自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

M.エンデの遺言、、、その②

2012年05月15日 11時21分36秒 | コラム

 「第三次世界大戦は始まっている。我々が気がつかないだけで、、。、この戦争は、従来のように領土や資源を対象とする戦争ではなくて、時間との戦争だ。私たちの子どもや子孫を破滅させる戦争です、、、。」とのM・エンデの警鐘をどう受け止めたらいいのであろうか、、、。『改革なくして成長なし』とのワンフレーズで新自由主義なるものを本格的に我が国に導入したのだが、何かやってくれそうだとの期待を込めて見守っていたこの国の有権者は、失われた10年のコピーを再現させられるのに気がつかないのだろうか、気づかぬふりをしているのだろうか。富国強兵の実現のために、『欲しがりません勝つまでは、、、』を強いられ、清貧が国民性となっていた我が国が、アメリカの物質文明の豊かさに憧れ、アメリカの生活様式の実現が戦後の最優先課題となったのもやむを得ないことだったのかもしれない。そのための経済成長路線が全面的に肯定され続け、財政特例法というモルヒネを使用し始め、その結果が年々膨大する国債、そして今後も増え続けることが確実であり、もはや将来の我々の子孫の支払い限度を超えるまでになったきているのではあるのだが、、、。今もって、経済が成長すれば税収も増え、国債依存の体質が是正できるとでも思っているのだろうか。まさに、M・エンデの警鐘にある、子どもや子孫を破滅させる未来が確実に訪れようとしているのであるのだが、、、。

 経済とは、もともと生産し、消費する人間の営みなのだが、生産に携わる人間の労働が富を生み出すという労働価値説は、ペティに始まり、アダム・スミス、リカドーに引き継がれ、マルクスによって大成されたものであり疑問の余地はないであろう。しかし、その労働生産物の配分の仕方には、歴史的に違いがある。人間不平等の原因をどこに求めるかでは、議論があるところだが、経済的不平等は、人間の労働の生産性向上とともに生まれてきたのも事実であろう。人が全て自由・平等で、互いに助け合って生きていく世を、架空の死後の神の国に求めるのでなく、現実のこの地上に実現を、という啓蒙思想家たちの夢は未だに実現していないのではあるが、その夢の実現の可能性よりも肝心の人類がこの地上から消え去る可能性が高いということをM・エンデは述べていると思う。そして人類が、この地上でその人類の夢の実現を目指して生存を続けられるためには、金融の仕組みを変えること、本来のお金の持つ、等価(労働・サービス)交換の意味を体現している地域通貨にその可能性を見いだしている。

 『働けど、働けど、我が暮らし楽にならず。』との人生を送ることを余儀なくされている人の数が未だこの地上では大多数であろう。65億を超える地上の人間の一年間での生産量を、人間の経済活動に欠かせない、友愛、つまり助け合いで分け合うことが実現していれば、それまでの蓄積もあるし、すべての人は十分に安定した生活を営めるはずだ。ところが、利を得ることが合法化されている資本主義国では(メディァは自由主義・民主主義の国と報道するが、、、)合法的に利が利を生むシステムを利用して、一部の者に富が集中することになり、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる二極分化が日々進行している。

