この国にとって8月15日は,貴重な歴史的教訓を踏まえ、自らが二度と戦争を体験することのない決意を表明するとともに,この地球上から戦争をなくす全人類の課題に向けて、その先頭に立って歩む決意を再認識する日でもある。戦後一貫として、”終戦の日”との括りをしてきた故に、戦争責任を、”一億総懺悔”でお仕舞いにし、極東裁判で処刑された17名の戦犯に責任を負わせててしまった。
1945年8月15日の私は,仙台近郊の疎開地で迎えた。小学校1年生だった私には,その日のことの記憶はないが,その年の7月7日仙台大空襲があって,母は急遽、託された遺児達の命を優先し,知人を頼って疎開に踏み切った。長町駅から延々歩いて農家の間借りした地へ歩いた道のりは覚えている。それ以前のことで,忘れてはいけないことは,私の周りでは,言葉を覚えたばかりの子どもでも(私も含めて)、”大きくなったら何になるの”と聞かれたら,即刻、”陸軍大将か海軍大将”と答えたものだ。場所によっては、“兵隊さん”だったかもしれないのだが。 また学校に入る前なのに、軍艦マーチの後の,大本営発表の大戦果をラジオで聞いてた私は台所の母に大喜びして伝えた(未亡人になっていた母がどう思ったか今は確かめようがないが、、、)。さらに戦後、大人達は生きていくのがやっとだったのだろう、家の前を通り過ぎる人たちを見て、”あんな調子だから戦争に負けたんだ!”なんて怒りを表していたのだが、それほど徹底した軍国主義教育(家庭、学校、社会教育)の”成果”を検証することなく過ごしてしまってはいけない。
同じ第二次世界大戦の敗戦国のドイツとこの国の比較が良くなされるが、ドイツは二度も戦争を仕掛けて敗れ反省が徹底したのだが,この国も,もう一度戦争を仕掛けて敗れないと、本当に反省しないようでは困るのである。そうならないために,この国では,人類のたどり着い最高峰の平和構築の叡智として”憲法9条”を”正しいことを世界で初めて決めたのです,正しいことこそ強いものはありません”として決めたことを忘れてはいけない。
戦前の私は、”金太郎飴”そのものだった。良くこの国の国民性を揶揄する言葉として、”盆の上の豆”と言うのがあるが,戦前戦中は,盆の上の納豆は治安維持法で絡め取られていたし,正しいことが伝わることがなかった。言論の自由が憲法で保障されている今日、社会教育の中枢とも言えるマスメディアは正しいことを伝える責任があるのに,何におびえているのか,何かにのど元を押さえられてるのか分からないが,その責めを果たしていないのは残念である。
今年の戦没者追悼の政府行事では、君が代の斉唱、天皇のお言葉、総理の挨拶、と型どおりの行事が流れたのだが、戦後生まれの,この国の保守勢力の中枢にあって,純粋培養されたお坊ちゃま総理は,憲法改正が私の歴史的使命だとの刷り込みを披瀝しているのだが,この国の保守勢力の歴史的使命ではなく、人類の歴史的使命を学んでほしいものだ。