自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

経済は食べて、着て、寝る(食・衣・住)

2010年10月27日 14時03分56秒 | コラム
 健全な経済活動は、景気の変動が小幅であり、需給関係がスムーズに一体化していることにある。つまり生産されたもの(供給)が売れ残ることなく、消費者に購入して貰えれば良いのである。私的なことになるが、私は生産者の立場に立つことなく、ずっと賢い消費者の立場に徹してきたつもりだ。物を購入するに当たっては、安くて良い品、そして自分が必要とする物に限定して購入してきた。具体的な商品を上げると、かって、良質な図書を訪問販売する会社があった。全集物に良書がありかつ購入して読みたいと思った時、それを購入する資金があることが、真の購買力といえるだろう。訪問販売員の人は、月賦購入を勧めるが、購入者としては、将来の購買力を前もって使い切ることであり、健全な需給関係が破綻するきっかけであり望ましい物ではないだろう。それ故に、即金で払えない物の購入は一度もすることなく過ごしてきた。昨今は、あらゆる耐久商品はローンを組むのが当然視され、さらにカードにより、現金がなくとも信用買いが可能となってしまっている。これなどは度を過ぎた購買意欲を駆り立て、経済破綻(健全な需給関係を破壊)への道を歩むことになる。今の世界的経済破綻のきっかけが、サブプライムローンであったことは頷ける。

 1年に1個の黄金の卵を産むガチョウ(イソップ童話)と言える、このかけがえのない惑星、地球を損ない続けている経済活動(人類のエゴを満足させる)に歯止めを掛けることが出来ないと、22世紀を迎える前に、命を生む惑星の生命力が失われてしまうかも知れない。そうならないためには先進国は、G8とか、G20とかの談合で、自らのエゴを維持するのでなく、経済成長路線をきっぱりと断念することである。

 『衣食足りて礼節を知る』、『乏しきを憂えず、等しからざるを憂えず』は二千五百年前の孔子の言であるが、今の中国にも蘇る必要があるだろう。アヘン戦争以来100年間もの間、欧米列強(最後は日本も加わり)の侵略をうけ、先進国のエゴの被害を受けた経験を持つ中国こそ、先進国の歩んだ道を後追いすることなく、弱者の立場に立って、本来の経済活動を展開すべきである。何しろ13億の民が働く喜びを持って勤労に勤しめば、世界ナンバー1の生産量を上げるのは当然である。

経済は食べて、着て、寝るで十分

2010年10月26日 12時16分47秒 | コラム
 遠き人類の生活に想像力を働かせてみよう。生産活動はなかったし、採取経済であり、1日の食料を得るだけに大部分の時間をかけたし、防寒、雨よけ用の衣服は、自然ののものを少々加工する程度だったろうし、さらに安心して休める寝床の保障もままならなかったであろう。よって、明日の食に心配がなく、今日の暖かい寝床があれば、十分に贅沢をしている、それ以上の物質的欲望を制御できて、精神的豊かさを求める“賢い人”としての生き方を模索できる人類であればよいのだが、、、。

 農耕・牧畜の生産活動が始まり、食料の安定供給は人口の増加、さらなる生産の増大を促し、やがて国家の成立となる。社会的生きものとしての人類は(人は1人では生きられない)社会の仕組みも、原始共産制(身分や第女の差別を知らない時代)から奴隷制、封建制へと歩を進め、分業と協業による生産性の飛躍的な向上は、産業革命を起こし、現在に至るも継続中である。歴史的には、欧米で市民革命により経済活動の自由が確保され、産業革命により資本主義社会が生まれ、さらなる生産性の拡大が、原料の供給地、製品の販路(市場)を目指し海外に植民地獲得を目指す帝国主義の成立と言うことになっている。

 資本主義も、商業資本、産業資本、金融資本との変遷を辿るのだが、産業資本までは人類の物質的豊かさを保障してくれたし、この国でも大原孫三郎、アメリカのカーネギー鉄鋼王に象徴されるように、利益は社会から得たのだから社会へ還元するとの人の心を持った資本家が存在した。金融資本となると、イギリスのロスチャイルド、アメリカのロックフェラーに代表される金融資本家は、人の心を持ち合わせてはならず、金の支配を受け容れざるを得なくなる。

