが、ソビエト崩壊により、紛争の種となってしまった。中国においても、征服王朝であった清帝国、それを引き継いだ中華民国、さらに現在の中華人民共和国、その国内に55の民族を抱え、腐心しているところである。

オリンピック雑考・・その③

2008年08月22日 10時55分17秒 | コラム
 いろいろ問題を抱えながらも、北京オリンピックも終盤を迎えた。様々な人間ドラマが展開されたが、アスリートとして3人を選ぶなら、水泳の、M.フェルプス、陸上短距離2冠の、ウサイン.ボルト、5m05の空を舞った、イシンバエバといえるだろう。もう一人挙げるとしたら、個人種目ではないが、3試合のマウンドを一人で投げ抜いたソフトボールの上野投手を加えて良いと思う。

 野球とサッカー男子だけは世界最高のレベルではないといわなければならないが(MLBは国内戦を継続、サッカーは23才以下)その他の競技は、団体種目にしても個人種目にしても、超一流の演技、プレーが見られるし、ついついTV観戦の時間が多くなるのもやむを得ないであろう。

 ウルトラCを知る世代としては、昨今のF難度をこなす体操選手のパフォーマンスは、ただただ驚くばかりである。しかし、難度ごとの採点に左右されて、練習の時から怪我がついて回り、この舞台に立つことが出来なかった者、さらに選手生命を縮めた者もいたに違いないとの危惧感がある。ショウではないのだからそろそろ歯止めを掛ける必要があると思う。

 メダル数を競う方が、覇権を争うよりはましであるが、メダル獲得数でトップを維持している中国、ナショナリズムの高揚感はやむを得ないとしても、ホスト国としてのあらゆる国の選手に対するマナーは守って貰いたいと思う。女子サッカーの日中戦、試合中は全面的に自国を応援するのは当然だが、ゲーム内容も見た上で、勝者を称える度量があっても良いと思う。準決の日米戦、そして3決の日独戦、ナデシコ選手には関わりのないことなのに、日本の戦後処理のまずさが、完全にアウェイ状況を作り出してしまっている。それでもナデシコメンバーの態度は終始立派だったと思う。

 『金メダルしかいらぬ』と豪語して北京に挑んだ星野Japan、メディアの命名なのだろうが、団体競技に固有名詞を使った命名は止めるべきだと思う。今なお、日本では一番人気の野球だし、プロの一流選手を選んでのチームなのだから、金メダルが至上命令となったのだろうが、年俸億を超える選手といえども、人間なのだし、必要以上のプレッシャーが掛かると不断の力が出せなくなるものだ。反町Japan、柳本Japan、植田Japanもメディアが潰してしまったと言えるだろう。個々の選手はしっかり取り組んだと思うのだが、、、。 
 

 

オリンピック雑考・・その②

2008年08月15日 17時24分25秒 | コラム
 オリンピックの肥大化、商業化が問題となっているが、第1回から中断なく続けられてる競技が個人種目である、陸上・水泳・体操・フェンシングの4種目である。肥大化すれば、開催できる国も限られるし(古代オリンピックの精神に敬意を表し、開催地をアテネと決めれば問題ないのだろうが、、、)、莫大な費用もかかり、放映権も天井知らず、今回の北京オリンピックも、不断だと、午前中予選、午後決勝となっていたのが、午後の予選、午前中の決勝に改められてしまったのは、アメリカのテレビの放映権を持つNBCが北京オリンピックの運営費の半分近くを放映権料として支払っており、アメリカの夜の時間帯に決勝種目の実況が放映されると都合が良いからだ。人間賛歌のスポーツ大会にも、金を出すから口も出す傲慢さがまかり通ってしまっている。

 メダル至上主義も問題であろう。記録も技術も年々向上しているし、本来はオリンピック標準記録に達すべく、日々鍛錬したアスリートが賞賛されて良いはずなのだが、メダル獲得となると、とても個人的努力では届かないものとなってしまった。今回の大会で、現役引退をほのめかしている、北島選手、鈴木選手、結果は天と地の差が付いてしまったが、颯爽と登場してからの8年あまりの様々なプレッシャーは強靱な肉体と精神の持ち主であるはずの彼らにとっても、度が過ぎるものがあったといって良いであろう。涙した両者の涙の成分は同じだろうが、その男の涙の内面を十分に把握し、両者の8年間に渉る汗の量を全面的に賞賛すべきである。

 

