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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

15歳の出航を祝う、、、。

2015年03月08日 20時02分48秒 | 学校・教育

 中学卒業おめでとう、、、! 今一度15才の意義を考えてみよう。卒業(Graduation)とは、文字通り、資格を与えられるという意味であり、法律的にも働く権利が持てるのが、15才であるし、今回が真の意味での卒業といっていいであろう、、、。人間は蝶みたいに脱皮はしないけれど、大脳生理学の立場で考えると、5回の精神的脱皮をするそうだ。つまり変身はしないけど変心するものらしい。しかも面白いことに、一定の数列による、1才、3才、6才、10才、15才の5回の精神的脱皮をするそうだ。1才、3才の頃のことを覚えている人はいないだろうが、家の人にその頃の話をしてもらうとよい。6才の頃自分、10才の頃の自分思い出せることがあるといいのだが、、、。大脳生理学発達してないころは、その変心の時期をいずれも”反抗期”ということで片づけて来たのだけど、”自己拡張期”と考え直し、それに見合った場を提供する必要がある。

 すでに過去のものになろうとしている第4自己拡張期(10才~15才)の5年間というのは、本能的に”大人になりたい”時期、大人になる準備期間なのだ。本来大人とは、周りの世話にならず、自分の仕事に自信と誇りを持って生きている人のことなのだが、その点が理解不十分だと、タバコを吸ったり、お酒を飲んだりするのが大人、と考えてしまって、そのまねをして、本来の大人になりたい本能を眠らせてしまうことになる。

 人生で一番大切な時期は青春である、年齢でいうと、13才~19才(TEEN-AGE)である。そのゴールデンAgeの後半を迎えようとしている君たちには、何億分の1の幸運の元この世に生を受けたことを自覚し、その己の人生を活かすも、活かさぬも己しだい、人のせいや世の中のせいにしてはいけない。確かに15才までは、育て方、周りの影響が強いだろう。しかし15才を過ぎてからは、育ち方が問題である。人生にはやり直しはできぬけど(たとえば中1に戻りたい、、など)切り替えはできるのだ。マイナスの人生を負った人が、そのマイナスにこだわるのが、切り替えができぬことだし、マイナスにマイナスを掛ければプラスになるのは中1で学んだ代数の基本であるし、コツコツとプラスを加えていけば、大きなマイナスもプラスに代わるものだ。

 巣立ちゆく君たちにメッセージを託そう。これからゴールデンーエイジ、の後半に突入する君たちへの提言である。まず第一に、”できる、できない”ではなくて、”やる、やらない”の方を大切にしてほしい、できる、できないは能力の問題だけど、やる、やらないは努力の問題だ、能力の差は小さいが努力の差は大きいというし、やってできた自信と、やってできなかった悔しさが次の行動の源なのだから、、、。そしてそのやるやらないの基準は、しっかりとした自己の善悪感(いいか、まずいか)によるものにしてほしい、いいか、まずいかの考えの違いは、人間同士の対立の原因ではなくて協調、相互理解の出発点となるのだが、醜い争いが続くのは、損か得かで、やるやらないを決めている人が多いからなのだろう。自分で考えていいと思うことはやる、まずいと思うことはやらない、当たり前のことなのだけど、これがなかなか難しいことなのだ。正しいと思うことは一人でも実行する、間違っていると思うことは、周りのみんながやっていてもやらない、この精神があれば人間の堕落を防ぐことが可能であろう。最後に上のことを通して、真の自由人になってほしい。自由の真の厳しさを言葉ではなくて体験を通して掴んでほしい。

 何の制限を受けないあらゆる選択の自由が与えられている(憲法にも、永年にわたる人類の自由獲得のの成果、、、とあったね)その中で何を選ぶかはあくまでも本人の自由、それでいて最高に自己を活かしていくのが、真の自由である。自分の良さがわからない人は他人の良さがわからない、自分を大切に出来ない人は他人を大切にできるわけがない、他人を押さえつけている人はその人自身決して自由ではありえないし、自分の良さがわかりその自分を大切にでき、他人にしわ寄せをしないで済む真の自由人なるには、ひとは”旅”出ることが必要のようだ。旅は他火に通じるものらしく、”可愛い子には旅をさせろ”とか、”他人の飯を食わぬと一人前にはならぬ”と言われてきたことが、ここでいう”旅”のことだ。いろいろ述べてきたけど、自己コントロールできる自分にしていくことが、真の自由人になれることにつながると思う。

 15才の巣立ちおめでとう、、、! 限りない未来を期待して、、、!

 

 

 


学校教育、か*き*く*け*こ、、、。

2013年11月26日 18時57分52秒 | 学校・教育

 幼稚園より上の教育機関を学校というのだが,同じ年代の人間が切磋琢磨し,それぞれの個性を見つけ出し育てていく機関である。園児、学童、生徒、学生が互いに学び合う場であり,それぞれの場での先生と言われる存在は,あくまでも脇役であって主役は彼らである。なぜ学び合うのことが必要なのは、“力が正義”の世を“正義が力”である世にするための人類的使命を果たすのは教育以外にないと言うことであるからだ。今までも様々な力を用いた世直し、革命がが起きたが,未だに”正義が力t”となっているとは言えない。互いに学び合う場でこそ,互いに違いも分かるしその違いを理解し合っての平等意識が生まれる。

 か* 感動のない学校生活は,不毛である。行事にとって生徒は活きるものだし,学校行事は感動の場であるべきだ。卒園式、卒業式はフィナーレであり,新たなステップに当たる入園式、入学式は感動のスタートとなるべきだ。主人公を取り違えて,主催者側の思惑を満足させるべきものではない。行事はややもすると前年踏襲が無難であるが,主人公が主役でない行事には感動などあるはずはない。

