自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

格差を是認する新自由主義

2012年08月31日 10時10分08秒 | コラム

 ”金持ちとゴミためはたまればたまるほど汚くなる。”との江戸庶民の啖呵は悪徳商人への批判として言い伝えられて来たもののだろう。もうける自由がすべての人に認められた社会がヨーロッパで生み出された資本主義というものなのだが、それまでは長い間、商業は賤業と見なされていたし、重商主義の時代は、絶対権力を持つ国王から特定の大商人のみが専売の許可を得ていた。中小商人(ブルジョアジー)の反乱が市民革命に繋がり、もうける自由の競い合いが、産業革命を生み出した。

 市民革命により法的にすべての人の自由平等が認められ、産業革命により生産性が拡大し。安価な商品が大量に提供されるようになり、”地上の楽園”が実現するはずだったのだが、最初に資本主義を生み出したイギリスは、現在英語(イギリス人の言語)が世界で通用しているように、大英帝国の繁栄は、世界の富を力ずくにかき集めたからだ。人に幸せと不幸の両面をもたらすことになった資本主義の解明に挑んだがマルクスであった。彼は資本主義の発生の地、イギリスの社会を分析し、富の源泉は労働にありとし、他人の労働の搾取が資本家の利であることを突き止め、長時間、低賃金、若年労働、等の社会問題の解決には、資本主義に代わる社会主義社会の実現を説いた。それに対して、資本主義の長所、生産性の拡大、を維持し、資本主義の弱点、不況(恐慌)、失業、貧困、等を是正するために、国家による経済政策(金利政策、財政政策)の必要性を説いたのがケインズである。

 自由主義経済を説いたアダムスミス、社会主義経済を主張したカールマルクス、修正資本主義のケインズ、第四の経済理論として、戦争を必要としない平和経済が確立されなければならないのであるが、冷戦の勝利を目指したレーガノミックスといわれる戦争経済が、新自由主義と名を変え、超大国アメリカで主流となっている。アメリカ礼賛のこの国も次第に新自由主義を目指す勢力が、大手メディアに支援され主流となりつつある。

 落語家と言うより、噺し家という方がふさわしい。古今亭志ん生の名台詞、”貧乏を味わった者でなければ、本当の喜びも、おもしろさも、人の情けもわからねえ。”があるのだが、99%の反乱を聞き逃すアメリカの為政者、同じく茶番の国会争乱をしているこの国の為政者、、貧乏とは無縁の生き方をしてきたから、この人類に危機にも無縁でいられるのだろう、、、。


真実の報道に生贄がいるのか、、、

2012年08月26日 08時16分43秒 | コラム

 一休さんの言うめでたいこと”親死に、子死に、孫死に”とは逆の、これ以上にない不幸な出来事、”孫死に、子死に”との現象が現れるのが、事故や戦争(内線を含む)である。東日本震災、シリア内戦、その現場から真実の報道を試みたジャーナリストが、不慮の死を遂げた。娘の死に直面した元ジャーナリストの父親の悲しみは覚悟はしていたものの計り知れないものがあるだろう。

 戦争報道は、現場に出向かないと真実は見えてこないし、常に死と隣り合わせとなるのもやむを得ないのかもしれない。シリア内戦では、国連は有効な措置ができず、反政府側にはイギリス、アメリカが武器援助、政府側にはイラン、ロシア、中国が暗黙の支持をしている。そんな中で、一休さんの言う、これ以上にない不幸な出来事が続いている。

 ほぼ半世紀前、インドシナ戦争(対仏独立戦争)の終末期、超大国のアメリカの介入から始まるベトナム戦争、アメリカ軍の従軍記者とし、さらに解放区に潜入し、収容所生活をしながら、真実の報道を心がけた、故岡村昭彦のことを思い出し、彼の著作”南ベトナム戦争従軍記”を読みなおしてみた。彼はその中で、”これまで自分のみてきたものが、いかに一面的なものであったかを悟らされた。やっと、私はこれまで閉ざされていた片目を開かれ、二つの目でベトナムをみることが出来るようになってきた。”と述べている。ベトナムだけでなく、アイルランド、ドミニカ、国内でも、筑豊、にも現場に根を下ろした希有のジャーナリスト、不運にも、感染症で命を奪われたのは、この国の今のジャーナリズムにとって不幸なことといえるだろう。

