『人はみな一人では、生きていけないものだから、、、』という歌詞の歌があるように、そして社会契約論で、ルソーが自然状態のままでは対処すべき問題があまりにも大きすぎ、個々の力では如何ともしがたいので、人間は社会を作ったのだ、と述べてるように人間が社会的動物であることを否定するものはいないだろう。さらに、ジョン・ロックが、自らの幸せのために作った社会が、人の幸せを妨げるならば、人は立ち上がって新たな社会を作る権利があると、革命権を肯定したのだが、、、。彼ら啓蒙思想家と言われる人たちの思想は、宗教改革により神から解放され、ルネッサンスによる神より人間を大切にと考えるヒューマニズム精神によって生み出されたものである。それ以前の奴隷制社会であったローマ、同じくカースト制度の下で苦しむ民を救済せんとした、キリスト、ブッダの教え(思想)も権力との妥協、権力を代行するに及んで大幅に変質し、『宗教はアヘンである』とレーニンが喝破したように、苦しむ民に来世を予約し、今の苦しみを和らげるモルヒネの役割を果たし続けた。『神の国をこの地上に!』と主張したのが啓蒙思想家たちである。
啓蒙思想家たちの夢の実現を目指す、市民革命により『自由・平等』が実現し、経済活動の自由が産業革命をもたらし、大量生産が可能となり、啓蒙思想家が主張する、神の国が実現するはずであった。ところが、市民革命・産業革命によって生まれた資本主義社会は、ものが豊かで、人々がお互いを信じ、助け合って生きる地上の楽園とはならなかった。最初に資本主義国となったイギリスの社会を分析し、資本主義の持つ欠陥を解明し、『資本論』により、社会主義経済の必要性を説いたのが、カール・マルクスである。先進資本主義国の資本主義経済がその背景に長い重商主義時代の富の蓄積を背景とした自然発生的なものに対して、社会主義経済は人為的、架空の経済制度である。ドイツや日本の後進資本主義国は人為的に資本主義国を目指し、様々な矛盾を抱え突き進んだ故、先進資本主義国との二度にわたる世界戦争の引き金となったことも指摘しておかなくてはならない。資本主義経済の長所(生産性が高い)に目を付けて、社会主義に対抗できる修正資本主義を主張したのが、ケインズであり、最近まではケインズの理論で推移してきたが、かってレーニンが主張していた、『近い将来資本主義と社会主義は補填し合し、接近する。』筈なのだが、新自由主義という名の強者の資本主義がグローバリズムの下、世界中から富みをかき集め、豊かなものはますます豊かに、貧しきものはとことん貧しくなる格差社会を、民主主義が実現してると言われる国でも作り出してきている。
マルクスが社会変革の中核と考えた、資本主義国のプロレタリアートは、選挙権も獲得し、労働法でも守られ、旧植民地、発展途上国からの富の収奪のおこぼれに預かり、急速にその革命性を失っていった。代わって社会変革の指導者は、A・A・LA、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのかっての先進資本主義国の支配下にあった地域から生まれてくる。その背景に民族主義の目覚めがあり、アジアにおいてはインドのガンジー、中国の孫文・毛沢東、アフリカにおける、ガーナのエンクルマ、ギニアのセクー・トーレ、エジプトのナセル、虐殺されたルムンバ、近々ではマンデラ、アメリカの裏庭と言われたラテンアメリカでも、キューバのカストロ、志半ばで散ったチェ・ゲバラ、何れも20世紀の生んだ革命家といえるだろう。
日本との関わりで、彼らの中で最も縁深いのは毛沢東だろう。古代からの易姓革命を期待し、没不法(メイファーズ)が民族性となっており、アヘン戦争以来100年間にわたる欧米列強のなすがまま、魯迅が嘆いた阿Qの体質、かって朝貢貿易の対象だった東海の島国からまでも侵略される始末。亡国の危機に当たって人民解放軍(鉄砲から政権が生まれる)を健軍し、弱者が強者に勝つゲリラ戦を生み出したのが毛沢東である。大きな歴史的業績に関わった人物は、味方も多いが敵も多いのが常である。書店で毛沢東に関する本をみても相反する評価の書物が多数出版されている。10億の民の腹を満たさんとした大躍進政策、魂の革命を意図した文化大革命の発動による混乱、理論の実践の背離を証明することになったが、人民共和国成立までの革命路線は今後も人民解放を目指す人々にとって指針となるであろう。
