自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

食育の大切さ

2008年01月31日 17時00分33秒 | ニュ-ス
 何か事件が起きるたびにメディアは大騒ぎするのだが、現象だけを追わず本質に迫って欲しいものだ。今回の輸入食品の中毒騒ぎ、非難の先が中国に向けられてるが、この国の食生活について根本的な見直しが必要になってるのではないだろうか。人間の生活の基本は、衣食住であるが、衣の方ではユニクロに代表される、中国産の衣料品が日本市場で多くの割合を占め、大型衣料品店では、靴下や下着に至るまで日本製の品がないのは分かっていた。よりやすい労働力を目当てに日本の企業が中国に進出し、より安い商品を逆輸入しているのだろう、消費者としては嬉しいことだが、国内の縫製関係の中小企業は大打撃を受けている。飲食品でも、天津甘栗や烏龍茶は本場のものが最高と思い長く愛用していたし、スパーでの野菜売り場をみても中国産の商品が国内産の3分の1の値段で売られているは分かってはいたが、今回の事件で、こんな商品まで中国から輸入してる実態を知り驚かされた。

 ラジオだったか新聞だったかははっきりしないが、『コンビニが 好きできれいな 台所』との川柳子の投句をを思い出した。まな板と包丁を使用しない家庭も増えているとか、当然家庭の味が失せてしまうのも時間の問題だろう。その延長沿いに今回の中毒事件があるのだし。この国の今後の食育を考える上で、教訓にしなければならないことだ。

 コンビニエンス、インスタントの横文字全盛の世の中になってしまったが、金の論理からは正しいのだろうが、人間らしい生活のためには不便なことも、時間がかかることも避けてはいけないと思う。

 餃子を食べたい、冷凍物を購入し、チンして溶解、備え付けのタレに浸して、という食べ方もあるだろう。何人いようと、一人で賄える。小麦粉を練って、のばし、型を取ってころもを作る、挽肉、ニラ、タマネギ、カルシウム不足はイライラの元になるし、ミジンコやシラス等を加えた特注の具を作る。具を包み込み、焼き餃子なり水餃子で食する食べ方もある。家族労働を動員しないと出来ない試みだし、それぞれに応じた家事分担も出来る。忙しい中、毎日は無理としても、一週に一度はそういう家庭料理が必要だし、健全な味覚を付けるチャンスと考えるべきであろう、、、。

プロレタリア革命からプレカリアート一揆へ

2008年01月30日 22時13分25秒 | コラム
 封建社会から資本主義社会への過渡期にあたる政治・経済の体制が絶対王政・重商主義であるが、最初にその体制を作り上げ太陽の沈まない帝国を築いたのがスペインである。そのスペインを破り(1588年)、覇権を確立し、七つの海を支配する大英帝国の基礎を築いたのがエリザベス女王治下のイギリスである。封建社会に先立つ奴隷制社会の存在は、人間の労働生産性の高まりにより、余剰価値を生む様になったからで、W.ペティに始まり、K.マルクスによって確立された、労働価値説の正しさを証明するものである。新たな富を生み出す労働は、古代国家では奴隷労働、封建社会では貢納労働、資本主義社会では賃労働が基本であるし、労働生産性の拡大と共にその形態が変わってきたものである。

 かっては農業労働による自給自足が中心であったが、物々交換の進展に伴う商業の芽生えにより、分業が成立するようになり、手工業者も存在するようになる。さらに需要が高まると、商人の中に、冬の農閑期の農民に目を付け、道具を貸与し、原料を供給し、春先に製品を引き取り、手数料を支払う問屋制家内工業の仕組みが生まれてくる。より生産性の高い工場制手工業に至るには農業を辞めて、道具を設置した作業場へ通う人間が必要となる。16世紀、イギリスにおける毛織物の需要の高まりに応じて、小作による物納より、原料としての羊毛生産が利が高く、小作地を取り上げ羊の牧場にした第一次エンクロージャー(囲い込み)がその背景となる。さらに工場制機械工業への歩みがいわゆる産業革命であるが、歴史的には政治上では絶対王政を倒す市民革命、経済上の産業革命を経て資本主義社会が生まれたと解釈されている。

