自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

’09年を送る、、、

2009年12月31日 11時32分47秒 | コラム
 何かとせわしない年の暮れだが、つかみ所のない時間を、太陽と月の動きから体験的につかみ取った太陽暦、太陰暦という暦は、人間にとってどんな意味があるのだろう。まだこの地球上でも、自分の年齢も知らず、限りある生を精一杯生きている人もいるのだが、そんな一生を送るのもある意味では幸せと言えるだろう。文明国に住む我々は、生まれたら出生届を出され、常に己の年齢により、学齢期、選挙権、定年退職を迫られ、不人気だった後期高齢者に指定されたり、亡くなれば死亡届、常に管理されて生きていかねばならぬ仕組みに組み込まれ、何の疑問もなく生活している。

 とは言いながらも、年が改まるというのは、全ての人間にチャンスを掴む機会がある時と言えるであろう。この年の初めには、この国にとって、ペりーの砲艦外交から始まり、ずっと首の根っ子を押さえられ放しのアメリカでも政権交代があり、夏の終わりには遅ればせながら、万年与党だった自民党の崩壊で、この国でも政権交代がなった。日米の新政権とも発足当時は高い支持率を保ち、それだけ国民から期待を持たれていたと言うことだろう。

 特にオバマ大統領のプラハでの演説は、世界中の人々に大きな感動をもたらしたのだが、“言うことと為すこととの乖離”はオバマ大統領にも当てはまるのだろうか、、、。そういえば、オバマ大統領は、リンカーン大統領とケネディ大統領を意識しているようだが、カストロのキューバ革命(民族主義革命で、その初期は社会主義革命ではなかったのだが)を封殺するために起こした“ビックス湾事件”でキューバを当時のソビエトに近づかせた失敗を犯したケネディ大統領から学ぶ必要があると思う。

 失敗に懲りたケネディ大統領は、“キューバ危機”で断固とした姿勢を冷戦の相手国だったソビエトに示し、その後は前任者のアイゼンハワー大統領の離任挨拶の警鐘を受け、フルシチョフ首相との間にデタント交渉を開始した。軍拡競争に根を上げ始めていたソビエトも、平和共存路線に踏み切り、米ソ相互訪問、さらに、少々行儀は悪かったのだが、フルシチョフ首相は国連総会で、脱いだ靴で演壇を叩きながら、“全面軍縮、軍備廃絶”を呼びかけた。平和憲法(戦争放棄と陸海軍の不保持)を持つ日本がいち早く賛同し、冷戦構造の中で押しつけられてきた体制(自衛隊の軍隊化、米軍基地)を改める出発点であって良かったのであるが、、。
 半世紀遅れの“平和憲法回帰”を目指す年の締めくくりになれると良いのだが、、、。

年の瀬の贈り物

2009年12月26日 13時32分04秒 | コラム
 政権交代から100日が過ぎ、新政権の予算案も閣議で決定された。新年になってその予算が審議されるのだが、議会の趨勢から言ってほぼ原案通り通常国会では決まるであろう。野党もすっかり自信喪失か、献金疑惑で審議を遅らせる以外に抵抗の手段はないようだ。特別国会で現総理の“あなたに言われたくない”の発言で追求も腰砕けに終わったのだが、そうは言ってみたものの現実に政権を担当して、これほど難問が蓄積しているとは、野党時代には考えていなかったのであろうか。

 これほどまでに破綻している国家財政、収入が37兆円しか見込めないのに、今までの借金の期限が来たのと利払いで21兆円、新たな借金を44兆円も積み上げる、国民にとってはとんでもない年末の贈り物なのだが、、、。最も日本の国債はおおむね国内で保持されているのだから、その債券の保有者(明日の飯と今日の寝床の心配がない人だし)が債権を放棄してくれたら、国の借金はチャラになるのであるが、、、。出来ない相談だが、何故に金持ちになるほど強欲になるのでしょうか、、、。鳩山ファミリーは例外なのでしょうね、、、。

