自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

どぎゃんかせんばは増長心

2009年06月30日 08時12分43秒 | コラム
 一定の年齢に達したものは政治に参加する権利、参政権を持つ、というのは、絶対王政に代わる議会政治、そして制限選挙から普通選挙へとの長い人類の政治闘争の結果、考えだされた制度である。そしてその参政権は、選挙権と被選挙権からなる。お笑いタレントのみならず全ての国民が政治に関心を持つのは主権者として当たり前のことである。政治の所為で、暗く惨めな生活を余儀なくされている人に、お笑いを通して政治的関心を高める役割を果たすのは、タレント(才能ある人)のタレントたる所以であろう。

 芸名、そのまんま東、であった頃、どれだけその芸を通し、多くの人にユーモアと元気を与えたかは別にして、彼が政治に関心を持ち、自らも持つ被選挙権を行使し、知事に当選したことは素晴らしいことだ。宮崎県民が彼を選出したのは、しがらみのない、“政治のプロ”ではない彼に、首長が汚職疑惑で逮捕されるような県政を何とかして欲しいとの願いがあったからだと思う。話題性があるだけに、メディアが大騒ぎをし、一躍時の人に祭り上げられたのだが、そのメディアを最大限活用し宮崎県のアピールをしたしたたかさは、“政治力”十分と言えるかもしれない。

 商工観光課の課長としてなら、彼の仕事ぶりは際だっている。最もホントの課長なら、そんなに度々出張もできないし、メディアも取り上げないだろう。
 県民の支持率9割に近く(知事としては、商工観光課課長としては、評価は異なると思うのだが)、不人気政権の選挙対策の役を任されている某氏が、毎年参加していた沖縄慰霊の日をキャンセルしてまで、国政参加の打診しに出向き、理不尽(?)な宿題を突きつけられて困惑の極みである。

 本人はいたってまじめに、地方分権のための国政参加を考えているようだが、民主党に政権を渡したくないのなら、比例区などの指定席ではなく、北海道9区(鳩山由紀夫氏の選挙区)に無所属で立候補し、鳩山氏に勝利して後、自民党に加入、総裁に名乗りを上げるべきだろう。

イラン情勢

2009年06月24日 13時29分53秒 | コラム
 大統領選の結果を巡って、不正の疑いありと抗議する“改革派”、体制の正当性を維持しようとする“保守派”、国民を分断させ漁夫の利を得ようとするものにスキを見せてはいけないのであるが、、、。一般の報道姿勢を見ると、正義は改革派、それを強権で弾圧する保守派と見えてしまう。

 イランはイラン高原から発し、紀元前500年頃、当時の巨大帝国、ペルシャ帝国を築いたペルシャ人の末裔である。さらに領土拡大を目指しギリシャに侵入、スパルタ王の奮戦、マラトンの戦いにおけるアテネの大勝利(その勝利の報告をアテネ市民に伝えるために兵士がアテネまで駈けたのがマラソンの起源と言われている)、初代ペルシャ帝国は軍事的天才マケドニアのアレクサンダー大王によって滅ぼされるが、後ローマ帝国のライバル、ササン朝ペルシャとして復活するなど誇り高き民族である。

 その後、イスラム、モンゴル、トルコ等の侵入もあり、多くの王朝が興亡する。シーア派のイスラム王朝が成立したのが、1500年から200年ほど続いたサファヴィ朝である。第一次世界大戦前の頃は、ロシアとイギリスの勢力争いが演じられたし、近代化(欧米思想の影響)も進み、1905年~1911年、立憲革命が成功する。(今回最高指導者が、イランでは選挙不正があるはずはないと主張する原点がここにある)ロシア帝国の圧力で崩壊し、再び英露の草刈り場となる。
 イギリスの退潮に伴って、アメリカが進出してくるが、第二次大戦後、イラン・アメリカ関係は良好だった。民主的選挙で選ばれたモサッデグ政権が成立し(1953年)石油国有化を宣言するまでは。CIA主導のク・デターで政権に着いたのがパフラヴィ朝(1953~’78)であり、急速なアメリカナイズ、アメリカの傀儡政権と見なされた。(アメリカのダブルスタンダードはここでも顕著である)