 同じくベトナム戦争に関しては、朝日新聞の記者として、”戦場の村”を著した本多勝一氏は、現在でも良心的な硬派の週刊誌“週刊金曜日”で健在であるが、同じく読売新聞の依頼で、ベトナムに赴いた、今も時代の花、石原慎太郎氏は、どんな内容の報告をしたのか、、、。ただ彼の言によると、ベトナムに出向いて政治家を志したとのことだが、崩壊した権力の悲哀から学び、常に権力の側に立ち続ける術を身につけたのかもしれない。早めに歴史から消えてほしい、”軍国おじさん”、”トラブルメイカー”の一人といえるだろう。 


夏の終わりに、、、

2012年08月22日 06時30分12秒 | コラム

 逝く夏を惜しむように、厳しい暑さが続く昨今だが、暑さが去っても、67年前の夏のことは忘れてはいけない。戦争を体験した世代が少なくなる中で、8月6日、9日、15日、を思い出す式典で、戦争の悲劇を繰り返すまいとの確認がなされるのであるが、今年のヒロシマでの特筆される出来事は、原爆投下を命じた大統領、投下したB29の乗組員の二人のお孫さんが式典に参加したことだ。同じく、広島で開催されているU20のアメリカ女子サッカーチームが原爆資料館を訪ね献花して平和への願いを表した。アメリカの懐の深さなのだろうが、一般人同士は平和を構築しあえる証明といえるだろう。

 一方、憲法9条を持つこの国の近辺で、トラブルメイカーの不用意な言動で、一般人同士の中にくさびを打ち込もうとしているのだが、その策略に乗ってはいけない。領土問題は、ナショナリズム、愛国心を大いに刺激するものだが、”愛国心は強国の民は持つべきではなく、弱国の民は失ってはいけない。”との言葉は活かされなくてはならない。その強弱も相対的なものであって、この国の民は、アメリカに対しては愛国心を失ってはいけないし、今の隷属状況を打破するために、愛国心を発揮しなければならない。一方、中国、朝鮮(韓国、北朝鮮)に対しては、古代においては、学びの対象だったが、近代になって両国に対して攻め入り、結果的に両国民の抵抗により敗北し、今後は対等な立場で協力し合っていくことを約束したはずだ。日中平和条約、日韓基本条約、で領土問題を”棚上げ”にした当時の両国政治家の知恵を引き継がなければならない。                                                                                          

”戦争による領土の変更は認めない”を最初に提案したのはべルサイユ会議でのアメリカ大統領、ウイルソンの講和原則14箇条である。その延長沿いにワシントン会議による、中国の領土保全が決められたし、それに反して満州事変を起こした日本が、世界の孤児になってしまったのは歴史的教訓である。ポツダム宣言は、20世紀の戦争による領土変更を是正する内容であったし、ヤルタ密談での米ソでの約束は、その原則に反する取り決めであった。アメリカが、沖縄返還に応じたのは、提案し、国際原則にもなった、アメリカの矜持である(実質的な利は今も維持継続しているが、、、)。それ故に、北方領土問題も最初の交渉相手はロシアではなく、アメリカと旧ソビエトである。ソビエトが崩壊した今は、まず交渉しなければならないのは、20世紀の国際原則に反したヤルタ密談でのアメリカの過ちを、アメリカに認めさせることからスタートしなければならない。そしてアメリカに、旧ソビエト時代の取り決めの破棄を、今のロシアに出してもらうことだ。そして千島列島全部の問題をロシアと交渉し、互いが譲歩し合い。北方先住民の自治共和国とし、日露と先住民との楽園を目指せばいいと思う。

 


