自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

時代は必要とする人物を生む

2008年05月30日 21時45分46秒 | コラム
 『人はみな一人では、生きていけないものだから、、、』という歌詞の歌があるように、そして社会契約論で、ルソーが自然状態のままでは対処すべき問題があまりにも大きすぎ、個々の力では如何ともしがたいので、人間は社会を作ったのだ、と述べてるように人間が社会的動物であることを否定するものはいないだろう。さらに、ジョン・ロックが、自らの幸せのために作った社会が、人の幸せを妨げるならば、人は立ち上がって新たな社会を作る権利があると、革命権を肯定したのだが、、、。彼ら啓蒙思想家と言われる人たちの思想は、宗教改革により神から解放され、ルネッサンスによる神より人間を大切にと考えるヒューマニズム精神によって生み出されたものである。それ以前の奴隷制社会であったローマ、同じくカースト制度の下で苦しむ民を救済せんとした、キリスト、ブッダの教え(思想)も権力との妥協、権力を代行するに及んで大幅に変質し、『宗教はアヘンである』とレーニンが喝破したように、苦しむ民に来世を予約し、今の苦しみを和らげるモルヒネの役割を果たし続けた。『神の国をこの地上に!』と主張したのが啓蒙思想家たちである。                              

 啓蒙思想家たちの夢の実現を目指す、市民革命により『自由・平等』が実現し、経済活動の自由が産業革命をもたらし、大量生産が可能となり、啓蒙思想家が主張する、神の国が実現するはずであった。ところが、市民革命・産業革命によって生まれた資本主義社会は、ものが豊かで、人々がお互いを信じ、助け合って生きる地上の楽園とはならなかった。最初に資本主義国となったイギリスの社会を分析し、資本主義の持つ欠陥を解明し、『資本論』により、社会主義経済の必要性を説いたのが、カール・マルクスである。先進資本主義国の資本主義経済がその背景に長い重商主義時代の富の蓄積を背景とした自然発生的なものに対して、社会主義経済は人為的、架空の経済制度である。ドイツや日本の後進資本主義国は人為的に資本主義国を目指し、様々な矛盾を抱え突き進んだ故、先進資本主義国との二度にわたる世界戦争の引き金となったことも指摘しておかなくてはならない。資本主義経済の長所(生産性が高い)に目を付けて、社会主義に対抗できる修正資本主義を主張したのが、ケインズであり、最近まではケインズの理論で推移してきたが、かってレーニンが主張していた、『近い将来資本主義と社会主義は補填し合し、接近する。』筈なのだが、新自由主義という名の強者の資本主義がグローバリズムの下、世界中から富みをかき集め、豊かなものはますます豊かに、貧しきものはとことん貧しくなる格差社会を、民主主義が実現してると言われる国でも作り出してきている。                                      