オリンピック雑考

2008年08月14日 11時42分12秒 | コラム
 第29回北京オリンピックも中盤に差しかかった。古代ギリシャにおいて、ポリス同士の戦乱が続いていても、共通の神が宿るオリンピアの祭典では、互いの対立を止めて、スポーツ競技を実施してたという史実からヒントを得たフランスのクーベルタン男爵にとって提唱され、19世紀末から実施されるようになった国際的スポーツの祭典であり、『平和の祭典』と言われながら、第1次世界大戦で1度、第2次世界大戦では2度の中止があり、東西冷戦のあおりで、互いにボイコットしあった、モスクワ、ロサンジェルスの大会もあって、平和の祭典としては、第24回といっても良いであろう。複雑な民族主義を克服できない様々な事件も起こる中で、グルジアとロシアとの武力衝突もこの祭典中に生じ、平和への困難さが増す中、表彰台で互いの友情を信じ合い抱き合った、グルジア、ロシアの選手に、人類の向かうべき姿が反映されている。

 大会前の予想通り、中国とアメリカの金メダル獲得が目立っているが、そろそろ古代ギリシャのオリンピヤードのように、勝利者には月桂樹の冠だけにすべきであろう。勝利者を金・銀・銅に分け、その他の参加者を全て敗者とひとくくりするのは問題だと思う。さらに金メダリストの表彰にあたって、国旗を掲げ、国歌を演奏するのをいつまで続けるのだろうか。スポーツが素晴らしい人間を育てるのは事実であるし、最高のアスリートとしてのオリンピックでの勝者を称えるのには異存はないが、「参加することに意義がある」との逆境の中で、出場権を得た全ての参加者も同じく称えられるべきである。

 『石の上にも3年』という言葉があるように、3年も修行すれば、達磨大師の様な素晴らしい人格者が生まれるし、『オリンピックを目指しての4年』との修験者以上の日々節制を続けたアスリートたちの1500日あまりのドラマは、まさに人間賛歌の日々であろう。さらに連続出場だけでも希有の存在だし、まして連続勝利者ともなれば、それこそ無条件のヒーロー、ヒロインといえるだろう。

年中行事で終わらせるな!

2008年08月08日 12時39分37秒 | コラム
 8月は、日本のみならず、人類にとっても深い反省を要する月である。但し平和への歩みは、不断が大切であり、八月だけの反省であってはいけない。8月9日、ナガサキを前にしての、NHKスペシャルで、j.オダネル氏の番組が放映されていた。こういうアメリカ人がいるということは、抗米、嫌米までは許されるけど、反米になってはいけない理由であろう。

 1995年に、小学館から『トランクの中の日本』という写真集が発刊されたのだが、当時からずっと忘れられない1コマが、昨日TVで再現された。2,3才の子を負ぶった、口を真一文字に結び、直立不動の少年の写真である。オダネル氏は写真のコメントで、「この少年が死んでしまった弟を連れて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供までに及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことは出来ないであろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行って慰めてやりたいと思ったがそれも出来なかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力を崩してしまうだろう。私はなすすべもなく、立ちつくしていた。」と述べている。

 私自身も国民学校最後の入学生であり、この写真の少年と同じ世代である。軍艦マーチのあとの大本営発表をラジオで聞き、大戦果に小躍りさせられていたものである。戦後間もなく母の郷里、長崎県に引っ越し、そこで小学校を終えたのだが、小学6年の時の修学旅行が県都ナガサキであり、永井氏の病床を見舞ったり、浦上天主堂の焼け跡を訪ねたことも憶えている。

 オダネル氏が、半世紀近く封印しておいたトランクを開いたことが、彼の肉親の不幸につながったことは、昨日のTVで知ったのだが、彼の内面からわき出るヒューマニズムが封印を解いたのだろうが、戦争と平和の問題を考える上で人類にとっての大きな業績であると思う。間接被爆の影響で、25回も手術を繰り返されたそうだが、昨年のナガサキの記念日が彼の命日になったのは何かを象徴していますね。彼の意志は、息子に引き継がれていますが、アメリカでは反発が多いとのこと、それでも父の意志を継ぐ息子は日常の活動で頑張っていますね。少しずつだけど反応が出ているとのこと、父の意図を理解できず、離婚にまで至った母から、インターネットを通してのメッセージも届いたとか、、、。