 人は何時になったら、経済成長路線の怖ろしさに気付くのであろうか。政権交代を期に、これからは成長路線から循環路線へ切り替える。そのために、物質的には“痛みを伴う”けれど、精神的には心豊かな社会を目指します、とでも言って国民に我慢と覚悟を訴えるのが政治家であると思う。

 鉄器の使用に危機感を感じ、81章の警告を残し何処へ去った老子、1日1個の黄金の卵を産むガチョウの腹を割く愚を説いたイソップ、鉱業を自然からの収奪として否定した“忘れられた思想家”安藤昌益、彼らの教えは鞍と鐙、轡として、名馬なれど奔馬でもある、資本主義の暴走を食い止めるために活かすことが必要である。
 

公表できないのが機密費

2009年12月17日 20時41分12秒 | コラム
 政権交代直前に、2億5000万円の官房機密費が支払われたといわれているが、何に使われたかは、その当事者、前官房長官は口を噤んでいるし、野党時代は、機密費の透明化を求めていた新政権の官房長官も、何に使われたかは分からないし調査もしないとしている。新政権になっても、既に6000万円ずつ2度にわたって支出したが、公表できないとしている。正式には内閣官房報償費といい情報提供者に対する謝礼という建前を執っているようだ。外務省にも都道府県警察本部にも報償費制度があり、それぞれ情報集めに当たって支出されるようになっている。

 確かに情報の有り無しによって大きな違いが生じる情報化社会である。例えば麻薬捜査に当たって、X氏の情報によって、取引現場を押さえられたとすると、その提供者に謝礼の支払いは必要だろう。しかし支払額、提供者名は機密にしておく必要がある。提供件数、合計の支払い謝礼額は公表できるであろう。機密費扱いされることによって、“裏金作り”となっては困る。責任者の冷徹な人格を信じない限り機密扱いは出来ないものだ。

 この国の戦国時代、情報集めに当たった、伊賀上野の忍びの活躍、池波正太郎の“忍者もの”、話半分としても、その情報のあるなしで、大きな違いが出たのだろう。小さい頃からの特訓は、人の能力の開発には効果的なのだろう。非人間的な要素もあるのだが、オリンピックの金メダリスト続出間違いないことだろう。最終的に戦国の世を終わらせ、300年の太平の世をもたらすことができたのは、情報を重視した家康が、本多伊豆に莫大な機密費を惜しげもなく提供し続けたからだと思う。全国に張り巡らした情報、そのために犠牲となった“草”を言われた存在、その情報を一点に集め、体制の安泰を維持できた。

 現在世界最高の情報機関はイスラエルの“モサド”といわれているが、金をかけていると言えばアメリカの“CIA”だろう。情報戦では、真珠湾奇襲は事前にアメリカに察知されてたというし、“ミッドウェイ”も罠に掛かったと言えるだろう。新政権は対等の日米関係を謳っているが、情報収集能力から言って、ペリー来航以来、“赤子の手ねじられっぱなし”が続いている。国益という言葉は余り好きではないのだが、内閣官房報償費を使って、国益に反する情報を他国に提供している人物がいないかの調査をやる必要があると思う。

天皇は案山子か人間か、、、

2009年12月15日 20時25分53秒 | コラム
 中国の次期主席と見なされている副主席の来日に当たって、天皇との会見問題で一騒動が起きている。現存する世界の立憲君主国では、国王が元首となっているのだが、大日本帝国憲法下では、天皇は主権者であり当然元首の地位を保持していた。日本国憲法では、元首の規定はなく、天皇は神から人間となり、国民統合の象徴として生き残った。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツで、君主制が廃止され共和国になったように、国際世論は天皇制廃止、共和制への移行が求められていたが、占領政策をスムーズに実施するためには、日本国民の天皇への忠誠心を利用できると考えたアメリカの思惑で、“一切の政治的権力を持たない天皇”として憲法上第一章、第一条から八条までで存在することとなった。