 ここで体験的な私的経済原論とでもいえるものをまとめてみよう。私のお金との出会いは、お正月のお年玉が最初である。学校に入る前だから、オレンジ色の紙幣、額面は5銭、すぐ上の兄は小学校に入っていたので、青みを帯びた10銭紙幣,、早くより魅力的な青みの紙幣をもらえるようになりたいと思っていた。使うことはないし、すぐに預金に回すのだから、金額が問題ではなくて、絵柄がより魅力的だったからだ。『お金は卑しいもの』という考えが当時の日本では一般的だったのではないだろうか。子どもにはお金は使わせない、お金の魔力に影響されない子育てが普通のことだったと思う。落語でもお金を知らないふりをして、「五月人形の刀の鍔、、、?」なんて喋って、ご隠居さんに、「いい育ち方をしている」と褒められる話もあるが、、、。
 5銭、10銭というお小遣いは、個人名義の預金通帳に積み立てられる。無駄遣いをしない、貯金することが国のためだが常識の時代だった。小学一年の時、敗戦を迎えたのだが、それまでの私の預金残高は、今でも覚えているけど、8円35銭になっていた。戦後のインフレで、それまでの蓄積はどこかへ吹っ飛んでしまった。買いたいものがあったわけではないが、5銭、10銭と積んだのに、一度も下ろすことなく、古ぼけた通帳が探せば出てくるかもしれないが、、、。ずっと後になって、『インフレは姿なき怪盗である。』という言葉に即同意したのも、この幼少時の体験があったからだろう。アメリカとの経済力の差に気づかされたのは、高校生の頃で、朝鮮戦争の特需により戦後復興がなった頃である。やっと中古の自転車を買って貰え通学に使ったのだが、通学途上アメリカ軍のキャンプがあり、広い駐車場にはびっしり自動車が止まっている。当時、G.I.と呼ばれたアメリカ軍人の、日本でいえば一兵卒に当たる兵士が全員車で通勤している訳だ。「こんな国とよくも戦争をして勝てるとでも思ったのだろうか、勝てっこないはずだ、、、。」と妙に納得させられたものだ。そしてそんなアメリカにに憧憬の念はもっても、そのアメリカを訪問するには、一番安上がりの船便で、しかも貨物船に便乗しても、片道料金は500ドル、当時は360円が1ドルだし、円建てで18万円、高等学校を卒業して就職して貰える給料が、月7、000円の時代である。アメリカに行くなんて、夢のまた夢の時代であったといえるだろう。同じ地球上の人間で、住む国の違いによってなぜこのような差が出てくるのであろうか。戦争中、零戦とほぼ同じ性能のグラマン、日本が零戦一機を作る間に、アメリカでは50機のグラマンを作れたとのこと、正規戦では勝ち目はないのは当然だろう。戦闘機の支援もなく沖縄に向かった、当時日本の工業水準の粋を集めた戦艦大和が、アメリカの戦闘機の餌食となり鹿児島の沖合に沈んでいるのだが、、。それから66年、日本とアメリカの一人あたりの所得も、賃金も大した差がなくなってきているが、そこまでなれたのは、第一に日本人が、働くことが好きだという民族性を発揮して働いたことと、アメリカが最高の無駄遣い(朝鮮戦争、ベトナム戦争、それと世界中に張り巡らせた軍事基地)をし、そのおこぼれを沢山頂いたからといえるだろう。スタート時点では、日本とアメリカの賃金は、1対8(1ドル360円換算で)。メイドインジャパンの製品がアメリカに多く輸出されるようになったのは、アメリカの国民は、安い賃金で生産される日本製品を割安で購入できたからだろう.。生産物が売れると景気がよくなるし、賃金も上がっていく。初めは繊維製品が、やがて機械、鉄鋼、自動車など重工業製品もアメリカの製より安く性能もいいということで売り上げを伸ばし、日米貿易摩擦を生むこととなる。その間、アメリカとの間の貿易黒字はドル(金との交換は可能で世界通貨の役割を果たしていた)建てで日本は貯め込んだ。無駄遣いにより大量のドルを世界中にばらまいたため、ドルへの信頼が薄まり、アメリカの金の保有高は著しく減少した。その結果が、ニクソン・ショックといわれるドルと金との交換の停止である。金(稀少な労働生産物)の裏付け、保証のないドルは紙切れにすぎない。為替相場は大混乱をきたし、固定相場制から変動相場制に切り替えられるが、瞬く間に、1ドル360円が、200円台にさらに100円台に変動する。つまり円高が進行し、円の値打ちも上がり、外国製品が割安で手にはいるようにもなったし、海外旅行も夢ではなくなった。日本経済、日本にとっては、万々歳のごとく思われるが、それまでのドルによる日本全体の蓄積が半減し、さらに四半減、その分がアメリカに持って行かれるという、為替変動によるマジックも忘れてはならない。そういえば、昨今のアメリカの中国元の切り上げ要求に対して、決定権は中国にあるとして抵抗しているのも理解できる。
 その国の経済の状況によって為替相場を変動させる、というのは一見正しそうだが、M・エンデのいう二種類のお金、我々の財布の中にあるお金と利を求めてどこにでも手を伸ばすお金の後者に活躍の場を与えることとなる。毎日ニュースで、円相場が報道されているが、莫大な資金が、ニューヨーク、ロンドン、東京などに分けられ、コンピューターを駆使し、時差も利用し、日々円安、円高を演出し、莫大な利を得ている現実を見落としてはならない。そうして得た利をさらに拡大すべく、原油市場や穀物市場等、先物取引に回されているのが、世界的な原油高、穀物高の原因である。各国の経済状況は、日々変動するものではないし、ほぼ半年ごとに見直して為替を変動させ、次の半年間は固定相場にすべきだと思う。そうすれば、相場を操っての投機的な資金の流れは止まり、健全な資本投資がなされることになるだろう。
 他の人より多くの汗を流して働き、また多くの知恵を絞って人類に貢献する発明発見等で多くの収入を得て、それで他の人よりいい生活をしたとしても誰も文句はないであろう。もっともそういう人は、『社会は豊かに、個は慎ましく』という、経済生活における大切な要素を体現している場合が多いと思う。今の市場主義経済万能の時代、アメリカにおける勝ち組の代表【要塞の街】に象徴されるように、『個の贅沢追求、社会は貧困層の増加』となっていくのではないだろうか。

