戦争を体験した世代がいなくなると次の戦争の危険が増してくる。誰もが戦争を望んでいるわけでもないのに、“正義の戦争”があると主張する超大国の大統領、地域の安定のために、軍事同盟がこの国の基準と国会で述べる外務大臣、そして総理大臣。その憲法違反を容認する世相、今一度、日本国憲法第9条と最高法規と記されている99条を読んで考えないと、政府の行為によって再び戦争の惨禍を近い将来に受けないとも限らない。
野焼きなどする様が見られ、春先からの農作業の準備に余念のない篤農家がいる。もう米寿に近いのだが、自分の作る農産物を待っている人がいるのを励みに、年々歳々変わらぬ農作業に力を入れている。散歩の途中でよく仕事中のその方と出会って立ち話をするのだが、戦争を体験した人だけに、記録に残して置きたい貴重な体験を語って貰える。
その方の人生で、第一の曲がり角が跡取りの兄がニューギニアで戦死し、親戚に攻められ農家の跡取りになったとのこと。その兄の消息も戦後2年経って何度も役場と交渉し、やっと戦死が確認され、遺骨と称して箱の中に、陸軍軍曹、何某の板きれと、ニューギニアの砂袋が入ってたそうだ。農家の跡取りにならなかったら、全く別の人生があったのだろうが、日々健康で働ける今が一番幸せ、戦争は二度とやってはいけないと強く主張される。
戦争中、その方はガラス工芸の技術を持っていて、東京駒場の海軍の研究所に務め、様々な化学実験の器具を作製していたとのこと。特殊な蒸留装置を作成、“暗視ホルモン”の摘出に成功し、その効果を実際に小量注射したそうだが、真っ暗闇の中でもその薬を注射すると、夕方前の明るさを感じたとのこと。その成果が実戦でも役に立ち、イギリスの輸送船を撃沈、積み荷の水飴がドラム缶3本その研究所に贈られてきたそうだ。その方の人生は、硫黄島玉砕とも関連していて、おそらく硫黄島激戦の夜襲に効果ありと見なしたのか、千葉の木更津飛行場から、硫黄島に飛ぶ準備を済ませていた、3月23日(記憶がはっきりしていて驚いた)に空襲があって、飛行機もろとも灰に成り、出征取りやめになったとのこと。26日には硫黄島玉砕が報じられた。若い命を“国のため”散らした神風特攻隊の隊員も同じ研究所で作った薬品を注射して散っていったそうだ。
野焼きなどする様が見られ、春先からの農作業の準備に余念のない篤農家がいる。もう米寿に近いのだが、自分の作る農産物を待っている人がいるのを励みに、年々歳々変わらぬ農作業に力を入れている。散歩の途中でよく仕事中のその方と出会って立ち話をするのだが、戦争を体験した人だけに、記録に残して置きたい貴重な体験を語って貰える。
その方の人生で、第一の曲がり角が跡取りの兄がニューギニアで戦死し、親戚に攻められ農家の跡取りになったとのこと。その兄の消息も戦後2年経って何度も役場と交渉し、やっと戦死が確認され、遺骨と称して箱の中に、陸軍軍曹、何某の板きれと、ニューギニアの砂袋が入ってたそうだ。農家の跡取りにならなかったら、全く別の人生があったのだろうが、日々健康で働ける今が一番幸せ、戦争は二度とやってはいけないと強く主張される。
戦争中、その方はガラス工芸の技術を持っていて、東京駒場の海軍の研究所に務め、様々な化学実験の器具を作製していたとのこと。特殊な蒸留装置を作成、“暗視ホルモン”の摘出に成功し、その効果を実際に小量注射したそうだが、真っ暗闇の中でもその薬を注射すると、夕方前の明るさを感じたとのこと。その成果が実戦でも役に立ち、イギリスの輸送船を撃沈、積み荷の水飴がドラム缶3本その研究所に贈られてきたそうだ。その方の人生は、硫黄島玉砕とも関連していて、おそらく硫黄島激戦の夜襲に効果ありと見なしたのか、千葉の木更津飛行場から、硫黄島に飛ぶ準備を済ませていた、3月23日(記憶がはっきりしていて驚いた)に空襲があって、飛行機もろとも灰に成り、出征取りやめになったとのこと。26日には硫黄島玉砕が報じられた。若い命を“国のため”散らした神風特攻隊の隊員も同じ研究所で作った薬品を注射して散っていったそうだ。