オリンピック雑感

2012年08月14日 14時51分57秒 | コラム

 4年に一度の世界スポーツの祭典オリンピックが終わった。合計85ヶ国のアスリートたちが金銀銅の962個のメダルを分け合ったのであるが、国別では北京オリンピックで中国の後塵を拝したアメリカが、金46個、銀銅で合計104のメダルを獲得し、中国の88個を上回り国別チャンピオンに返り咲いた。勝ち負けはスポーツで、メダル獲得数で競ってもらいたいものだが、国際政治の世界では、鷲と竜の覇権争いになっては困る。

  哺乳類では、子どもの頃からじゃれ合ったり、かみ合ったりの遊びがみられるが、これは後の獲物獲得、種の保存のためのバトルに繋がる基礎練習といって良いであろう。その遊びに、ルールを作り、勝敗を競うのがスポーツである。人間が他の動物と異なり、優勝劣敗、適者生存の法則に拘束されないための知恵といって良いであろう。勝っておごらず、敗者に対する気配り、敗れてくじけず、捲土重来を目指す人間らしい心の育成に繋がる人類の英知である。
 スポーツが感動を与えるのは勝敗を競うがフェアプレイに徹し、互いの力を出し切った結果の勝敗であるだけに人の心に響くのであろう。古くは、ウインブルドンでの清水選手とチルデン選手の戦い、’84年ロス・オリンピックで、山下選手と対戦したエジプトの選手が、傷めた右足を攻めなかったフェアープレイ、敗れた清水選手、ラシュワン選手の方に大きな賞賛が寄せられたのは、スポーツを通してすばらしい人間の心が育つことの証明だろう。そのスポーツも最近金権主義が忍び込んできたのが気にかかることではあるが、、、。

 戦争で勝ち負けを競っては人類、そして地球にとてつもない大きな弊害をもたらすものだ。実際の戦火を交えることはなくとも、冷戦で勝敗を競ったため、社会主義ソビエトは崩壊したし、勝ったアメリカは産軍複合体が権力を持ち、その利益を維持するために、『テロとの戦い』を名目に戦火をあちこちに拡大している。躍進著しい中国に対して仮想敵国だとか脅威だとか云って、それなりの準備を、といって、人心をミスリードしてはいけない。

 古代ギリシャで、ポリス(都市国家)同士、共通の神オリンピアードの祭典の時は、争いを止めて、各ポリスの代表による協議で勝敗を競い、勝者には月桂冠の冠のみであった。近代オリンピックの父といわれる、クーベルタン氏はその精神を帝国主義時代の弱肉強食の根絶に活かそうと考えた。サッカーにおいてライバルである、日本と韓国が、銅メダルを競って対戦し、勝利した韓国の選手が、ナショナリズムを発揮したハップニングがあったが、同じく銅メダルを競った女子バレーボールが日本が勝利した引き分けを素直に喜び、今後とも切磋琢磨しあうよき隣人として互いに高めあうことだ。

 竹島(韓国では独島という)の帰属問題で、このオリンピック開催時に波風が生じているが、領土問題は、話し合いで解決するか、力(戦争)で解決するかのいずれかでしかない。力で解決しては、かつての独仏間のアルザス、ロレーヌ地方の二の舞である。日韓の政治指導者は、それぞれの国内向けに強硬な姿勢をあらわにしているが、互いの立場を理解するには想像力が欠かせない、植民地にした方が、植民地にされた側の心理を理解しない限り、不毛の対立が続くことになる。日韓基本条約の合意事項で、話し合いで解決するとなっているのだから、先住権を盾に、日本領土だといっても、先方が納得はしない。植生からは韓半島だし、地勢的には日本列島に属する。問題は漁業利権との関わりである。戦後独立を果たした韓国にとって対馬暖流による豊かな漁業資源は、漁船、漁法の秀でた日本側の独壇場であった。
そのため当時の李承晩大統領は、自国の漁民のために李ラインを公海上に設置し、そのライン内に独島を囲い込み実効支配し、その支配が現在も続いている。それ故に、現在の李大統領が訪問したし、野田氏は声高に自国領と主張しても、足を踏み入れることもできない。