 産業資本や商業資本の場合、その利は社会から受け取る故に、社会貢献が必然というモラルが存在し、より良い製品商品を、より安く消費者に提供することによって存続が可能という、自由主義経済の長所が生きていた。アメリカの鉄鋼王といわれた、A.カーネギーは、巨万の富を手にするまでは、競争・買収を繰り返したが、金の亡者になりかねない自分に気付き、「お金とは、社会公共のものであって、個人の所有物ではない。」として全国の大学に図書館を寄贈するなど全財産を公共のために提供し、自分の子孫には財産を残さなかった。日本でも、『節約は金次郎、使い方は銀治郎』との新聞記事に載った、藤原銀治郎は、A.カーネギーを尊敬した渋沢栄一の流れを引き継いだ実業家といえるだろう。ここまでは(産業資本・商業資本の段階)まだ人間が金をコントロールできた。金融資本となると逆に金が人間を支配することになる。M・エンデが金融の仕組みを変えないと、人類の未来はないと指摘しているのは的を得ているといえるだろう。


M.エンデの遺言

2012年05月14日 14時36分14秒 | コラム

 『人間が生きていくことの全て、個人の価値観から世界観まで、経済活動と結びつかないものはありません。問題の根源はお金にあるのです。・・・・そこで、今の貨幣システムの何を変えるべきなのか、これは人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いです。・・・・お金は人間が作ったものです。変えることができるはずです』根源からお金を問うことと題したミハエル・エンデの人類に対するメッセージの一部である。10数年前に亡くなったエンデの遺言は、今生きているわれわれが受け継ぎ、実現していかねばならないと思う。   

 彼は、今お金は二種類あり、パン屋でパンを購入する時のお金と、利を求めて株式市況とかで活動しているお金との違いを指摘している。お金を大切にという場合のお金は前者のことであろう。お金の本来の意味を持つ等価交換の手段としてのお金であるからだ。他の人の労働の産物を受け取ることが出来るからであり、そのお金を得るためには自分自身が一定時間は働かなければならないからだ。つまり一般庶民の財布の中にあるお金はその意味では必要であり大切になされるべきである。
 一方、利を生むお金は当然だと思い、ふだんの生活で倹約し、子どもの将来や己の老後のことを考えて貯金している金利が低くて大いに不満に思っている人が大多数だが、この利を生むお金の存在がおかしいとの指摘には驚かされる。そういえばイスラム銀行では利子を取らないというのは、経済生活は助け合いが基本であるとのイスラムの倫理からくるのであろう、、、。最もキリスト教もかっては利息を取ることは否定していたのだが、、、。エンデは利を生む仕組みのおかしさを、「1マルク金貨の2000年後の受取額」の例で説明している。年5%の複利計算だと、何と地球の重さと同じ金の塊の13億4000万個分になるそうだ。確かに、一般庶民が将来のため貯金するのはまともなことだし、利子がつかなくとも、物価が上がることがなければ、将来の設計に狂いが生じないし、たとえ低金利でもその預金が増えれば当然だが、利子がつかなくとも物価が下がってくれれば、安心して将来の生活に見通したがたつ。歴史とともに労働生産性は高まってきたし、資本主義の自由競争の原理はその生産性の向上に著しく貢献した。安くてよい製品が提供されるようになり、一般庶民の生活も向し、かっては王侯貴族でないと享受できないような生活も可能となった。その意味では生産性の向上とともに物価は下がるのが本来である。ところが、資本主義のもつもうひとつの原理、利を生み続け拡大再生産を止めれば競争に敗れて倒産するという現実も存在する。ここで高度経済成長の功罪について考えてみたいと思う。わが国で1960年からスタートした高度経済成長政策は、ニセ札(管理通貨)の存在なしには行えない政策である。今の経済の停滞で、あの頃はよかったのに、、、との考えも分からぬでもないが、その実態はどうだったのだろうか、、、。生産性は高まり、個人の所得も増え欲しかった商品(3C、新3C)は手に入るようになった。これは確かに高度経済成長のプラス面である。その政策を維持し、その政策のマイナス面を糊塗するために、現在に繋がる問題点が950兆円を上回る国の借金(将来の国民が負担する)である。それだけではなく、農業破壊、自然破壊、更に人間らしい生活も危険にさらしてはいないだろうか、、、。この政策の根底は企業の拡大再生産を支援し、国際競争力をつけることにより輸出拡大、そして外貨獲得にある。普通企業が拡大再生産を行うには、その企業の業績がよく獲得した利益の一部を新たな機械・原料に向けていくのが基本である。つまり自己資本の拡大なしには拡大再生産は不可能なのだが、銀行資本からの借入金を元に拡大再生産が可能な政策が取られたのである。市中銀行は企業からの需要を充たすために、日本銀行から借り入れをする。日銀がそれに応えるには、印刷機のスイッチを入れるだけで必要な資金を供給できる。当然、物価は上がるが、所得も約束どおり倍増したので、納得させられた。そのトリックを見破れないで、、、。オイルショックまでに時期、6~7年で物価は倍増したが所得も倍増したので不満はなさそうだが、この時期将来のために貯金をしていた人が損をし、借りてた方(市中銀行や企業)が得をするという事が進行した。分かりやすく説明すると、この時期、100万円を貯金した人は、当時の金利6~7%でその人の貯金通帳には、額面が増えて、7年後には142万円~149万円になっている。物 価が上がらなければ大喜びしていいが、その間物価も倍になっている。だから当初預けた100万円は、7年後には200万円になっていて同じ値打ち、50万円強はどこに消えたのか、、、。