原爆許せまじ、、、

2008年08月05日 21時40分50秒 | コラム
 63年目の8月が巡ってきた。6日、8日、9日、15日、それより前の7月26日、さらに3月10日、63年前の1945年、日中15年戦争、太平洋戦争の4年目、当時の政治指導者は誰だったのだろうか。主権者は天皇、その天皇を補佐していたのが軍部、軍部を押さえることの出来る人物として白羽の矢が立ったのが東条英機、米英開戦を決め、’44年の7月にはサイパン陥落、その責めを負ってすでに辞任していた。

 後任者は、サイパン陥落で日本の敗戦が明白となったのだから、直ちに戦後処理にあたるべきなのだが、狂信的な軍部に押され、いたずらの戦争を長引かせ、サイパンを基地化した米軍の本土爆撃をもたらし、3月10日の東京大空襲では一般市民10万余が犠牲となった。4月にはソビエトが、中立条約延長破棄を通告していたにも関わらず、終戦の仲介を依頼するノー天気ぶりである。7月26日にポツダム宣言の内容で降伏の通告を受けたのだから、7月中に受託していれば、朝鮮の分断もなかったし、ソビエトの対日戦争を回避できたし、千島列島は日本固有の領土であり得たし、中国残留孤児は存在しなかったし、ヒロシマ・ナガサキもなかったのだが。

 当時のこの国の指導者は、国民の生命安全より、国体の護持を最優先して、ポツダム宣言受託を8月10日まで伸ばしてしまった。その半月のためらいが、6日のヒロシマ、8日のヤルタ密談によるソビエトの対日参戦、そして9日のナガサキとなった。

 63年後の8月、駐日米大使のシーファー大使は、九州、宗像市での300人の高校生との交流会で、原爆投下は戦争を早期に終結させるのに役に立った、降伏を拒否する日本に迫り、被害を最小限に食い止められた、とのこれまでのアメリカの立場を強調した。原爆投下はいかなる理由があろうとも正当化できない。それを正当化する裏には、また何時か核兵器を使用するとの意志があるからであろう。確かにアメリカは、63年前、一般市民の上に核兵器を使用した唯一の国である。朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、使用しかねない状況にあった。国際状況がそれを許さなかったのは素晴らしいことだ。

 今年の原爆慰霊祭には福田首相も参列する様だが、原爆保有国の首脳に参列を求めるべきだし、投下したアメリカには謝罪を求めるのが、日本国の首相としての6日のなすべき役割であろう。北挑戦やイランの核兵器所有を認めないのであれば、先ずもって核保有国が、核兵器使用を禁止する条約を結ぶこと。さらに進んで、核兵器破棄条約を締結することである。

 

