自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

CIAとNSA、どちらが怖い、、、

2017年06月28日 12時44分57秒 | コラム

 オリバー、ストーン監督の映画、”スノーデン”を見る機会があった。監督は自らのベトナム戦争の体験を元に”プラトーン”を作成し、その他問題作を世に送る社会派映画監督として大活躍している。アメリカの最高秘密情報を暴露したとして、アメリカに送還されたら、おそらく極刑に処されるか、消されかねないスノーデン氏は、現在ロシアに滞在しているのだが、彼と9回の会談した後、映画”スノーデン”を制作した。ストーン監督は、”彼は国家秘密を暴露したとして罪を犯したと見なされてるが、誰も傷つけてはいない、人に考える機会を与えた。”と述べているのだが、確かに私自身考える機会をもらったと思っている。

 スノーデン氏の父も祖父も、国の職員だったし、国家に奉仕するのが当然との考えを持ち、その優れた才能を活かす道を探し求めたすえ、リクルートされて,NSAやCIAで勤務することとなった。日本でも2年ほど勤務したようで、横田基地が勤務地だったとか、、、。そこで、アメリカの無人飛行機で殺される運命にある人の監視映像を見続ける内に、大いなる疑問にぶち当たったようだ。彼が日本で勤務していた時代は、戦後保守政権に変わって、鳩山政権が成立した時期と重なる。”コンクリートから人へ、対等で緊密な日米関係”が多くの賛同を得た時期である。

 サイバー戦争なるものは進行中で、日本に対しても、スパイプログラムなるしかけがあるそうだ。ダム、駅、発電所、銀行、等に仕掛けておいて、いざアメリカとの同盟関係(実際は従属関係)を壊すような動きがあれば、一斉に作動させることが出来るようになっているとか、、、。そんなことを知っている勢力は、それまではジャパンハンドラーズの言いなりになるのは必然である。鳩山内閣が、辺野古以外への移転の公約を果たせなくて辞任したのも今考えると理解できる。


国権の最高機関は国会、官邸ではない、、、

2017年06月21日 17時12分16秒 | コラム

 問題だらけの法案を奇手を使って強引に国会を通過させ、通常国会を閉じると同時に、あったかもしれない”男達の悪巧み”の追及をかわそうとしている。野党は国会閉会中の集中審議を求めているが、数で押し切れる与党は応じる気配はない。官邸の横暴に命をかけて異議申し立てをしたのが前川元文科省次官なのだろう。

 官邸の本来の役目は、国権の最高機関である国会が定めた法令を、実施していく行政機関間での物事がスムーズに進められるための調整機関に過ぎない。、その最高責任者である総理大臣の見識と大いなる関わりがある。立憲主義への理解が不十分で、民主主義の原理は多数決に有りを盲信している総理大臣を持つ今のこの国は危うい政治状況と言えるだろう。閣議決定で従来の憲法解釈を変更するし、違憲の疑いのある法令も国会の多数決で強引に通しているし、三権分立の司法権を持ち、違憲立法審査権を持つ裁判所に対しては、人事権を悪用し、行政に従順な裁判官を作り出す。全体の奉仕者たらんとする公務員(司法、行政に関わる)に対しては、あらゆる情報機能を駆使して、身上調査を死、場合によっては脅しの材料にしてる場合もあると思う。

 仰ぎては天に恥じず、伏しては己に恥じぬ生き方をしていれば問題はないのだろうが、大多数の人間は、”叩けば埃の出る”存在である。埃を誇りに変え、人として社会悪を告発し様として消された人はどれだけ存在するのだろうか、また告発を断念した人も、、、。前川さんも、官邸がリークした情報で貶められようとしたが、出向いた場所での己のやましいことがなかったから真実を口にし続けているのだと思う。消されることのないよう守り続ける必要がある。世界史的にも、マルチン、ルターが、”免罪符を買えば、生前犯した罪が許される”とは聖書の何処に書かれている、と抗議(プロテスト)した時、異端者として火あぶり刑になるところだったが、かくまってくれた公爵がいて、当時発明された印刷術で、彼の主張が流布されたので、宗教改革に繋がった。スノーデン氏も今ロシアでかくまわれているようだ。


六月雑感

2017年06月14日 14時59分16秒 | コラム

 梅雨の季節なのに、”水無月”とは皮肉屋らしい命名ですね、、、。もっとも瑞穂の国にとって、この季節がないと困ります。散歩の途中で、よく耕されて田植えも完了し、一日一日とみどりが増す田畝を眺めたれるのはほっと出来る一瞬である。農薬を多く使用するようになり、今の時期に田畝を舞い続けた蛍が見られなくなったのは寂しいことであるが、山間の沢水で稲作を続けている地域では、夏は夜が良いと述べた清少納言の”蛍の飛びちがいたるいとおかし”を時代を超えて体験できる。日中の散歩を止めてこの時期は夜の散歩に切り替えているが、”蛍祭り”等のイベントでの人混みの中の鑑賞ではなく、一人で鑑賞する贅沢は何物にも代えられない楽しみである。