 ここで貨幣の歴史を簡略振り返ってみよう、、、。自給自足経済の頃は貨幣など必要としない、その経済が発展し、余裕がうまれ物々交換が行われるようになっても貨幣は必要としない。物々交換が盛んとなり定期市も開かれ、多くの物資が集まるようになると、そこでの交換をスムーズに行えるために人間が考え出したのが貨幣である。つまり等価交換の役割を果たす物品貨幣のスタートである。 次のような条件を満たした物(生産物)が初期の貨幣であった。地域によって異なるが、腐ったり減ったりしない、みんなが必要とし欲しがる、少しでも値打ちがある、さらに分けても集めても元の値打ちが変わらない等の条件にあったものが貨幣となった。穀物、布、塩などがその役割を果たした。地球上の物質でそれらの条件に最適のものが地金の金である。金の産出が少なかった頃は銀が通貨として長く用いられた。やがて地金の重量が分かる鋳造貨幣が中心となる。イギリスの通貨の単位であったポンドは、1ポンドの重さ(約450グラム)の金貨のことであった。歴史的に貨幣の鋳造権は国の持つ重要な権限であるが、貨幣の質を悪くしたりするとたちまち物価に跳ね返り大きな社会問題となる。わが国でも江戸時代、貨幣の鋳造権は幕府にあったが、幕府の財政難を補うべく、五代将軍綱吉が勘定奉行荻原重秀の提案を受け、豪商から借金し、その金貨に銅を混ぜて倍の貨幣を鋳造し、その貨幣で返済し、手元に残った貨幣で財政支出を行ったため物価が高騰し庶民の怨みを買ったのは当然のことである。
 鋳造貨幣から紙幣に代わったのは、グレシャムの法則にいう「悪貨は良貨を駆逐する」が現実に横行したからだ。つまり、通用している金貨や銀貨はそれ自体値打ちがある物質だが、通用する中で磨り減ったり、中には削り取ったりする者もいて、どんどん値打ちが減っていくのだが、額面ではその表示された額で通用する。そこで鋳造権を持つ国家は、その国内で通用する貨幣として、何時でも金と交換できる約束の紙幣を発行するようになった。その為その国内の金貨は延べ棒に鋳なおされその国の中央銀行の地下室に貯蔵されることとなった。現在世界の国で兌換紙幣を使用している国はなくなったが、国と国との最終的な取引は金がその役割を果たしている。国際間の信用貨幣としては、第一次世界大戦前まではイギリスのポンドが世界通貨の役割を果たしたし、その後ドルがその地位を取って代わり、とくに第二次大戦後は世界の三分の二の金を保有することとなったアメリカの通貨のドルが世界通貨となる。世界通貨の役割を果たす条件は金との交換が約束されていることである。ところが1971年、ニクソンショックといわれるドルと金の交換が停止されて以降は、世界中の通貨は信用貨幣であり、前にも述べたように偽札に他ならない。その国の経済状況によって信用が高まったり、信用をなくして紙切れ同様になる場合もある.。人間が生み出した、交換をスムーズにするためのお金がとんでもない化け物に変質してしまったようだ、、、。


自由は土佐の山間から、、、

2012年05月09日 00時31分09秒 | コラム

 四国四県のうち高知県は訪れたことがなかったので、博多に出向いた帰りに別府から四国に渡り、日本一の清流で名高い四万十川沿いに車を走らせ土佐の地に入る。四万十川の河口の街が旧中村市で、現在は平成の大合併で四万十市となっている。市役所の商工観光課を訪れ、観光マップを頂戴するが、そこに幸徳秋水の墓地の案内がありそこを訪ねることにした。検察庁敷地脇の狭い路地の奥まったところに秋水の墓はあったが、旧中村市議会で彼の名誉回復の決議がなされたのは、彼がえん罪事件で刑死してから90年後のことである。検察庁の建物から秋水の墓が見られるし、二度とえん罪事件を起こさないとの検察当局の決意が鈍らないのを願うものである。

 大逆事件は1910年、信州の山奥で爆弾作成の疑いをかけられた宮下某の逮捕をきっかけに、天皇暗殺計画なるものが浮上し、1889年、大日本帝国憲法成立、大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す(第一条)、天皇は神聖にして犯すべからず(第三条)の国権主義の体制を目指した藩閥政治が、その体制を万全のものにするために、刑法73条を改正、反対勢力である社会主義、無政府主義(国権主義に対する民権派)を一掃すべく、幸徳秋水等を秘密裁判で断罪した出来事である。