 今回の会見問題で、“天皇の政治利用”が云々されているが、もともと天皇は一時期(飛鳥時代後期~平安時代前期)を除いて、常に時の権力者に利用されてきたのは歴史の事実である。今回中国側から天皇との会見を申し出たのは、中国側が天皇を元首と見なしているからであろう。歴代保守政権が対外的のみならず国内的にもことあるごとに、天皇が元首であるような作り事を重ねてきたことと関連があると思う。『内閣の助言と承認の下の国事行為、そして内閣が責任を取る』との憲法からはみ出た、“天皇の政治利用”が繰り返えされてきた。対外的には“皇室外交”国内的には“お言葉”である。対外的には『外国の大使及び公使を接受する』のみであり、国会召集や儀式を執り行い、栄転を授与等の国事行為はあっても、その度ごとに、何か有り難いお言葉など必要ないことだ。

 伊勢神宮を参拝しての西行法師の作といわれる『何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』との心情がこの国の人々の根底にあるのだろう。一種の天皇教とも言える宗教の領域なのだろう。歴史学から検証すれば、古代天皇制を確立した大海人皇子(即位して天武天皇)が天智朝との戦いに挑み、吉野から伊勢に、そしてその地の漁民の守り神社で必勝祈願、勝利の見返りに天皇家の神社に昇格させ、“天照大神”を奉ることにした。中世になって乱世の時代、天皇の権威は皆無の状態だし、伊勢神宮も式年遷宮を行えない状況であった、御師といわれた人の活躍により、豊作を願う農民の間に信仰が深まり、“お伊勢詣り”
は一般民衆の生涯の願いともなった。欧米中東での“巡礼”と似た要素を持つようになり、江戸末期には倒幕のエネルギーともなった。そして明治の代となり、15才の幼帝が(元勲は案山子と称した)22年後には、万世一系の主権者となった。

 時の権力者にとっては、“案山子としての天皇”の存在が、いざという時の責任逃れになるというメリット故、貴族社会でも武家社会でも生き残ったのだろう。歴史にもしは禁物だが、足利義満は明に対して”日本国王”を名乗ったし、“本能寺の変”がなかったら、天皇制は消えていただろう。戦後、神から人間に生まれかわったのだから、二度と“政治利用”されないために、自らの意志を持ち、基本的人権を行使できる人間になるべきだろう。 

何に恐れおののく、、、

2009年12月13日 22時02分04秒 | コラム
 新政権発足3ヶ月、好意的に見守られ続けた期間も終わったのか、一斉に批判論調に変わってしまった。新政権が引き継いだ負の遺産は、サンフランシスコ講和会議からの従米路線と経済成長を続けるための財政特例法による膨大な赤字国債による財政破綻である。

 政権交代はその永年の従米路線の変更と財政破綻の修復のスタートである。対等な日米関係の主張には妥当性がある。そのためには、ポツダム宣言を今一度読み返す事だ。何しろその内容に無条件に従う約束をして降伏したのだから、、、。そしてサンフランシスコ会議で独立を果たしたのだから、、、。

 戦前のこの国は、富国強兵・殖産興業の道を歩み、結果的にはアジアへの侵略、内政としてその侵略を遂行するための鉄のトライアングル、天皇を頂点として軍部と財閥が組んでいた。軍国主義の除去、民主主義の確立、カイロ宣言の遵守、等がポツダム宣言の中身であり、さらに重要なのはその12項で、“以上の目的が達成され、日本国民の自由に表現された意志に従って平和的な傾向を持った責任ある政府が樹立された場合”占領軍は直ちに撤退することになっていた。それに違反したのがアメリカであり、それを認めさせられたのが吉田内閣であった。日米が対立し、真珠湾にいたった原因は、第一次世界大戦後の中国市場をめぐる帝国主義国間の対立であり、競争相手を叩きつぶし、中国市場の独占的支配が可能だったのに、人民共和国が成立ししてしまった。それまで一貫として国際協調、戦争回避政策をとっていた“平和国家”アメリカが、冷戦を発動する事となった。そのアメリカの占領下にあった(本来は国連軍の占領下なのだが)日本は反共防波堤の役割を強いられ、朝鮮戦争時に警察予備隊の創設を占領軍(アメリカのマッカーサー)に命じられ、レッドパージと公職追放解除がパッケージとなって、反共保守主義者が政界・官界・財界に復帰し、この国でアメリカの支援を受け権力を維持し続けて来た。安保体制がそれであり、“共産主義の侵略からアメリカは日本を守る、そのためにアメリカの必要とする軍事基地を提供する”との不文律が構築された。

