自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

看板に偽りの無いように、、、

2010年04月27日 09時42分27秒 | コラム
 『平和を、仕事にします。』というタイトルの人員募集のポスターがあちこちに貼られている。高卒のみならず大卒の就職内定率の低下傾向が続く中で、意義のある職業選択を目指す若者にとって魅力的な内容である。9枚のその仕事内容を示す写真も添えられており、その応募先を見てみると、何と陸海空自衛官となっている。これぞ憲法が保持しないと決めている陸海空軍とは違う自衛隊なのだと改めて納得した。

 戦前の教師は“小国民”の育成に当たり、多くの教え子を戦場に散らす手助けをした。戦後民主主義教育をになうこととなった教師は、戦前の反省から、“教え子を再び戦場に送るな!”のスローガンの下に結集し日本教職員組合を結成した。第一次世界大戦を経ての人類の英知が、“不戦条約”であり、再度の大戦後の平和構築の理念が“憲法9条”であった。
 憲法9条下、日教組の掲げたスローガンは輝きを放っており。ヒューマニズムそのものであった。それが政治性を持つようになったのは、愚かな冷戦の発動であり、アメリカの占領政策の転換、“公職追放解除”によって、戦前の勢力が政界で権力を再構築し、冷戦の相手、社会主義陣営に味方する勢力として、日教組を指定し、潰しにかかったからである。

 愛媛、岐阜、栃木の三県が日教組潰しのモデルケースとなった。教師の生徒を人質とした父母への選挙運動もあったようで、保守的だと見なされていた県で、革新系知事が誕生する状況も生まれた。危機感を感じた保守勢力は、県知事を保守に奪還すると同時に、“タンチョウツル”つまり天辺が赤い鳥のような日教組からの脱退を教師に迫り、組織を壊滅することに成功した。一方、学校で日の丸を掲揚する“日の丸校長”がクロ-ズアップされた。これとて“愛国心”高揚と喧伝されたが、なんてこと無い、教育視察とかでアメリカに出向いた保守政治家が、アメリカの公立学校で、国旗を掲げ国旗が掲揚される様を見て模倣したに過ぎない。しかもその行事を拒否できる自由が存在することには目をつぶって、、、。

 仕掛けられた政治運動に、政治で対抗した日教組は、さらに追い打ちをかけられている。国旗・国歌法案が成立して後、“踏み絵”まがいの強制が続いているが、未だに高い組織率を誇っていた(全国的には30%を切っている)北海道教祖が選挙資金をめぐってねらい打ちされている。昨年北海道を旅して学校の掲揚塔に交通安全の黄色の旗が揚がっている様を見ることが出来たが、それを日の丸に変えたい勢力が蠢いているのであろう。
 政治に対しては、ヒューマニズムで対抗すべきであったと思う。“教え子を!”に留まることなく、“恋人を!”“我が子を!”“世界の若者を!”等に広めるべきであったろう。

 私自身、教師を続けてきて、教え子で自衛隊員になったものもいるし、自衛隊員と結婚した生徒もいた。生活手段として自衛隊を選ばざるを得なかったとしても、戦場に赴くことの無いよう願い続けていた。そうゆうもと教え子の1人から、“退官の挨拶状”を受け取ったのだが、“人間に銃を向けて一発も撃つことなく、自らも傷つくこと、戦闘の体験もなく退官できて良かったですね、、、。これも日本国憲法9条があったからでしょうね。“と返信したのだが、最初に上げた自衛官募集の看板通り、平和を作る仕事に徹して貰いたいものだ。

スポーツの原点はアマチャーリズム

2010年04月24日 13時09分49秒 | コラム
 スポーツはルールを定め勝敗を競う、勝って奢らず敗者へのいたわり、敗れて挫けず捲土重来を目指す、まさに人間讃歌を歌い上げられる人間が生み出した英知である。ルールのないバトルが、未だに人類が克服できないでいる戦争であろう。古代オリンピアードは争いを止めて、スポーツによる協調を目指したものであり、近代オリンピックもその精神を活かし、弱肉強食の帝国主義戦争を克服しようとするヒューマニズムの表れであった。