 幸徳秋水、名は伝次郎、中村の豪商の家に生まれ、土佐から沸き上がった明治政府の目指した方向とは異なる道を選ぼうとした自由民権運動の理論的指導者といわれ、東洋のルソーとも言われた中江兆民に師事し、師からその才能を見込まれ、秋水の号を与えられた人物である。徹底した民権思想を師の兆民から受け継ぎ、ジャーナリズム精神を発揮し、度々発禁処分を受けたり、逮捕拘束されたりしたが、一貫して民権の立場で論陣を張った。特に、万朝報が大勢に押されて日露開戦論に傾くと、平民新聞を発行し、日露戦争に反対の態度を貫いた。彼の尊い命は、天皇が神に昇格する儀式における生け贄にされたと言って過言ではないであろう。そして神となった天皇が人間宣言によって本来の人間に戻るまで、何をもたらしたかは、すでに歴史として明らかになっている。

 土佐の国は、北は1500mを超える四国山地が屏風のように覆い、南は黒潮の波打つ太平洋を望む250キロにも及ぶ海岸線を持つ山国でもあり海の国でもある。多くの降水量、温暖な気候、それでいて台風の襲来地でもある。その地の風土はそこで育つ人に大きな影響を与えるようで、まさに環境は人を創るを実感できるのがこの地のありかたである。かんざしを買うお坊さんもいれば、ジョン万次郎、坂本龍馬は有名だが、大河ドラマにもなった主人公は400年前、良妻故に大名にまで出世した人物だし、その子孫は、幕末には公武合体の中心人物として力を発揮した。三菱の創業者、岩崎弥太郎も土佐の人間だし、自由民権運動の活動家には、板垣退助、植木枝盛等、この地出身のものが多い。植物学の牧野富太郎、漫画家の横山隆一、「天災は忘れられたる頃来る」等の箴言を残した寺田寅彦、まさに多士済々といって良いであろう。

 東西に幅広い高知県は、中村から高知までは100キロ以上ある。高知市役所で高知市の案内図を受け取るが、訪れてみたいところが多く、とても二、三日では、回りきれないであろう。一カ所に絞るとしたら、この地を訪れた証となるのは、高知市立自由民権記念館であろう。高知市制100周年の記念施設として建設されたもので、『自由は土佐の山間から』をテーマに自由民権運動に関する資料を収集、展示し、次の世代にその精神を引き継ごうとする施設である。自由通行証という入場券で入場するのだが、パンフレットには、高知県の県詞となっている、『自由は土佐の山間から』が大書されているし、そのパンフの中の文を二、三紹介しよう。

  『自由は取る可き物なり、貰う可き物にあらず。』・・・・中江兆民

  『未来が其の胸中に在るもの、之を青年と云う。』・・・・植木枝盛
 
 わが国の近代政治の抗争は、基本的には国権重視か、民権重視かであり(より分かりやすく云うと、国あっての民か、民あっての国かであり、孟子は紀元前に民本主義を提唱していた。)、国権重視派が一貫してわが国の近代史を動かしてきた。 『富国強兵』がその目指す方向であった。確かに19世紀、20世紀の帝国主義の時代、欧米列強のアジアの植民地化に抗して、独立を保つためには、中央集権国家、国権重視を選択せざるを得なかったことは理解できる。民権重視の自由民権運動が敗北したのも、ある意味では必然だったのかもしれない。しかし、欧米諸国との間に、幕末に結ばされた不平等条約の治外法権の撤廃・関税自主権回復した段階で、民権重視に切り替えるべきであった。それを目指し、半ば実現したのが、大正でデモクラシーといわれる民権重視の国民の政治運動であった。男子の普通選挙が実現し、労働運動や小作争議など一般民衆の民権意識が向上した時期である。吉野作造の民本主義を実現を目指した加藤高明の護憲三派内閣で大蔵大臣になり、1929年世界恐慌の起こった年に総理大臣となり、軍部の反対を押し切ってロンドン軍縮条約を結んだ浜口雄幸が土佐の出身であることは、自由民権運動は圧殺されたが民権意識がこの地の底流として彼に引き継がれていたのであろう。その浜口が東京駅頭で狙撃され、『男子の本懐』とつぶやいたと云われるが、彼の辞任後まもなく「満州は日本の生命線」を主張する国権主義者が満州事変をおこし、中国への侵略、、、。その結末が65年前の敗戦である。

