久しぶりの国政選挙、主権者である国民の投票率が50%を切るということhどういうことになるのだろうか、、、。半数改選の参議院選挙だか、投票に行っても政治が変わるわけでもないとの冷めた考えの主権者が多いのだろうか、、、。主権が君主から国民へ変わる歴史をしっかりと学ばないと、”棄権は危険だ”と考えない人間が増えるのかもしれない。
江戸幕府(君主権の)が崩壊し、新政府が実現した時、欧米の政治を参考にしたのだが、当時、イギリス、フランス、ドイツ なのだが、明治政府はイギリスからは経済の仕組みを、政治はドイツの制度を取り入れた。この国ではいつの頃からかわからないが、イギリス人は歩きながら考える、フランス人は突っ走ってから考える、ドイツ人hじっくり考えてから突っ走る、と言い伝えられてきた。それぞれの国の歩んだ道、歴史をみると何となく納得がいく説明ではある。
また、イギリス人の金も要らない、最高の道楽は、選挙の時野党に投票することだと言われていたことにも納得がいく面がある。”歩きながら考える”民らしい生活の知恵である。保守党と労働党に二大政党制で、政権を交代しながら、民主主義の先頭を歩んできたのだが。経済のコントロールの困難さが、サッチャーリズムを招来し、いまだに根本解決に方策がなく、ヨーロッパ共同体離脱に踏み切ろうとしている現状だが、、、。この国の近代史を見ると、この国の民の民意は、”考えないで突っ走り、こけた後でも考えない”民よろしく、政治はお上に任せておく体質を引きずっているのだろうか、、、。第二次世界大戦での敗北を、アジアも民衆の抵抗に敗れたのか、アメリカの物量に敗れたのか、の考察もなく、アメリカ万歳の勢力が。戦後一貫として政治権力を行使している。、
”真理は最初は必ず少数である。”という命題を呼び起こすきっかけとなった。”れいわ”や”んhkから国民を守る”の議席獲得は、暗闇の中の小さな灯になるかもしれない、、。