自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

それぞれの8月15日

2013年08月15日 19時24分25秒 | コラム

 この国にとって8月15日は,貴重な歴史的教訓を踏まえ、自らが二度と戦争を体験することのない決意を表明するとともに,この地球上から戦争をなくす全人類の課題に向けて、その先頭に立って歩む決意を再認識する日でもある。戦後一貫として、”終戦の日”との括りをしてきた故に、戦争責任を、”一億総懺悔”でお仕舞いにし、極東裁判で処刑された17名の戦犯に責任を負わせててしまった。

 1945年8月15日の私は,仙台近郊の疎開地で迎えた。小学校1年生だった私には,その日のことの記憶はないが,その年の7月7日仙台大空襲があって,母は急遽、託された遺児達の命を優先し,知人を頼って疎開に踏み切った。長町駅から延々歩いて農家の間借りした地へ歩いた道のりは覚えている。それ以前のことで,忘れてはいけないことは,私の周りでは,言葉を覚えたばかりの子どもでも(私も含めて)、”大きくなったら何になるの”と聞かれたら,即刻、”陸軍大将か海軍大将”と答えたものだ。場所によっては、“兵隊さん”だったかもしれないのだが。   また学校に入る前なのに、軍艦マーチの後の,大本営発表の大戦果をラジオで聞いてた私は台所の母に大喜びして伝えた(未亡人になっていた母がどう思ったか今は確かめようがないが、、、)。さらに戦後、大人達は生きていくのがやっとだったのだろう、家の前を通り過ぎる人たちを見て、”あんな調子だから戦争に負けたんだ!”なんて怒りを表していたのだが、それほど徹底した軍国主義教育(家庭、学校、社会教育)の”成果”を検証することなく過ごしてしまってはいけない。

 同じ第二次世界大戦の敗戦国のドイツとこの国の比較が良くなされるが、ドイツは二度も戦争を仕掛けて敗れ反省が徹底したのだが,この国も,もう一度戦争を仕掛けて敗れないと、本当に反省しないようでは困るのである。そうならないために,この国では,人類のたどり着い最高峰の平和構築の叡智として”憲法9条”を”正しいことを世界で初めて決めたのです,正しいことこそ強いものはありません”として決めたことを忘れてはいけない。

 戦前の私は、”金太郎飴”そのものだった。良くこの国の国民性を揶揄する言葉として、”盆の上の豆”と言うのがあるが,戦前戦中は,盆の上の納豆は治安維持法で絡め取られていたし,正しいことが伝わることがなかった。言論の自由が憲法で保障されている今日、社会教育の中枢とも言えるマスメディアは正しいことを伝える責任があるのに,何におびえているのか,何かにのど元を押さえられてるのか分からないが,その責めを果たしていないのは残念である。

 今年の戦没者追悼の政府行事では、君が代の斉唱、天皇のお言葉、総理の挨拶、と型どおりの行事が流れたのだが、戦後生まれの,この国の保守勢力の中枢にあって,純粋培養されたお坊ちゃま総理は,憲法改正が私の歴史的使命だとの刷り込みを披瀝しているのだが,この国の保守勢力の歴史的使命ではなく、人類の歴史的使命を学んでほしいものだ。


裏店のご隠居さんだと、、、

2013年08月08日 12時52分18秒 | コラム

 江戸に働きに出向き,小さな成功を収め、間口三間あまりの大店の主となり、息子に店を譲った後、裏店に4,5軒の家作を持つご隠居、時々話し相手にやってくる,八さんや熊さんに,思いのまま色々な話や、説教するのだったら罪がないのだが、政権与党の中枢にいて,身内の会議で思わず本音を吐き,話をした当時は、自分では受けた話だと粋がっているが,メディアにスクープないしは電波にのり,問題ありと指摘され,慌てて、前言取り消す醜態、政治家のレベルは主権者のレベルと一致するものなのだろうか、、、、。

 ”ナチスに見習えば、、、”とか”馬鹿でもちょんでも、、、”の発言は、裏店のご隠居さんだと影響力も小さいし、また始まったぐらいで見逃されても仕方がないとしても、主権者から選ばれ、政権与党で影響力を発揮している政治家の発言としては,撤回して済まされる問題ではない。自ら政治家としての資質に欠けてると判断し、辞職するのがベストだが,本人はその気はないであろう、、、。まさに“蛙のツラにションベン”そのものである。

 野党(本当の批判党かも疑わしい)代表が抗議しようとして,任命者に面会を求めても,逃げの一手てで相手にされない。”揚げ足取り”には対応できないとお考えのようだが,同類項がいっぱいいるし問題発言のたびに罷免してたらきりがなくなると言うことだろう。

 社会の木鐸、公器としてのメディアがその役割を果たしてくれればいいのであるが,良心的なジャーナリストの個別的な発言は,電波や紙面からは遠ざけられてしまう体制が作り上げられてしまっている。今回の国政選挙の約半数が棄権、全有権者のほぼ25%の投票行動が,自公圧勝(選挙制度にも問題があるが、、、)、そっぽを向いた約半数の主権者が目覚める以外にこの国のメルトダウンは避けられないのだろう、、、。