  民を護るには自由が欠かせないし、国を護るには軍隊が必要だ、と考えられているが、前半部は正しいが、後半部には疑問符が付くのではないだろうか、、、。しかも国権主義者は民を護るにも軍隊が必要だとの考えを刷り込むことに成功するばあいがある。9-11はアメリカを護る、我々をテロの恐怖から護ってくれるとの世論作りに成功したし、アフガン・イラク攻撃による国益(実際は産軍共同体の利益)追求に大多数のアメリカ国民は支持を与えた。時間の経過とともに真相が表面化し、引くに引けない泥沼化は、いつまで続くぬかるみぞと共通するものになってきている。軍が民を護らない現実を体験したのは、沖縄県民と満州(中国の東北)棄民である。

 『こちらが軍備を撤廃したのにつけ込んで、たけだけしくも侵略してきたとしても、こちらが身に寸鉄を帯びず、一発の弾丸も持たずに、礼儀ただしく迎えたならば、彼らはいったいどうするでしょうか。剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。』100年以上も前、中江兆民が「三酔人経綸問答」の中で語らせている彼の哲学である。日本国憲法第九条,①、②項は、アメリカに押しつけられたのでなく、平和を愛する諸国民への日本人の約束であり、その精神は、中江兆民の徹底した民権思想の背後にある「武器よさらば」である。


人権と特権

2012年05月05日 12時04分56秒 | コラム

 権利は義務を内在する。権利が一人歩きしたり、その批判として義務が強調されると、民主主義(人類共通の財産)が混乱し、不信感すら生じてきてファシズムの台頭に手を貸すこととなってしまう。個人が人権を正当に行使することは、同時に社会的義務を果たすことであり、その義務を義務と感じないことが、正しく権利を行使し、義務を果たした証拠といってよいであろう。民主主義とは権利と義務が表裏一体のものとして認識される社会を目指す人間の営みと言い換えても良いであろう。
 話を進める前に、言葉の定義を押さえておく必要がある。民主主義とその対比となるファシズムの定義である。民主主義とはひとり一人を大切にする(人権の尊重)ことが全体の幸せに繋がるという理念であり、ファシズムとは、全体の幸せのためには、個人(少数者)の権利が制限されても仕方がないという考えである。歴史的にみても、時として民衆がファシズムを歓迎する時があるが、それはカリスマ性を持った独裁者が、民衆の耐え難い現在での苦しみを和らげるモルヒネともいえる将来の幸せを民衆に与えることに成功した場合である。そして約束した、その将来の幸せは往々にして夢幻に終わるのも歴史の常ではあるのだが、、、。
 
 古い上着(ファシズム)にさよならし、民主主義の国として再建を目指した戦後ではあったがわが国でも自由民権運動や大正デモクラシーの歴史を踏まえた民主主義の動きも小さいながらあったし、戦後民間でも新たな憲法を作る動きもあったのだが、当時の政府が目指した政治改革があまりにも非民主的(ポツダム宣言に反する)であったため、占領軍によって、日本国憲法草案なるものが作成されることとなった。当時、憲法草案作成に当たったのは、ニューディール左派といわれる、もっとも民主的なグループであった。彼らはそれまでの人類がた
どり着いた領域の中で、もっとも先進的内容を含んだ憲法草案を作成し、敗戦国(改革が容易)日本をモデルに、やがて世界各国に広めることを願っていた。ところが、冷戦体制で利を得るもの(大戦中軍需経済に傾いたアメリカの大企業)の意図を反映したアメリカに於けるマッカーシズム、日本においては公職追放解除となった保守陣営との結託により、わが国は冷戦構造に組み込まれ、日本国憲法の理念は、特に平和主義の理念は大きくゆがめられていくこととなった、、、。

 もっとも先進的な平和主義に関する条文、第9条は1928年の不戦条約をさらに徹底させるものであったが、解釈改憲によりその理念は失われ、昨今は、条文改悪まで政治課題となってしまった。一方基本的人権に関しては、世界人権宣言の内容のほとんどが同様な文言ですべて日本国憲法に明記されているのだが、権利ばかりで義務がないなどとの的外れな保守勢力からの批判があるが、もう一度、基本的人権に関する日本国憲法の条文を読み返してもらいたいものだ。条文としての三つの義務は、納税の義務(30条)、保護する子女に普通教育を受けさせる義務(26条②)、勤労の義務(27条)であるが、道義的かつ社会的義務として、公共の福祉(みんなの幸せ、利益)という歯止めをかけている。権利の利用責任として、その行使者に対し、公共の福祉のために、、、(12条)、権利の行使に当たっては、公共の福祉に反しない限り、、、(13条、22条)、財産権に関して、公共の福祉に適合するように、、公共のために、、、(29条②、③)との歯止めである。
 前にも述べたように、権利を正当に行使すれば同時に社会的・道義的義務を果たしたことになる。そうでない場合は、権利の行使ではなく権利の乱用、つまりは特権の行使と言い変えても良いであろう。個々人は、18条で奴隷的拘束・苦役からの自由を保障されている。その基本権を行使できるためには、26条での教育を受ける権利で自分の能力個性を引き出してもらえる権利がある。そして、22条の職業選択の自由で自分の個性能力にあった仕事についていくことが出来る。そういう自由を獲得できれば、誇りを持って、俺はこの働きで、自分と家族を養い、働く喜びを感じるとともに社会に役立ち貢献することが出来ていると思う、との主張が出来る。フリーターをそうなるまでの過渡期と考えたいが、実際はどうなのだろうか、。楽で収入の多い職がないゆえのフリーターでは困るのだが、、、。そして最終的には、生活のために身の入らない仕事を続けなければならない人生を歩むとしたら、18条すら獲得できない人生となってしまう。
                                                           
