2015年が終わる。100年前は欧州大戦の真っ最中、日英同盟を根拠に対独戦戦争に加担し、中国におけるドイツの利権を奪い、さらに対華21か条要求を武力を背景に押し付け、中国分割に加担した年でもある。米英との中国市場を巡る対立は、第一次世界大戦のリベンジ戦に立ちあがったドイツと組んで、世界覇権に挑戦、破たんし、二度と戦争をしないと焼け跡での誓いをなしてから70年が過ぎた。およそ30年間で、二つの大戦を経験した人類は、第一次では、1000万の戦死者、2000万人の戦傷者、行方不明者800万人(多くは一般人なのだろう)、第二次では、2500万人の戦死者、3700万人の一般人の死者を出したのだが、、、、。
過ちの中から人は多くのことを学ぶのだが、大きな犠牲を払ってもまだまだ学びたらないのだろうか、、、。ミハエル、エンデが20年前、その遺言で”第三次世界大戦は始まっている、われわれが気が付かないだけで、、、。この戦争は、従来のように領土や資源を対象とする戦争ではなくて、時間との戦争だ。私たちの子どもや子孫を破滅させる戦争だ、、、。”との警鐘を受け止めることのできる政治家はどれほど存在するのだろうか、、、。
確かにこの70年間は、世界的規模での大戦争は起きなかった。しかしこの70年間のうち、冷戦が続いた45年間、どれほどの人類の富が浪費されたことか、、、、。唯一の超大国となったアメリカは、ネオコンが権力を維持し、永遠の世界帝国を夢見ているのだが、巨大な無駄使い故の経済破綻に直面している。
"汝自身を知れ!"を追及し、真理にたどり着いた聖人は、無欲な人となるのだが、虚仮の名声、権力を得たものは何としてもそれを保持し続けたいものか、己の役割が終了したことを認めないばかりか、あらゆる手段を講じてその維持にまい進するものだ。人類史の多くの悲喜劇は、権力交代時に多く見らえるのが常である。第三次世界大戦が起きる危険性が高まっている現在、核戦争となっても、シェルターで生き残れると考える人類の敵は、あぶり出し、歴史のゴミ箱に放り込むことだ。
人類の未来のために、3年前のブログを再掲載することにしよう、、、。
人類は永遠の旅人
奇蹟の惑星、地球の現在の人口は約70億人に達している。その現存する人類の直接の先祖は、5万年前アフリカ大陸を脱出した150人あまりの集団だといわれている。最新のゲノムの解読が進んで、人間は神が造り、その神の意に背いて天国を追放されたアダムとイブの子孫であることは否定されたようだ。
アフリカの豊かな森林の消滅が進んで、環境を変えることなく森林を求めて移動したのがサルであり、豊かな森の楽園を棄てる決断をしたのがヒトの祖先だったようだ。現存する熱帯雨林からみても、食物として採取出来る葉や果物の生産量は、年間1ヘクタールあたり40トンといわれ、サバンナの10倍以上、しかも森林の樹上では大型肉食獣からの危険を避けられるし、森林は霊長類にとってまさに『楽園』であった。失楽園ならぬ棄楽園がヒトとサルの分かれ道になったのだろう、、、。
人類の歴史500万年の内の99%は人類発祥の揺籃、アフリカ大陸のグレート・リフト・バレー沿いの渓谷で過ごし、それ以前に各地に散ったヒトの子孫は化石となってその存在を示すが、いずれも絶滅した。氷期の後退が勇気あるリーダーに率いられた150人あまり集団だったのだろう、それから果てしない旅路が彼ら、そして彼らの子孫に待っていた。