8月6日、、、ヒロシマ

2013年08月06日 13時35分12秒 | コラム

 今年で68回目の原爆忌,悪魔の兵器が人類の上に投下され,正確な数さえ不明な,一般市民が虐殺され、それ以降、何十年も後遺症で悩まされた人は数知れず、唯一はっきりしているのは,自国の投下した原爆によって,広島の地で抑留されていたアメリカ軍兵士の12名が灰となった現実である。”原爆許すまじ”の歌声はどこまで届いているのであろうか、、、、。

 私ごとだが,この私も68年前広島で灰になっている可能性が大きかった。そうならずに今を生きているのは,父が昭和17年の末、シンガポールで死亡(名誉の戦死?)したからとも言える。私の父は逓信省(今の郵政省から総務省)の役人で,東南アジアに進駐した軍の軍属として,シンガポールに、彼の地と日本との軍事郵便の開設のため先遣隊として派遣された。私が覚えているのは,当時三才、父の同僚に抱きかかえられ,仙台駅頭で,軍服、丸坊主姿で,タラップで見送りの人たちの敬礼している姿である。外地赴任が二年間、次の赴任地は広島と言うことになっていたそうだ。おそらく今で言えば過労死だったのだろう,めまいで倒れ頭部を打ち、発見されたときはすでに事切れてたのこと。12才を頭に6人の遺児を託された母だったが、後日、父一人が犠牲になって,その結果広島に転勤することなく,敗戦を仙台で迎えたことが出来て良かったと語り合ったものだ。

 記念式典での,広島市長の平和宣言はともかく、現首相の挨拶がなんとも白々しく聞こえるのは私だけであろうか、、、。”言ってることと,やってること,これからやろうとしていることが一致してないだろう!”と茶利を入れたくなる。”唯一の被爆国日本”の現職総理として,核廃絶のために,各国の指導者に招待状を送り(費用は日本で負担)、広島で核廃絶の会議を開こうと呼びかけをしたのだったら、安倍さんがんばってと応援するのだが、、、。

 私は、かっては、”原子力の平和利用”を人類の叡智として大いに期待していた。東海村は”見えない火”を人類に役立てる拠点であると信じていた。火の獲得が,ヒトを人間にしたといえるし、物理学の基礎公式(エネルギー=質量×光の速度の二乗)を適応できるようになれば,道端の石ころから,莫大なエネルギーを取り出すことが出来るし(人類が滅亡することなく叡智を高め続けていけば),資源の巡って醜い争いを続ける必要がなくなると空想したのだが、、、。

 物理学の成果を応用し、ナチスドイツより先に悪魔の兵器を製造しようとする,マンハッタン計画により、しかも莫大な費用をかけ、アメリカ議会の同意もなしに実験に成功したのが、7月16日、計画に携わった科学者は使用には反対し,ヨーロッパ戦線の責任者だったアイゼンハウワー(後大統領)も使用には否定的だったが、なにしろ,日本の戦闘能力は底をついていたし、4月の段階で,当時のソビエトに仲介依頼をしてしていたぐらいだし,原爆投下することなく日本の無条件降伏は時間の問題だった。諸々の政治力学が働いたのだろう,原爆に詳しくなかった当時のトルーマン大統領はソビエト参戦(ヤルタ密談での米ソ同意)直前の6日、原爆投下を指示した。昨年の広島平和記念祭に,そのトルーマン氏の孫と,エノラゲイ号の乗組員の孫が参加したことは、人間捨てたものではないと感じたものだ。


雑感

2013年08月04日 09時24分06秒 | コラム

 ”日本人の二人に一人はがんになる”なんて脅かされて,そういう報道は,根がおとなしく素直に人の意見を肯定する傾向のこの国の人々にとっては最大の関心事になるのだろう。アヒルさんが郵便局にお目見えするようになり,がん保険で利益を得ようとする外資系の会社に多大の利益を保障しそうだ。

 がん細胞は人体には日々生まれている,それが増殖しないために免疫力が欠かせない,それ故に,抗がん剤や,放射能治療、摘出手術ではなく、免疫力を維持することが大切であると主張している医者もいる。約半数の日本人ががんになるのが事実とすれば,その原因を明らかにしなければならない。結局のところ、日々の食生活が関係するとの結論が導かれるだろう。

 ”直ちに人体に影響を与えることがない、、、”との政府の公式見解が出されたフクシマの原発事故、前にも述べた、”農薬漬け農業”による食品を毎日食べ続けては、”直ちには、、”とは行かなくとも、免疫力が低下するのは当然であろう。

 タニシが生息する田んぼからの米、ミミズが生息する畑からの農産物、自然の山林の土壌に近い土地での果樹で実る果物、それらを日々食していれば、たとえ”一汁一菜”の食生活でも健康が維持されるはずだ。