 き* 共同、共感こそ互いの人格を高め合う機会となる。

 く* 苦心、苦労 仲間のために汗を流し,労をいとわないことが,互いの信頼関係を醸成することとなる。

 け* 継続こそ力、習慣は第二に天性、やんちゃな生徒の校則破りが、あれる生徒、あれる学校の出発点になるのだが、本来校則とは基本的生活習慣を身につけるだけでよいはずだ。そのための様々な決まりがあるのは当然だが、たとえば、中学校では学年プラス1時間の家庭学習が必要だという決まりがあるとき,それを素直に受け止めて,何とか学年プラス1時間を確保しようと努力しているうちに、いやだった”勉強”がいやでもなくなる”学習”となり、さらに続けているうちに,学ぶ楽しさが出てきて”学問”となってくるものだ。

 こ* 好奇心、向上心を持ち合わせた人同士でないと,互いの切磋琢磨は不可能である。

 板東の大学と言われた,足利学校では,木の枝に自分の知りたいこと学びたいことを書き留め、それについて学んだ人と話し合って知識を広めあったと言われている。こんな姿勢こそ,学校の原点である。中国の文革時代、同じ働く仲間から,この人間だったら,大学に進んで学問しても,その学んだ成果を自分のものにするだけでなく多くの人に役立つ学びをしてくれるとの推挙がないと,大学に進学できなかったとのことだが、この国で”東大解体”を叫んで安田講堂攻防戦で敗北した学生の提訴した問題の解決に繋がる一大実験だったのだと思う。


家庭教育、さ*し*す*せ*そ、、、。

2013年11月25日 08時17分53秒 | 学校・教育

 久しぶりに,元教え子の結婚式に招待されたので,新しく家庭を作ったのを機に,新たな生命の誕生とその健やかな成長のための家庭教育について考えてみたいと思う。

 さ* 差別をしないこと。つまり兄弟(姉妹)でもそれぞれ個性があるし,親の気分で差別しないことが大切である。ひとりっ子の場合でも他の子との比較はしないで,ありのままの我が子を愛しむこと。

 し* 辛抱強い子に育てること。我が子が愛しいのは当然だが,様々なバリアーを乗り越えてこそ辛抱強い子が育っていくのに,親が配慮しすぎて手をかけすぎてはいけない。雨が降ったら車で学校まで送ってやるなどしてはいけない。

 す* 素直な子に育てる。ドングリの独楽では心棒がまっすぐだとよく回る。第二の天性と言われる習慣はよく回る独楽と同じ原理で身につくものだから、、、。

 せ* せかさない,せかない待ちの姿勢が大切。”早く芽を出せ柿の種、出さぬとはさみでちょん切るぞ”ではなく、”ゆっくり芽を出せ柿の種、深く根を張れ柿の種”の姿勢で我が子の成長を見守ること。自然栽培に挑戦している篤農家に見習うこと。無肥料だと作物は養分を求めて根を深く地中に伸ばす,そうなると丈夫な病原菌にも強い作物となり,農薬は必要なくなるとか、、、。

 そ* 夫婦仲良く添い遂げること。つまり子どもにとっては両親が仲良く、以前のコラムで示したのだが、○;□から○;◇となって、円満な家庭を作ることが,最高の子育て教育である。11月22日は語呂合わせで良い夫婦の日とか,どこかのアンケート調査では,今のパートナーと生まれ変わっても一緒になりたいと答えたのが男性では,40数%,女性では30%を切る状況とか、、、。男性からは至極の珠,女性からは何カラットのダイアとして一夫一婦制で添い遂げたいものだ。


独楽遊びからの教育への提言

2013年11月01日 20時44分45秒 | 学校・教育

 散歩の途中で櫟の林があり今盛んとドングリの実が散乱している,子どもの頃,そのドングリで独楽遊びをしたことを思い出し,拾い集め,テーブルの上で回してみたのだが,形は同じようでもよく回る独楽もあれば,暴れ回ってテーブルからはね飛んでしまうものもある。瓢箪でも本成りと末成りでは,まっすぐ芯が通っていないと立つことが出来ないという話を聞いたことがあるが,心棒がまっすぐでないとよく回らないのだろう。

 教育現場から離れて久しいが,漏れ聞く話では,今の先生達は雑務に追われて,子どもと遊ぶ時間どころか,話をする機会も減っているとか、、。マスメディアが喜ぶ,モンスターピアレンツと学校現場との軋轢ゆえ、問題が生じないようにとの引いた姿勢と,何か起きたときは、普段このように対処していたことを示せる書類作りに追われているとか、、、。

 信頼のないところには,教育は成り立たない。学校教育を担当する教師と家庭教育を担当してきた親との間にずれがあっては,将来を担う子ども達にはこの上ない不幸と言えるだろう。学校の大切な役割は,生徒達に良い生活習慣をつけることにある。つまり第二の天性と言われる良い習慣を身につけさせる努力をしている場である。家庭と学校間にすれ違いがあっては,最終的にこの上ない不幸を子ども達にもたらすこととなる。

 元同僚で,今は近所の小学校の校長をしている人と話す機会があったが、校長を飛び越して教育委員会に抗議するような親がいたら、引くことなく,真正面から忠告することを勧めたのだが、、、。”あなたは自分のお子さんをよい子に育てたいと思っているでしょう,私もお預かりしたお子さんをよい子にしたいと思っています。同じ目標でタッグを組んでいるわけですから,お互いその役割を自覚して協力していかないとよい子にはなりません。家庭では素直で心棒がまっつぐなお子様を育ててください,学校ではお預かりしたお子様に良い習慣をつけることを日々行っていきます。ここにあるドングリ,よく回るか回らないかは,素直か,ねじ曲がっているかの違いです。”