学生時代社会科学を専攻し、社会変革・発展の歴史観としての唯物弁証法を学んだが、毛沢東が中国人だったら誰もが知っている民話や諺を引用し、唯物弁証法を民衆に分かりやすく説いたことに感銘を受けた。ある意味では自分がマオイストたらんと考えた時もあった。理論は民衆が実践しない限り力とはなり得ないのだし、中国革命の成功は、『愚行移山』に民衆の結集があり、山を移すことに成功したといえるだろう。また彼の矛盾論の中の一文で、主要な矛盾の結節点にあたる矛盾の解決に全力を尽くすのが大切だと主張していることに、ひもを使っての指ぬき遊び、の親指にあたるものを見つけ出すのと同じなのでは考えたものである。
啓蒙思想家たちの夢の実現を目指す、市民革命により『自由・平等』が実現し、経済活動の自由が産業革命をもたらし、大量生産が可能となり、啓蒙思想家が主張する、神の国が実現するはずであった。ところが、市民革命・産業革命によって生まれた資本主義社会は、ものが豊かで、人々がお互いを信じ、助け合って生きる地上の楽園とはならなかった。最初に資本主義国となったイギリスの社会を分析し、資本主義の持つ欠陥を解明し、『資本論』により、社会主義経済の必要性を説いたのが、カール・マルクスである。先進資本主義国の資本主義経済がその背景に長い重商主義時代の富の蓄積を背景とした自然発生的なものに対して、社会主義経済は人為的、架空の経済制度である。ドイツや日本の後進資本主義国は人為的に資本主義国を目指し、様々な矛盾を抱え突き進んだ故、先進資本主義国との二度にわたる世界戦争の引き金となったことも指摘しておかなくてはならない。資本主義経済の長所(生産性が高い)に目を付けて、社会主義に対抗できる修正資本主義を主張したのが、ケインズであり、最近まではケインズの理論で推移してきたが、かってレーニンが主張していた、『近い将来資本主義と社会主義は補填し合し、接近する。』筈なのだが、新自由主義という名の強者の資本主義がグローバリズムの下、世界中から富みをかき集め、豊かなものはますます豊かに、貧しきものはとことん貧しくなる格差社会を、民主主義が実現してると言われる国でも作り出してきている。
マルクスが社会変革の中核と考えた、資本主義国のプロレタリアートは、選挙権も獲得し、労働法でも守られ、旧植民地、発展途上国からの富の収奪のおこぼれに預かり、急速にその革命性を失っていった。代わって社会変革の指導者は、A・A・LA、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのかっての先進資本主義国の支配下にあった地域から生まれてくる。その背景に民族主義の目覚めがあり、アジアにおいてはインドのガンジー、中国の孫文・毛沢東、アフリカにおける、ガーナのエンクルマ、ギニアのセクー・トーレ、エジプトのナセル、虐殺されたルムンバ、近々ではマンデラ、アメリカの裏庭と言われたラテンアメリカでも、キューバのカストロ、志半ばで散ったチェ・ゲバラ、何れも20世紀の生んだ革命家といえるだろう。
日本との関わりで、彼らの中で最も縁深いのは毛沢東だろう。古代からの易姓革命を期待し、没不法(メイファーズ)が民族性となっており、アヘン戦争以来100年間にわたる欧米列強のなすがまま、魯迅が嘆いた阿Qの体質、かって朝貢貿易の対象だった東海の島国からまでも侵略される始末。亡国の危機に当たって人民解放軍(鉄砲から政権が生まれる)を健軍し、弱者が強者に勝つゲリラ戦を生み出したのが毛沢東である。大きな歴史的業績に関わった人物は、味方も多いが敵も多いのが常である。書店で毛沢東に関する本をみても相反する評価の書物が多数出版されている。10億の民の腹を満たさんとした大躍進政策、魂の革命を意図した文化大革命の発動による混乱、理論の実践の背離を証明することになったが、人民共和国成立までの革命路線は今後も人民解放を目指す人々にとって指針となるであろう。
学生時代社会科学を専攻し、社会変革・発展の歴史観としての唯物弁証法を学んだが、毛沢東が中国人だったら誰もが知っている民話や諺を引用し、唯物弁証法を民衆に分かりやすく説いたことに感銘を受けた。ある意味では自分がマオイストたらんと考えた時もあった。理論は民衆が実践しない限り力とはなり得ないのだし、中国革命の成功は、『愚行移山』に民衆の結集があり、山を移すことに成功したといえるだろう。また彼の矛盾論の中の一文で、主要な矛盾の結節点にあたる矛盾の解決に全力を尽くすのが大切だと主張していることに、ひもを使っての指ぬき遊び、の親指にあたるものを見つけ出すのと同じなのでは考えたものである。