自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

年末雑感

2011年12月31日 09時14分45秒 | コラム

 太陽暦を採用している地域では、本日が2011年の終わり、明日が元旦となる。年末年頭の年中行事はそれぞれの地域で独特なものがあるのだろうけど、この国では除夜の鐘を聞いての初詣、初日の出を拝むのが、{終わりよければすべてよし、始めよければすべてよし}を言い伝えてきた風習である。私はこのところ、自由人となって以来、高台に上って日没を眺めるのを年末の行事にしている。冬晴れのここ関東では、今日も日没を鑑賞できるだろう。

 さて去りゆく2011年はどんな年だったのだろうか、アラブの春という名のエジプト、リビアでの独裁者の退陣、これまたメディアが定着させた(同時多発テロ)の容疑者ビンラディンの暗殺、先進国欧米の経済危機、この国では、3-11三陸大地震である。ネット上では、単純な自然災害ではないとの意見も出されているが、真実を知る立場にある人たちが口をつぐんでいては、既成事実がまかり通り真実は闇に葬られてしまう。

 闇に葬られた真実を明らかにする仕事は容易なことではないが、戦後の松川、三鷹、下山事件の夜と霧の解明に尽力した松本清張氏、9-11の疑問解明に当たっている成澤氏などの努力には頭が下がる。満州の夜と霧をテーマのノンフィクション作家の佐野氏などもその中に入れてよいであろう。当方のやれることは、ハチドリの一滴のごとく、彼らの本を購入して精読し、周りの知人にそれとなく知らせるだけなのであるが、、、。

 昨年は雲間に沈んだ太陽だったが、今年は仰角0度での日没を眺めることができた。かって視界360度の高原で日の出を眺めたこともあるが、人間の精神活動として、世界各地で太陽信仰が生まれたのも納得がいく神々しさであった。この世を穢土と見なし、西方に極楽浄土の存在を夢見、信仰により往生できると説いた宗教家、証明はできないけど現世で苦しむ民の慰めになったのは事実であろう。啓蒙思想家は、神の国をこの地上にと主張したし、その夢は未だ実現していないが、極楽浄土をこの地上に!を説く思想家も出ていい頃だ、、、。

             


12/8の前に9/18がある

2011年12月08日 19時47分18秒 | コラム

 真珠湾から70年ということで、メディアも大きく取り上げ特集まで組んでいるが、80年前の満州事変(この国は不戦条約に加入していたし、交戦権を発動しての戦争は建前上やらないことになっていたので、日中15年侵略戦争の勃発を、事変と言い換えた)とセットにして考えないと、歴史から学んで賢くなることができず、同じ過ちを犯す危険がある。

 女真族の刀伊の侵攻、当時の世界帝国モンゴルの侵攻はあったが、それをはねのけ、他民族に支配されることがなかったこの国は、12/8の対米英戦争を発動し、惨めな結末を迎え、史上初の他民族に占領されることとなる。本来は連合国の占領下に置かれたのだが、それを代弁したアメリカの占領を受ける形となった。それ故に、アメリカに敗れた戦争として、12/8の真珠湾攻撃の開戦。8/15の終戦とのくくりをしている。

 第一次世界大戦は、イギリスの帝国主義政策(3C政策)と新興帝国主義国、ドイツの3B政策の経済対立が根本原因であり、戦後の帝国主義国間の妥協が、ベルサイユ会議でなされ(敗戦国ドイツには報復的処理であったが)、その延長沿いに、次の帝国主義国間の利害関係のある、中国の市場を巡る対立を和らぐべく。ワシントンの軍縮会議でアメリカの言い分が通り、中国の領土保全、門戸開放、機会均等等の約束がなされ、同時に日英同盟が廃止された。イギリスはロシアの南下政策を押さえるために、日本を利用したし、大戦中のロシア革命により、南下政策は終了したし、中国を巡る日米対立が表面だっていた。(日清戦争で日本が勝利したとき、アメリカでは日本を仮想敵国と見なしていたのは驚きだが、、、)

 米英の支援の元、日露戦争に踏み切り、朝鮮を植民地として帝国主義の仲間入りまでは米英の許容範囲(治外法権の撤廃、関税自主権の回復に同意)中国市場での勝手は許さないのが米英の基本政策であった。その米英に警戒感を持たせたのが大戦中の対華21箇条要求だし、潰しにかかったのが、9/18以後である。