 マルクスが社会変革の中核と考えた、資本主義国のプロレタリアートは、選挙権も獲得し、労働法でも守られ、旧植民地、発展途上国からの富の収奪のおこぼれに預かり、急速にその革命性を失っていった。代わって社会変革の指導者は、A・A・LA、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのかっての先進資本主義国の支配下にあった地域から生まれてくる。その背景に民族主義の目覚めがあり、アジアにおいてはインドのガンジー、中国の孫文・毛沢東、アフリカにおける、ガーナのエンクルマ、ギニアのセクー・トーレ、エジプトのナセル、虐殺されたルムンバ、近々ではマンデラ、アメリカの裏庭と言われたラテンアメリカでも、キューバのカストロ、志半ばで散ったチェ・ゲバラ、何れも20世紀の生んだ革命家といえるだろう。
                                                                           日本との関わりで、彼らの中で最も縁深いのは毛沢東だろう。古代からの易姓革命を期待し、没不法(メイファーズ)が民族性となっており、アヘン戦争以来100年間にわたる欧米列強のなすがまま、魯迅が嘆いた阿Qの体質、かって朝貢貿易の対象だった東海の島国からまでも侵略される始末。亡国の危機に当たって人民解放軍(鉄砲から政権が生まれる)を健軍し、弱者が強者に勝つゲリラ戦を生み出したのが毛沢東である。大きな歴史的業績に関わった人物は、味方も多いが敵も多いのが常である。書店で毛沢東に関する本をみても相反する評価の書物が多数出版されている。10億の民の腹を満たさんとした大躍進政策、魂の革命を意図した文化大革命の発動による混乱、理論の実践の背離を証明することになったが、人民共和国成立までの革命路線は今後も人民解放を目指す人々にとって指針となるであろう。
                                                                           学生時代社会科学を専攻し、社会変革・発展の歴史観としての唯物弁証法を学んだが、毛沢東が中国人だったら誰もが知っている民話や諺を引用し、唯物弁証法を民衆に分かりやすく説いたことに感銘を受けた。ある意味では自分がマオイストたらんと考えた時もあった。理論は民衆が実践しない限り力とはなり得ないのだし、中国革命の成功は、『愚行移山』に民衆の結集があり、山を移すことに成功したといえるだろう。また彼の矛盾論の中の一文で、主要な矛盾の結節点にあたる矛盾の解決に全力を尽くすのが大切だと主張していることに、ひもを使っての指ぬき遊び、の親指にあたるものを見つけ出すのと同じなのでは考えたものである。

ハチドリの一滴、地産地消への一滴

2008年05月29日 11時42分18秒 | コラム
 俗に3キロ以内の食品を取っていると健康でいられると言われている。輸入食品の安全性が問題となり、改めて地産地消の重要性が見直されてきた。とはいえ、自然に支配される農産物の急速な増産は不可能だろう。何しろ、農業は割りが悪いとの考えを一般化し、若年労働力を農村から奪う政策を経済成長の名の下に長年続けてきたのだから、、、。それ故に、地産地消の担い手は、医療費がかかるからと見捨てられ兼ねない後期高齢者になってしまっているし、、、。

 地産地消を旗印に各地に農産店が開設され、中には億単位の売り上げを揚げている所もあるが、そんな中で、小さな沢沿いの集落だけで賄っている農産店がある。
 よそからは仕入れていない、旬の味を分かってくれる人が遠くからでも買いに来てくれる、というのが交替で店番をしている人全員の誇りである。不揃いで、みた目の良い品とはいえないが、長持ちするし、味もかって食した頃の味が甦る品である。中には虫に啄まれた葉を持つ白菜もあるが、白菜には虫が付きもので、農薬が必需品だそうだが、ここの人たちは、農薬は使わず、朝早く起きて、バケツに水をくみ、その中に虫を掴み投げしているとのこと、虫がたかる野菜は人間が食べても安全だとの考えが一般化しないといけないと思う。出荷する農産物には農薬を使わないと出荷を拒否されるのでやむを得ず農薬を使うが、自分が食べる農作物には農薬は使わない、が一般化されてる中で、この地の人は、自分たちが食する農産物と同じものを出荷している。

 この集落の沢沿いには、間もなく蛍の乱舞するさまがみられる。清少納言の時代からの夏の夜の楽しみが、当たり前のように続いているこの地の人たちの生活が、本来の人の暮らしといえるのだろう、、、。

白鷺舞い降りる田圃

2008年05月22日 11時03分10秒 | コラム
 那珂川の河岸段丘、かっては河川敷だったのだろうが、今では広い田圃となっている。区画整理も行われ、機械での田植えも可能な10アールほどの長方形の田圃が広がっている。田植えを終え、少しずつ幼苗も青みを増して来ている。そんな田園風景を眺めながら散歩していると、一角だけに5~6羽の白鷺が降り立ち、餌でもついばむ姿が見られた。