 いわゆるホメイニ革命で、イスラム回帰のイラン・イスラム共和国として、現在に至っているのであるが、もともと親米的だったイランの人々を反米にしたのはアメリカといって良いであろう。莫大なイラン人の財産を持ち逃げしアメリカに亡命したシャーをイランに引き渡すように要求したが、アメリカはそれを拒否、怒った一部の者たちは、アメリカの大使館を占拠、それに対して、アメリカは経済封鎖、国交断絶で応じた。さらに、世俗的なアラブの君主国の不安を巧みに焚きつけ、サダム・フセインに武器援助をし、イランとの開戦を促した。8年間のイラン・イラク戦争、それこそ両国国民を苦しめただけの、イライラ戦争であった。アラブのオイルマネーがイラクへの武器に変じたし、不思議なことにイスラエルがイランに武器を提供、アメリカもイランに武器売却をした。結局利を得たのが軍需産業なのだろう。さらにその後のブッシュ親子の二度にわたる湾岸戦争に繋がる要素も生じていた。イラクへの最大の資金供給国だったクエート、その借金をチャラにするためにサダム・フセインが考えたのがクエート併合である。内々にアメリカの了解を受けたと信じたサダム・フセインは、まさか、国連で侵略者と成り、国連軍(主力はアメリカ軍)から攻撃を受けるとは思ってもいなかったろう。その後の彼の結末は悲劇というより、ブラックユーモアーと言えるかもしれない。

 イスラムの教義に厳密だったホメイニ師の死後、教義では飯が食えないと考える改革派が政権を獲得、アメリカとの修復を意図したが、イラクのあとはイラン、そして中東の石油支配を狙う“ネオコン”は、イランをテロ支援国家から、悪の枢軸と決めつけた。そういうアメリカの狙いの躓きが、イラクの民衆の抵抗であり、副産物として4年前、反米主義を主張して圧倒的支持を得て選出さてたのが保守派のアフマドネジャド大統領である。アメリカが真に代わるのか、マイノリティのオバマ大統領選出でその兆しが見えるのだが、それを信じるイランの改革派、2期目のアフマドネジャド大統領がどうこの問題を解決するか、アメリカの今後次第と言えるだろう。

沖縄慰霊の日

2009年06月23日 14時18分05秒 | コラム
 第二次大戦で唯一地上戦が展開されたのが沖縄である。1945年4月1日、沖縄に米糞が上陸、組織的な抵抗が終わった(司令官の自決)のが6月23日までの3ヶ月余り、戦争の悲惨さを証明してくれるものはないであろう。64年目を迎える今日、その悲劇を実体験した人は年々少なくなり、やがて皆鬼籍に入ってしまうだろうが、人間の最大の過ち戦争から学びより賢い人間社会を築くために、この慰霊の日を単なる記念日として行事にすることなく、全ての人間が戦争について考え、戦争のない地球にするための、『ハチドリの一滴』を投じる必要がある。

 64年間、自らの手で弟・妹・両親を殺害した事実に向かい合って生きてきた人のドキュメントが放映されたが、軍人勅諭が一般市民にも流布され、集団自決に赴くのに疑問を感じない集団心理がいかにして醸成されたのか突き止めなくてはならない。軍からの命令があったか無かったかの問題を越えて、検証しなければならない問題である。

 人間は平常平和な時代に生きていれば、ヒューマニズム、つまり人間を大切にする思いが一般的である。特殊な状態に置かれたら、集団パニックを起こし、非人間的なことにも敢えて手を染めるものだ。この国の保守政治家が、“自虐史観”として否定したい、“皇軍”の加害責任、赤紙で召集され、初年兵教育でしごかれ、戦場に送り出されると、不断の家庭では優しい父さん、頼もしいあんちゃんが、“鬼っ子”になってしまうのも残念ながら長い人間の歴史が証明している。