 市民革命により人間の自由平等が実現し、産業革命により安くて良い品が大量生産されるようになったし、啓蒙思想家が考えた『神の国をこの地上に!』が実現するはずであった。しかしその道を最初に歩んだイギリスの現状は燦々たるものであった。利を揚げ続けないと存続が許されない資本の論理により、若年労働、長時間労働は恒常化し様々な社会問題を生み出した。仕事を奪われた熟年労働者によるラッダイト運動(機械の打ち壊し)、議会の良識派による労働時間の制限を求める工場法の制定に繋がるが、人道的立場で理想社会を目指した、ロバート・オーウェン、フーリエ、サン・シモン等の活動の上に、イギリスの社会を深く分析した『資本論』を著し、自らの労働力以外の何物も所有してないプロレタリアの人間解放への道を指し示したのが,K・マルクスである。

 マルクスはさらにイギリスの後追いをしたフランスの大革命(1789年)からパリ・コンミューン(1871年)の歩みを分析し、大革命時のジャコバン独裁時の急進主義(反革命勢力の処刑、土地を無料で耕作農民に付与)が反動勢力の復活、土地所有なった農民の保守化に繋がったこと、コンミューンの早期敗退を教訓に、革命移行期のプロレタリア独裁と土地国有化の必要性を説く共産主義思想を大成した。その実現の為の担い手は、労働者階級であり、その全人類的課題を達成するために『万国の労働者よ、団結せよ!』、失うものは鉄の鎖だけだと主張した。

 新旧帝国主義(海外に植民地を必要とするまでに成長した資本主義)間の矛盾が第一次世界大戦となるが、大戦中、ロシアで社会主義革命が成功し、旧ソビエトの国旗に象徴される、労働者・農民・兵士の協力による政権が実現した。シベリア干渉戦争にも勝利し革命の成果を維持したが、理論と実践の乖離は、過ちから学びより賢くなる人類にとって永遠の課題なのだろう。コルフォーズ、ソフォーズの初期の成果と継続による非能率化、反革命勢力への抑止力としてのプロレタリア独裁が全人民への抑止力へと変質(スターリン独裁)等により、新たな21世紀を迎える前にソビエトは崩壊してしまった。改革開放政策を掲げ、社会主義体制を維持してる隣国中国や、超大国アメリカの干渉戦争に勝ったベトナムの今後の歩みは注目されるところである。一方敗戦国となったドイツでも革命が起こり、社会主義化はならなかったが、女子の参政権、労働者の基本権を保障するワイマール共和国が成立する。

 『革命』とは古代中国での造語だが、革の字は、羊の皮を鞣して張ったさまからの象形文字であり、ピンと張りつめたという意味を持つを字である。つまり『革命』の本義は、それまでの社会において虐げられ、人としての誇りも持てない生き方をしていたのが、世の中が変わったことによって、自らの生き甲斐をつかめた、生きていて良かったと実感できることにある。 マルクスは労働者の絶対的貧困化は避けられないし、プロレタリア革命の必然性を主張したが、先進国の労働者は法律の保護や旧植民地や途上国の低賃金による恩恵の一部を受け取ることも可能となり、無産階級としての革命の必要性も薄れてきた。つまり、失うものが鉄の鎖のみか、多くの失うものがあり、急速に革命意識を喪失した。全世界の労働者の立場からは、マルクスのいう絶対的貧困化は真実だろう。G8に名をつなれ、先進国の仲間に所属する日本だが、グローバリズムという名の世界金融資本の意志貫徹が進み、大量のプレカリアート(非正規雇用者)が増大の傾向にあるのは、その証明だろう。新自由主義による金融資本の野放しは最終的には人類の生存も危うくするであろう。その動きにストップをかけるのは、『革命』によって今の世を変える必要性を感じているプレカリアートの集団蜂起なのかも知れない、、、。