 田圃の鳥、朱鷺が絶滅寸前に追い込まれ、莫大な費用をかけ、中国からも借り受けて、やっと絶滅を防ぐことに成功し自然繁殖への期待もふくらんでいるが、大空をかってのように舞うまでには、まだまだ歳月が必要となるだろう。

 大自然のサイクルに人間が少しばかりの手心を加え、その自然からの恵みを受け取るという謙虚な営みが農業だったし、少しでも多くの恵みを受けるために、加える手心に労を厭わなかったのがこの国の農の心であった。『蒔かぬ種は生えぬ』とは異なる、蒔かなくとも生え、はびこる雑草との苦闘が続いてきたのがこの国の米作りであった。温暖湿潤気候の恵みが、稲(かっては雑草)だけに限らないのが現実であるからだ。『稲に畔の足音を多く聞かせると実りが多い。』とはこまめに水回りを調整し、雑草を早めに取り去れとの教えだったのだろう。

 雑草との苦闘を和らげるため、除草剤が導入され、農作業の手間は大幅に省かれるようになったが、人間には直接害がないと判断される用量でも、タニシやドジョウには致命的なものとなるだろう。日本の穀倉地帯の空から朱鷺の姿が見られなくなった時に人間の傲慢さに気付き手を打っておけば、地球温暖化にも早めの措置がとれただろう。後手後手の対応では取り返しがつかぬところまで暴走しかねない人間のエゴである。

 前述のサギのついばむ田圃の持ち主は、前のコラムでも紹介した、俺の作る米はうまいと自慢していた篤農家のものである。近くで畑仕事を終えた人に尋ねてみると、俺たちの子どもの頃は、ゴルフボールほどのタニシがいっぱいとれてうまかったんだ、とのこと。本当は農薬は使いたくないのだけど、使わないと周りの虫が全部よってくるし、空中散布だけは農協に依頼してるとのことである。

ババ抜きはトランプだけで、、、

2008年05月21日 12時26分08秒 | コラム
 トランプは室内用ゲームの代表的なものだが、その起源は、中国説が最有力だが古代エジプトでも使用されてたという説もあり、日本に伝わったのも16世紀といわれ何れにしても古くからの室内ゲームで、占いや、手品にも用いられる。

 4種(スペート・ハート・クローバー・ダイヤ)の13枚で、合計52枚、ジョーカーが1~2枚加わる場合もある。そのトランプゲームのもっとも一般的で子どもから遊べるものが、『ババ抜き』である。クイーンの4枚の内、一枚を抜いて合計51枚で、プレイヤーに配り、となりのものから一枚ずつ引き抜き、ペアーが揃えば棄てていく、早く棄てきったものが勝利者となる。52枚にジョーカーを加えた53枚でやるのが普通になっている。

 高度経済成長の行き着く先が金余りであり、マネーゲームの始まりでもある。不動産(土地)は値上がるものとの信仰が、投機熱を煽り、アメリカのビルまでその投機の対象となった。バブルがはじけて、この国の経済が破綻に向かうこととなるが、その最大の責任がある銀行には、公的資金(正確には国民が納める税金)を投入して救済、負の遺産(ババ)は金儲けとは無縁の一般庶民に押しつけられた。

 世界経済を不安のどん底に陥れているサブプライムの問題も、基本的には『ババ抜き』と同じ仕組みである。より巧妙に無数のババが隠されており、早く売り抜けたものは莫大な利を得、売り遅れたものが損失を被る。世界的な詐欺事件なのだが、合法的、違法ではないと判断され、最終的にそのツケは額に汗を流し働く人に回される。

 ペルシャ湾の出口、アラビア半島の付け根部分に七つの首長国からなるアラブ首長国(UAE)が有り、現在もっとも注目を浴びてるのがドバイである。近々,NHKスペシャルでも取り上げられていたが、’90年、この地に永眠した、英邁なラシード首長によって引かれた路線をひた走り、中東の黄金郷ともいわれているのがドバイである。原油で一部のアラブ人は豪奢な生活を享受しているが、原油なき後のアラブの地が、遊牧の地に戻るのを回避すべく、人と物と金をドバイの地に集めることにによってドバイの将来を考えたのが、ラシード首長である。