人は考え,そして行動する。

2013年08月02日 13時50分40秒 | 学校・教育

 15年ぶりに,夏祭りで帰省する友がいるし、ミニ同窓会を開いたので,出てきてほしいとの案内を受けた。20名ほどの集まりだったが4時間があっという間に過ぎ去った。はじめは,初対面と思える人もいたがまもなく中学時代の顔が浮かび,名前も出てきて,一安心、、、。それぞれが今の厳しい時代をしっかり生きているようでこれでふた安心。中に小学校の教師になって,子ども達との取り組みが聞けて、ついつい”元教師根性”を披瀝してまった。

 人間は考えて行動する生き物だから、考えを立て軸に、行動を横軸に取ると,人間はほぼ4通りに分かれる,縦軸では,プラス思考とマイナス思考、横軸では,アクティブ、パッシブ、大切なのは両軸が交わる原点である。迷ったら原点に戻る,成長しても,いい気にならず、原点への回帰がさらなる成長を促すからだ。教師になった元教え子に,割り箸を使って、良くほめて伸ばせと言うけど,そうしていいのは,第一象限にいる子どもだ。我々を含めて大多数の人間は,どちらかというと第二象限でうろうろしている場合が多い。つまり考え方は前向きなのだけど,実行が伴わない,それ故に伸びる力があるのに停滞している。だから第二象限にとどまっている生徒には,教師として”愛の鞭”の必要性を話した。”体罰はいけません”との縛りに絡め取られぬ,管理者やモンスターピアレンツを納得させる,普段の教室での取り組みを通しての生徒の良き変容で勝負しなさい、と説いたのだが、、、。”愛の鞭”はなんとかかんとか言っても,教師にとってはマイナス行動だ,しかし第二象限でうろうろしているマイナス行動の生徒に対して,褒めてやるわけにはいかないしマイナスにマイナスをかけるとプラスになると言う代数の基本原理をいかして、”愛の鞭”を用いなさい,そして第一象限に転化していい成果を出したとき,良かったなと一緒に喜び褒めてやればいい、、、。

 心配なのは,今の世相が”勉強が出来ないのはだめなやつ”とのムードが支配的なので,何かの時の躓きで,自分は勉強が出来ないと思い込まされ,自分はだめな人間だと究極のマイナス思考に陥らされてしまった生徒の存在である。活力のあるものは,第4象限での”ツッパリ”で自己表現するしかないし,活力が失せたものは第3象限の引きこもりにならざるを得ない。教師は,関わる生徒を4通りの対応の仕方を使い分けながら、すべての生徒を第一象限に導く意義ある仕事を誇りに,その責めを果たしてほしい。

 私が関わった例を参考に話しておきたい。丫君は,第4象限にいて、いろいろ問題を起こしていた。昨今では,そこに属している生徒の活力を非行と見なし、学校では対処しないで,警察力に頼る傾向にあるのが気がかりだが、そういう生徒こそ大切にし,多くの時間をかけて関わることが大切なのだ。何しろ活力があるのだから、、、。Y君とは,会話の中で、君もやがては大人になり,結婚して子どもを育てる、小学生になった息子から、”分数教えてくれ”といわれたとき、”俺知らない”じゃかっこわるいだろう、だから基本の勉強だけはしておけと話したところ、俺分数は分かると言うから、二分の一プラス三分の一はいくらだと問題を出したら,即刻、五分の二との回答を出した。おそらくそういう答えを小学校時代に出して,説明を受けることなく,ペケをもらい続け、俺は勉強はだめだと思い込まされたのだろう、、、。図を使って説明をして、答えが六分の五になることを説明したところ、Y君(中三)、”分かった!問題出してくれ”となったものだ、、、。風の便りによると,Y君は小学生の親となり,少年野球の指導をしているとか,嬉しい風の便りである、、、。ミニ同窓会で、ヒデキ君と再会した。”先生にはいびられた”と懐かしげに語りかけてくれたが、私が第2象限の生徒に口癖のように話し続けた言葉は、”人の話は目で聞いて,心で受け止め、記憶に残し,すぐ実行”と行かなければならない、君たちが成長しないのは”人の話を鼻先で聞いて,頭に来て,むかつく、、、。”からなのだと言い続けてきた。そのヒデキ君には、”今のおまえは不出来だ,原点に戻り,ヒデキとなり、さらに上出来、素敵になれ!”と言ってきたのだけど、そのことを覚えていてくれて、上出来、素敵になるから,,,と言ってくれたのは何よりも嬉しい事であった。


法でいじめはなくせない

2013年07月17日 12時47分27秒 | 学校・教育

 先日国会で”いじめ防止法”なるものが全会一致で可決されたのだが、それをあざ笑うように一中学生の自殺がいじめが原因であるとの報告がなされた。教職員の方は全員が気づかなかったと述べ、生徒からの調査で,卑劣で陰湿ないじめがあったことが明かされ、押しかける報道陣にたいする自信のなさげな、当局や学校の責任者(校長)の対応は,お仕置きをされているような情けない態度である。