法事の効用

2008年01月25日 13時29分54秒 | コラム
 母の祥月命日で墓参に赴いた。一年に一度でも、故人と関わりのある人の集いの場になるという点で良いものだと思った。同世代の面々は大して代わり映えしないけど、亡母の孫、ひ孫の世代になるとその成長ぶりが目に見えるし、現時点での親族の交流の場となり、これが法事の効用というものだろう、、、。

 故人に関わる法要は、仏事では33回忌で終了することになっているようだが、確かにその故人の其れと形をを直接知り合えた血族といえども、この世に存在する人もなくなるのであろう。そんな時、『人は一度は死ぬ。』と言うけど、人は二度死ぬものだと思う。つまり1度目は、その人に肉体的な死、二度目はその故人を知っている人がこの世から去った時になる。

旧知の方の不幸をその息子さんから知らせを受けて、お線香をあげに出向いたのだが、一連の仏事も終わり、ふだんの生活に戻った段階での訪問だったので、テスト中で不断より早い帰宅が出来た故人の孫娘が留守番してるだけだったが、話をしてくれながら涙ぐむ心優しい孫娘にとって、20歳までの自分の人生と関わってくれた故人への思いが募ってくるのだろう。お祖母さまとの良い思いでをずっと忘れることなく憶えていて、それを貴女の将来のお子さん、お孫さんに伝えたら、お祖母さまはずっとこの世に存在しているのだから、、、と慰めの言葉を伝えておいた。

 『人間みな兄弟』というのは紛れもない真実で、現代のゲノム解読の成果によると、2000世代も遡ると、全ての人類は同じ先祖にたどり着くようだ。全ての同世代の人類と助け合って生き、より良き社会を次の世代に残し、自らは、己を知る人の消滅を持って静かにこの世から永遠に去ることだろう、、、。

凧揚げに想う、、、

2008年01月18日 13時16分38秒 | コラム
 散歩の途中で、珍しくというか、久しぶりに凧揚げに興じる親子に出会った。かっては子どもの正月の遊びといえば、凧揚げ、独楽回しと相場が決まっていたのだが、最近の子供たちにはその時間も広場も奪われてしまったのかも知れない。それとこの出会いによって、数十年前に読んだ、雷雨の時に凧揚げをし、雷が電気であることを証明した,B.フランクリンの伝記本の挿絵、そして、30年程前の自分に対する警告の詩が忽然と甦ってきた、、、。

 寒風を背に、凧揚げに興じ、
 少年の日の夢をはせた日々は
 遠くへ去ってしまった、、、。

 しかし、なお手元に残る感触は
 ともすれば現実に流され
 妥協しようとする自己を牽制するごとく
 丘の向こうに見えた世界を
 疲れることを知らず追い求めた世界を
 まぶたの裏に再現する。

 少年の日々は戻らずとも
 少年の日の心は今甦る
 身はこの地に留まりて、這い蹲って生きようとも
 心は空天高く飛翔する[龍]と共にありたい。

 高度経済成長の為には『閑と遊び』は不道徳なものとして排斥されたのかも知れない。その為に『遊んでないで勉強しろ、閑があったら仕事しろ!』となってしまったのだろう。ニュースや記事が伝える、おぞましい事件が絶えないどころか増え続ける現状をどう考えたらいいのであろうか、、、。

 『よく学び、よく遊べ!』は昔からの格言だが、いっぱい勉強し、いっぱい遊べと考えられるが、勉強し過ぎもダメ、遊び過ぎもダメ、で適切な必要な学びと遊びが大切だと考えるべきであろう、、、。遊びを知らない超秀才児と学びをしない超遊び人が拡大再生産されてきたのが高度経済成長期の教育行政の結末だろう。

 遊びと閑の延長上に真の学びがあるのだし、『よく(適切に)遊び、しかる後よく学べ!』をこれからの指針とすべきであろう。杉並区和田中の試みは、メディア向けの話題性はあるが、遊びを知らない秀才児作りにならぬかとの心配がある。

