自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

8月6日、78回目のヒロシマ

2023年08月06日 20時40分21秒 | コラム

 原子爆弾を開発したアメリカ、本来ならば人類に使用すべきでないことは重々わかっていたと思うのだが、玉砕戦術をとる日本には、戦争を終わらせるためには、原爆使用もやむを得ないと判断したのかもしれないが、6日のヒロシマ、8日のナガサキ、そして15日が無条件降伏の日となった。78年前の暑い夏の日々であった。今年も広島で式典が開催されたが、先日のヒロシマサミットに参加した首脳たち、本日この国の総理も参加して、言葉を発したのだが、心底核兵器に対していかなる考えをお持ちなのだろうか、、、、、。 

 私は、78年前の今日は仙台で小学1年生の夏休み、仙台は、亡父の転勤地、昭和17年、日本が東南アジアを占領し、当地と日本との郵便事業 の先発隊として、シンガポールに滞在、2年間勤務の予定であった。もし元気で帰国していたら、次の勤務地は広島であったとのこと、そうであればわれわれ家族全員ヒロシマで78年前の今日を迎えたかもしれない。


四つ葉のクローバー付記

2023年06月19日 12時45分26秒 | コラム

 散歩道で四つ葉のクローバーに出会うことがあるが、昨日の散歩では四つ葉だけでなく五つ葉に出会った。一日押し葉にし、本日栞を作ったが、10枚の四つ葉と五枚の五つ葉の栞が作れた。見つけようとするとなかなか見つからないものらしいが、欲がないのがいいのかもしれないと考えている。作った栞を散歩のとき持参していうのだが、散歩中に出会った人にプレゼントすると、すごく喜んでもらえる。スーパーのレジなどで赤ちゃんを抱いた母親には、この子にいいことがあるように、母子手帳の栞にとか、小中学生と出ったときは、たくさん本を読むんだよ、その栞にとか言って手渡すのだが、、、、。弁慶の千本刀ではないけど、これからの己の人生で、千人の人に自作の栞をプレゼントできたらいいなと考えている、、、。本日も生活費を銀行に出向きおろしてきたのだが、その時に出会った方にプレゼントしたのだが、ものすごく喜んでもらえた。


日々の雑感

2023年06月18日 09時15分59秒 | コラム

 久しぶりにブログを開いてみたら、6000日をオーバーしている。その中で何を述べてきたのだろうか、、、。私も後期高齢者なので、1年に一度医療機関に受診することを義務化されているので6月になって近所の診療所に出向き診察を受け、また来年お邪魔しますとしたのだが、その診療所の医者は、免疫学に関して国際的な権威なのだが、自ら自然農業を実践しながら地域医療に貢献したいとの思いで、診療所勤務をしている方なのだが、そんな方がいられるのは嬉しいことだ。その方の考えに基本は、薬や医者に頼るのでなく、日々の食生活と運動が大切であるとの教えである。

 私の一年一度の医者に係る様になるため、毎日の散歩は欠かさないようにしている。散歩の途中に、那珂川の作った河岸段丘のはけから年中湧水が欠かさないところがある。そこに神社が建てられているのだが、その地域に住む人々にとって古代から恩恵を与えていたからなのだろう、、、。その湧水のことで思い出いだしたことがある。もう亡くなって10年以上のなる方から聞いた話だけど、その方が子供の頃、近所のお年寄りに、那珂川まで遊びに行くのだったら、帰りにあそこの水を汲んでくるようにいわれたのだが、遊びに夢中になって忘れてしまい、家に戻ってから思い出して井戸で汲んだ水を持って行ったのだが、”違う”と言って怒られたということである。私も時々そこから水を汲んできてお茶を飲んでいるのだが、確かに一味違ったお茶の色、のみ味を実感できる。

 私の散歩道は自然豊かで、鳥の声、虫の声、風の音を楽しみながら1万歩目標に続けている。クローバーの密集地もあちこちにあって、休みを兼ねて、四つ葉を探すのだが、時時一か所で四五枚の四つ葉を見つけることがある。初めはガラスの皿に受けべていたが、一週間ぐらいは楽しめた。そのうち栞を作るようになり、出会った人にプレゼントしてるのだが喜んでもらえる。小中学生にはたくさん本を読んでその栞に、スーパーのレジなどで赤ちゃん母親には、この子にいいことがあるように母子手帳の栞になんて言ってプレゼントするのだが喜んでもらえる。 