 競技の勝者は月桂冠のみであったし、その無償の栄誉のために、より早く、より高く、より遠く、を目指して日々トレーニングに励んだのがアスリートと言われるものの真骨頂であった。そのスポーツに商業主義が忍び込んだのは時代の趨勢かも知れないが、スポーツの世界的祭典、オリンピックに商業主義を積極的に導入し、プロの参加をを推し進めた前IOC会長サラマンチ氏の訃報が伝えられたが、功罪半ばだったのか、功>罪なのか、功<罪といえるのか、それぞれの立場で異なる評価となるだろう。

 そんな中で、全日本水泳大会での優勝者のインタービューを聴く機会があったが、素晴らしい若者達であった。まさにアマチャーとしての真のアスリート達と言えるだろう。プロ化があらゆるスポーツ界に及び、最もメジャーな競技でないとプロ化出来ないのは商業主義の建前上当然ではあるが、“金になる”が動機のアスリートを目指す若者には大きな落とし穴があると言えるだろう。ゴルフがスポーツであるかは疑問だが、世界的なメジャー競技であり、スポンサーが莫大な金を提供するの中で、女子プロNO1の、メキシコのオチョワ選手が、普通の生活に戻りたいと引退を声明したのは爽快そのものと言えるだろう、、、。

 商業主義の手先と化したメディアもプロスポーツの報道のあり方を十分に反省し、今までの報道姿勢で如何に多くの有為な若者を堕落させてしまったかの自戒の下、マイナーではあるが、真のアスリートを目指すものへの支援(金銭ではない)をすると同時に、具体的に石川君、雄星君のような、将来メジャーな競技での成功者になりそうな若者には、報道規制をかけ、暖かくその成長を見守る姿勢が必要だろう。

雨後の竹の子じゃ有るまいし、、、

2010年04月22日 16時35分43秒 | コラム
 鳩山内閣がメディアから総攻撃を食らっている中で、旧政権党を難破船と見なしたのか、次々と離船するものが現れ、何れも新党を立ち上げている。メディアに持ち上げられ、“国民的人気”の元祖が石原氏だし、橋下、東国原氏などは、二番煎じと言えるだろう。最近は、松下政経塾出身者で、国政で活躍し始めたのもいるが、元祖石原氏同様、国政では権力保持が出来ず、多くは地方自治体でその政治意図の実現を図って首長になった人が多い。そんな自治体首長も国士気取りで、国政にもの申そうとしている。

 そんな状況が進んでいる中、メディアも大きく取り上げているが、彼らを信頼し支援した方が良いのか気になるところである。そんな時、ふと住井すゑさんの言が頭に浮かんできた。“男の守備範囲は所詮国止まり、女のそれは地球規模”という言葉である。その言葉通り、住井さんの代表作“橋のない川”は英語・中国語・カタログ語、等に翻訳されたのだが、住井さんは地球・人類的視野に立って、7部までの大作を著されたのだと思う。中国語訳の打ち合わせに見えた中国出版界の代表者が、このような大切なテーマを何故日本の男性の作家が書かないのでしょうか、、、と聞かれた時の、住井さんの返事がふるっている。
“男は命が惜しいんです、金が欲しいのです。私は命も金も欲しくない、だから書けたんです”との言である。

 22世紀を人類が平和の中で迎えられるかの危惧が増す中で、政治の世界の携わるものは地球的・人類的判断が出来る資質を持ち合わせていなければならない。今、名乗りを上げている、国士気取りの政治家は、住井さんにいわせれば、雨後の竹の子のような、命も金も名声も欲しがる“俗な男達”と言えるだろう。

 “宇宙人”とのニックネームを持つ現総理、一ランク下げ、人類となって、難問に当たる必要がある。人類の願いは戦争のない世界であり、核のない世界、自然環境の破壊を防ぐことにある。日本国憲法第9条は、人類にとっての貴重な財産(人類の過ちから掴み取った英知)であることを自覚することだ。祖父が真の独立国になるには再軍備が必要、と考えたのは、まだ人類が愚かで冷戦を発動した頃のことであり、その友愛精神を引き継ぐならば、愛国心を乗り越えた人類愛に広げる必要があるだろう。5月末がリミットの普天間問題の決着には、憲法の目指す理念に照らし合わせて、移設ではなく撤去を前提とする交渉をすることだ。沖縄住民のみならず、全国民の支援をうける努力をしながら、人類の目指す方向に合った交渉をすることだ。 

過ぎてしまえばみな美しい、、?