 学校という空間は,現実の社会(様々な社会悪が存在)から切り離され,理想をはぐくむ場であるはずだ。教師と生徒が密接な関わりを持ち理想を学び取る。そして学校生活を終え現実社会に踏み出したとき,学校で学び取った理想をどれだけ実現できるかがその人物の生き様になるものだ。それ故に,学校現場には”自由な雰囲気”が必要となる。その原点は互いの信頼関係である。教師はまず生徒を全面的に信用しなければならないし,学校の管理者(校長)は教師を信頼して、”生徒のためになることは思い切って取り組んでほしい,責任は俺がとるから。”との姿勢があってほしいのだが、そんなことを言えた校長がいたのは,一昔も二昔も前のことになってしまっているようだ。ある学校を訪れたとき,校長室に山と積まれた書類があった。当日学校訪問で、先生方はその書類造りのために連日夜の9時10時までかけて,残業を続けたそうだ。行政側からの一種の現場いじめではないかと思ったが、こんなことがまかり通るようでは,現場の先生方は,生徒達との関わりを持ちたくても,それを犠牲にしなくてはならないだろう。

 理想を学ぶ学校とは言え,社会の影響を受けるし、様々な問題行動も起きうることは現場でも理解はしている。問題が起きないようにとの引いた姿勢では、”過ちから学びより賢くなる”体験をさせることが出来ない。むしろどんと構えて,問題が起きるのが当たり前、それを小さな内に把握する取り組みが必要である。問題が起きる時間帯は,休み時間、昼休み、放課後である。その時間帯を生徒と共有できることが大切である。その時間をパソコンの前で資料作りをやらなくて済む学校にしなければならない。

 ”いじめる者は,その者自身自由ではあり得ない。”ものだし、そのいじめの流れは,上から下に,その逆に、おべっか、追従は,下から上へと向かうのは、人類の歴史を見て、まぎれもない事実だし,人間の悲しい性なのだろうか、、、。いじめない、いじめられない,よいしょしない,よいしょされない,自己の確立が,いじめ防止の決め手だろう。人類皆兄弟姉妹、でありながら,現在200を超える国家に分かれているのだが、最大のいじめに行っている国はどこなのだろうか、、、。そしてその超大国におべっかを使い続けてる国はどこなのだろうか、、、。


母校に赴任した若き教師へ

2013年04月04日 12時34分53秒 | 学校・教育

 君の中学時代を知るものとしてささやかな応援歌を捧げたい。君が関わる生徒の親の世代は,私が関わってきた30数年に及ぶ教師生活の中で,変わってきたなを実感した世代であった。つまり、それ以前の学年の生徒たちは,教師が怒ったり注意したした時、なぜ怒られたか,注意されたかは分かっていた。もっとも同じ注意は何度も受けることがあったが、、、。昨今の小学生や中学生の親の世代になると,なぜ注意され、怒られたのかが分からなくなってきていた。彼ら曰く、”今日は先生機嫌が悪い,それで私たちに当たり散らす、、、”となってしまった。教師として、”我、黄金の釘を打つ”を実践してるつもりでも,効かない釘は何本打っても無駄であるのに気づき,それ以降は,はじめに教師側のポリシーを伝えることにした。つまり教師が注意したり,叱るときの3箇条である。その①、他人に迷惑をかけるのは禁、その②、出来ないのは昔の怠け、やらないのは今の怠け、出来ないのは勘弁するけど、やらないのは許さない、今の怠けは禁、その③、君が今この世に存在するのは天文学的な奇跡による偶然である,その貴重な自分を,粗末にしたり,安売りしたり,おろそかにするのは厳禁。

 君が関わっていく生徒と、その親の世代は,すべてではないと思うが、3000年前からの警鐘”君子は義にさとり,小人は利にさとり”が甚く現実味を帯びる時代で、君のまっとうな姿勢が受け容れられないこともあるのではと案じております。学校というのは,本来子ども達の可能性を引き出してやる場であり,一人の落ちこぼしも許されない場なのです。そのためには学校は,校長を中心としたスクラム型の学校造りが欠かせないのに,最近目立つ傾向は,ピラミット型の学校へと進んでると思います。上意下達が有効に働くのは軍隊組織であって,学校現場では,ベテラン教師、新任教師の隔てなく,教師集団としての創意工夫が必要です。

 私が中学一年生を担任したときの学級目標は、”はい、私がやります”でした。自分から進んでやるのと,他から命じられてやることの違いを理解してほしかったからです。自分から進んで取り組んだとき,いい結果が出たら、やったーと言う満足感、自分への自信となるし、結果がまずければ,反省材料として自己理解も深まる。他から命じられてやった場合、いい結果が出れば,良かったという程度、結果がまずいと,命じたものへの不満、自分に対しては責任逃れとなるものです。

 君の持ち前の正義感が通用する母校であることを願い、君がまもなく対面する生徒達と多くの夢をはぐくむ日々を送られることを期待いたします。


年度末雑感

2013年03月29日 09時21分28秒 | 学校・教育

 普段在宅していると,電話が入り様々な勧誘の内容が主だが,どこで個人情報を調べるのだろうか。そんな中でやむなく受けた電話で,母校に戻る若い教師からの連絡が入った。私が現職の頃、担当した学年の一年上の生徒だったし,直接授業その他で関わることがなかったが、同じ学校でのある生徒とダブっていて,記憶に残る元生徒であった。両者とも呼名されたとき,体育館いっぱいに響く大きな声で返事するさわやかな生徒であった。思いがけない電話を喜んだが,彼は元々教師になるのではなく医者になりたかったとか,大学入試の際の不本意入学、で医者への道をたたれ,教師になるときも何か引っかかっていたようだ。3年前、新規採用者の名簿の中に彼の名前を見つけたので,彼の中学時代の振る舞いが担当していた学年の生徒たちの目標ともなっていたし,その礼もかねて、お祝いの電話を入れたのだが,母親(私の長い教職時代の生徒の一人)から、その引っかかりの事情を知らされた。