 現在ドバイの外国人の人口は90%、その60%は、インドやバングラデッシュからの出稼ぎ労働者、主に建設業に携わり、約3万円程度の給料で、ブルジュ・ドバイに象徴される超高速ビルの建設にあたっている。バーム・アイランド、ザ・ワールドの人工島もほぼ完工、ラシード首長の夢は実現したといえるだろう。気がかりなのは、オイルマネーだけでなく、投機を目的とした資金が続々とこの地に投入されていることである。建設中のみならず計画中のビルのフロアーごと購入し、値上がりを待つ投機家が砂糖に群がる蟻のごとく蠢いていることである。マネーゲームの行き着く先は、地球的規模のカタストロフィーとなるだろう。

やはり地震が一番怖い。

2008年05月16日 18時19分56秒 | ニュ-ス
 昔から、怖いものの代表として『地震・雷・火事・親父』といわれてきたけど、今回の四川の大地震、災害の様子が判明されるにつれて、未曾有の大震災といえるだろう。罹災者は1000万人、倒壊家屋は数知れず、死者は5万人を超えると報道されている。この地はかって、緒葛公明が善政を敷き、豊かな土地を根拠に、魏の曹操に対抗し、守りを固め、桟道から度々出撃、呉と連携しながら三国並立を維持した蜀の地であった。

 科学は地震のメカニズムを解明してくれるが、予知も数十年単位であり、突然訪れることには変わりはない。インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートに潜り込み、長年にわたって地層に歪みを生じていたのだろう。その歪みを糺す地球の屈伸運動が今回の大地震となった。地球を取り巻く大気の変動が、近々のサイクロン、雷を伴う場合もあるし、竜巻もタイフーンもその領域にはいるだろう。

 地震は予知は出来ても予防は不可能だ。日本列島には様々な断層があり、地震の多発地帯だ。大都市の高層ビル、各地に建設されている原子力発電所、M7.に耐えうるとの基準があるが、それ以上の地震が起きないとは断言できない。身体に感じる群発地震は度々あっても、巨大地震は稀なだけに油断があってはいけない。耐震構造の不正があったのも、大地震でも来ない限りばれることはないとのずるさ故だろう。

 宇宙の平和利用を改め、国防を目的とする軍事利用にGOサインを出す決議が、民主党を含む議員立法で衆院で可決されたが、この国の政治家は何を考えているのであろうか。北朝鮮のテポドンは外交努力で無力化できる。天井知らずの負担を強いられるミサイル防衛網、結局は誰が利を得るか考えなければならない。

自然現象(災害)から何を学ぶか、、

2008年05月10日 22時13分07秒 | コラム
 ミャンマーでサイクロンによる大きな災害が起きた。死者数、災害被害者数は予想外の規模となった。さらに軍事政権下で、他国からの巨大サイクロン襲来の情報を国民に知らせることなく被害の拡大を招いたという人災も加わったようだ。被害を受けた人たちは、自分たちの不運をどう受け止めているのであろうか。その日の食糧の確保もままならず、ゆっくり休める寝床も確保できていないのであろう。

 人の善意を信じて良いのは、そんな災害が起きた時、世界中の人からの救援物資が直ちに贈られたり、ボランティアで救援活動に汗を流してくれる無数の人たちがいることだろう。自然災害では諦めがつくものの、巨大サイクロンに対する予想される状況を的確に伝達していれば、より少ない被害で済んだのではとの反省は必要だ。昨年のアメリカのサイクロンの被害拡大も、堤防の修理をイラク戦争の費用がかさみ、予算を執行できなかったからで、人災といえるだろう。