 人に喜んで買ってもらい、使って貰う商品を出来るだけ安く生産することに命をかけた産業資本家が多く存在したのは何時の時代までなのだろうか。市場主義経済万能の時代とはいえ、その原点をしっかり押さえておく必要がある。その時の値段で購入できる社会的購買量が需要であり、同じく販売できる量が供給である。その需給関係でバランス良く維持されるのが市場経済である。人類に多くの不幸をもたらした戦争によって維持される経済は早々に撤退させなくてはならない。自由競争の下、成立した独占資本はその巨大な生産力を用いさらなる発展を遂げるためには、需要の確保が欠かせない。そのために売れ残る心配がなく、莫大な利が保障される軍需産業に傾くこととなる。つまり政府が買い手であるから、売れ残る心配がなくなる。戦前の三菱財閥が、日清・日露戦争で財閥に成長し、政治をも左右したし、現在のアメリカをリードしている産軍複合体なども同じ論理である。PART2へ続く

 

ゼロ金利・・・異例でなく正常

2010年10月05日 19時58分12秒 | コラム
 まともな経済活動であれば、ゼロ金利は社会的に正しいといえる。つまり当面自分が必要とする以上の余分な金があれば、お金を借りて企業を興し、雇用を生み出し、社会的購買力を高めようとするまともな起業家を支援するために、利子を取らないで金を貸すことは、高い道徳性を持つ経済活動を支援し、それに参加することである。その中で、経済が発展し、労働生産性か高まれば、労働価値説は絶対的真理だし、諸々の商品の価値は低下するし、物価が下がるのは当然である。物価が下がれば、利息などなくとも、貸しておいた金の値打ちは高まるし、借り手も貸し手も利となる。つまりウイン・ウインの関係が維持出来る。イスラム銀行が利子を取らないのはイスラム社会の教義を経済面で実践しようとする営みである。

 物価が引き続き上昇する現象をインフレーションと言い、引き続き下がることをデフレーションというのは、中学生でも学ぶ経済の基礎だが。今日、日銀がゼロ金利政策を、インフレ傾向(物価がが1%上昇する)まで持続する決定をしたのだが、何かデフレが経済不況の元凶なみに捉えられているが大きな間違いといえるだろう。高い道徳性を持つ経済活動が行われていれば、前に述べた利子のない社会が成り立つ。金を貸した預金者は、金を借りて企業活動を行う人の社会的道義を期待しているのであって、両者ともそういう経済活動によっえ恩恵を受けるものである。

 所が、命名は非の打ち所がないのだが、“新自由主義”というなの経済活動は、一部の勝ち組と大多数の負け組を生み出す仕組みとなっている。勝ち組の論理は、自分は能力があり最大限の努力をしたのだ、そうしたものが豊かな生活を出来るのが当たり前、怠けていて貧乏するのは自己責任だ、と考える。アメリカの勝ち組の象徴、“要塞の街の住人”、日本の“六本木ビルの住人”の人間性は如何なものなのであろう、、、。

 腐れ資本主義(故青木雄二氏の言)の暴走は止まることを知らないが、生産性向上という点では資本主義は最高の名馬、駿馬である、しかし人間が乗りこなすには、鐙と轡が欠かせない。市場経済というのはアダムスミスの“見えざる神の手”に任せると言うことであり、上がりすぎた市場価格は引き下げ、下がりすぎた市場価格を引き上げる、Y軸上にある見えざる手とは、その商品の価値(社会的労働量)であると言える。交換の仲立ちとしての貨幣、社会的労働量をこよなく表現できたこの地上の物質が“金”であり、金本位が実現していた頃は、ほぼ10年おきの景気の変動はあったが、金の保有量が“轡”を役割を果たしていた。