 鳥になりたい、大空を飛びたいとの願いが現実となった今でも、凧揚げは人間に大きな教訓を与えてくれている。竹と紙と糸で作った玩具に過ぎないが、己の分身と考えた時に、凧を空転高く舞揚げる手法は、自己の願い、目標を現実のものにする為と共通するものがある。凧揚げでは、風に向かう角度、糸の引き具合、つまり良い風を捉え糸を伸ばす、風向きが変わっての落下を防ぐために、糸をたくり寄せることが必要だし、人間に置き換えると、常に向上心を持ち、物事には逃げ腰にならず常に真っ正面から取り組む、そして自分に対する厳しさである。この国には『稔れば稔るほど、頭を垂れる、稲穂かな』との警世の句がある。

 

この国の民主主義が試されている、、

2008年01月16日 11時39分46秒 | コラム
 自分のことは自分で、自分たちのことは自分たちで、というのが民主主義の基本原理である。その意味では文明と一切の接触を断ち、アマゾンの奥地で生息している裸族の中にも原始的民主主義が存在するし、『日出でて作し、日入りて息う、井を穿ちて飲み、田を耕して食らう、帝力なんぞ我に有らん』の生活謳歌は民主主義の原点である。

 抑圧があって民主主義が否定された時、それに対する抵抗は歴史的に絶えることなく続けられてきた。古代ローマのスパルタクスの反乱があってローマの奴隷制は終焉を迎えたし、近代ヨーロッパにおいては、絶対王政を覆す市民革命により、議会政治が確立した。引き続き選挙権拡大の運動が続けられ、男子の普通選挙が実現したのが、大革命後のフランスが世界で最初だし、女子の参政権はドイツ革命後のワイマール共和国において実現する。普通選挙を実施している国が民主主義を実現している訳ではなく、自分たちのことは自分たちでの原理を保障する制度に過ぎない。

 かって日本の占領政策の最高責任者であったマッカーサーが、『我々アングロサクソンの民主主義は40代の壮年だが、日本のそれは12歳の少年である。』と述べたといわれているが、そんな比較を肯定しアングロサクソンを見本にし続ける必要はないと思う。それぞれの国にはそれぞれの民主主義への歴史の歩みがあるのだし、違う価値観を認めるのも民主主義の大切な要素の一つである。

 この国でも、戦国下克上の時代、庶民の時代といわれてるように、惣の仕組みを作り民主主義を体現していた。それ故に、当時日本にやってきた、F.ザビエルをして、『勤勉で・慎ましく・礼儀正しい』との伝言をイエズス会本部に送らせたし、江戸時代でも、いざとなれば一揆に及んだし、江戸末期には世直し一揆に立ち上がった歴史を持つ。藩閥政治に対しては自由民権運動があったし、指導層が懐柔されると、秩父困民党に象徴される、自らの憲法草案を作りその実現を目指す運動もあったし、第一次・第二次護憲運動では政党政治を確立する。民主主義実現に向けての遠い道のりを想定して、我が国の民主主義は12歳と卑下することはあっても、他人からいわれる筋合いはない。自らを壮年と自負するアメリカの民主主義にしても、それは、WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)の民主主義であって、建国以来の、先住民、黒人奴隷、に対する仕打ちは消して褒められたものではない。WASPの民主主義のためには、暴力(その最大なものは戦争)を肯定し続けた歴史を持つのがアメリカ、特にネオコンといわれる現政権は、『テロとの戦い』をお題目に、選挙民を思考停止に追い込み、間接民主制の弱点をもを利用して(8年前の大統領選の選挙疑惑)、選挙で勝利し、世界中に紛争をまき散らしてるのではないのだろうか。

 そのアメリカの都合による米軍再編に全面的に協力し、金のみか住民の良心までアメリカに貢ごうとする政権をいつまで支持続けるのだろうか、、、。岩国の問題はこの国の民主主義が成長するか、封じ込まれるかの一大キーポイントである。
 職を辞して、岩国市民の良心に殉じようとしているのが井原元岩国市長であるし、2月10日の市長選は、岩国の市民が、自分たちのことは自分たちで決定するとの意志を貫ける試金石となる。

