自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

中東の悲劇はいつまで、、、その③

2009年01月24日 11時43分01秒 | コラム
 パレスチナの問題を、当時その地を委任統治していたイギリスが国連に丸投げしたのは、ナチスのホロコーストから逃れ、『約束の地』に移住して来たユダヤ人と先住ユダヤ人を含むパレスチナ人との抗争を制御できなくなったからだ。国連によるパレスチナ分割決議は、さらなるユダヤ人の移住を保障する意味もあったのだろうが、人口の少ないユダヤ人の方に6割の土地を提供し、イギリスの委任統治を終了することを決め、その統治終了日の1948年5月、国連決議を基にイスラエル建国を宣言する。

 土地を奪われ追放されるパレスチナのアラブ人に対する同情から、周りのアラブ諸国は、イスラエルの建国を認めることなく、武力介入した。第一次中東戦争の始まりである。緒戦は苦戦したが、『約束の地』を守るべく奮戦したイスラエルは、アラブ諸国の分裂もあり、2度の休戦中に、大量の武器をアメリカから受け、優位を保ち国連の停戦を受け容れた。イスラエルの占領地は拡大した。ちなみに今回問題となったガザ地区はエジプト領となり、ヨルダンが占領した地域がヨルダン川西岸地区である。

 アラブの民族主義も高揚し、アラブの盟主を目指したエジプトのナセル大統領、アスワンダムの支援を打ち切った西側に対抗し、ソビエトに接近し、スエズ運河の国有化を宣言した。イギリス・フランスはイスラエルを誘い、エジプト攻撃(第二次中東戦争)。ソビエトの強硬姿勢、アメリカの中立維持もあって、イギリスはこの地から完全撤退することとなった。

 アラブ連合(エジプト・シリア)の、ゴラン高原解決を目指しての対イスラエル戦を事前に察知したイスラエルは、先制攻撃で制空権を獲得、地上戦でも6日間で圧勝した(第三次中東戦争)。占領地にユダヤ人入植地を拡大し、中東問題の解決を遅らせている。1973年のオイルショックは、この年に対イスラエル先制攻撃を始め失地回復を図ったエジプト、シリア、石油戦略にある。(第四次中東戦争)
 周到に準備し、対空ミサイルもソビエトから購入、緒戦はアラブ側が優位に進め、シナイ半島を回復、シリアはゴラン高原を回復した。イスラエルも反撃し、ゴラン高原を再占領、スエズ運河西岸一部を占領、国際調停もあり停戦に至る。

 ナセル亡き後、エジプトの指導者となったサダト大統領は、ナセル外交を切り替え、親米路線を取る。カーター大統領の仲介によるキャンプデービット合意により、アラブ諸国で最初にイスラエルを承認した(’78年3月)。イスラエルとの共存との現実路線のサダトは、’81年暗殺される。同じく、クリントン大統領の仲介により、PLOとの相互承認に合意したイスラエルのラビン首相が、熱狂的なシオニストに暗殺されたのは中東問題の複雑さの証明であろう。

 3度目の正直、つまりアメリカ民主党政権の、カーター、クリントン、に続く、新オバマ政権、両者が合意できる仲介作業で、平和的に中東問題を解決できるのであろうか。その点で不安を感じるのは、彼の主張する『一つのアメリカ』には、先住民が入っていないことである。今は居留地で細々と存在している、駆逐されたアメリカ先住民と同じ待遇にパレスチナ人が置かれることがあってはならない。
 イスラエルがガザのパレスチナ難民を無差別に虐殺している時、アメリカの下院では、390対5の圧倒的多数で、イスラエルの自衛権行使の容認を決議しているし、オバマ氏が選んだ副大統領は、自らをシオニストと自認しているし、首席補佐官はイスラエルとの二重国籍所有者だし、国務長官は親イスラエルだし、その他のスタッフもユダヤロビーの影響下にある人物が多い。『真理は最初は常に少数である』とあるように、少数の反対者5名の中の唯一の共和党員、ロン・ポール議員の主張に耳を傾け、アメリカ先住民の歴史、パレスチナの先住民(オスマンの支配下、宗教の違いがあっても共存、人種的には同種)の移住ユダヤ人による追放の歴史を学んで、恒久和平案をイスラエルに認めさせなければならない。

 イスラエルの生存権を守るのがアメリカの使命だとしても、生存の保障される地域は、最大見積もってもかっての分割案の6割弱の地域であり、数多くの戦争で拡大した領土は、パレスチナ人、周りのヨルダン、シリアに無条件で返還させるべきだ。パレスチナに住んでいたアラブ人の生存権は、祖先の地への帰還を保障し、イスラエル領内での居住の自由、自治も保障されなければならない。占領地のユダヤ人入植者のためには、サハラ砂漠の不毛の地を永久に租借し、緑の大地にするために、ロスチャイルド家を含む多くのユダヤ系富豪の支援を受け、実現することだ。

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