自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

憲法は理念、その理念に向けて、、、

2011年04月07日 13時15分14秒 | コラム

 新たな国家が成立したとき、必ずその国が目指す理念を憲法で表明する。世界的には文章化された憲法を持つ国が大多数であるが、憲法が定められてない国も、イギリスのようにマグナカルタ以来の慣習法として不文憲法を誇りにしている例のある。

 この国の場合、江戸時代には、武家諸法度や慶安のお触書等の決まりで統治されていたが、明治維新によってその体制が根本的に改められ、欧米にならって憲法制定の手続きをはじめ、その参考として、イギリス、フランス、ドイツ憲法を選んだ。イギリスは二つの革命を経ての立憲君主制、フランスは共和制、ドイツは絶対君主制であることから、当時の藩閥にとって都合がよいドイツ(プロシャ)憲法を参考にして大日本帝国憲法が成立する。その参考にしたドイツは、第一次世界大戦で敗れ、当時もっともすぐれた内容を持つワイマール憲法が作られた。君主権の強い憲法で、富国強兵路線をひた走り、帝国主義の仲間に加入し(植民地、台湾、朝鮮獲得、欧米間との不平等条約改定に成功)、その路線上の争いで敗北、国の根本からの再建を目指して、日本国憲法を制定した。人類(我が国民のとは言っていない)の多年にわたる自由獲得の成果を踏まえた人権の保障、20世紀の新たな人権としての社会権を保障、カントの永年の平和のために、そして第一次世界大戦後の不戦条約の延長上の決まりとして、戦争をしない、戦力の不保持、交戦権を不保持の絶対平和主義の憲法を制定した。

 その憲法にも、国民の不断の努力によって保持しなければならないと定め、そのための権利義務が成文化されているのだが、永年、お上のやることには逆らえない、に慣らされたこの国の民には、普段着ではなく、タンスの奥深くしまっておく晴れ着だったのだろうか、、、。憲法を不断に使いこなせる主権者にならなければならない。今回の自然災害を、天罰などと口走って顰蹙を受けた政治家がいたけど、災害を教訓としなければならないと思う。日本国憲法15条で、公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者でない、と定められているのだが、現実はどうなのだろう、、、。人は他人のために汗を流し、他から感謝されることに喜び、誇りを感じるものだし、公務員はそれを体現できる、主権者から託された職業といえるだろう。今回の災害は3万を超す犠牲者を生んだ自然の破壊的侵略なのだし、それに対する自衛隊員の献身的活動は、平和憲法にふさわしい本務であって良いと思う。自衛隊法を憲法に適する内容に改め、戦車で民衆を威嚇する軍隊とは異なり、ブルドーザーで修復にあたる、銃で人命を奪うことなく、救命活動捜索活動で人命を守る、そういう平和建設隊に衣替えすればこの国の未来は明るくなる。


雑感、、、その①

2011年04月06日 17時33分32秒 | コラム

 人類はその生存過程で様々な体験をし、そこから得た教訓を、言葉、文字、さらに印刷術、等で、等差数列、等比数列的に蓄積し、無限の未知の領域の中に、人知の領域を拡大し続けてきた。それと同時に、戸惑い、反省するのも人類の特性で、便利さ発展が全面的に肯定される世の中に、疑問を投げかけた人が存在した。鉄器の発明は、農耕が始まっての生産活動の向上に多大な貢献をしたが、より殺傷力のある武器にもなったし、、最初に鉄器を用いたといわれるヒッタイト族は、メソポタミアの地域を侵攻支配した。謎の人、老子は鉄器文明に危機感を持ち 、人類への81章の警句を残し、いずこかに去って行ったといわれている。