時、この不可思議なもの、、、

2008年01月14日 21時03分22秒 | コラム
 新しい年になったと思ったら、あっという間に半月が経ち、1年の24分の1が過ぎることになる。人間だけなのだろうか、時間の過ぎる速度に比して、自分の成し得たことの少なさを嘆くのは、、、。時間を測定する単位は人間は創り出すことは出来た。太陽系で地球が太陽の周りを一周する時を一年、地球が自転する時間を一日、その24分の1を1時間、その60分の1を1分間、さらに秒まで、、、。
 そして、何年か後の暦も作成できるし、1年間に数秒も狂わない時計をも保持している。それでいて、未来永劫に人は時間の支配下にある。

 造物主、全知全能の神が存在するとしたら、それは時間のことなのではないだろうか。老子が説いた『道』は時間のことだと思う、と述べておられたのは、晩年老子を学ばれた住井すゑさんの言だが、『時間が全てを支配する。』のは間違いがないようだ。

 これまでも、時間を支配しようとした人間は存在する。古代エジプトのミイラ作成も霊魂不滅を信じたからだし、秦の始皇帝も除福に不老長寿の品を探させたし、地下宮殿を造営し、生前と同じ生活を願った。厳島神社で沈む太陽を止めようとしたのは平清盛である。しかしいずれも時の経過と共に、考古学の対象になりこそすれ、時を支配することは出来なかった。平氏に至っては瀬戸内に沈んだ歴史を残しただけである。

 時の支配を甘んじて受けよう、、、。そして時の恩恵を少しでも我が身に受け取る工夫は出来ると思う。時を我が身に捉える術は、何事思い切って取り組むことと、目だたぬ努力を続けることだ。力を出し切った瞬間は思い出となって己のものとなるし、目だたぬの努力の継続は習慣となって己の一部となる。良き思い出と良き習慣が、限りある人生を悔いのないものに出来る両輪だろう、、、。

衆議院優越の根拠は、、、

2008年01月11日 15時59分13秒 | ニュ-ス
 『新テロ特措法』なるものを憲法に規定による衆議院の三分の二の多数で可決してしまった。早速防衛大臣は自衛隊に出動命令を出した。これでアメリカまで出かけ、インド洋での給油を続けますと約束した安倍前首相、福田現首相のアメリカに対する顔は立ったわけだが、主権者である国民の納得は得られたと思っているのだろうか。

 二院制をとる我が国で、衆議院と参議院は対等であるが、万が一両院の意見が異なる場合を想定して、衆議院の方が任期も短いし解散もあり、それだけ国民の意思に近いとの観点から、総理大臣の指名(10日、)予算の議決・条約の承認(30日)、法律案の再議決(60日)、不信任決議は衆院のみ、これらのことを憲法で、国会法では、会期の決定、再延長に関して衆議院の議決が国会に議決になることになっている。(衆議院の優越)

 半数の改選とは言え、近々の国民の参議院選挙での意思は無視され、郵政解散という、その一点だけでの国民の意思が(公務員への国民の反発、妬みを巧みに誘導)、衆議院での絶対多数を自民党に与えた。その数の威力で、後継者は結党以来の自民党の党是を実現すべく強行採決を連発したのだが自爆、その後継の現首相も国民の意思を問うことなく、衆議院での数を頼みに、国会の会期を延長、再延長して、今回の再議決に漕ぎ着けた。緊急性を要するものでないし、近々の国民の意思は昨年の参議院選挙だし、三分の二の条項を適用する前に、衆院の解散によって国民の意思を問うてからにすべきであった。

 片肺飛行でインド洋に派遣される自衛隊員は己の使命感(日本の国、家族を守る)とは異なる命令を受け戸惑うばかりだろう。自衛隊は文字通り、万が一外国が攻めてきた時に(その可能性はゼロに近いのだが)自己防衛をする組織であり、その為の装備も憲法9条からかけ離れた存在であってはならない。現防衛大臣はクラスター爆弾も必要と考えているようだが、かの山田洋行が水増し請求をしたヘリコプターの装備品(熱球をばらまき、熱線を追尾する小型ミサイルに対応)にしても軍需産業にとっては利の多い製品だが、自衛のための装備としては、憲法に定める、その他の戦力はこれを保持しない、に照らし合わせても明らかに憲法に反する過剰軍備である。