 かって、”銀しゃり”と言うご馳走があったが,炊きたての白米のご飯は,それだけでおいしく食べられたものだ,おかずがなくとも,最高においしいものだったし,それに卵かけでも出来れば,最高の贅沢だった。その味を味わうには,今では難しくなってしまった。スーパーで購入した卵ではでは,あのときの味は戻ってこない。散歩の途中で良く行き交う農家の婦人、毎日朝晩田んぼの水回りを点検しているのだが、ほとんど農薬を使わない自家用の田んぼの米は,味が違い、都市部に住む孫息子は、”おばあちゃんちの米”はおいしいと言うし、キュウリなども丸かじりして喜ぶとのこと、正しい味覚を小さい頃から身につけさせる食生活が出来るようにすることが、本来この国の政治に携わる為政者の務めなのだが、PTTでこの国の農業がどうなるのかも考えない政治家は売国奴と言ってもよいであろう。


人は考え,そして行動する。

2013年08月02日 13時50分40秒 | 学校・教育

 15年ぶりに,夏祭りで帰省する友がいるし、ミニ同窓会を開いたので,出てきてほしいとの案内を受けた。20名ほどの集まりだったが4時間があっという間に過ぎ去った。はじめは,初対面と思える人もいたがまもなく中学時代の顔が浮かび,名前も出てきて,一安心、、、。それぞれが今の厳しい時代をしっかり生きているようでこれでふた安心。中に小学校の教師になって,子ども達との取り組みが聞けて、ついつい”元教師根性”を披瀝してまった。

 人間は考えて行動する生き物だから、考えを立て軸に、行動を横軸に取ると,人間はほぼ4通りに分かれる,縦軸では,プラス思考とマイナス思考、横軸では,アクティブ、パッシブ、大切なのは両軸が交わる原点である。迷ったら原点に戻る,成長しても,いい気にならず、原点への回帰がさらなる成長を促すからだ。教師になった元教え子に,割り箸を使って、良くほめて伸ばせと言うけど,そうしていいのは,第一象限にいる子どもだ。我々を含めて大多数の人間は,どちらかというと第二象限でうろうろしている場合が多い。つまり考え方は前向きなのだけど,実行が伴わない,それ故に伸びる力があるのに停滞している。だから第二象限にとどまっている生徒には,教師として”愛の鞭”の必要性を話した。”体罰はいけません”との縛りに絡め取られぬ,管理者やモンスターピアレンツを納得させる,普段の教室での取り組みを通しての生徒の良き変容で勝負しなさい、と説いたのだが、、、。”愛の鞭”はなんとかかんとか言っても,教師にとってはマイナス行動だ,しかし第二象限でうろうろしているマイナス行動の生徒に対して,褒めてやるわけにはいかないしマイナスにマイナスをかけるとプラスになると言う代数の基本原理をいかして、”愛の鞭”を用いなさい,そして第一象限に転化していい成果を出したとき,良かったなと一緒に喜び褒めてやればいい、、、。

 心配なのは,今の世相が”勉強が出来ないのはだめなやつ”とのムードが支配的なので,何かの時の躓きで,自分は勉強が出来ないと思い込まされ,自分はだめな人間だと究極のマイナス思考に陥らされてしまった生徒の存在である。活力のあるものは,第4象限での”ツッパリ”で自己表現するしかないし,活力が失せたものは第3象限の引きこもりにならざるを得ない。教師は,関わる生徒を4通りの対応の仕方を使い分けながら、すべての生徒を第一象限に導く意義ある仕事を誇りに,その責めを果たしてほしい。

 私が関わった例を参考に話しておきたい。丫君は,第4象限にいて、いろいろ問題を起こしていた。昨今では,そこに属している生徒の活力を非行と見なし、学校では対処しないで,警察力に頼る傾向にあるのが気がかりだが、そういう生徒こそ大切にし,多くの時間をかけて関わることが大切なのだ。何しろ活力があるのだから、、、。Y君とは,会話の中で、君もやがては大人になり,結婚して子どもを育てる、小学生になった息子から、”分数教えてくれ”といわれたとき、”俺知らない”じゃかっこわるいだろう、だから基本の勉強だけはしておけと話したところ、俺分数は分かると言うから、二分の一プラス三分の一はいくらだと問題を出したら,即刻、五分の二との回答を出した。おそらくそういう答えを小学校時代に出して,説明を受けることなく,ペケをもらい続け、俺は勉強はだめだと思い込まされたのだろう、、、。図を使って説明をして、答えが六分の五になることを説明したところ、Y君(中三)、”分かった!問題出してくれ”となったものだ、、、。風の便りによると,Y君は小学生の親となり,少年野球の指導をしているとか,嬉しい風の便りである、、、。ミニ同窓会で、ヒデキ君と再会した。”先生にはいびられた”と懐かしげに語りかけてくれたが、私が第2象限の生徒に口癖のように話し続けた言葉は、”人の話は目で聞いて,心で受け止め、記憶に残し,すぐ実行”と行かなければならない、君たちが成長しないのは”人の話を鼻先で聞いて,頭に来て,むかつく、、、。”からなのだと言い続けてきた。そのヒデキ君には、”今のおまえは不出来だ,原点に戻り,ヒデキとなり、さらに上出来、素敵になれ!”と言ってきたのだけど、そのことを覚えていてくれて、上出来、素敵になるから,,,と言ってくれたのは何よりも嬉しい事であった。