 今回の年度末の転勤を知らせてくれたのは,教師として母校に赴任できる喜びを知らせてくれたのだと思い、二重にうれしい出来事であった。母親から息子の屈折した気持ちをどうにかしてやりたい,母親としては教師になってくれてすごく喜んでいるのに、、、との相談も受けたし,私の体験も含めて話をしたことを思い出した。

 実を言うと私も中学三年の時、担任の教師から,しっかり勉強して医者になれ,と言われたことがある。将来の目標などまだ漠然としていたし,具体的な将来を指示されてもピンと来なかったのは事実でである。何かしら社会的に役立つことはやりたいとは考えていたが,自分が高校へ進学するのが当たり前でも,家の都合で進学をあきらめる同級生の存在、教科の職業家庭の時間、農業の実習があり,同級生の中に農家の生徒もあり,小さいことから家の手伝いで鍛えられており,見事な鍬さばき,畦立てに感動したものだ。それでいて農家の貧しさにも気づかされたし、漠然とだが、世の不条理に疑念を持ち始めたものだった。当時の社会科で学習した,社会主義国の集団農場のことが記憶にあったのだろう、当時遠足の地ともなっていた,旧日本軍の演習地があって,原野のまま放置されていたのだが,そこに町営の農場を作り若い労働力を定着させればよいのではなどと考えていた。小学1年の時、楽しみにしていた遠足が,校庭に集合し,学校長から,空襲がないといいのですがとの挨拶の直後、サイレンが鳴り直ちに中止になった恨み、”戦後民主主義教育の第一期生”として自由闊達な教育を受けたことが,私なりの平和主義の原点だったのだろう。

 私が定年まで教師を続けられたのは、”医者に上中下の3通りある、下は病人を治す,中は己を直す,上は世の中を直す”と言う言葉に触れたからだと思う。自分の中学時代の漠然とした願いと一致したからではないのだろうか。3年前新規採用で赴任する彼に、”教育を通して世の中を直す医者になれる。”と助言したことが,役だったとしたら嬉しいことである。 


大津問題に思う、、、

2012年07月15日 11時19分31秒 | 学校・教育

 何か問題がおきるとその度ごとに大騒ぎするが、根本問題は解決されることなく過ぎてしまうこととなる。その時代、社会がよい方向に向かっているのか、心配な方へかは、その時代社会が、子どもと老人をどう扱っているかで判断できるといわれている。別な言い方をすれば社会的弱者がどんな扱いを受けているかということであるし、このことはその社会が、過去と未来をどう考えているかということと関わってくる。
 

 人間以外の地球上の生命は、自然に従いそれに適応して生きている。新しい種の誕生、絶滅した種も数多いが、その種の誕生から同じ生き方を続けるだけである。それ故に、過去と未来と現在を考えられるわれわれ人間から見ると、驚異と感じられるほど現在の生き方が上手である。一方人間は、自然に働きかけ、その蓄積の元、自らの生活を変化させ向上させてきた。つまり過去の蓄積の上に、より良い未来を描き、その実現に向けて努力してきた生きものである。ローマ時代のイソップが、その最盛期に滅亡の兆しを予測したように、時代は変わってもその原則は生き続けている。全盛期を迎えるまではアリの生き方が当然だし、当たり前のこととして続けられてきたが、その結果豊かになり、あくせく働かなくとも生存が可能になると、キリギリスの生き方の方が歓迎されるようになる。今の日本の現状はこの状況下にあるといえるだろう、、、。
 

 社会全体が貧しかった頃は、人は賢く、待つこと、我慢すること、工夫すること、協力し合うことがその社会にとっての必然の要求で、その中で物を大切にすること、物への感謝の気持、物質的には恵まれなくとも、工夫したり、協力したりする中で精神的満足が得られたものだし、貧しくとも心豊かな生活がが身についたものだ。ところが社会的に貧富の差が生じてくると、豊かなものはますます豊かになろうとして貪欲になり、貧しいものからもっと収奪することなり、最低限必要な衣食までも奪うことになる。そうなると社会秩序は崩壊し、革命、反乱、一揆などが頻発する。そうならないためには、「衣食足りて、礼節を知る」との言が為政者に対して語られたのは頷ける。礼節を知った人々が、安くて良いもの、そして必要なものを購入するという賢い消費行動をとると、よき生産者も育てるのだが経済効果の面からは問題があるし、急速な経済成長は望めない。経済成長路線をとる場合は、礼節は邪魔になるし、コマーシャルにより次々に新たな商品を紹介し、購買意欲をそそり続ける必要がある。わが国でも1960年から主張された経済成長政策が多くの国民に歓迎されて、周辺国の人々が羨むほどの豊かな(物質的に)国に短期間のうちに作り上げることが出来た。順境よりも逆境の方がまともな人間が育つのは古今東西共通するようで、「家貧しくて、孝子育つ」との言葉も「売り家と 唐様で書く 三代目」との古川柳も、そのことを証明している。
 

 衣食足りすぎて、礼節を忘れ、飽食の時を迎えた現在、政治家も三代目が目立つようになったが、。、彼らに任せていて良いのであろうか、、。前にも述べたように、人間として大切な資質が貧しかった頃は自然に身についたのであるが飽食の時代を迎えると、それらの資質が否定されるようになり、待てない、我慢しない、すぐ切れて、協調性のない人間が大量に生み出されるようになる。この根本原因は、利潤追求の自由が保障されている経済問題なのであるが、違法にはならない利を求める大人の言動が、何のバリアーもなしに子どもに届けられるため、それを素直に反映した子ども達の思いもつかない事件となって浮上する。『豊かな時代のアリ的生き方』という新たなモラルが社会的に確立しないと、今後とも子ども達の『事件』は頻発するであろう。
 