歪みの源泉は世襲制

2008年08月01日 16時08分41秒 | コラム
 世襲制の起源はどこまで遡るのだろうか、おそらく人間不平等の起源と一致するのであろう。つまり他の人間より有利な地位、身分、財政的基盤を、親から子、子から孫へと代々引き継いでいくことなのだが、人類の歴史500万年といわれる中では、ごく最近の1万年前までは遡ることはないであろう。今もってインドの社会をむしばむカースト制度は、紀元前13世紀、中央アジアから侵略したアーリア人が、先住民(征服民より多数)を奴隷化し、自らの血統を守るために、先住民との混血を防ぐために定めた厳しい身分制度であるが、それを正当化するバラモン教は、神は自らの唇からバラモン(僧侶)を、両手からクシャトリや(貴族)、太股からヴァイシャ(平民)、足の裏からシュードラ(奴隷)を作ったとし、奴隷が土にまみれて働くのは当然だとした。一時はその教義に疑問を感じたブッダは「人は生まれによって賤しいのではなく、その行いによって賤しくなるのだ。」と説いて大きな勢力となったが、インドでは根付かず、バラモンの教義を引き継いだヒンズー教によって現代まで、尾を引いている。
                                                                           親が立派であれば、子も立派、孫もそう、親がダメなら、子も孫もダメ、というのなら、カースト制は正しいし、その正しさを維持する世襲制も正しいこととなる。しかし現実は、親が立派で、子も孫も立派ということもあるけど、「売り家と 唐様で書く 三代目」との川柳にあるように、身持ちを崩す例もあるし、親がダメでも、「鳶が鷹を生む」例もあるし、だから人間て、やってて楽しいのではないだろうか、、、。
                                                                           世襲制の欠陥を意識し、その打破、そして国家に有用な人材を登用しようとしたこの国の政治家は、聖徳太子(実在が疑問視する学説もあるが)である。それまでは、姓の制度で、高い位である、大臣、大連、はそれじれの有力な豪族の世襲であった。それに対して国に貢献したもの一代に限り授ける位が、官位12階であり、学問を身につけたものは立派ではあるが、位としては一番下位となる。高い位について政治の中枢にあたるものは、さらなる高い人間性が要求された。その理念は、約50年後、旧勢力の代表である蘇我氏を倒すク・デター(大化の改新)で実現の第一歩を踏み出すが、皇帝親政下の官僚機構を支えた科挙はこの国では採用されなかったが、天皇親政の中央集権国家は、天智・天武朝で確立するが、聖武天皇の全盛期以後、次第に貴族に実権は移り、「天皇は君臨すれど統治せず」の摂関政治へと移行する。稀に英邁な天皇が即位すると、天皇親政を目指し、後三条天皇は藤原氏との鬩ぎ合いに苦心したが、その子の白河天皇は、自らの意志で退位し、上皇となり、我が子を天皇に立て実権は自らが行使する院政を始めた。最後の天皇親政を目指したのが、武家政権の鎌倉幕府が、元寇の痛手で苦心の折、一部の武士を味方に取り入れての、2年あまりの建武の新政であった。南朝を屈服させた足利義満は、自らを日本国王と名乗ったし、戦国の世を半ば統一した信長が、本能寺で倒れることがなかったら、彼は確実にこの国の国王となり、天皇制は彼の時にこの国の歴史から消滅したであろう。秀吉が自らの出処を恥じることなく、「王侯なんぞ貴種あらん」の気概があれば、第一人者として、実権を行使したのだろうが、、、。天皇家には何ら実権を持たせず幕府の厳しい管理下におき、形式的に天皇からこの国を任されるという形(征夷大将軍を拝命)を取った270年の江戸幕府。15人の将軍中、何人が名君に値しただろうか。暗君の下で、どれほどの苦しみが民にもたらされたであろうか。                                                                                                                                          大日本帝国憲法で、第1条「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」、3条で、「天皇は神聖にして侵すべからず」で先ずは薩長の“御輿”となり、やがて、富国強兵・殖産興業で力を付けた、財閥・軍部の“御輿”となって、8・15まで引っ張ることになる。  戦後民主国家として再出発し、憲法も改めたのだが、その第1条で、天皇は国民統合の象徴であり、その地位は国民の総意に基づく、となってながら、第2条で、皇位は世襲である、と述べてるのに誰も疑問を感じなかったのであろうか。ただ一人、制定会議で、まやかしだと席を立ったのが、住井すゑさんだったとこと、世襲は封建制だと強く批判しておられた住井さんらしい行動ですね。 地球上で、王が最後まで残るのは、イギリスと日本、それとトランプだ、と言われているけど、イギリス王室への遠慮ない批判に対して、日本の皇室へのタブー視、慇懃無礼な奉り、神から人間に立ち戻ったのだから、人間的自由が謳歌できる様にすべきであろう。摂関政治以降の、「囚われ人」から解放してあげ、基本的人権を行使できる様にしてあげることが、主権者としての我々の責めだと思う。長年差別に苦しんだ、未解放の人の、「天皇制がなくなれば、差別は明日からでも解消する。」との言は的を射てると言えるでしょう。 

 法で定められてる世襲は、今のところ憲法2条の皇位だけだが、実質世襲は、この国では全てに蔓延していますね。政治家の世襲は、主権者の民度に反映されるのだろうが、最近増える一方ですね。現総理は2代目、前総理と前々総理は3代目、大臣の顔ぶれを見ても、二世三世が多いですね。勿論、全財産を投げ売って国政に邁進する親を見て、自分のそのような政治家になろうとする人だと、二世でもかまわないけど、果たしてそのような人は何人いるでしょうか。最も戦後民主主義の先進国として見習ってきたはずのアメリカでも、ブッシュシニアを支えたグループが、2期目にあたって、クリントンに敗れ、周到な準備をして、クリントン失脚を謀るも8年間は果たせず、次にブッシュジュニアを立てて、不正選挙の疑いがかけながらも、選挙戦に勝ち2期8年のブッシュ王朝を全うしようとしている。この間の世界の混乱は誰の所為なのだろうか、、、。

 今回の大分県の教育界の不祥事も、親の仕事ぶりを見て育ち、教職の道に進もうとしたその子弟もいただろうが、その実現に金銭をかけても割が良いとの打算的要素があるのは否定できないだろう。