 北朝鮮の存在を理由に、日米同盟(軍事同盟は憲法違反)の必要性が最優先されているが、100年前の韓国併合の処理は南半分とでしか済ませてないし、北とも済ませ国交正常化すれば、日米同盟を日米友好に変更し、米軍を全て撤退させる(ポツダム宣言の完全履行)ことが可能となる。普天間はそのスタートである。

 

トラ・トラ・トラ

2009年12月08日 20時15分21秒 | コラム
 68年前の12月8日、日本が対米英開戦に踏み切った日であるが、その事実さえ知らない世代が多数を占めるようになった。学校における歴史教育でも、受検に出題されないと理由ではしょられているからでもあろう。ましてその4年前の、’37年の中国への全面侵略戦争、その前の満州事変(不戦条約に調印しているし、実質侵略戦争を事変で通した)以来の中国への侵略の事実を知らない世代が大多数を占めるようになったのがこの国の現状だろう。

 6日、7日、NHKの特番で真珠湾攻撃の番組が放映されたが、今まで海軍は国際状況に精通しており、米英戦には反対の立場だったが陸軍の強硬派に押し切られたと思われていたのだが、そうではなかったのことが指摘されていた。組織を守り予算が確約されると、たちまち主戦論に傾き、反対の意見を持つ者は閑職に追いやられた。緒戦の勝利、トラ・トラ・トラ(我奇襲に成功せり)の功を取り合う醜さもあったようで、、、。アメリカは日本の奇襲は予想してたようで、湾内に潜水艇による侵入を防ぐ網が張られていた。特殊潜水艇で魚雷攻撃を意図したが、失敗に終わったようだ。5艇の中、捕獲され、展示され、対日戦意を煽る役割を果たしたのがのが1艇、他の4艇は今も海底深く沈んでいる。捕虜となった1人は抹殺され、戦死した9名は、9軍神として祭られ、戦意高揚に利用された。

 戦後、終戦を定着させ、敗戦の責任を問うことなく推移してきたのであるが、日本が起こしたアジアへの侵略戦争の責任をしかと自覚する必要がある。対米英戦争は、アジアを巡っての市場・原料の争奪との帝国主義間の戦いでであり、日本・米英の双方に責任がある。『アジア解放のための戦いであった』との独りよがりの論理はこの国では一定の賛同を得ているようだが問題外である。

 アメリカへの負い目は真珠湾の奇襲であるが、それ故に、倍返し、三倍返しされても(都市無差別爆撃、ヒロシマ・ナガサキ)の謝罪を求めすらしない。来年は韓国併合100年となるのだが、この100年間のアジアへの責任を果たす事が、対等な日米関係を確立する前提である。

スポーツは人間賛歌

2009年12月07日 19時55分05秒 | コラム
 人は競争を好む生きものなのだろうか。確かにあいつには負けたくない、という気持ちが努力し続ける原動力になるし、経済活動では自由競争が生産性を高め続けたのも事実である。競争は両刃の剣であり、金儲けの競争、軍拡競争となると大きな被害を人間にもたらす事となる。