 責任を取るべきものが取らないで済ませてきたという長い歴史を持つこの国で、何か問題が起きると、その責めは、より弱い方弱い方へとと向けられていく。子どもの問題は社会、大人の問題であるとの合意がないため、立場の弱い学校、家庭にその責任が押し付けられしまい、家庭も学校も自信をなくし、戸惑いを見せているのが現状ではないだろうか、、、。以前の佐世保に於ける事件でも、今回の大津事件でも、インタビューを受ける学校関係者の戸惑い自信のなさは気の毒なほどである、、、。
 

 物質的遺産の引継ぎが相続であり、精神的遺産を引き継ぐ営みが学校教育を含む広い意味での教育なのだが、経済の論理が教育にも及んでいるため、現実の利が教育の義に対し
優位に立っている。教育とは本来理想を学ぶ場であり、「学問の自由」が憲法でも定められているのは、教育の自由が人類の進歩にとって欠かせないということを歴史が証明しているからだ。将来のこの国の担い手である生徒と直接関わる教師たちに自由がないと、教師が生徒との関わりの中で教育の仕事に喜びも自覚も感じることが出来なくなる。教育現場の教師たちに教育荒廃の責めが向けられるのは一理はあるが、子どもが好きで、その成長の手助ける教育の仕事に夢を持ち、教師の道を選んだはずの人たちを変えてしまった元凶の追求もなされなければならないだろう。
 

 戦後の教育界に於ける不毛の対立は、明治以降の国家主義教育が一定の成果を挙げたが故に、もっともその成果が上がるためには江戸時代からの寺子屋に象徴される民間教育があって国民の読み書きそろばんの基本が定着していたからなのだが、戦前回帰を目指す勢力と、「教え子を再び戦場に送るな」とのスローガンで結集し、民主主義教育とは何かを模索する教師集団(日教組)との間で続けられた。予算を握る自民党文教族と、人心掌握には長けている元内務官僚で、追放解除後文部省に潜り込み文部官僚に納まった者達との連携
は強力で、反省したとは言え、戦前忠君愛国を指導してきた人たちとの勝負は、名人と初心者の囲碁の勝負と似たような結末を迎えることとなる。教育委員会の公選制から任命制へ学力テスト、道徳教育、勤務評定、等と次々に布石をうち、恩恵として人材確保の名目でちょっぴり他の公務員よりも給与面で優遇した。勝ち誇った前者は、戦後教育の荒廃の責任を日教組と教育基本法のせいにすることに成功し、管理主義を徹底させ、基本法改正に手を付けその改訂にも成功した。さらに、国旗。国家法案も成立させ、現場での”踏み絵”に利用している。
 管理は教育の死であり、現場の教師一人一人が教育の自由を自分のものにすることによって、将来の子どもたちに責任を持つ教育活動を、管理主義に抗しても続けることが必要だと思う。管理主義が強まると、現場には事なかれ主義が蔓延るものだから、、、。事なかれ主義を脱却し、学校現場で当たり前であるべき、子どもの成長をともに願い実現する中で、この仕事を選んだことを誇りに思える教師の存在が教育正常化の原点である。
 文部科学省ー県教委ー地教委ー校長ー主幹ー教諭ー生徒への縦のラインの確立が正常化であり、教育の効果が上がると考えている戦前回帰を目指す勢力の思惑に同調してはいけない、、、。今回の不幸な事件でも、現場がどうすれば良いかの具体的な指導が出来ないため、校長を急遽集め、命の大切さを徹底しろという指導でその場逃れをしているのは悲しいことだ。事件が起きてからいろいろ詮索しても無駄なことだ、事件は、本来の教育活動をやっていても、子どもたちが生きている以上起こり得ることだとの現状認識をした上で、本来の活動の見直し、事故防止策を考えていかねばならない。


教育の可能性を信じて、、、

2012年04月14日 07時52分57秒 | 学校・教育

 今の世の中、現実の政治では、国際政治でも国内政治でも、『Might is right.(力が正義)』である。それを理念としての『Right is might.(正義が力)』である世の中にするにはどうすればいいか、について考え、行動してきたのが、先駆者としての思想家、革命家といえるだろう。彼らは現実の『Might is right.』の世を批判し、考えをめぐらし、“考える葦”よろしく、多くの精神的遺産を今生きている人類に残している。そういう精神的遺産の相続が教育であって、『Right is might.』の世を実現するためには、教育の自由は絶対必要の条件である。