 世界第二位の予算をかけ、着実に対敵攻撃力を増した自衛隊に対して、ベトナム戦争の時の軍事独裁下の韓国軍と同じ役割を果たして貰いたいのが、現アメリカの政権の中枢部にいるネオコンの意志である。アメリカの若者の戦死者の数がアメリカの反戦運動の高まりと比例するし、ネオコンの意図は、自衛隊の傭兵化にある。
 個々の自衛隊員は自衛隊法をよく調べ、本務(自国を他国からの攻撃から守る)と異なる命令を受けたら拒否し、法律による救済を裁判で求め、自らの職責に誇りを感じるものにする必要があるだろう。



国策捜査に手心は、、、

2008年01月09日 22時18分15秒 | ニュ-ス
 日米の防衛問題のキーマンといわれる秋山氏の参考人招致が参議院外交防衛委員会で執り行われたのだが、真相解明にはほど遠い内容で決着は後回しとなった。守屋氏の収賄事件を立件出来、起訴できるに至ったのは、軍需産業商社『山田洋行』の内部分裂が発端となり、隠しきれない様々な言質、証拠が産出したからであって、東京地検特捜部の内偵で掴み取れたものではない。その延長沿いで、秋山氏が常任理事をしている『日米平和・文化交流会』に捜査の手が伸び、証拠の品々は押収したのだろうが、手心を加えたり、取引をしたりして、巨悪を取り逃がすことになってはいけない。

 前述の社団法人の前身は『日米文化振興会』といって、故笠井重治氏が立ち上げたものである。若くしてアメリカ留学、ハーバード大出身で、戦前から日米の友好に尽くし、日米開戦を防ぐために尽力した人であり、戦時中は憲兵隊につけねらわれた。戦後、ユネスコの活動の日米版といえる活動が必要と考えて設立したものである。

 その精神を保ち、名称変更したのなら、日米友好に関心のある多くの人が参加して良い筈なのだが、日米安保条約が日米友好条約ではなく、軍事条約に変質する中で(日本の司法権が違憲審査を回避)、いわゆる日米防衛関係者の団体に変質してしまったのだろう。前原元民主党党首も理事をしていたのに、問題が起きて退任したようであるが、故笠井氏の意志を生かすために理事でいることを恥じることはないはずだ。

 秋山氏が事務局長をしている同法人の付属機関の『安全保障議員協議会』となるといわゆる防衛族といわれるメンバーのオンパレード、福田現首相も理事の経歴を持ち、前述の前原氏、松本氏などの民主党、公明党も与党になって代表を送っている。同協議会の例会となっている日米戦略会議では、日米軍需産業の意図を先取りした基調報告がなされている。

 東京地検特捜部は慎重に捜査を進めているのだろうが、守屋氏で留めておかないで、底知れぬ疑惑の解明に突き進もうとすれば、上層部からストップがかかる可能性もある。かって特捜部は、前首相の田中氏を刑事被告人に、最近では外務省関連で、鈴木宗男氏、佐藤優氏を訴追し、国政捜査の批判を受けているが、もみ消し、訴追しない国政捜査の方がより危険だし、腐りきったこの国の大掃除に手心を加えてはいけない、、、。

 

リセットして第1象限で生きよう、、、

2008年01月07日 19時52分13秒 | コラム
 年末にはすす払いをし、除夜の鐘を聞いて初詣、そして一年の計は元旦にあり、とて新たな目標を立てる。これらの年中行事はこの国に住む人々の知恵といえるだろう。たとえそれまでの人生が悔い多きものだとしても、年が改まるのを機会に、自分自身を見直し、原点に立ち返って再スタートする。よく迷ったら原点に戻れというけど、そろばんでの御破算、リセット出来るのは人間だけであろう。

 x軸とy軸が交わるところが原点で、縦軸に思考、横軸に行動をとってみると分かりやすい。つまりプラス思考かマイナス思考かをy軸、実際行動面での能動か受動かをx軸で表現すると、第一象限で生きることに喜怒哀楽を含んだ悔いのない人生があるのだろう、、、。夢や希望を持っても行動が伴わず、第二象限で留まる場合も決して少なくないのも人間というものだろう。第三象限だといわゆる引きこもり、第4象限は反社会的生き方といえると思う。