76回目の憲法記念日に思う、、、

2023年05月03日 09時46分27秒 | コラム

 大日本帝国憲法の改正手続きによって、新たに成立した日本国憲法、、、。76回目を迎え、その精神は大きくゆがめられてしまっているのだが、何とか命脈を維持している。東西冷戦の始まりとともに、憲法9条に掲げられた”人類の英知”はなし崩しされ続けている。朝鮮戦争の勃発により、国連軍の名称の下、在日米軍が朝鮮半島に派遣されることとなり、日本国内の治安維持を果たしていた米軍に代わる新たな組織がアメリカの意向により、”自衛隊”の名称で発足した。

 初期には自衛隊法は憲法違反との判決が、地裁では出されてたこともあるが、最高裁では巧みに逃げられ(最終的には国民が判断)、ヒヨコがいつの間にかタカになってしまっているのが現状だ。

 人類の歴史は、原始共産主義社会から封建主義社会そして現在の資本主義社会へと歩んできたが、その資本主義社会への疑問として提唱された社会主義は未だに評価されていないようだ。

  かって人類史上、初の社会主義革命に成功した時の指導者、レーニンは将来、社会主義と資本主義は似たようなものになると言っていたのだが、今の中国を見てみると、そのレーニンの指摘の正しさに共感する。資本主義経済の自由競争は、生産力の著しい進歩に貢献した。それ故に資本主義社会に最初に歩んだイギリスは、その成果を、”ゆりかごから墓場まで”と表現した。太陽の沈まない帝国と自称したように世界各地を植民地化し、それに挑戦してきたフランスとはアフリカ、インド等では敵対したが、新たに台頭して来たドイツとの関係で協力するようになった。資本主義が進展し、海外に植民地を獲得する必要性を持つようになった国は帝国主義と言われるようになったのだが、植民地獲得競争故に世界戦争を起こすにいたった。第一次、第二次世界大戦がそれである。

 この国も両大戦に参加し、第一次大戦では勝利者側に回り、帝国主義国にとっての最大に魅力ある国、中国(かつての清)への勢力拡大を進めた。その結末が、ポツダム宣言の受託にあたるのだが、、、、。 


かって国際反戦日があった。

2022年10月21日 10時53分16秒 | コラム

 本日は10月21日。何となく記憶にある日なのだが、アメリカがベトナム戦争にに介入し、本格的戦争が始まったとき、当時の日本の労働組合の代表的組織だった総評の呼びかけによって、べトマム戦争反対の大集会が開催されれた日を記念とする日である。二度と戦争はしないと憲法に定めた日本に取って、安保条約を結んでいるアメリカが始めた戦争だけに、日本も間接的に戦争に参加するのではとの疑念もあり、大集会となった。それから半世紀以上たった現在、この国の反戦意識、平和への願いはどうなっているのだろうか、、、。


私の原風景

2021年09月26日 08時03分52秒 | コラム

 心にゆとりのある時なのだろう、畦道を散歩していて、ふと思いがけないメロディが湧きあがってくる時もあるし、ずっと昔読んだ本の内容を思い出したり、定かではないが確かに一度体験した情景が浮かんできたりすることがある。コレラを原風景というのだろうが、私の原風景の一つに、”路傍に石”での教師と吾一の最後の場面がある。確か放送ドラマの記憶で、それも連続ドラマだったのか完結ものであったかは定かではないのだが、数十年前のことなのに鮮明に記憶となって残っている。その場面とは、吾一少年が成長し勤労青年となって元担任の教師と語り合う場面である。

 吾一はある時、先輩から、”お月様はなぜ落ちてこないのか、、、”と幼児に尋ねられ、考えた末、”お月様は一人ではさびしいので他のお星さまやお日様と手をつないでいるのだよ、、、”と答えたのだという話を聞かされた。その時吾一は、それまでの自分の生き方の根本が大きく揺さぶられ、名前の吾ひとりではいけない。いろんな人と協力していかねばならぬことに気付かされた。そして元担任と再会の折、そのことを話すと、元担任は、”以前は俺がお前に教えたのだが、今はお前から教わるようになったな、、、”と述べるくだりである、、、。原本にあたってみたが見当たらず、もしかしたらその放送作家の脚色だったのかもしれないが、、、。いずれにしても教師と生徒のかかわりを問う重大な内容が秘められていると思う、つまり師を超える生徒を育てるのが教える立場に立つ者の務め、そして師を超えた生徒からの教えを受容できる度量、”後生畏るべし”を実感できることが師という立場に立った者の芯の喜びではないだろうか、、、。このような師弟関係が成り立つには松下村塾の場合を見てもわかるようにf、一方に厳しさと愛情、他方に素直さと耐性、それらが相まって、真の教育活動が実現するのであろう。

