自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

文月に寄せて・・教育実践、斉藤喜博さんへ

2008年07月29日 05時50分52秒 | 政治・経済
 あなたが日本の教育界に多くの財産を残し、お亡くなりになってもう四半世紀が立つのですね。私が教育の仕事に就いたときは,あなたはすでに伝説の人でした。『島小の教育』はあなたが常に主張されてた教育の可能性が無限であることの証明ですね。その他、教育実践者としてのあなたの著作を通して知り得たあなたは、あなたにとっては、はなはだご迷惑でしょうが、教職に就いたばかりの私にとって、永遠のライバルでした。もちろんあなたの足下にも及ばないことは承知しつつも目標の人といたしました。

 人となりは、その人の生育歴が深く関わりますが、あなたのご両親が選んだ自主自活の生き方は、経済的には苦しい時もあったのでしょうが、あなたのバックボーンとしてしかと引き継がれていましたね。あなたは勉学を続けるために、経済的負担のない師範学校を選ばれたのですね、あなたは師範学校の体質には拒否反応をお示しだったようですが、図書室の蔵書を全部読み切るとの決心をなされたり、大正デモクラシーの香りを持つ、K先生のような方がいて、教師の道に進まれたのですね。あなたは虚弱体質で、あなた自身30才までは生きられないとすら考えておられたようですが、結婚をなさって奥様の料理のお陰、、さらに母上があなたの身体が丈夫になるようずっと茶断ちをしておられたこと、そして関わった子供たちと日々接する中で、子供たちからエネルギーを受け次第に健康な身体になられたのでしょうね。

 あなたは群教組の文化部長から校長になられたのですから、日教組の教研活動の成果に期待を持ち、熱心にそのリーダーシップを発揮されたのでしょうね。子どもの幸せを願う教師と、そのための財政的基盤を準備をする文部省とは、協力こそすれ、対立する必要はなかったはずです。国際的な冷戦の発動とその冷戦に巻き込まれ、反共の砦とするアメリカの占領政策の転換が、日教組VS文部省の不毛の対立を生んだのでしょうか。あなたが後に、教師に3つのタイプがある、その①、文部省べったり型、その②、セクト拡張型(社共の対立が持ち込まれたのでしょうか)、その③、無気力型、とされましたが、あなたは、①、②、を拒否し、③、をなくすために、教育の可能性を信じ、教育実践に邁進されtのですね。その中で、30,30,30の論理を展開された。優れた実践家が30人、研究者が30人、校長が主体となって学校ぐるみの取り組みがなされてる学校が30校、そうすれば、中教審が何を出そうと日本の教育は大丈夫だとされてましたね。今の日本の教育の現状を見られて、あなたがどのようなお考えをお持ちかお尋ねねしたいのですが、、、。

 私は、経済の論理と、教育の論理はまるっきり違うのに、つまり経済の論理は効率性を重んじ、「小さな努力で、大きな成果」を目指すのに対して、教育の論理は、「無限の努力で、小さな成果」を期すという、いたって謙虚なものだと思うのです。御用学者が経済の論理を教育に持ち込んだのが、この国の教育荒廃の最大の原因だと思うのです。あなたは常に、“学校づくり”という言葉を用いられてましたよね。ところが今はどこへ行っても、“学校経営”となっています。校長を中心としたスクラム型ではなく、校長を頂点とするピラミット型が効率性が良いと考える、教育行政によって推し進められていますね。しかも現場から優秀な管理者(校長)が生まれにくくなったのか、民間の経営手腕のある人材を校長に抜擢する傾向が当然のごとく進行しています。そんな時、あなたが校長で、1学年4クラス、合計24クラスの小学校、先生方に、“担任は私が決めます、先生方はいかようにも意見を出して結構”といわれ、教務主任を中心に、あのクラスは○○君がいるから,A先生、X先生の事情を考えて今年は何年に、とかケンケン諤々の論議の末、24クラスの担任が決まった。あなたはその結果を見て、今年はこの線で行きましょう、ちなみに私の原案は、としてみなに示されたのが、4年と5年の1クラスだけ違っていたが、あとは全て一致していたとのこと、これこそが、企業の管理者とは違う、学校の管理者の大切な資質ですね。子どもと教師、教師間、それらの人間関係を把握しての適材適所に配する能力、これが学校という場の管理者の資質ですよね。私が管理職試験を受けなかったのは永遠のライバルとしてのあなたに及ばないことを理解していたからです。

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