 ファスティング(断食療法)の効果を試してみるために、イスラム教徒のラマダーンに合わせて、断食するのも良いのかもしれない。片や肥満で苦しみ、ダイエットもままならない人がいる一方、飢えに苦しむ人が存在するこの地球、金儲けのためだったら、人を不幸にすることに鈍感な人間、人間の醜さを制御する方法を考えたのが宗教家という人たちだろう、、、。”宗論はどちらが負けても釈迦の恥”と言うように、仏教では宗派の争いは目立ったものは存在しなかった。キリスト教では、人間キリストは別にして、新教と旧教では殺し合い、宗教戦争もあった。イスラム教でも、スンニ派、シーア派は相容れない抗争を重ねている。一神教を教義とする、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には寛容の心がないのであろうか、、、、。

 イスラム教世界とキリスト教世界の対立抗争だった、200年にわたる”十字軍”、キリスト教成立から1000年以上たって、ローマ時代に国教となり、その最高権力者となったローマ法王の命令により発動された戦争である。エルサレムは一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、一生の内、その聖地に巡礼することがそれぞれの教徒の義務となされている。人間は神が作り、その神の教えを守らなかった為、追放されたアダムとイブの子孫であるとし、現在を背負って生きていく人間は、この世では苦しむのは当然、勤勉に働き、聖地を参拝すれば元の天国に生まれ変わることが出来る。それ故に死に当たってすべての財産は教会に寄進することがキリスト教徒の義務であると説いた。”金が集まるところには腐敗が生じる”のは人間界の真理である。教会の腐敗は当然のこととなる。その総締めのローマ教会も腐敗からは免れない。キリスト教の聖地、エルサレムを占領支配したのは、イスラム教を引き継いだトルコ民族(セルジュックトルコ)である。巡礼するキリスト教徒には、税金を納めさえすれば巡礼を認めたのだが、その分巡礼を終えた後の寄進が少なくなる。それ故に”聖地エルサレムを異教徒(悪魔と同一視)から取り戻せ”となったのが十字軍である。

 同じ過ち、イスラム世界とキリスト世界の対立抗争はやってはいけない。

 

 


ラマダーンの月に、、、

2017年06月07日 12時41分09秒 | コラム

 イスラム暦の9番目の月、ラマダーンではイスラム教徒は日の出から日没までは一切の飲食を禁じている。今日明日の食べ物がなくて、ひもじい思いをしている人への共感を思い起こさせ、貧しい人への喜捨を義務とするイスラム教義の実践を諮る月となるのだろう。

 ”ひもじい”思いをした世代、つまりこの国では戦後の一時期、それ以前では人類の歴史500万年の内大部分はひもじい思いをしてきたはずだ。農耕が始まり定着民は日々働くことにより飢えからは解放されたが、遊牧民からは略奪の対象であった。”ひもじさ”が他への思いやりにもなるし、他から奪い取ることにもなる人間の性を、何とかして善導しようとしたのが、宗教家達なのだろう。

 世界三大宗教と言われている、仏教、キリスト教、イスラム教、もっとも古い仏教は、インダス文明の栄えた定着地に進入してきたアーリア人が現地人を奴隷とし、その支配を正当化するために、バラモンの教義を強制した。つまり神はその唇からバラモンを、両手からクシャトリアを、両足からヴァイシャを、足の裏からシュードラを作った。それ故に生まれながらにして尊いのがバラモン、泥にまみれるのが当然のシュードラ(奴隷)。それに疑問を持ち。釈迦族の王子で有りながら、セルフディナイアルして、”人は生まれによってではなく、その行いによって尊くもなるし、卑しくもなる。”と説き、”有り余る財は身を滅ぼす、喜んで捨てなさい。”と教えた。現地、インドでは定着せず、東アジア、東南アジアに広く広まった。

 宗教界でも、”権力は腐敗する”は貫徹するようで、”宗教はアヘンである”も真理である。イスラム過激派の自爆テロが頻発しているが、イスラム教宗派内の対立で、反対派を暗殺する正当性を信じ込ませ、”聖なる戦いの戦士”となれば天国に生まれ変われるとの教義を信じるようにさせないと、暗殺も自爆テロも起こるはずはない。そういえば神風特攻隊の若者も注射を打たされて突入していったそうだ、、、。