食料を求めるだけで一日のどれくらいの時間を必要としたであろうか、農耕・牧畜が早く行われたのがメソポタミヤの地といわれているが、それによって人口が爆発的に増大する条件が整った。一万年前の人口は約500万と予想されてるが、紀元前後には約3億といわれている。農耕によって定住が始まり、いわゆる文明なるものが人間の生活をより豊かに便利なものに変えていくことなるのだが、定着民と移動を続ける民との間には度々軋轢があったことだろう。いわゆる世界四大河文明地域でも、ナイル川流域がもっとも安定し、ムラ→クニ→都市国家→統一国家へと向かった。メソポタミア(現在のイラク)の地は乾燥地帯の大オアシスであり、様々な民族の抗争の場となり、統一国家へ向かうのも遅れ、王朝も度々交替した。インダス川流域も優れた都市機能を持つ都市国家が成立したが、中央アジアからアーリア人の侵略を受け、少数部族が多数民族を支配するカースト制度を生み出した。宇宙から見ることの出来る唯一の人工物といわれる万里の長城を築いた漢民族(定着民)と異民族との抗争は中国史そのものといえるだろう。高い文明を築き、自らを中華、周辺の異民族を、それぞれ東夷、西戒、北荻、南蛮と呼び、文明を誇るが、北荻との抗争は、制圧(武帝の頃)、宥和(王昭君の嫁入り)、被征服(元・清帝国)として、中国史のドラマである。その近代史では、南蛮によるアヘン戦争以来の半植民地化、東夷の中では長年恩恵を与え続け、朝貢し続けていた日本が中国大陸を荒らし回るというおまけもあったのだが、、、。
かってマンモスを狩りながら陸続きだった頃日本に旅してきたと考えられる縄文人と大陸から農耕をもたらした弥生人とも様々な対立抗争があったことだろう。定着民からは、文明と野蛮の対立と考えられるのだろうが、遊牧の民からは、大自然での自活の誇り、定着民の財産は、困った時の略奪の対象だったのだろう。
旅を続けるモンゴロイド系の民族が北米大陸に足を踏み入れたのが1万2000年前に当たるとか、そして陸地の果てるアンデス最南端にはその千年後には到着したようだ。鉄器の未使用がこの地に独自の謎多い文明を残している。北米大陸の先住民と移住してきた白人との物語は、西部劇での侵略した側の正義がまかり通っているが、黄金と石の文化を持つアンデス文明を破壊略奪したスペインの暴虐ぶりは、文明化したはずの人間への警鐘であろう。
アンデス山中の様々な遺跡、アマゾン河流域の遺跡の解明が最近進んでいるが、その地における自然と共生する農耕こそ永続性のある人類の生業だと思う。単純再生産には違いないが、効率性を求め利益を追求することもないし、平和的に日々の生活を送っていたことだろう。余った食料は共同して保管し、必要なものが何時でも受け取れるというサヘルの民(サハラ砂漠の一族)のような仕組みもあり、その為には都市国家以上の大きさにまとまることは稀だったようだ。
ナスカの地上図絵、この国の元官房長官がUFOを信じている根拠にしているようだが、この地の人たちは何らかの理由で空を飛ぶ必要があったのだと思う。エジプトの場合もそうだが、この地の王も人々から太陽の子として崇められることにより支配を容易にした。その為にこの地の人たちは、王が死ぬと、太陽に届ける必要があったのではないだろうか。今でいうと熱気球の様なものを作り、王の遺体を空へ飛ばし、太陽の元へ返そうとしたのだと思う。
何年か前の新聞記事で、アマゾンの熱帯雨林から村に現れ、再び森に去ったメチキチレ族に関する報道がなされていた。現在ブラジルには225部族、約46万人のインディオが主にアマゾン流域に住み、55部族が文明とほとんど接触していないという。それらの部族こそ、5万年前アフリカの地を旅立った人類の祖先の末裔なのだろう、、、。森林の伐採業者や砂金取りの労働者に襲われ、森林で生きる道を絶たれ、やむなく同族のカヤボ族を頼ろうとしたのだろう。カヤボ族の村人は、里帰りの受け入れを決めたが、祝いの食事の準備中に、報道の小型飛行機が飛来、だまされ、殺されるとと思ったメチキチレ族の87人は森に走り去り、今は何処にいるか分からないという。
彼らがアマゾンの熱帯林で生きられることが、この地球上で人類が生き続けられることの最低限の条件だし、物質文明の制御なしの進展を目指す新自由主義経済の人格破戒、地球破戒を止めさせなければならない。永遠の旅人としての人類が、無限の宇宙空間に向けて旅を続けられるために、、、。