 憲法の理念と現実の社会事象には大きなずれがあるが、具体的例を挙げて考えてみたいと思う。

 
 事例・・・・職業選択の自由(医者になる)

                A    君               B   君
   
   動 機     病気で苦しむ人を失くしたい。     社会的地位が高く、儲かる。

   経 過     使命感のもと努力した。         いろんな手を使い医学部入学 
            国家試験合格               国家試験合格

   権利行使   無医村赴任。               大病院経営。
            国境なき医師団。            健保制度悪用。
            薬漬け批判本来の医療活動。    製薬会社との密着。

            公共の福祉のために権利を行使。  公共の福祉に反する権利の乱用。
 
 動機が不純では、その人間の人生そのものがおぞましいものになってしまう。人間の評価には困難が伴い、毀誉褒貶は世の常といいながら、最終的な決め手は自己評価であろう。  自らを省みて恥ずことなし、との人生の終末を迎えるためには、A君のような生き方をすることだろう。教育の本来は、家庭・学校・社会教育を通して、A君のような人間を育成することにあると思う。そして、現実の世の中は確かに、Might is right.の世であるが、それを、Right is might、の世にする地道な営みが人類の生み出した英知、教育というものだ。ところが、今は世を挙げて、B君のような人間を、競争というルールの下作り出してしまっているのではないだろうか、、、。


人類の財産、日本国憲法

2012年05月03日 07時07分41秒 | コラム

 日本国憲法も今年で65年目を迎えた。人類の財産をちりばめた多くの条文は、日本国民にとって身の丈過ぎるものだったのだろうか、、、。猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、等の諺もあるのだが、、、。日本国憲法第3章の第10条~第40条までは、、自由権、社会権、人権保障する諸権利が集約している。世界史的に永い永い封建的束縛、絶対王政による専制から解放を目指す市民革命(17C.イギリスの二つの革命、18C.末のアメリカ独立、フランス大革命)によって実現できたのが、19世紀の権利、自由権だ。その中でも経済活動の自由(日本国憲法では、22条と29条)は資本主義社会を生み出す原動力となった。そしてその資本主義社会で生じた新たな経済的差別を解消するために主張され、権利として確定したのは、イギリスに於ける労働運動、フランスの2月革命、パリコンミューン、ロシア革命、ドイツ革命によってである。自由権が国家からの自由と称されるのに対して、国家による自由の保障という意味で、社会権と呼ばれ20世紀の権利とも言われる。日本国憲法では、25条、26条、27条、28条で取り入れられている。そしてこれらの諸権利の本質を、11条、12条、13条、97条で糺し、国民に自覚と責任を求めている。改憲論者は権利ばかりで義務がないなんて言って批判しているが、読み違いもはなはだしく、何か意図的なものを感じる、、、。

 前文と第2章第9条は二つの世界大戦という人類にとっての悲劇を教訓に、人類の文明が到達した、戦争のない地球にするための最高度に置かれたベースキャンプといえるだろう。
 自由権が19世紀の、社会権が20世紀の権利として定着したように、be+ingの権利、人類が勝ち取ろうとしている権利が平和のうちに生きる権利(平和的生存権)であり、この権利を21世紀中に定着させ、人類が22世紀を迎えることが出来るようにするのが、今この困難な時代を生きているすべての人間の責務であろう、、、。
 改憲論者は、いろいろな俗論、迷論を振りかざし、いろんな主張をしているが、彼らの最終目標はこの人類がたどり着いた最高度のベースキャンプの撤収にある。孔子の言、『君子は義にさとり、小人は利にさとる、、、』とあり、政治は最高の道徳であり、政治家は君子であるべきなのだが、利に絡め取られた政治家の、エセ正義を振りかざしてのプロパガンダに惑わされてはならない。

 社会問題の根本は経済にあるのだが、資本主義経済の問題を解決しないと、戦争のな地球の実現は不可能どころか、近い未来に人類のない地球を実現されかねない、、、。      アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズを超えた経済学、つまり軍需経済に代わる平和経済学を確立しなければならない。これは今喧伝されているグローバリズムの経済ではなく、反グローバリズム、資本主義の経済成長路線でなく、循環経済路線から生まれてくるであろう。