 かつて権力は宗教をその支配下に置き、権力を正当化した。古代エジプト王朝やインカ帝国では『王は太陽の子』であるとしたし、ローマ帝国もその存続を維持するために、キリスト教を国教にした。ローマ滅亡後、西ヨーロッパにおけるローマ帝国の後継者と見なされるためには、ローマ法王から戴冠を受ける必要があったし、世俗の王権と精神の支配者ローマ教皇との結束が、イスラム世界への挑戦、200年にわたる十字軍となった。神中心から人間中心へとのヒューマニズムの精神はルネサンスの原動力となり、市民革命以降は、信仰の自由が確立し、宗教の力で民衆を支配する仕組みは一部を除いては一般的ではなくなった。次に権力が目を付けたのが教育である。家庭教育が主流だった時のルソーの『エミール』は、一部、上流階級の教育論ともいえるだろう。もちろん将来社会的に重要な立場に関わる人間のあり方を示唆したものではあるのだが、、、。学校教育の必要性を説き、『民衆教育の父』ともいわれたペスタロッチ、そのペスタロッチ教育全盛の時、ナポレオンの支配下のドイツにおいて、『ドイツ国民に告ぐ』でドイツ人のドイツ人によるドイツ人のための教育計画と哲学を説いたのがフィフィテである。彼の教育論は、その後のドイツ国民教育の主流となる。その理念が実現したのが、ビスマルクによるドイツ帝国成立(1871年)であり、おなじ時期に、明治維新で江戸幕府に変わった新政府に多大な影響を与えた。経済の仕組みは欧米(イギリス・フランス・アメリカ)に学ぶが、政治の仕組みは、市民革命を経験した米・英・仏ではなく、鉄と血により統一国家を達成したドイツから学ぶこととなり、自由民権運動を押さえ込み大日本帝国憲法に結実する。翌年には、『教育勅語』がセットとして発布される。江戸時代から寺子屋における民衆教育が広まっていたし、明治初期からペスタロッチの教育論を模索する動きもあったが、よき臣民育成のための初等教育、よき官吏養成のための高等教育との国家主義教育が主流となった。ドイツと日本は第一次世界大戦では対立し、敗戦国となったドイツは革命が起き、皇帝は退位、ワイマール共和国として世界で最初に社会権を憲法に明記、女性参政権も加えた当時もっとも民主的な憲法を制定する。戦勝国と立場に立った日本は、国際連盟の主要国となり、軍縮会議、不戦条約にも積極的に関わり、大正デモクラシーの高まりの中、男子の普通選挙制実現、子どもの教育を大切にする赤い鳥運動へと広まっていった。この時期、文部大臣を務めた西園寺公望は、『教育勅語』はあまりにも国家中心主義に偏っているとし、第二教育勅語を起草したが、退任によって実現しなかった。経済基盤が弱いわが国は、世界恐慌の荒波に抗しきれず、ファシズムへと舵を切る。教育勅語と御真影が神格化され、教育を支配した。大正デモクラシーの影響下の良心的教師や学問の自由を守ろうとする大学教授も治安維持法によって現場から追放された。ベルサイユ体制で苦しむドイツ国民に支持され、権力を掴むまでは教育に力を入れ、権力掌握後は教宣活動(デマも加味して)と秘密警察によってその権力を万全のものにしたのがヒトラーである。その延長沿いに、現在の権力は、マス・メディアを支配下に置く体制を構築している。メディアクラシーから、映像を伴うテレビクラシーへ向かっているのではないだろうか、、、。9.11の真相が50年後に明らかにされても、対テロ戦争の名目で失われた命は戻らない。

 後世の歴史家は、『冷戦』を第一次・第二次世界大戦以上の人類の愚行であったと見なすかもしれない。人類の経済活動は、経済活動の自由を獲得した市民革命から産業革命を経て資本主義さらにその進化として帝国主義を生み出した。市民革命によって自由・平等が、産業革命によって安価な商品が大量に生産されるようになった。啓蒙思想家が夢見た、『神の国をこの地上に!』が実現するはずだった。ところが現実の資本主義・帝国主義は、今まで以上の『Might is right.』の世であった。その先頭を走るイギリス社会を分析し、批判を加え、『資本論』を著し社会主義の理論を確立したのがマルクスであり、第一次大戦中の社会不安の中で資本主義・帝国主義に変わる社会主義を目指し、世界で最初の社会主義革命がロシア革命でであった。旧ソビエトの国旗に示された、星・ハンマー・鎌は、それまで人間扱いされてなかった、兵士と労働者と農民が協力しあって、地上に働く者の楽園実現を目指したものであった。しかし旧勢力と新権力との抗争は血みどろの力の対立であり、新権力はその地位を固めるために、旧勢力に対する国民の積年の恨みを利用し、皇帝や反革命勢力処刑(教育によって人間改造の時間がないため)にまで至り、ロシア革命成功後まもなく訪れたアンドレ・ジイドを落胆させた。理念とは異なる独裁政治への歩みは、世界各国の干渉戦争(シベリア出兵)、計画経済によりソビエト政権の基盤は整ったが、世界恐慌のあおりを受け、ファシズム国家(ドイツと日本)となった両国からの侵略を予期しての軍事経済化、国民の生活は後回しにされ、耐乏生活を強いられ、不満な者に対してはさらなる弾圧(スターリン独裁)、、、。ドイツのソビエト侵入、日本の真珠湾攻撃により、米・英・ソVS日・独の第二次世界大戦へと不幸は増大する。
 ニューディール政策で、資本主義の危機を克服したルーズベルトは、『社会主義は競争相手ではあるが敵ではない、敵はファシズムである。』と述べたヒューマニスト・リベラリストであるが、大戦終了後まで生存し、戦後処理に関わっていれば、『冷戦』を発動することはなかったであろう。第一次大戦後、民族自決主義が広まり、第二次大戦後、植民地とされてた地域が独立へ向かうのは自然の成り行きだし、資本主義の道を選ぶか社会主義の道を選ぶかはその民族によって選択されるべきだろう。旧宗主国や大国が決めるべきではない。『冷戦』で無駄に費やされた人類の富は如何ほどなのだろうか、、、。その十分の一でも人類の福祉に使われていれば、もう少しましな国際社会が存在しただろう。60年に及ぶ冷戦が、ソビエト崩壊、超軍事大国アメリカを生み出しただけである。