 地球は誕生以来、常に活動している。命を生み出し、その長い歴史からはつい最近のこと、人類をも生み出した。地球の活動は、地震、火山活動、サイクロン、等は何れも人知を越えるものであり、人間の精神活動に大きな影響を与えた。明るさと暖かさを与えてくれる太陽は太陽信仰を生み出したし、火山活動には神の怒りを感じ、自らの生活を見直す機会ともなっただろう。科学が宗教の支配する無限の領域を、少しずつ明らかにしていってるが、信仰心のある人ほど、宗教(信仰心)から完全に自由にはなり得ない。それ故に、来世を約束して、若者を自爆テロに赴かせることが起きてるし、現世での幸せのために、多額の献金を行う人も跡を絶たない。文明国のアメリカの大統領ですら、神の命で、イラクを攻撃したのだと公言している。

食が第1、、、。

2008年05月09日 18時50分26秒 | コラム
 連休を終えて野の人影も途絶えがちだが、田植えを終えた水面には薫風が吹き渡っている。機械植の整然とした稲の並び、その中で休耕田なのだろう、所々に耕作を破棄した大きく伸びた雑草で埋められた一角、農民魂が許さないのだろう水は入っていないが耕されてるが何も植えてない所も散見される。

 働くことが好きだという、F.ザビエルを驚嘆させた、この国の唯一といっていい貴重な人的資源だったのに、金を出して耕作させない農政を何故許してしまったのだろうか、、、。工業原料や食料がいつまでも輸入できるとは限らない。まして食料自給率40%を切るこの国で、年間10兆円を超す食料の破棄が行われているといわれてるが、こんな馬鹿なことを許してはいけない。

 憤りと気がかりを持ちながら、歩みを止めて畔のクローバーの群生を眺めていると、四つ葉を見いだす時がある。ラジオか何かで聞いたのだが、四つ葉のクローバーを見つけると幸せになるのではなく、立ち止まって四つ葉を探す心のゆとりが幸せなのだということ、その通りだと思う。見つけた四つ葉を摘んで散歩から帰ると、手の中ですっかりしおれてしまっている。シャーレに水を入れ、その中にしおれた四つ葉を入れておくと、さすがは野草、程なく張りを回復する、眺めているだけで何となく得をした気分になるが、3,4日はゆっくり楽しめる。そのあと水分を取って、栞にでもするとさらに楽しめる。

 休耕田を借り受けて、有機米作を始めた人もいるが、新自由主義経済が浸透し、他人の不幸をもうけの種とする自由まで許されてるので、世界的食糧危機が目前に迫っている。米こそ食料品の王者だし、瑞穂の国に相応しい世界貢献が望まれる。
 軍事的貢献を迫られ、それに従うために、人類の財産ともいえる日本国憲法第9条を葬り去ろうとしている勢力を、少数派に追いやらないといけない。

日中友好のために、、、

2008年05月08日 20時40分11秒 | ニュ-ス
 10年ぶりに中国の国家主席が国賓として来日した。首脳会談も開かれ、それぞれ思惑はありながら、友好ムードを演出している。日中2000年の交流で、その大部分は恩恵を受け続けたのが我が国であった。近代になって、明治以降、欧米に習った国造りの過程で、征服王朝であった清との戦争、その清を倒した辛亥革命によりアジア初の共和国となった中華民国に、21箇条要求を武力を背景に押しつけ、満州事変以降の日中15年戦争という侵略戦争を仕掛けたのは紛れもない事実である。