2010年04月16日 09時59分35秒 | コラム
 タイトルに上げた歌詞の流行歌があったけど、誰しも美しい過去を持ちたいものだ。力を出し切った瞬間は思い出となるし、地道な努力の継続は習慣となって己の一部となるし、そうゆう過去だったら、その時は苦しく辛かったことでも、美しい過去として振り返ることが出来るだろう。平時であれば、全ての人にそうゆう過去を持つ機会が保障されているが、異常時には、思い出したくもない過去を人の残してしまうものだ。

 近くに、シベリア抑留の体験を持つ方がいる。すでに65年以上の歳月が流れるのに、自らは出来るだけ思い出さぬようにしているし、他人に話すことも控え封じ込めているのだが、何かの機会にその忌まわしい過去が湧き出すことがあるとのこと。まさに戦争という最異常の状況で起きた、美しくない過去なのであろう、、、。

 何度か顔を合わせ世間話をする中で、その重い口から漏れ聞くことが出来たが、徴兵の現役で3年間、満州(東北)で毒ガス部隊で実戦ではなく、様々な動物実験をやっていたとのこと。ソビエト軍が侵攻してきた時、部隊の上官はすでに逃亡、一戦交えるかとの意見もあったが、降伏命令も出たし、武装解除、捕虜となる。その方は、シベリア抑留は、“奴隷として売られた”と考えておられる。他では武装解除後は帰還を許されているし、帰還までの2年間の強制労働は、賠償の見返りとされたと考えておられる。

 その方は主にソフホーズで農業に従事したそうだが、共産主義の教育を徹底しながら、日本人が団結しないように度々編成替えをしたとのこと。ある時は隣合わせになった人が、それまで会ったことのなかった従弟だったとの偶然もあったとのこと。2年間、ただ考えたことは食べることとダモイ(家に帰る)だったそうだ。雑草はきれいに食べてしまったし、ポプラの葉も食し、松の葉だけは食べれなかったとのこと。凍ったジャガイモを拾って料理したら、馬糞だったとの笑えない話もあったようだ。なんと言っても寒さには苦しまされたとのこと。マイナス70度になると、労働免除だが、まさに言葉が凍ってしまうそうである。その方は、3年間の満州(東北)での冬の体験があるから、何とか生き延びたが、その体験のない初年兵の多くは凍傷にかかって亡くなったそうだ。そこ方は、’47年、舞鶴に帰還、故郷の支線に乗車した時は11月15日、7・5・3の祝いで晴れ着の家族と同席したそうだが、復員者への冷たい視線を未だに忘れないそうだ。さらに追い打ちをかけるような国の対応、軍人恩給の積算に当たって、外地の、東南アジアや中国は、3.0とのことだが、シベリアは1,0とのこと、ずっと後になって一時金が支給されたが、未だに恨み辛みの残る晩年になっている、

 個人の所為ではなく、政府の行為によってもたらされた、異常な状況下での不幸な過去を、無かったことにしたり、忘れ去ってはいけないことだ。

移設ではなく撤去である。

2010年04月14日 11時28分08秒 | コラム
 日本の安全(?)のための日米安保条約、それに基づく基地の容認。ところが普天間の米軍基地の存在故の事件が頻発する中で、旧政権下で13年かけて出た結論が辺野古沖への新たな基地の建設。政府間の合意は為されても住民の同意は得られることなく現在に至っていた。昨夏の選挙で、沖縄住民は基地負担の軽減を公約した民主党を支援し、沖縄の全選挙区で民主党が勝利、その勢いもあって戦後始めて選挙による政権交代が実現した。“無血革命”と高らかに宣言し、政権発足時は高い支持率を示した民主党政権も半年経った現在、じり貧状態に追い込まれている。

 大幅な財政赤字と対米従属という負の遺産を引き継いだ民主党政権に大きな期待をすることは無理なことだと思う。財政赤字は将来の富をこれまでに消費し続けたからであり、主権者には覚悟を求めなければならない。無駄遣いを洗い出した後の増税は主権者も覚悟はしていると思う。対米従属に関しては、戦前から親米英派であり、一時は軍部からも狙われ、敗戦後長期にわたって政権を維持した吉田氏、独立時に日米安保条約(旧)を結ばされたが、さらなるアメリカからの要望には、憲法を盾にやんわり拒否するしたたかさを備えていた。
 その吉田氏とライバル関係にあった鳩山一郎氏の孫に当たる現総理も“対等で緊密な日米関係”を目指すなら、吉田氏が利用した憲法を盾とした賛否の対応を学ぶ必要がある。

