神がこの世に存在する必要があるのは、人は悩み多き存在であり、己が生きている中で解決困難な問題を委ねる何ものかが必要からなのであろう。一神教を生み出した最初の民は地中海東岸に定着したフェブライ民族で、その栄光と苦難の歴史から編み出されたのだろう。同じ時期に隣り合わせで存在したフェニキア人は、地中海各地に進出し、各地に植民都市を建設したが、同じく解明性を持つフェブライ人はナイル川流域のエジプト王国や、メソポタミヤ地域に興亡した帝国にとって、質の高い奴隷であった。”出エジプト”、”バビロン幽囚”はその苦難の歴史の証明である。そんな彼らを滅亡から救ったのが、”ユダヤ教”である。つまり、我々がこのような苦しみの中で生きることを余儀なくされているのは、神が我々を試しているのだ、この苦しみに耐え抜ければ、我々を救ってくれる”メシア”が出現し、やがて我々が世界を支配するようになる、との教えである。
モーゼやキリストはユダヤ教で信じられていた救世主(メシア)だったのだろう。ローマ帝国全盛時の紀元前後、パレスチナの地で、キリストが誕生した。彼はユダヤ教の狭い教義を捨て、人間皆平等の教義を広めた。人間キリストはローマに捕らえられ磔の刑に処されるが、その教義は広くローマ帝国内に広まった。やがてローマ帝国に承認され、ローマ帝国の国教にまでなった。権力は腐敗するもので、キリスト教もその例外ではなかった。ローマ教会を頂点とするキリスト教は、農業が唯一の富の源泉であった当時はその教えが通用した。人間は神の教えに背いて、天国から追放されたアダムとイブに子孫であり、再び天国に戻るためには、しっかり働いて、一生に一度は聖地に巡礼をしなさい、と説いた。さらに商売は神の意に反する、詐欺と同じとして、キリスト教徒には禁じた。キリスト教に改宗を進められても拒否し、ローマ帝国によって滅ぼされたパレスチナのユダヤ人は、信仰を守るため流浪の民となる。やがてキリスト教世界では賤業と見なされていた商業活動にその生きる道を見つけ、次第にその存在感を示すようになった。ヨーロッパにおける最高の知識人の一人であった、W、シェックスピアですら、その作品”ベニスの商人”でユダヤ人の商人を非難している。現在ヨーロッパで最大の影の力発揮しているのが、ユダヤ人のロスチャイルド家だし、アメリカのロックフェラー家もユダヤ人だし、ユダヤ教原理の世界支配が経済の上では完成しているのかもしれない。
さて八百万の神が存在していたこの国だが、理解できないものはすべて神としたのだろう、太陽信仰は世界各地にあるし、火山なども崇拝の対象となったはずだ、己が生まれる以前から存在した巨木には神が存在すると思ったのだろうし、不可思議なものにはすべて神が宿っていたのがこの国の信仰だったのだろう。一組のカップルが出来上がる不可思議をこの国では、日本中の神々がこの月に出雲の地に終結、縁結びをするのだと言われてきた、それ故日本の各地は”神無月”、出雲の地は”神有り月”となる。こんなことが語り継がれていたのは、かってはこの国の中心に出雲地方だったのだろう。それを大和の勢力が奪ったというと、正当性が疑われるので、”国譲り”の物語になったのだろう、、、。出雲地方がかってこの国の中心地だったと言うことは、黄河文明の延長として、朝鮮半島を経てこの地に伝わったのだと思う。この地に語り継がれていた”因幡の白兎”の民話、明確な歴史を表現したものだろう。つまり数を数えられるウサギ、数を知らないワニ(サメかもしれない)は文明化した民族と未開の住民(縄文人?)を表しているのだと思う。朝鮮半島からは冬の北西の季節風で容易に出雲の地にたどり着く。この地に文明をもたらした人たちは、白兎に因んで、自分たちのルーツを示したのだろう。
”鼓腹撃壌”の故事が示すように、”禅譲”が行われていた周の時代が人にとって理想の世の中だった。人の世の理想を覆したのが”世襲”である。正式国名とはかけ離れた世襲3代目の半島北部の国、この国が存在しているため、アメリカの軍産共同体は権力を維持し続けている。冷戦という不毛の対立が、軍需化したアメリカの産業を、平和産業に切り替えることを困難にした。そのアメリカに占領され、未だに真の独立を果たせないでいるこの国だが、”日本は天皇を中心とする神の国”を信じ、3代目の隣国を危険物として扱い、それを防ぎこの国を守るために、平和に徹する決心をしたこの国を、アメリカの庇護の元、防衛力を増強し、その邪魔となる平和主義の憲法を、解釈だけでなく、条文改憲を目指している勢力が日々強くなっていく現状をどうすればよいのだろうか、、、、。神がいないとすれば、意識した主権者に頼ることだろう、、、。