孔子は2500年前に、’君子は義にさとり、小人は利にさとる”と述べているのだが,正しいか,間違っているかで物事を判断するのが”義”であり、損するか得するかで物事を判断するのが“利”である。残念ながら今日の日本の政治中枢は,小人の集まり、名護市民にも利を説けばそれになびく結果が出ると判断したのであろう。ところが名護市民は,苦渋の決断で,あえて軍事基地を新たに作る日米両政府の判断に,NO!を突きつけた。
日本が真の独立国であり、十分に民主的な国となっているのだったら、ポツダム宣言受託で無条件降伏した我が国に外国軍の基地があることは間違っている。つまり”義”に反している。第二次世界大戦末期、多大に犠牲を払いながら沖縄を占領したアメリカは,自国領にしたい誘惑にさらされながらも,ウイルソン大統領が第一次世界大戦の講和原則に掲げた,無賠償、無併合の原則を維持することで,世界のリーダーの地位を保とうとした。それ故に沖縄返還にも応じたし,既得権確保維持のためには,形式的には独立国同士の新たに締結された条約で継続し維持できたのである。
名護市民の”義”に応えるべく、アベノリスクとの利を説いたメディア総支援の元の二度の国政選挙で’利’に惑わされて投票した有権者ではあるが,目を覚まし,迷ったら原点に返るとの原則の下、二度と戦争をしない国、そのためには軍備は持たない,その他の戦力(他国との軍事同盟はこれに当たる)も持たないと決めた原点に回帰すべく行動に移すべきだ。