 『冷戦』はわが国にとっても、東洋のスイスへの夢を断念させられることになった。日本国憲法と教育基本法がその夢へと向かう道しるべだった。戦前から平和外交を目指した幣原と占領軍の主流だったニューディール左派との合作、戦争のない世にするための願いが、前文と第九条になったのだ。冷戦の国内版が、『逆コース』といえるだろう。アメリカにマッカーシズムの台頭により、占領政策も民主化・非軍事化が停止されるのだが、戦前の勢力が免罪されてその流れを加速する。短い期間とはいえ戦後民主主義の影響を受けた労働組合や一般市民も疑問符を投げかけた。教育界に関しては、戦前の国家主義教育によって、多くの教え子を戦地で死なせた悔恨から現場を去った人もいたけど、多くの教師たちは同じ過ちを繰り返さぬために、『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンに結集して、その逆コースへ抵抗する一大勢力となった。先生たちが偏向教育をやっている、と言うのが保守勢力の言い分で、『お上に逆らうのはアカだ』との効果もあり、国会内の多数決で、1954年、教育二法を、’56年には、教育委員の公選制を任命制に変更、手始めに、任命された教育委員により、愛媛県で勤務評定を実施、’58年には全国に導入、校長に管理職手当てを支給し組合から脱退させ、8月には道徳教育の義務化を定めた。管理主義が深まるにつれて現場では事なかれ主義が広まるのは当然で、教育荒廃の端緒はこの辺にあると言えるだろう。それでも、かっては現場を預かる校長の中には、『思い切って子どもと関わって欲しい、責任は俺が取る。』と言ってくれる人も多く、また、『法的な校長の権限を生徒のため最大限活用する。』と言いきる人も多かった。ところが、昨今の問題が生じた学校に対するメディアの追求に、管理者の責任回避、自信のなさは目に余るし、何故だろうとの不信感すら募る。
 こんな教育不信状況になる前に、教育を立て直すチャンスはあった。最高学府である東京大学の医局問題を巡り、東大解体までが提言された学生運動である。生活と関わる労働運動に対して、社会正義を真正面に取り上げる学生運動は、社会変革の先駆けとなる場合が多く見られる。彼らの主張を批判するのは当然、耳を傾けるべきものには受け容れる社会全体の寛容があってよかったのだが、当時のメディアは勿論、大学当局も、革新陣営といわれる政党も、『一部暴力学生・過激派』で括ってしまい、彼らの主張を抹殺した。国際語となった、『ゼンガクレン』はその後分裂し、一部は極端な動き(連合赤軍)をしめし、消滅していった。社会腐敗・社会的不正義に対する批判勢力をいっきになくしてしまったといえるだろう。当時彼らが東大解体まで主張したのは何故か、東大を出て日本の社会的重要な立場に立っていた人たちが、自己反省をしていたら、今日のような日本の現状はなかったであろう。

 『教育再生』を掲げ、教育基本法改正を最優先課題とした安倍内閣、国会内での多数決(郵政民営化バブル選挙の恩恵なのだが、、、)で、個より公を重んじる新たな基本法が成立した。『美しい国』を目指したのだが、戦後生まれの、若くて、イケメンで選挙に強そうとの雪崩現象で、自民党総裁の地位を占め、国会の多数決で総理大臣となったのだが、頭の中身は、彼の著書で述べられているように、彼の祖父や薩長独裁の根拠となった『水戸学の尊王』と同じである。『美しい国・日本』の中で、『日本の歴史は天皇を縦糸にして織られた長大なタペストリーであり、日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。』と述べている安倍氏の目指す教育はどのようなものになるのだろうか、、、。『再生』とは、過去の素晴らしかった自分自身を取り戻すことであり、過去を美化して懐かしむことではない。
 実権を持たない者を形式的最高責任者の地位に置くと、実際に責任がある者でも責任を問われないですむ仕組みを考え出したのが藤原不比等であり、日本の為政者は、藤原氏の摂関政治以来、三幕府も、薩長の藩閥も昭和の軍閥も一貫して踏襲した。それ故に無責任体制がこの国の国柄になってしまったという点では、安倍氏の後段の意見と一致する。
 わが国の素晴らしかった過去の二つをあげるとしたら、戦国下克上の時代と大正デモクラシーであろう。戦国末期、日本にやってきたヨーロッパの最高の知識人であった、F.ザビエルが驚嘆した当時の日本人、『勤勉で礼儀正しく慎ましい』はどこへ行ってしまったのだろう。それらを取り戻すことこそ再生である。その方法は、当時つくられた御伽草子、『一寸法師』の中にある。スタートは公ではなく個である。先ずは個々人が、①(指に満たない)自分が未熟であることの自覚 ②大きな夢・希望を持つ ③旅に出る(恵まれた家を離れ、自らに厳しい課題を課す・自己否定の生き方) ④鬼(願いを妨げる者)は我が腹中にあり ⑤小槌が手に入る(目標達成) ⑥いい気にならず再び一寸法師に戻る。その国の未来が美しくなるためには、子どもたちが恵まれた育てられ方をされなくてはならない。その答えは赤い鳥運動にあるだろう。当時つくられた童謡、『カナリヤ』、『青い目の人形』、芥川龍之介の『杜子春』にそのエキスが存在する。歌を忘れたカナリアとは、学ぶことの楽しさを知らない知らされない子どもに置き換えていいであろう。体罰(柳の鞭)はダメ、見放す(藪に棄てる)のもダメ、象牙の船に銀の櫂、月夜の湖(最高の恵まれた待遇)で学ぶ楽しさを身につけ、学んでくれたら、その学んだことを世の中に役立て素晴らしい社会をつくってくれるだろう。青い目の人形は、『鬼畜米英』とは異なる国際協調、違いを認め合い仲良くするということであるし、『金が全て』の世相に対するチェックが『杜子春』になるだろう、、、。