 知恵のある提案をするならば、両国漁民の共通の止まり木にするといいと思う。漁業資源の確保のための共通の研究所を設置し、年間の漁獲高を両国漁民間で取り決めることだ。そして、互いの国民がビザなしで訪問できる場にし、両国国民の交流の場にするといいと思う。
 


八月の夢、、、

2012年08月01日 10時23分15秒 | コラム

 真夏の夜は妖精の活動が活発になる、と多くの人が信じ続けていたのだが、、、。16世紀末に書かれた、W.シェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』が現在に至るまで世界各地で上演され続けているのだが、日常とは異なるハップニングを期待する願望が全ての人の心にあるからなのかもしれない。
 年中行事とハップニングとは相反するイメージがあるが密接な関わりが生じる場合もあると思う。この国の八月の年中行事は、古くからの盂蘭盆、94年目を迎えた甲子園、6年目を迎えた六日、九日の原爆、15日の敗戦(終戦という曖昧な言葉で定着している)といえるだろう。

 8月15日は盂蘭盆と敗戦の日とが重なる。いずれも死者との静かな交流にあるのだが、
 霊魂の有り無しは大きな問題点だが、盂蘭盆に、迎え火、送り火を焚いて先祖の霊を弔うという行事は定着しているし、個々の心の問題としては否定する必要はないであろう。しかし、明治以降、天皇のために戦い戦死したものの霊を靖国に祭っているので、国難に殉じた霊に哀悼の意を表すという行為には大きな問題点が残る。

 67年前、この国の大多数は、“欲しがりません勝つまでは、、、。”とのスローガンに共鳴し、個を犠牲にして国策に協力した。少数の声を上げて非を唱えたものは、治安維持法違反で獄中にあったし、内心は疑問を感じたものも少なくはなかったが、沈黙を守ることが身を守る術であった。その結末が焼け野原となり、悪夢から覚め、平和を実感し、この平和を永遠に続けよう、そして、『東洋のスイス』という新たな夢を描くことも出来た。『人の夢は儚い。』ものなのだろうか、、、。戦前の夢『大東和共栄圏の盟主』はかってのアジアの盟主、イギリス・フランスを追い出すことであり、半ば実現できたときもあったが、同じくアジアに手を伸ばす経済力を付けたアメリカによって、葬り去られてしまった。

 敗戦の中からの国家再建の道は、戦後の流行歌『青い山脈』にあるように、古い上着(軍国主義・ファシズム)にさよならであったはずだ。ポツダム宣言を受託し、無条件降伏したのだから、民主国家としての再建が、その責務であった。主権在民・人権の尊重・恒久平和主義を原則とする憲法を確定し、その理想に向けて歩もうとする、『夢』は存在した。その夢を現実のものにするためには主権者となった国民の力量にもよるが、戦後の政治を古い上着に決別し、自由民権、大正デモクラシーの延長上の政治に根本的に改めるには、戦前、治安維持法違反で獄中にいた人たちを中心に戦前に構築された政治体制とは全く異なる新たな政府がつくられるべきであった。絶対王政を批判し,『バスチーユ牢獄』にとらわれた人々が釈放され、新政府の中心になったから徹底した市民の権利が実現したように、、、。もっとも旧勢力を抹殺するジャコバン独裁の弊害も歴史的に検証されなければならないが、、、。戦争責任を自らの手で追及しなかったというより、追求する意志を持つ政府を自らの手で実現しなかったことが、『東洋のスイス』から遠ざかる道を選んでしまったのだろう。その付けが67年後の今日、東京裁判は勝者の裁判であり不当であるとの考えの政治家が多く見られ、靖国神社の戦争観が否定もされず、国のために命を捧げた人に尊崇の念を表すために靖国に参拝することを正当化している。

