自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

新春雑感、、、ば;び;ぶ;べ;ぼ

2019年12月31日 23時55分36秒 | ニュ-ス

 ば、、、馬鹿になりきること。アホではだめ、利口になら

    ざるとも、賢い馬鹿を目指そう!その手本は

    トルストイのイワン

 び、、、貧乏は、人生における最高の教訓である。その心は

    古今亭志ん生の”貧乏を味わったものでなければ、本当

    の喜びも面白さも、人情もわかrねえ!”との啖呵にあり

 ぶ、、、仏陀の教えのエキス、”人は生まれではなく、その行いに

     よって賤しくなる。”を心していえば、己も一仏教徒と言えるだろう。

 べ、、、勉強嫌いから勉学好きへ!決め手は”継続’

 ぼ、、、”暴”の字と無縁の世の中に! 暴力、暴行、暴行、暴動、暴利、等 

 

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スイスとアフガニスタン

2019年12月13日 08時53分45秒 | コラム

 中村氏の献身的なアフガニスタンでの活動がテロにより中断され、ニュースでも大々的に浮動されたが、中村氏の真意は、この国では絶望的な目標となってしまったが、”東洋のスイス”の実現ではなかったのだろうか、、、。スイス、アフガニスタンには多くの共通点がある。歴史的には強国に挟まれた内陸国であり、それらの強国に屈することなく、独立、自立を維持してきた誇り高い民族である。

 スイスの建国の日は、13世紀末、3州の永久盟約が結ばれ時と言われているし、特にオーストリアの圧力に屈しなかった、ウイリアム、テルの物語は世界中の子供が知っていることだろう。永世中立国として認められたのは、ナポレオン戦争の後始末、1814年ウイーン会議でありであり、多くの国際機関も置かれ、世界で最も高い評価を受けている。

 スイス同様、周りの強国に抵抗し独立を維持してきたパミール高原の山の民、一時はソビエトの影響を受け社会主義政権もできたが、社会主義勢力の広まりを防ぐべく、アメリカの、謀略にはまり、ソビエトはアフガンに兵を出したが、目的を達成できないどころか、ソビエト崩壊にまでつながってしまった。

 そのアフガンに、自衛隊を派遣しようとしているようだが、かってナポレオン、ナチスドイツの侵攻を防いだロシア軍兵、国外に出ては勝利できなかったし、この国でも当時最大の帝国、モンゴルを撃退した鎌倉武士、靖国神社がこの国を守るために犠牲となった人を祭るのであれば、該当者は鎌倉武士だけであろう、刀伊の襲来で犠牲になった人もいるだろうが、、、。いずれにしても国外に兵を派遣しては、秀吉の朝鮮出兵にしても、アジアに兵を出した”大東亜戦争”にしても、結果はすでに証明されている。

 中村さんが意図した”農業立国”こそ、アフガンの恒久平和への近道なのだと思う。


この国の無責任体制のルーツは、、、

2019年12月03日 09時42分55秒 | コラム

 この国の歴史年表で立軸で示されるのは、聖徳太子が摂政の位につき飛鳥時代の始まりの589年が最初である。それ以前は、縄文時代、弥生時代、古墳時代、大和時代との時代区分は斜線で表示されている。およそ8000年前とか、紀元前2、3世紀とか、、、。古代天皇制が確立したのは、大和時代の有力者蘇我氏をク、デターで倒した天智天皇、藤原鎌足による大化の改新、天皇家の内紛、壬申の乱で天武朝を開いた天武天皇を経てであろう。その天皇が善政を維持したがゆえに、天皇制が今も維持されているなら万々歳であるのだが、、、、。

 今回の天皇代替わりの一連のセレモニーは、おおむね好意的に報道され続けたが、皇位継承権2位の位置にある秋篠宮の批判にどう応えるのであろうか。歴代天皇の墓前に就任の報告をし、この国にいやさかを願って戴いたようだが、今のこの国の体たらくをいささかも感じておられないのが実情だろう。超大国アメリカの大統領の表敬訪問を受け,三権の長から”天皇陛下万歳!”の声援を受ける。慇懃無礼に奉られてるとの理解はできないだろう。

 権力の交代があるとその新たな権力は前時代の批判することによって己の正当性を誇示するものだ、大和時代の最大の権力者は、渡来系の蘇我氏であった、それ以前の権力者、物部氏を倒し、おそらく大王となり蘇我王朝を開いたはずだ。当時の蘇我王朝に批判的なものの存在は当然で、新興勢力の中臣鎌足、元大王家の若手中大兄皇子が組んでの政変、それ故にその新たな権力で残される歴史は、前時代のへの批判、蘇我氏の名前も蔑称が用いられる、入鹿、馬子、蝦夷、等である。本名はもっと素敵な名称であったろう。

 天武朝で編纂された歴史書が。古事記、日本書紀で、文字がなかった時代伝承されてきた語り部の歴史を万葉仮名で記したのが古事記であるし、天武朝の正当性を記するのが日本書紀である。大化の改新の最大の功労者、中臣氏、天智天皇から藤原の姓を受けた鎌足の子、不比等、そしてその子孫が次の時代の権力の保持者となった。古代天皇制最盛期の天皇が、聖武天皇なのだが、深く仏教に帰依し、東大寺大仏を建立した人物だが、その聖武天皇までが、藤原不比等のコントロール下にあったといえるだろう。聖武天皇自身、不比等の孫であるし、その妻光明皇后も不比等の娘であった。つまり聖武天皇にとっては藤原不比等は祖父でもあり、義理の父でもあったわけだ、、、。

 前時代の権力者、蘇我氏の滅亡を目の当たりにした藤原不比等は、第一人者にならず、黒子に徹することによって、利はたっぷり頂戴するが、責任は取らなくても済む方法を生み出した天才的な政治家であると思う。この国の無責任体制のルーツはさしずめこの時からではないかと思う、、、。

 その藤原氏の摂関政治の行われていた平安時代、関東地方の農民の苦悩に反乱を起こしたのが、平将門である。新興勢力の武士団、源氏にしても、平氏にしても、天皇の血筋を引く人物を棟梁として力を集めたのである。それ故に平将門は、”王侯いずくんぞ種あらんや”の気概の元、関東で新しい天皇に即位したのだが、農繁期に農民を土地に帰したため、その隙をつかれて、藤原秀郷(中央での出世をあきらめ、地方に出た)に滅ぼされてしまったが、その人気は今も続いていて、神田明神で神となって守り続けられている。