 『手を引きゃ、肩に乗る』という諺というか言い伝えがある。今の日米関係はまさにこの状態ではないだろうか。サンフランシスコ会議で独立を果たした(ポツダム宣言を履行)時に、米軍は完全に撤退すべきであった。その後両国間で、日本防衛の義務(憲法で陸海軍の不保持を決めているし)、その見返りとして基地提供を主権者の代表たる国会で承認したのなら、同じく主権者の意志で、その条約も破棄できなければならない。政府の行為により再び戦争の惨禍を受けないために、主権者はその責任を果たさなくてはならない。

 “日米同盟が基軸”等という言葉は日本国憲法下の総理が口にすべきものではない。暴力に頼らないで済む“裁判を受ける権利”、それを行使しての主権者の異議申し立ても、地方裁判所では認められたが、最高裁は“統治論”で逃げてしまい、現実を追認し続けてきた。
 その結果、首都圏に膨大な米軍基地が存在し、英語を用いての日米軍事訓練が常習化し、沖縄の負担軽減は先送りされてしまったいる。沖縄住民の本土復帰への願いは、憲法9条下の日本への復帰であり、米軍基地撤去が実現できるとの期待があったからだ。本土の従米政権の尻ぬぐいをさせられ続けるならば、かっての無防備の琉球王国の後裔として琉球共和国を目指したであろう。かっては薩摩の武力に屈したが、沖縄戦での悲劇を教訓に、無防備の島に立ち返ることが沖縄住民の真の平和に繋がるであろう。

瑞穂の国は何処へ、、、

2010年04月09日 11時28分56秒 | コラム
 この国の農作業で一番肝心な田起こしが始まった。俗に米作りには88の手作業が必要だったと言われ、一粒の米も無駄にしないのがこの国の精神的風土であった。稲作の伝来にはその技術と人の渡来があったのだろうが、“豊葦原”つまり温暖多雨で、急流の河川が河口に作る三角州は稲作には最適だったのであろう。米の飯が食べられるのが最高の悦びであり続けたのだがこの国の一般民衆であった。臨終前に、庄家様から竹筒に入った米を借りてきて、耳元でその筒を振って音を出して聴かせたり、現代でも、配給の米が入って久しぶりの米のご飯を炊くと、子どもが“おめでとうございます”等と言って食したものである。

 トラックターに油を差し田起こしの準備に余念のない篤農家。息子は別な仕事に就き、百姓は俺で終わりだといかにも寂しげである。手仕事で米作りをしてきた経験があるだけに重労働であった。田起こし、畔張り(水漏れ防止)、田植え、稲刈り、脱穀、これらは全て今は機械化され、仕事そのものは楽になったのに、購入した機械の代金はまだ残っているとのこと、、、。

 後継者がいないのだから、この国の稲作はやがて集約した農地で、営利目的の企業体になってしまうかも知れない。そうなると省力化のために、農薬(除草剤や消毒剤)、化学肥料に頼った、自然の摂理に反する産業になりかねない。工業化した農業には未来はない。
 この国の生業としての農業にとって最大の敵は“雑草”である。視点を変えれば、この国こそ農業に最適の自然条件を持つ国だと言えるだろう。

 農業中心の国造りをしている国は平和国家である。憲法9条を持つこの国は、原点に戻って“東洋のスイス”を目指すべきである。食糧自給率、江戸時代は100%だったはずだ。 現政権は何とか50%にしようと、農家所得保障を打ち出しているが、メディアを含めてバラマキとの大批判、独立国なれば100%を目指すのは当然である。それを可能とするのは、『アイガモ稲作』である。ノーベル委員会は世界平和に貢献するノーベル平和賞をアイガモ稲作に授与すべきであろう。

 戦後、米を食っていると頭が悪い、なんて宣伝した御用学者がいたけど、確かに白米はミネラルやその他の栄養素をそり落とした、美食には違いないが本来の農産物でないことは事実である。玄米食をやっている人は体験的に米が最高の食品であることを理解している。残留農薬がないのがその条件であるが、、、。最高の食品を提供してくれるのが『アイガモ稲作』であることには間違いがない。現在は一部の“好事家”に限られているが、かつての手仕事に比べたら雲泥の差であり、国家プロジェクトとして成功させ、他国にも輸出すれば、平和な地球、戦争のない世界は可能となる。