 15日は終戦記念日なのか敗戦記念日なのか、この国ではメディアは終戦を定着させてしまっているが、大切な問題である。日本のサッカーに多大な貢献をした、クラマー氏やオシム監督、彼の『負けた試合から学べる。』という語録は真理であろう。終わったことは悔やんでも仕方がない、水に流して新たに頑張ればいい、というのが終戦として括ってしまった戦後67年である。敗戦となれば、原因、その責任、今後のあり方、等検証が必要となる。『歴史から学ぶ』と、明治政府が幕府が締結させられた欧米列強との不平等条約を引き継ぎ、欧米列強の植民地になる危険性を回避するために、富国強兵・殖産興業のスローガンの下、国民の力を結集し、約50年かけて欧米列強と対等の関係に持ち込めたのは評価できる。その間、江華島事件・日清戦争・日露戦争に国運をかけたわけだが、戦争の根本原因は経済である。国内市場が貧しく、官営工場での製品の販路として鎖国をしていた朝鮮に武力で開国を迫ったのが江華島事件だし、その市場独占が清の巻き返しにあって、朝鮮内の内乱に両国が軍隊を派遣したのが日清戦争になったし、重工業の発展に欠かせない、鉄鉱石と原料炭を中国東北から得るため、その地に利害関係にあったロシアとの対立が、同じく中国の内乱をきっかけに武力紛争になったのが日露戦争である。その後、朝鮮を植民地にし第一次世界大戦中に日英同盟を根拠に戦争に荷担し、対華21箇条条約を武力を背景に、革命間もない中華民国に押しつけ、東北を切り取り(満州事変)までは、欧米列強の植民地獲得戦争と同じ、侵略であったことには間違いがない。その裏には、日清・日露戦争を経て成立した財閥の利が追求されていたといえるだろう。中国市場に対する日本の独占を許さない米英の対日経済制裁は、大ばくちの米英戦となるのだが、経済力の差は如何ともしがたく、緒戦の勢いは、すぐさまじり貧、制空・制海権を奪われ、あとはやられっぱなし、神懸かり的な精神主義で、一億玉砕・国土決戦と国民をミスリードした。

 戦後の国際状況の変化は結果的に冷戦を生むことになるが、占領下にあった日本の独立後の歩みは、人類の達した最高度の内容を全て備えた日本国憲法の精神とは異なる道を選択することになる。社会主義陣営の広まり、極めつけは中華人民共和国の成立、英・仏の両植民地帝国の力は激減し、両国の植民地とされていた地域の民族独立の動きが高まり、それらに危機感を感じた唯一の新植民地帝国アメリカにおけるマッカーシズムの台頭、対日占領政策(本来はGHQだが実質はアメリカ)も初期の民主化から、社会主義から資本主義を守る防波堤の役割を担わされることになった。独立を回復するサンフランシスコ条約で、当事国内では全面講和が60%、単独(資本主義国のみ)講和が20%強。このことを見ても当時の国民は戦争はこりごり、平和の尊さを実感し、『東洋のスイス』との夢を求めていた。現実は、吉田首相極秘の提案にアメリカが乗り、賠償放棄と米軍駐留(ポツダム宣言違反)をセットの単独講和となる。アメリカの傘下に入り、反共の防波堤の役割を果たすことになる。それに先立ち、アメリカの冷戦発動により、アメリカにとって有利な状況を作り出す謀略機関,CIAの謀略ともいわれている三大事件(三鷹・下山・松川事件)を利用し、レッドパージ(思想良心の自由を保障した憲法に反する)を強行し、その逆に、戦前戦争に積極的に関わった軍人・言論人・一般人が公職追放になっていたのが、次々と追放解除になり、政界、財界、言論界に復帰して来る。戦前国策に関わりの強かった内務官僚も、文部省、厚生省(いずれも旧)に潜り込み、その後の文部行政。厚生行政に大きな影響を与え続けた。その路線の延長上の目標が、実現した教育基本法の改悪であり、さらに日本国憲法の条文改定(解釈改憲はすでに実現)に間違いはない。何しろ彼らの心の拠り所は、大日本国憲法と教育勅語にあるのだから、、、。それと靖国神社がセットになれば、三種の神器となり、『天皇を中心とする神の国』が生まれることになるであろう。