 より卑近な例として、子どもの頃は母から聞いた祖母についての話、つまり、”嫁と姑”のかかわりの事例も大いに参考になると思う、 母が嫁に来たばかりのこと、若嫁教育の手始めなのだろう、ある日、祖母は母に浴衣の洗濯を命じた。洗い終え、干して乾いてからきちんとたたみ、差し出したところ、ちょっと摘まんだだけで。もう一度洗いなおせと投げ返したそうだ。どこかにシミでも残っているのかあちこち眺め直し洗い直し、同じように差し出したところ、前回と同じように投げ返す。三度洗いなおす中で、袂の裏に小ゴミがあることに気づき袂を裏返しにして流し去り、お同じように差し出したところ、”良し”の一言で一件落着を迎えたのこと、悪しき慣習としての”姑の嫁いびり”なのだろうか、形は同じ、”いびり”でも、”三つ子の魂百まで”との諺にもあるように、乳幼児の教育に一番多くかかわる母親の感性、気付き等の生きて働く力の育成につながる教育なのではないだろうか。二度も投げ戻し、三度めに”よし”と言ってほめたのは、どこかでじっと洗うさまを見ていたのだし、母も明治生まれとはいえよく我慢したものだ。今ではとても考えられない仕打ちと辛抱である。

  昨今の学校教育が。様々な批判を受け、”教えてはいるけど育てていなぃ、、、”と言われても否定はできないだろう。”洗っておけ”と命じるだけでその見守り、見届けがなく、その逆に、”袂の裏には小さなゴミが残っているから裏返しにしてよく洗うのだよ”と教えてしまう。教わった方は、その教わったことはできても、果たして、その他のことに応用できるであろうか、、、”知識は体験を経ないと知恵にはならない”と言われるように、祖母は己の知識を母に体験を強いることによって母の知恵にまで高めてくれたのだと思う。。。

 

 


私の散歩道三景、、、

2021年08月18日 13時11分04秒 | コラム

 私の健康法の一つに毎日の散歩があるが、散歩に選んでるのは、那珂川が地質学時代から築き上げたあげた河岸段丘で、そこを生活の基盤として、農作を営んできた地域である。幸い耕作放棄地はほとんどないが、畦道は三者三様である、つまり除草剤を使っての赤茶けた所、きれいに刈り込まれた所、そして背丈ほど伸び放題の雑草で歩行が難しい所である、”蒔かぬ種は生えぬ”はこの国では無縁の諺ではなかったのではないだろうか、、、。家畜のえさ、堆肥として土地を肥やし、多くの人口を養ってきたきたのだが、、、。

 10年ほど前、”百姓が地球を救う”というタイトルの本を出された秋田さん、”百姓”というと、差別用語と考えらえるが、自分のことを百姓と言える秋田さんは。真の意味を理解して用いられているのだと思う。つまり、”姓(かばね)”とは古代、仕事を顕すくらいであった。つまり,臣、連、等の仕事を顕すくらいであった。百姓とはあらゆる仕事をこなすという意味だし、天才と同意語と言ってよいであろう、、、。

 


ク=ベルタン。今ありせば、、、

2021年07月17日 13時00分55秒 | コラム

 オリンピック東京大会が強行される現状だが、とてもスポーツを通してぬ国際交流とは縁遠いことになってしまっている。地中海に突き出た半島の、マケドニアには、自らをヘラスと名乗る人々が生活をしていた。ポリスと言われる都市国家が多く成立し、互いに協調したり争ったりしていたのだが、東の強国ペルシャ帝国との間との戦いに勝利したのだが、とくにその中心となっていた都市国家であった、アテネとスパルタは永遠のライバル同士であったし争いを繰り返した。共通の神ゼウスを祭るオリンポス山にちなんで、ポリス同士の争いをやめて、スポ=ツ競技を行っていたとの故事にちなんで、帝国主義の世を迎えた世界も争いが続いていた。