 清朝末期、アヘン戦争以後欧米の中国植民地化の動きに、日本も加わるのだが、そういう中国民族の危機に当たって、人民解放の戦略・戦術を、古くからの孫子の兵法から学び、人民共和国の成立に多大の貢献をしたのが毛沢東である。
 現在も天安門の城壁に、毛沢東の肖像と、その左右に、中華人民共和国万歳、世界人民大団結万歳のスローガンが掲げられてるが、現在の中国指導部はその精神を忘れてはいないのだろうか、、、。アヘン戦争以来の100年以上の苦難の歴史の中で生み出された解放の思想が毛沢東思想であって、孔子の『乏しきを憂えず、等しからざるを憂う。』がその根底にあった。急速な工業化のために農業の発展が遅れたソビエトの例を批判し、中ソの社会主義建設の論争となったが、農業の発展に役立つ工業(肥料、利水、耕作機械、等)には力を入れるが、闇雲な工業発展はやらない方針を取っていた。
 かって、浅沼訪中団が毛沢東と会見し、『アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵である。』との共同宣言を出して物議を醸したが、本来は、アメリカ人民を含むの句を付け加えるべきであった。城壁にそのスローガンを掲げているのだから。

 その中国の現在に、?が付くのは、何せ13億の民を食べさせるためには、毛沢東の路線の修正が必要だったのだろう。『黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕まえる猫は良い猫だ』に切り替えたのが、早く豊かになったものが他の人に分け与えることにならず、今の中国が抱える問題となってるのであろう。さらに、海外の華僑を含む中国の底知れぬ潜在力を恐れ、将来の脅威と考えるアメリカは、正式な外交を取り仕切る国務省は、米中友好だが、アメリカにとって有利な状況を作り出すためのCIAの活動は極秘裏に何かを行っているだろう。今回のチベット問題もその裏にはCIAがあるのではないだろうか。何せ、かってダライラマに反中国活動をさせた前歴があるし、ソビエトをアフガン侵攻に誘い込み、ソビエト崩壊という結果を生み出したのも、CIAの活動があってのことだし、中国崩壊を秘かにねらっている勢力があちこちに手を伸ばしているのだと思う。

 国家主席の来日中に日本各地で、チベット問題を掲げての反中国活動が続いているが、メディアもその活動を詳しく報じている。3年ほど前のアジアサッカーにおける反日運動の仕返しだと思っているかもしれないが、両国民にとっては、避けるべき連鎖である。

こどもの日も60歳

2008年05月05日 12時08分42秒 | コラム
 戦後新しい歩みを始めた頃,「青い山脈」の歌声が響き、新憲法の制定もすすみ明るい未来の期待が持てた時に、こどもの日の制定も決まった。大正時代にも、児童愛護デーとして活動していた団体もあった。

 子どもと老人が大切にされてる社会は良い時代、時代が良い方向へ歩んでる時だと言われているが、その通りだと思う。子どもの日、敬老の日が国民の祝日に制定されてるからと言って、今の日本が明るい未来が見える歩みをしているとは限らない。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」と「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」がそれぞれの日の制定の趣旨なのだが、、、。1年365日、1日だけが思い出されたように大切にされるだけではいけない。

 平和な時代じゃないと、未来が描けないし、その未来を担う子ども達を大切にしようと思っても、そうは出来ない現実があるのは、現在のイラクの子供たちをみても分かるだろう。振り返って今のこの国ではどうなのだろうか。極端な少子化が進み、高齢化が進行、それ故に後期高齢者医療制度は制度としては素晴らしい、等と政権担当者は強弁しているが、高齢者は間もなく鬼籍にはいるし、自然解消するかもしれないが、未来を担うべき子供たちの今、これからに期待が持てるのであろうか。戦争がないことが必ずしも平和であるといえないのは、今の世相を正直に反映する子ども達の日々の行動で証明される。戦争に変わる競争社会が子どもの心から平和を奪っているのではないだろうか。今の子ども達は、甘やかされてはいるけど大切にされていないのではとの危惧感を感じる。60年目を迎える子どもの日にもう一度、子どもが大切にされる社会のありかたを考えよう、、、。

 子どもの権利条約を批准しているからと言って(アメリカとソマリアだけは灘批准していない)子どもたちの、生きる・育つ・守られる・参加する権利が確保されてるとは限らない。条文を現実のものにするためには、憲法の条文と同じく、国民の不断の努力で保持しなければならない。そのために参考に出来るのは、第一次世界大戦の反省の下、世界の民主主義が大いに進展し、軍縮会議、国際協調、不戦条約まで締結された頃、日本でもその動きに合わせた『赤い鳥』運動である。