 人の能力を競い合うスポーツは、基本は、走る・跳ぶ・投げる・泳ぐ等だろうが記録の限界のなさは、人間の可能性への讃歌となるだろう。スポーツに商業主義が深く関わるようになり、メジャーなスポーツにはスポンサーが付き、プロ化が進んでしまった。スポーツの原点はやはりアマチャーリズムだろう。チャンピオンになったものへの最高の報償が月桂冠の冠であった時代が偲ばれる。

 福岡国際マラソンの勝者となった、ケベデ選手、勝利インタビューでの女性とまがう優しげな声、身長157センチの細身の身体に、42キロを100m18秒以下で走り通すエネルギーが秘められているのは驚きであり、何処まで記録を伸ばせるかに期待が持てる。北京オリンピックでは、196センチのウサイン・ボルト選手の、100,200mの世界記録には驚かされたが、そういう先駆者がいるから後に続くものへの目安となり、さらなる努力を厭わない人間を生み出し続けるのであろう。

 スポーツは人間讃歌、国威発揚や金銭主義、勝利主上主義とは無縁であるべきだ。競技者や勝利者には、練習に打ち込める財政的支援は必要だし、引退して後の生活手段は保障されなければならない。それを支えるのが本来のスポンサーである。

特別国会閉じる、、。

2009年12月05日 13時27分59秒 | コラム
 特別国会は憲法の定めでは、総選挙後30日以内に開かれ、冒頭内閣総辞職、直ちに首班指名が行われ、通常は短期で終わるものであった。ところが8月末の総選挙で、雪崩現象が起き、流行語大賞にもなった『政権交代』が実現したため、与党慣れ、野党慣れで推移してきた国政が戸惑いを見せ、政権交代した実が未だに賞味できていない。

 もし、この3ヶ月間眠り続けていた人が目を覚まし、ニュースを聞いたとしたら、世の中代わっていないな、と一瞬感じるであろう。強行採決と審議拒否が続いているのだから、、、。でも審議拒否をしているのが自民党だと分かると、浦島太郎の気分になると思う。

 新野党の自民党の審議拒否の理由が、党首会談を確約しないからというのだが、その党首会談で総理の献金疑惑を追及したいのであろう。でも追求する側の自民党の中で、自らの政治資金の原資について胸を張ってやましいことがないと言えるのは何人いるのだろうか、、、。母親が自分の子の社会活動に小遣いを提供したのを“違法性あり”というのだろうか。先祖から引き継いだ財を我が子の政治理念実現のために、法に触れるとの判断もないまま、そっと提供した母性愛の発露ではないだろうか、、、。

 現総理の母は、ブリジストン・タイヤの創設者、石橋正二郎の長女であり、その石橋氏は実業家として一代で財をなした産業資本家である。大原孫三郎ばりの社会貢献をした産業資本家であり、昨今の雇われ経営者のエゴとは無縁の人物であった。生まれ故郷の久留米市には、石橋文化センターを寄贈したし、国の近代美術館にはその建設費を負担したし、自ら蒐集した美術品は、ブリジストン美術館に収納し公開している。そのDNAは母を経て現総理にも引き継がれてるのだろうが、一つだけはっきりしていることは、政治に自らの金をつぎ込んでいるが、政治で金を稼いではいないと言うことだろう。

 恵まれた家庭で育ち、金銭問題に疎いが、清廉潔白でいられた自分に誇りを持ち、政権交代の実を上げることに全力を尽くして欲しいものだ。その試金石が普天間問題となるだろう。

犬猫が話せたら、、、

2009年12月04日 19時47分46秒 | コラム
 人と密着している生きものは犬猫だろうが、それ故に人の心理の理解は人の想像を超えるものがあるだろう。もしその犬猫が話すことが出来たら、人間社会における迷宮入りとなる犯罪は皆無となるだろう。今年は松本清張の生誕100年とのことだが、彼が推理した『日本の黒い霧』は当事者として知り得た人物はいたのだし、その人達が、『最高機密』といわれるものを墓場まで持ち去ることなく、生前に公表してくれたら、将来に希望が持てない若者が大半を占める今のこの国の体たらくは防げたであろう。