 資本主義国の全てが金本位を維持できなくなり、国際的には、世界の富み(金で表せる)を集めたイギリスのポンド、第2次大戦後はドルが世界通貨の役割を果たしたが、各国は、何時でも金の交換出来るとの約束があればこそ、ポンドやドルに世界通貨の代役を任せていた。世界各地の軍事基地の維持費、ベトナム戦争の戦費をドルで支払ったアメリカは、輪転機で大量のドル紙幣を世界中にばらまいた。当然ドルを蓄えた国は、不安に感じ、金との交換を意図したし、突然のドルと金の交換停止
(ニクソンショック)によって、“轡”も外されてしまった。瞬く間にドル安、円高が進み、それまでの1ドル=360円のレートが、200円台になり、現在では80円台、かっての四分の一になっている。その間せっせと貯め込んだ外貨準備高(ドル建ての)は目減りし、その分アメリカに貢いだ形になっていることを忘れてはいけない。

領土問題は対立でなく協調で、、、

2010年10月01日 14時53分05秒 | コラム
 領土問題は、前のコラムで触れたように、先住権、地勢、植生、実効支配、等を考慮して、武力で解決するのではなく(19世紀~20世紀はそれがまかり通り、実効支配に繋がった)ヒューマニズムの立場で話し合いで解決すべきである。その場合、先住権、地勢は重視されるべきであろう。特に帝国主義時代に多くの先住民(多くは所有権を知らない)は先進国に支配、殲滅された哀しい過去を持っているだけに、人類的立場に立った先住民権利回復が望まれる時代となっている。さりとて、北米大陸は、アパッチやスー族に、オーストラリアはアボリジニーに、ニュージーランドはマオリに、北海道はアイヌ人へ、とまでは言い張ることは難しいが、、、。

 第一次世界大戦における大きな犠牲から学んだ人類は、戦争の根絶のために方策として、アメリカの大統領、ウイルソンの提案による、無賠償、無併合、民族自決、等の貴重な呼びかけがあった。中国市場の支配の意志は第一次大戦後イギリスに代わり世界最大の経済大国になったアメリカにはあったが、領土的野心はなかったし、多くの犠牲を払って武力占領した沖縄も領有の意志はありながらも、前に提案した無賠償・無併合の“民主国家、世界のモデル”としてのアメリカを体現すべく、返還に応じた(密約を結び、実利は維持して)。

 “戦争によって領土の変更は認めない”がアメリカの国是となっているし、“尖閣問題は安保条約の適用を受ける”などとアメリカに支援を受けようとするのではなく、北方領土の問題でアメリカの支援を受けるべきだ。つまりヤルタ会談で、戦争早期終結のため、ソビエトの参戦を求め、その見返りに、ソビエトに千島列島の領有を密約したことは、戦争による領土変更になるし間違いであったと言うことを、日ロ両国に伝え、ロシアを説得して貰うことだ。確かにサンフランシスコ会議で、当時の吉田首相が“千島列島は放棄する”と述べたため、実効支配のソビエト(現在のロシア)がその正当性を主張しているのだが、、。アメリカからの圧力で言わされた千島列島の放棄、は国際間で表明したことだし、今さら我が国が、領有権は主張できないとしても、放棄した千島列島の帰属はロシアにあるとは言えない。返還を強く求めるべきは、歯舞・色丹諸島である。これらは地勢的に根室半島に続きであり、千島列島には入らないことを主張すべきである。江戸時代の日ロ和親条約で、樺太を混在地、千島列島の択捉以南を南千島として、国境を定めたのだが、これこそ北方少数民族(自然の厳しさの中で人類の生活の場を広めた)にとっては勝手すぎる列強の取り決めだし、先住権を盾に生活権を主張できる地域である。千島列島はカムチャッカ半島から北海道間に繋がる島々だし、サンフランシスコ会議で放棄したのは、ウルップ以北であるとの主張は正当性を欠く。これからのロシアとの交渉で、日ロが協力して、千島列島に北方少数先住民の楽園を作り、支援する人類的課題を実現すべきだと思う。