 『青い目の人形』が間もなく『鬼畜米英』に変わってしまったのだが、赤い鳥運動がファシズムによって、短い期間で押しつぶされたからであろう。赤い鳥運動の復権と継続性が必要となっている。現在の『歌を忘れたカナリア』たちは、暴力を受けたり、虐待されたり、無視されたり、棄てられているのではないだろうか。
 忘れているだけなので、思い出すまで大切に見守られる必要がある。つまり、『象牙の船に銀の櫂、月夜の湖』に浮かべてやれれば、、、。
 

還暦過ぎて、元気回復

2008年05月03日 11時11分24秒 | コラム
 5月3日は61回目の憲法記念日である。それまでずっと戦争が続き、『欲しがりません勝つまでは、、』と戦略物資(国民にとっては生活物資)まで供出して全面的に国策に協力したのに、その終着点が焼け野原。近代国家を創り上げる上での師匠であった英米に背き大目玉を食らってしまった。もう戦争はこりごりだとの日本側と二度と師匠に背かないようにとのアメリカの意図もあったのだろうが、過ち(最大の過ちは戦争)から学ぶ人類の英知のエキスが日本国憲法第9条に反映された。カントが願った『永遠の平和のために』が日本国憲法で初めて条文化されたのである。誕生当時祝福され大きく育つことを願って、文部省は『新しい憲法の話』を著し、全国の学校に配り、教育の力が大切であることを自覚し、憲法とセットの形で教育基本法も制定された。

 まだよちよち歩きの頃、冷戦が発動され、独立前の最高権力者、GHQ司令官、マッカーサーによって警察予備隊が作られ、第1の大病を患うことになる。師匠筋のアメリカは、方針を改め、日本の持つ潜在工業力や人的資源を、反共の砦とする方に転換した。その反共に協力する旧来の日本の保守勢力を公職追放解除して、次々と政財界に復帰するのを容認した。そうして復権したこの国の保守勢力は、人類の貴重な財産である日本国憲法を継子扱いし、自主憲法制定を党是とする自由民主党を結成し、現在に至るまで政権を維持してきた。

 ’59年には、アメリカ駐留軍は憲法違反、’73年には、自衛隊は憲法違反との明快な判決が地裁では出されたが、何れも上級審で破棄され、継子扱いが続き固定化された。代わりの養子が大手を振ってすくすくと育ち、現在では世界有数の破壊力を備える軍隊に成長した。継子どころか捨て子にされそうになったのが近近のことである。捨て子にしてはいけないよ、との35年ぶりの憲法判断が、名古屋高裁における今回の判決である。

 冷戦が終わり、アメリカの一人舞台、それでも武力によって全てが解決するとの論理が破綻し、9条の存在がクローズアップされるようになった。墨子以来の非戦論が輝きを増してきた。9条を世界憲法にの動きが少しずつ広まりを見せてきた。

 その提案者が、朝鮮戦争当時、B29のパイロットとして爆撃に参加、中部大学の客員教授として来日、広島を訪ね、爆撃下の住民の悲劇を実感、日本国憲法9条の存在を知り、それ以降、9条を世界拳法にとの運動を始めた。度々来日し、『歴史上初めて、日本は軍事力を使わずに経済大国になった。憲法9条を持つ日本の皆さんが勇気を奮い起こせば、21世紀のモデルとなる新しい枠組みを作ることが出来る。』と訴え続けている。

 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、9条を定めたのだが、その緒国民の中には当然アメリカ国民も含まれる。アメリカ軍、そしてそのアメリカ軍との同盟によって、安全を維持しようと決めてはいない。9条の精神を、世界中の国に広めることが、かってアジアの国々に戦争を仕掛けた償いとなる。