 沖縄返還時の密約、それを暴こうとしたジャーナリストが有罪となり、社会から抹殺されていたのだが、アメリカで、30年後には機密が公表されるをを、丹念に調べ上げられた人たちにより、その密約の存在が明らかにされ、“蘇ったジャーナリスト”西山氏と密約に関わった吉野氏の勇気ある証言で、“歴代自民党政府のウソ”が明るみとなった。しかしウソがまかり通った30年の既成事実は、思いやり予算に代表されるように、理不尽な国民の負担として今後も続いてしまっている。

 村山内閣で、安保条約を認めて以来、日米安保体制は万全で、さらなる従米下の軍事同盟化が進んでいる。独立回復後のこの国は、日本国憲法とそれとは反する安保条約(最も憲法では条約の遵守を決めているが)の二重体制で推移した。そして歴代自民党政権下で、安保体制>憲法が実現してしまった。

 『日本の黒い霧』で取り上げられている、帝銀事件、下山・松川・三鷹事件、等の真実を知りうる立場にあった警視総監、当時は、祖父を西南戦争でなくし、父とは子どもの頃死別、母とは生別、苦学してその地位に就いてたのが田中栄一氏だったのだが、最高機密を墓場まで持って行ってしまった。もしかしたら文書にしてどこかに残されているかも知れないが、『鳥の死せんとするやその声悲し、人の死せんとするやその声良し。』といわれているように、墓場まで持っていくようなことがないようになりたいものだ。様々な社会不正が表立つのも、内部告発があってのものだし、、、。

 

憲法の番人か、体制の番人か、、、

2009年12月01日 20時12分20秒 | コラム
 最高裁の判事といえば人権感覚に鋭いと思っていたが、いたって鈍感な人もいるものですね。「ビラ配り」有罪の最高裁の判決が出たのだが、共産党嫌いのご隠居の考えと似たような判決内容ですね。表現の自由に関しての名言、『私はあなたの考えには反対である。しかしあなたがその考えを主張する権利については命をかけて守る』をご存じない最高裁判事とは思えないのですが、、、。

 警察権力が体制の番人であることには同意はしないが納得できる。それ故に左翼・右翼の反体制的な動きを把握し、内偵、取り締まり等に税金を使い社会の安全、治安に貢献しているのを否定するものではない。共産党区議団の活動内容を住民に知らせるビラを配布するのは「表現の自由」の権利の行使である。『チラシ・パンフレット等広告の投函は固く禁じます』との通知をし、私生活の平穏を維持しようとしたのは、やたら発行元不明ないかがわしいパンフや広告が投函されたからなのだろう。共産党区議団とはっきりしているパンフは、もし私生活の平穏をおかされたと感じた住民がいたら、今後は入れないで欲しい旨、区議団に申し入れするだけで済むことだ。基本的人権が守られるためには、①権利を知っていること、②権利を行使すること、③他人の権利の行使を容認すること、が欠かせない。

 住居侵入罪で警察に訴える前に、区議団に抗議することだ。不断は事件性がないと動かない警察が、不当捜査として黙秘権(これも憲法で保障された権利)を行使したのだろうけど、23日間も拘束したのは、明らかに権力の乱用に当たる。自衛隊の官舎で「イラクへの自衛隊派遣反対」のビラ、でも昨年有罪が確定したが、その人は2ヶ月以上も拘束されている。イラク戦争が間違いであったことは、当のアメリカでも多数を占めることになっている。憲法に反してアメリカの言いなりに抗議して、「あなた達は自国を守るために自衛隊に入隊したのであろう、他国に出向き意に反した戦いはして欲しくない」として自衛隊員にビラを配布しようとしたのは、愛国心の発露であり、権力で押さえ込んで良いものではない。

 体制の番人としての警察・検察権力の勇み足に歯止めを掛けるのが、憲法の番人としての裁判所の役割である。