 日露戦争当時の征露丸(今は正露丸となっている)、三国干渉を国民の反露感情に最大限に活かし、“臥薪嘗胆”のスローガンで好戦的にさせ、当時の世界NO1のイギリスを後ろ盾に開戦に踏み切り、正常な判断をし反戦論を唱えた平民新聞の存在は誇れるのだが、やがて国賊として葬り去られてしまった。今の財務大臣の祖母に当たる与謝野晶子も、ヒューマニズムの立場で反戦詩を発表したため、家に石ころを投げ込まれた。独善的な民族主義は、他民族を侮蔑し貶めることにより、戦争を正当化する。日中戦争では、子どもに人気のあった『のらくろ』で幼少時から排外主義を刷り込み、“暴支庸懲”で泥沼に陥り、兵站補給もままならぬため、現地調達でどれほどの被害を与えたことか。そして神風頼りの日米開戦、“鬼畜米英”との刷り込みがあらゆるメディアによって浸透させられた。

 保守系の現沖縄県知事も麻生総理も、慰霊の日の行事に参加したが、明日になると、現在まで続く沖縄の苦悩を気にもかけないだろう。リップサービスは如何様にも述べられるが、恒久平和のの実現には、それを目指す人類の最高度に設置されたベースキャンプである、日本国憲法の理念を現実化することしか道はないと思う。

 敗戦後64年にもなるのに、戦勝国軍が今なお駐留し、沖縄に最大のしわ寄せを与え続けているこの国の主権者、軍隊が名目上は国民を守ることになってはいるが
実際の戦渦に巻き込まれると、国民を守るどころか国民を犠牲にすることが、満州(中国東北部)や沖縄で証明されている。真に国民を守るのは、主権者によって活かされる憲法9条である。ナイキ訴訟による自衛隊違憲判決、伊達判決による米駐留軍違憲判決、かつて地方裁判所では、人類の歴史が目指す平和主義の当たり前の判決が出た。最高裁は“統治論”で判断を避け、不毛の冷戦体制を追認した。仮想敵国の存在を口実に、戦後一貫して、国民・国家を守る軍備を増強してきた。

 ソビエトが崩壊して、仮想敵国が消滅したあと、その役割を任されてるのが“北朝鮮”である。地下核実験を強行、ミサイル発射訓練、国民の不安を敵対心へ、そして自国を守るために先制攻撃まで取りざたされている。かつて、幸徳秋水が“戦争で利を受けるのは誰か、、、戦争で傷つき苦しむのは誰か、、、”と述べ、傷つき苦しむ人同士が手を結べば戦争は避けられる、との主張を今活かさなければならない。
 

冤罪は晴れたが、、、

2009年06月05日 12時41分00秒 | コラム
 足利事件の犯人とされた人が、晴れて刑の執行を停止され釈放された。正式には再審裁判で無罪の判決を受けて終結するのだが、18年間に渡る、逮捕・取り調べ・拘留・獄中生活を余儀なくされた人の無念は、国家が非を認めての刑事補償費が何千億になっても癒されることはないであろう。弁護団も短期の再審で無罪獲得での決着ではなく、『冤罪の構造』を明らかにする再審裁判としたいと述べているが、当然のことだろう。刑事事件の原則「たとえ100人の有罪のものを見逃したとしても、1人の無実のものを作ってはいけない。」に近づくためにも、、。

 痛ましい事件が起きた時、類似の事件が近辺で数件あり、未だ未解決であった。 警察の威信にかけての捜査が始まったが、決め手となる情報も得られず(初動捜査に問題ありか、、、?)捜査本部長の“草の根分けても犯人を”とか“警察の威信をかける”との声明が出されただけで、前件と同じ迷宮入りする危険があった。

 聞き込み等から、幼稚園の運転手をしていた菅家氏がマークされ、約1年間、尾行が続けられ、彼が捨てたゴミを押収し,DNA鑑定。当時鑑定設備は警察庁にしかなく、各都道府県に設置すべく予算折衝していたが、不採択であった。DNA鑑定による犯人特定で、検挙率低下に歯止めを掛ける必要もあったのだろう。それこそ、「威信にかけて」、、、。