  人類の英知vs帝国主義の利の問題で、前者の立場で古代オリンピックを参考に近代オリンピックを提唱したのが、ク=ベルタン男爵である。帝国主義国間の利の対立が第一次、第二次世界大戦を起こし、度々オリンピックも中止に追い込まれたが、第二次世界大戦後、開催されたのが。1952年のヘルシンキ大会である。当時私は中学生であり、戦後民主主義の洗礼を受けた世代である。テレビもない時代であったし。ラジオ放送で、5000、Ⅰ万、マラソンの三種目で優勝した、ザトペックのことは今でも記憶しているし、”いいな、いいな、人間っていいな”を実感できた世代である。


超大国、アメリカは人類にとってどんな役割を果たすのか、、、

2021年07月04日 11時48分33秒 | コラム

 今日7月4日は、アメリカ独立記念日である。1776年、13のイギリスの植民地が本国から独立戦争を経て、イギリスのライバルでもあった、フランスの協力もあって、本国から独立を果たしたのである。それ以前の南北アメリカ大陸は、永遠の旅人であるアジア系先住民が部族単位で生活する地域であった。1492年、コロンブスのアメリカ大陸発見とは歴史で学んでいるのだが、無人の大陸ではなかったことは真実である。

 地球球体説がヨーロッパで確立したのは、ニュートンの万有引力が確定されたからである。いわゆる冒険家と言われる人たちが、”海の向こうにある何か”を求めて大西洋を横断して、南北アメリカ大陸の存在を明らかにした。イタリアの冒険家、アメリゴ、ベスプッチは3~4度、新大陸に出向いたようだが、宣伝が効いたのだろう、彼が語る新大陸(アジア系先住民の存在を無視して)のことをアメリカ大陸と呼称することになった。

  アジア系先住民とヨーロッパからの移住民との関係は、初期は至って友好的であった。私有観念のない先住民は、様々な恩恵を移住住民に与えた。特に。メイフラワー号で移住してきた、本国イギリスで弾圧されていた人々に対しては至って友好的であった。東部に13の植民地が成立したのは、18世紀初頭であった。本国イギリスは、スペインを破り、世界チャンピオンの立場に立つが、新たなライバル、フランスとアフリカ、インドでは勝利したが、東南アジアでは、タイを緩衝地として妥協した。新大陸でも抗争は続くが、戦費調達のために、13の植民地に新たな課税をする。代表権を要求するも応じない本国に対して。”代表権無くは、課税なし”のスローガンを掲げ独立へと向かう。

  建国なって約250、アメリカ合衆国は、政治上の民主主義の進展には多大の貢献をした。特に大統領制での2期以上の継続を認めないのは、官僚主義に対する最大の防波堤となっている。一般社会でも、優れた人物と言え長年同じ地位にとどまっていると、一般会社であろうと、地方の政治(町長、市長、県知事)でもその組織には、官僚主義がはびこってしまうし、事なかれ主義、前例主義がはびこってしまい、停滞してしまう例が多い。その点では、大統領は二期以上は禁止、という決まりは、人類の英知と言えるだろう。あらゆる面でこの考えを活かす必要がある。人類社会の堕落、絶滅を避けるためには、、、。

  政治的貢献は顕著だが、経済的にはどうなのだろうか。ニューディール政策で恐慌の克服には成功し、資本主義の崩壊は防げたが、経済的格差の解消には、何の貢献もしていないどころか、拍車をかけ続け、1パ=セントの富裕層と99パーセントの一般市民との格差拡大に突き進んでいる。


今年も後半に入る、、、

2021年07月01日 21時34分46秒 | コラム

 先々の見通しのない日々が続いている。二度目の東京オリンピックは行われるのか、コロナ騒動は何時収まるのか、マスクは何時外せるのか、等々、、、。当事者は自信なさげな発言をしているのだが、この国の無責任体制がますます明らかになってくるだけだ、、、。

 もう少し夢のある話題に変えましょう。10年ほど前に、私はこのブログで、七月(文月)にちなんで、誰かに心のこもった手紙を書いてみよう、ケータイ、スマホに逆らって、自筆の手紙を、ペン、毛筆、鉛筆でもいいし、、、。出す相手のいない人は、自分への手紙でも、、、と提案し、私自身自分の生育にかかわりのあった人を選んで、30名近くの人に架空の手紙を書いたものだ、のちにその手紙を本にして発行したのだが、いま読み返してみて、すごく感じ入ることが多いのがうれしいことである。