自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

蛍便り

2016年06月13日 14時51分39秒 | コラム

 夏は夜がよい,と述べたのが清少納言であるが,冷房装置どころか,電気そのものがなかったのだし,日中の暑さを凌ぐには夜を待つ以外になかったのだと思う。暗闇では不安が募るし月の明るい夜は,古代の人々にとって,夏では,この上もない至福の時間帯だったのだろう、、、。闇夜の時でも,蛍が飛び交う様は暗闇の不安の解消になったのだろう。

 童謡でも、”ほ、ほ、ほたる来い”,演歌でも、”ほたるの宿”など広く歌い続けられていたこの国だったのだが、そんな夏の風物詩が,この国から失われ始めたたのは,経済成長政策が最優先された1960年代からと言えるだろう。現在では,イベントとして開催されてる”ほたる祭り”にでも出向かないとお目にかかれなくなってしまっている。この辺でそろそろ、物質的豊かさを保障する経済成長路線の過ちに気づき,心の豊かさを大切にする経済循環路線に切り替えるときが来ていると思う。

 あまり多くの人には知らせたくないのだが,何カ所かほたるが飛び交う秘密の場所を知っている。たまたま散歩の途中で,きれいな沢水が流れてる場所があり,そこに川蜷を見つけることが出来たので、もしかしたら夏にはほたるが見られるかもと思ったのだが、夜出向いてみたら,何年かぶりにほたるが舞う様子を観察できた。それ以降は,普段の散歩は夕方なのだが,6月上旬は夜の散歩に切り替え楽しんでいる。先日、元教え子が,二人の娘を連れて遊びに来たので,その秘密の場所を案内したのだが,すごく喜び感動してもらえた、、、。

 それこそ,四半世紀ぶりの対面だったのだが、その当時の生徒達に出題したテスト問題を思い出した。家族生活に関する学習の一環として、三才の子どもから,一緒にほたるも見ていて、”ほたるさんはなぜついたり消えたりしているの”と聞かれたらなんと応えるかという問題である。”路傍の石”での”お月さんは何で落ちてこないの、、”の例を参考にしての問題であった。その解答の中で,第一席として取り上げ全体に紹介した回答が、”お星様になる練習をしているの、、、”だった。そして何日かたってから,子どもと星空を眺めながら、”あのときのほたるさんどれだろうね、、、”との話をする。との回答には感動させられたのだが、、、、。一緒に星空を眺めたり,夕日を見送ったり,ほたるを眺めたり出来る親子はどのくらいいるのだろうか