自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

ク=ベルタン。今ありせば、、、

2021年07月17日 13時00分55秒 | コラム

 オリンピック東京大会が強行される現状だが、とてもスポーツを通してぬ国際交流とは縁遠いことになってしまっている。地中海に突き出た半島の、マケドニアには、自らをヘラスと名乗る人々が生活をしていた。ポリスと言われる都市国家が多く成立し、互いに協調したり争ったりしていたのだが、東の強国ペルシャ帝国との間との戦いに勝利したのだが、とくにその中心となっていた都市国家であった、アテネとスパルタは永遠のライバル同士であったし争いを繰り返した。共通の神ゼウスを祭るオリンポス山にちなんで、ポリス同士の争いをやめて、スポ=ツ競技を行っていたとの故事にちなんで、帝国主義の世を迎えた世界も争いが続いていた。

  人類の英知vs帝国主義の利の問題で、前者の立場で古代オリンピックを参考に近代オリンピックを提唱したのが、ク=ベルタン男爵である。帝国主義国間の利の対立が第一次、第二次世界大戦を起こし、度々オリンピックも中止に追い込まれたが、第二次世界大戦後、開催されたのが。1952年のヘルシンキ大会である。当時私は中学生であり、戦後民主主義の洗礼を受けた世代である。テレビもない時代であったし。ラジオ放送で、5000、Ⅰ万、マラソンの三種目で優勝した、ザトペックのことは今でも記憶しているし、”いいな、いいな、人間っていいな”を実感できた世代である。


超大国、アメリカは人類にとってどんな役割を果たすのか、、、

2021年07月04日 11時48分33秒 | コラム

 今日7月4日は、アメリカ独立記念日である。1776年、13のイギリスの植民地が本国から独立戦争を経て、イギリスのライバルでもあった、フランスの協力もあって、本国から独立を果たしたのである。それ以前の南北アメリカ大陸は、永遠の旅人であるアジア系先住民が部族単位で生活する地域であった。1492年、コロンブスのアメリカ大陸発見とは歴史で学んでいるのだが、無人の大陸ではなかったことは真実である。

 地球球体説がヨーロッパで確立したのは、ニュートンの万有引力が確定されたからである。いわゆる冒険家と言われる人たちが、”海の向こうにある何か”を求めて大西洋を横断して、南北アメリカ大陸の存在を明らかにした。イタリアの冒険家、アメリゴ、ベスプッチは3~4度、新大陸に出向いたようだが、宣伝が効いたのだろう、彼が語る新大陸(アジア系先住民の存在を無視して)のことをアメリカ大陸と呼称することになった。

  アジア系先住民とヨーロッパからの移住民との関係は、初期は至って友好的であった。私有観念のない先住民は、様々な恩恵を移住住民に与えた。特に。メイフラワー号で移住してきた、本国イギリスで弾圧されていた人々に対しては至って友好的であった。東部に13の植民地が成立したのは、18世紀初頭であった。本国イギリスは、スペインを破り、世界チャンピオンの立場に立つが、新たなライバル、フランスとアフリカ、インドでは勝利したが、東南アジアでは、タイを緩衝地として妥協した。新大陸でも抗争は続くが、戦費調達のために、13の植民地に新たな課税をする。代表権を要求するも応じない本国に対して。”代表権無くは、課税なし”のスローガンを掲げ独立へと向かう。

  建国なって約250、アメリカ合衆国は、政治上の民主主義の進展には多大の貢献をした。特に大統領制での2期以上の継続を認めないのは、官僚主義に対する最大の防波堤となっている。一般社会でも、優れた人物と言え長年同じ地位にとどまっていると、一般会社であろうと、地方の政治(町長、市長、県知事)でもその組織には、官僚主義がはびこってしまうし、事なかれ主義、前例主義がはびこってしまい、停滞してしまう例が多い。その点では、大統領は二期以上は禁止、という決まりは、人類の英知と言えるだろう。あらゆる面でこの考えを活かす必要がある。人類社会の堕落、絶滅を避けるためには、、、。

  政治的貢献は顕著だが、経済的にはどうなのだろうか。ニューディール政策で恐慌の克服には成功し、資本主義の崩壊は防げたが、経済的格差の解消には、何の貢献もしていないどころか、拍車をかけ続け、1パ=セントの富裕層と99パーセントの一般市民との格差拡大に突き進んでいる。


今年も後半に入る、、、

2021年07月01日 21時34分46秒 | コラム

 先々の見通しのない日々が続いている。二度目の東京オリンピックは行われるのか、コロナ騒動は何時収まるのか、マスクは何時外せるのか、等々、、、。当事者は自信なさげな発言をしているのだが、この国の無責任体制がますます明らかになってくるだけだ、、、。

 もう少し夢のある話題に変えましょう。10年ほど前に、私はこのブログで、七月(文月)にちなんで、誰かに心のこもった手紙を書いてみよう、ケータイ、スマホに逆らって、自筆の手紙を、ペン、毛筆、鉛筆でもいいし、、、。出す相手のいない人は、自分への手紙でも、、、と提案し、私自身自分の生育にかかわりのあった人を選んで、30名近くの人に架空の手紙を書いたものだ、のちにその手紙を本にして発行したのだが、いま読み返してみて、すごく感じ入ることが多いのがうれしいことである。