 世界人類史は、アフリカから世界各地にその生存の場を広げ、大きくアジア史とヨーロッパ史に分けられるが、現在とは反対に、豊かなアジア、貧しきヨーロッパ、進んだアジア、遅れたっヨーロッパであった。これは人種の優劣ではなく、自然条件の優劣がもたらしたものであった。それが逆転したのは、アジアとヨーロッパの激突、十字軍以降である。ルネサンス期の三大発明、火薬、羅針盤、印刷術を人の冒険心に活用し、ヨーロッパ躍進の原動力となった。追いつき追い越す時期が、ヨーロッパ史の重商主義、絶対王政の時期だし、アジア、南北アメリカ大陸からの富の獲得で、源蓄積を果たし、いわゆる市民革命で経済活動の自由を獲得し、産業革命により飛躍的に生産力を高め、やがて植民地獲得の競争にまで推し進めた。啓蒙思想家ルソーは、自然に還れ!と主張したが、トルストイと同じく、老子の影響を受けたから言えたのであって、ヨーロッパの大勢は、科学が自然を変えるであり、イケイケどんどんの傾向が強い。その究極が現在世界を支配を狙っている新自由主義の経済理論である。 ヨーロッパ躍進の原動力であった三大発明も、そのルーツは中国にあり、元の襲来を受けた鎌倉武士がさんざん悩まされたのが”てつはう”であったし、火薬の非人間性に気付いた中国では、その開発を取りやめている。

 この国でも江戸時代、東北秋田の医者であった安藤昌益は、砿業は自然からの収奪であるとし、生業としてまともなのが農業であり、万民平等の世の到来を予言していた。この国では昔から怖いものの序列が、地震、雷、火事、おやじ、だったのだが、それはこの地に住む人々の体験からくる蓄積だったのだろう。かつては日本海は湖で大陸と陸続き、今の列島になるまで、生き物である地球の地殻変動は継続中なのだと思う。やがては太平洋に飲み込まれることになるのだろう。全地球で起きる地震【生命体のくしゃみ?】の十分の一はこの国で起きてるというし、そんな所に、原発を50基以上も作る愚は糺されねばならないと思う。


悪魔の科学は石棺へ

2011年04月02日 10時55分03秒 | コラム

 E=mc²の数式は、すべての物質はその質量(m)×光の速度の二乗のエネルギーを持っているということであり、小さな石ころでも、それが持つエネルギーを取り出す術が見つかれば、優に一般家庭が必要とするエネルギーをまかなえるものである。今までの人知では、安定した物質である石ころからエネルギーを取り出すことはできないが、人類がもし滅びることなく、その可能性を追求していけたら、遠い未来では、科学は人類に幸運をもたらすであろう。人類によってコントロールされない科学は、悪魔の科学である。

 マンハッタン計画により、石ころと違って不安定な物質であるウランやプルトニウムからエネルギーを取り出すことに成功し、それを兵器として生み出したのが原爆であった。さすがにその計画を成功させた科学者は、使用すべきでないと提言したが、政治が優先された結果が、ヒロシマ、ナガサキとなった。その延長沿いに、ヒロシマ型の数百倍の威力を持つ水爆も開発され、人類のみならずこのかけがえのない惑星地球をも滅亡させかねない恐怖に陥れている。

 原子爆弾や水素爆弾はその後使用されずにいるのがせめてもの幸運だが、その原爆や水爆をより頑丈な容器に閉じ込め、核反応を起こし、発生する莫大なエネルギーを水に吸収させ沸騰する水でタービンを動かし電気を起こしているのが原子力発電である。原子力の平和利用という名目で、エネルギー問題解決の嫡子として認知されてしまった。核反応の副産物、死の灰は、広島、長崎のみならず、太平洋上の実験場近くの住民に、長年にわたって、現在でも多くに弊害をもたらしている。

 チェリノブイリ、スリーマイル、そして今回のフクシマは、原発がエネルギー問題解決の嫡子ではなく、鬼っ子であることを証明してしまった。核廃棄物を再利用し、再々利用を繰り返し、無害化する方策は科学の方向だし、実験室で何年もかけて生み出していくべきで、その技術が生み出されるまでは、原発は中断すべきであろう。原発に代わる正嫡子は、太陽光発電であろう。ラクダにパネルと小型冷蔵庫を設置し、ワクチンを運ぶ映像を見たことがあるが、これこそが人類に奉仕する科学の成果である。政治が科学に性急な成果を期待すると、科学は結果的に悪魔の科学に変質する。このことはマンハッタン計画の成果が証明している。神話で語り継げられているパンドラの箱、開けてはいけないといわれると、好奇心の塊の人類は、必然的に開けてみたくなるものだ。人命のみならず、すべての命を守るのが最高善であるし、政治が最高の道徳として命を守るようになるまで、悪魔の科学を開けようのない石棺に閉じ込めておく必要がある。