 事件発生が’90年5月、翌’91年12月に菅家氏が逮捕状なしの任意同行、夜には犯行を自供したという。『冤罪の構造』にメディアの責任も問われるべきであろう。地元紙『下野新聞』の“犯人”逮捕時の記事、図書館で調べてみると、警察のリークのみで、“被疑者”が容易に“犯人”となってしまう。
 12月2日の一面に、幼稚園元(捜査の対象となっているとして解雇)運転手逮捕・・・DNA鑑定で体液一致、深夜犯行自供、否認突き崩した科学の力、等の活字が踊っている。翌3日には、いたずら目的認める、騒がれては困ると殺害、足利署前の三件も追求、小さな字で、あの優しいおじちゃんが、、、。その後起訴に至るまで、記事は2面に移るが、何れも大きな見出しで、二件と関連か、菅家に土地鑑、自宅から手書きの地図、異常な犯行供述、橋を渡って逃走、犯行の全容ほぼ解明、そして私生活まで暴かれる。結婚破たん、劣等感?、幼児に興味持つ、現場検証、「囲いの中」で整然と、、起訴の日(21日)「血液」と「体液」一致。22日、一面で、2件とも自供。これらの記事を読めば、一般市民が裁判委員に選ばれても、有罪は間違いないであろう。12月の最終折衝で、DNA鑑定設備の予算が認められるというおまけも付いた。

 自供した2件も、犯行時。勤務時間帯であった等立件不能となり、足利事件のみで起訴され、3審制により、最高裁で無期懲役が確定する。2審の高裁判決後、’96年7月、類似の事件が発生する。現在も無解決で、生死不明なのだが、“真犯人”の警察への挑戦か、ないしは、犯人にされてしまった人への贖罪の意味もあったのかもしれない。この段階で、最高裁が『真昼の暗黒』の被告が叫んだ、“まだ最高裁がある!”との信頼に応えたら、司法の威信は守られたのだが、、、。 

天安門から20年、東大・日大闘争から40年

2009年06月04日 11時21分26秒 | コラム
 学生運動は、社会変革の導火線たり得る。なぜなら、彼らは生活を度外視し、利に囚われず、おのれの信じる正義に命をかけて。社会的不条理に異議を申し立てるからだ。体制側に度量があれば、それなりの譲歩妥協があり得るが、通常はその異議申し立てを圧殺するのが常だし、彼らが指摘した社会的不条理は延命しさらに肥大化することになる。

 学生はもともと、知的にも経済的にも恵まれたエリートであることは事実である。「おとなしく」して勉学に勤しめばそれなりの社会的地位が保障されるし、いたって安定した人生が約束されている。社会的不条理に目を向けなければ、との条件付きだが、、、。

 東大闘争もその始めは、医局問題の不条理への抗議であり、日大闘争は大学当局の不正経理が発端であった。体制側の反省に基づく譲歩妥協があれば、それだけ社会的不条理が改められるし、やがて社会生活でそれなりの地位に立つ彼らによって、社会改良が進むものだ。ところが圧殺に向かうと、学生運動は先鋭化し社会的に孤立させられるようになる。メディアもこぞって「一部暴力学生」と喧伝するし、彼らが主張した正義は霧散してしまう。「東大解体」を叫んだ彼らの正義には一理があったのだが、、、。つまり最高学府としての東大が、社会的エリートを輩出していながら、社会的に貢献しているのか、との彼らの指摘に正面から答えることなく圧殺したのが、『安田講堂攻防戦』であった。さらにメディア好みの事件となったのが、学生運動の自爆テロとも言える『浅間山荘事件』と言えるだろう。

 天安門事件から20年とメディアは特番を組んでいる。やや反中国的な下心も無きにしもあらずだが、他国のことだと割と的確な指摘もなされている。中国が抱える問題は中国人が解決する問題である。40年前の日本の学生運動が指摘した問題に耳を傾け、聞き入れず、圧殺したことが、今のこの国の体たらくであることをメディアは自戒を込めて指摘し、社会的良心の発露としての学生運動の復権に向けて支援し続ける責任がある。