心にゆとりのある時なのだろう、畦道を散歩していて、ふと思いがけないメロディが湧きあがってくる時もあるし、ずっと昔読んだ本の内容を思い出したり、定かではないが確かに一度体験した情景が浮かんできたりすることがある。コレラを原風景というのだろうが、私の原風景の一つに、”路傍に石”での教師と吾一の最後の場面がある。確か放送ドラマの記憶で、それも連続ドラマだったのか完結ものであったかは定かではないのだが、数十年前のことなのに鮮明に記憶となって残っている。その場面とは、吾一少年が成長し勤労青年となって元担任の教師と語り合う場面である。
吾一はある時、先輩から、”お月様はなぜ落ちてこないのか、、、”と幼児に尋ねられ、考えた末、”お月様は一人ではさびしいので他のお星さまやお日様と手をつないでいるのだよ、、、”と答えたのだという話を聞かされた。その時吾一は、それまでの自分の生き方の根本が大きく揺さぶられ、名前の吾ひとりではいけない。いろんな人と協力していかねばならぬことに気付かされた。そして元担任と再会の折、そのことを話すと、元担任は、”以前は俺がお前に教えたのだが、今はお前から教わるようになったな、、、”と述べるくだりである、、、。原本にあたってみたが見当たらず、もしかしたらその放送作家の脚色だったのかもしれないが、、、。いずれにしても教師と生徒のかかわりを問う重大な内容が秘められていると思う、つまり師を超える生徒を育てるのが教える立場に立つ者の務め、そして師を超えた生徒からの教えを受容できる度量、”後生畏るべし”を実感できることが師という立場に立った者の芯の喜びではないだろうか、、、。このような師弟関係が成り立つには松下村塾の場合を見てもわかるようにf、一方に厳しさと愛情、他方に素直さと耐性、それらが相まって、真の教育活動が実現するのであろう。
より卑近な例として、子どもの頃は母から聞いた祖母についての話、つまり、”嫁と姑”のかかわりの事例も大いに参考になると思う、 母が嫁に来たばかりのこと、若嫁教育の手始めなのだろう、ある日、祖母は母に浴衣の洗濯を命じた。洗い終え、干して乾いてからきちんとたたみ、差し出したところ、ちょっと摘まんだだけで。もう一度洗いなおせと投げ返したそうだ。どこかにシミでも残っているのかあちこち眺め直し洗い直し、同じように差し出したところ、前回と同じように投げ返す。三度洗いなおす中で、袂の裏に小ゴミがあることに気づき袂を裏返しにして流し去り、お同じように差し出したところ、”良し”の一言で一件落着を迎えたのこと、悪しき慣習としての”姑の嫁いびり”なのだろうか、形は同じ、”いびり”でも、”三つ子の魂百まで”との諺にもあるように、乳幼児の教育に一番多くかかわる母親の感性、気付き等の生きて働く力の育成につながる教育なのではないだろうか。二度も投げ戻し、三度めに”よし”と言ってほめたのは、どこかでじっと洗うさまを見ていたのだし、母も明治生まれとはいえよく我慢したものだ。今ではとても考えられない仕打ちと辛抱である。
昨今の学校教育が。様々な批判を受け、”教えてはいるけど育てていなぃ、、、”と言われても否定はできないだろう。”洗っておけ”と命じるだけでその見守り、見届けがなく、その逆に、”袂の裏には小さなゴミが残っているから裏返しにしてよく洗うのだよ”と教えてしまう。教わった方は、その教わったことはできても、果たして、その他のことに応用できるであろうか、、、”知識は体験を経ないと知恵にはならない”と言われるように、祖母は己の知識を母に体験を強いることによって母の知恵にまで高めてくれたのだと思う。。。
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