 マイナスにマイナスをかけるとプラスになる。これは代数での基本原理である。凶悪な犯罪を犯したものは、原点から遠く離れた第4象限地点にあるのだが、そこに至までの個人的、社会的要因を分析するための長い刑期が必要であり、リセットして真人間に立ち返るチャンスは保持しなければならない。死刑廃止論の根拠はここにある。

 正月早々起きた16歳の少年の事件は、自分に自信の持てない第三象限の地点にいた者が、教師に叱られるというマイナスがきっかけとなり、第4象限に転移したのだろう。佐世保の銃撃事件も同じ背景があるものと思われる。

 教育の現場が苦心しているのは、第三象限の属するものが増え続けてる現状なのではないだろうか。まずマイナス思考をプラス思考に改め、しかる後に、本来の教育活動である実行力を付ける試みで、第一象限での、実現可能な小目標を定め、即実行に移し、目標を達成させて、自己への自信を持たせる。つまり『一寸法師』の精神を教育現場で生かすことである。①自分はまだまだ未熟である、②大きな目標を持つ、③旅にでる(生活を変える)、④鬼を退治(自分の中の怠け心を克服)、⑤目標達成、⑥いい気にならず再び一寸法師に戻る。

出雲が神道のふるさと

2008年01月05日 15時46分02秒 | コラム
 全てに神宿ると考えたのが、この国の民の古くからの心裏だったのだが、八百万の神が一堂に会するのが出雲であり、その会合がある十月は他の地域は神無月、この出雲の地だけは神有月となる。
 初詣は年頭におけるこの地に住む人々の年中行事であり、精神を清め新たな年での飛躍を願うものなのだが、メディアが初詣客の数ベストスリーに挙げている有名な神社でなくとも、自宅から除夜の鐘を聞いてから詣でるのが本来の年中行事としての初詣のあり方だと思う。

 問題の山積するこの国で、時の総理も野党の党首も年頭に伊勢神宮に参拝したのだが、政教分離に反しないのであろうか、、、。かって、小泉総理が靖国参拝を指弾されて、伊勢神宮参拝には異論ないのに何故靖国では、と批判したのだが、ある意味では的を射た反論だと思う。

 靖国神社も伊勢神宮も天皇家と関わりの深い神社であることは歴史的事実であるのだが、伊勢神宮の場合は複雑な歴史変遷を経た神社であるのに対して、靖国神社は明治の近代天皇制確立に命を捧げたものを祭った明治以降の新しい神社である。
 古代天皇制確立期の天智朝、天武朝の抗争となった壬申の乱において、それまでは伊勢の漁民たちの社だったのだが、熊野を脱出し、天智朝に戦いを挑んだ大海人皇子が、必勝祈願をして勝利し、それ以降天武朝の神社に格上げされ、様々なそれ以前の神をも招聘したものである。天武朝によって財政的基盤も補償され、いわゆる、式年遷宮が定められたのも天武朝の時である。古代では天皇・皇后・皇太子以外は参幣することは出来なかった。中世、朝廷の力が衰え、皇室の氏神から、日本全体の鎮守として武士から庇護された。各地にある鎮守の森はその名残であろう。戦国時代に近づくと、式年遷宮も中止となるが、御師(おし)と呼ばれた信者を獲得し各地に講を広めた人たちにより、近世、江戸時代の一般庶民の『お伊勢参り』に繋がる。『いいじゃないか』のお陰参りを倒幕に生かした薩長の明治政府は、伊勢神宮を国家神道の頂点と位置づけた。式年遷宮は、森の手入れ、伝統建築技術の伝承、リサイクルに繋がるこの国の誇るべき文化だが、天皇が参拝するのは当然としても、明治憲法下の天皇の臣としての政治家の参拝はやむを得ないとしても、国民主権下の政治の頂点にある人物が参拝するのは、政教分離に反することになるだろう。

 日本人の心のふるさととして、日本人を代表して神社に初詣するにふさわしいところは出雲大社であろう。