 第二次世界大戦が終了時、わが国に押し付けられたと改憲論者は主張するが、百歩譲って、押し付けられたとしてしても、当時の人類の最高のものを、平和を愛する諸国民によって押し付けられたのであって、それを代弁したGHQも当時はニューディール左派のリベラリストが多く、主流をなしていた。人類の歩みにに対するブレーキが冷戦である。大戦後社会主義を選ぶ国が増えたのは、その国の国民であって、経済の発展の遅れた自国の国民生活を安定させるために、より無駄のない社会主義経済がよいと考えたからだ。一方社会主義の広まりを脅威に感じ、それを押しとどめようとする、社会主義を敵視する勢力が、アメリカで権力を持つ(マッカーシズム)こととなり、人類の文明化を遅らせることとなる、、、。かって、世界で最初に社会主義革命を成功させたロシア革命の指導者レーニンは、将来は社会主義と資本主義は限りなく近いものになる、と発言していたし、ニューディール政策で資本主義の危機を救ったルーズベルトは、社会主義は競争相手ではあるが敵ではない、われわれの敵はファシズムだ、との立場をとっていた。人類にとって不幸なことは、レーニンの後にスターリン、ルーズベルトの後にトルーマンを迎えたことだ。ロシア革命に対する干渉戦争としての、シベリア出兵(日本も最後まで続けた)、さらに、ナチスドイツの出現、日本の軍国主義の台頭などによって、社会主義建設よりも体制防衛、その急速な軍事優先ゆえのスターリン独裁を生み出すことになった。トルーマンドクトリンは社会主義を敵視する封じ込め政策であり、第二次大戦中に軍事経済化したアメリカの大企業の利と結びつくこととなる。そのためにアメリカの対日占領政策は大きく転換し、アジアに於ける社会主義の広まりを防ぐ防波堤の役割を求められるようになった。GHQのスタッフもリベラルから保守派に変更され、日本に9条を与えたのは間違えであったとの発言すらなされた。天皇に対する忠誠心をアメリカに対しての忠誠心に変更することをなんら恥じない人たち(公職追放を解除されて政財界に復帰)にとって第九条はずっと継子扱いを受けることになる。しかもその人たちがずっと日本の政権を担い続けた。正嫡子を求める国民の要求(憲法32条)も地方裁判所では認められた例はあったが(砂川事件での米駐留軍は違憲、長沼訴訟での自衛隊違憲等)、上級審では統治論で破棄された。そして現在、継子から捨て子にされようとしているが、そうはさせてはいけない。世界中の国々の嫡子にするために微力な力を集めて力にしていく必要がある、、、。

 そのためには主権者である国民の意思が政治に反映される民主主義を日常化させなけばならない。主権者は民主主義を政治家に望むのではなく、自分たちで、自分たちの政治行動(現在では選挙が最大のチャンス)で、国会内の民主化、行政の民主化、そして司法の民主化を実現させなければならない。そして民主化された司法で、アメリカ駐留軍はポツダム宣言違反であると同時に憲法違反、自衛隊は憲法違反の最終判決を得ることができれば、長く厳しい外交交渉によって、沖縄はもちろんのこと日本全土から米軍基地をなくし、自衛隊を平和建設隊に改変し、コスタリカに先取りされた、65年前に決めたはずの軍隊のない平和国家目指すことが可能となる。”経済大国は軍事大国化する”との法則にも例外があることを証明することによって、、、。そうすることができれば、“日本は世界に先駆けて”正しいことを決めたのです。世の中に正しいことほど強いものはありません。”と決めた自国に誇りを持て、その責めを果たすことによって、世界中の人々から信頼、尊敬されるようになるだろう、、、。


五月はMAY、可能性の月、1,23%の進化を活かそう!

2012年05月02日 12時46分41秒 | コラム

 遺伝子情報の解明が進んで、塩基配列で犬の場合約25億、人間の場合約30億といわれている。そしてその配列の98.77%がチンパンジーと同じであること、1.23%が約500万年かけて進化した人類の人類たる所以であるとのこと、その進化が命を生み出した奇跡の惑星にとって幸運だったのか不運だったのかは、これからの人類の日々の営みによって決まって来るであろう、、。
 科学は、地球誕生が約46億年前、その6億年後に海の中に生命誕生と想定しているが、40億年をかけての命のリレーで、下等動物から高等動物へと進化したということを、ゲノム解読という最新の科学技術で証明してくれてるのだが、今もってこの地球上の人類の多くは、『人間が神をつくった』のではなく『神が人間をつくった』と考えさせられているようだ。
 人類が今後、気の遠くなる歳月をかけて進化を遂げることが出来れば、人間だけに染みついたエゴを克服し、無限の宇宙の何処かに命の継続が出来て、命を生み出した惑星、地球消滅を記録できる人類の遙かなる子孫の出現が可能となるのだが、、、。その新人類が今の人類を見る意識は、今の我々が下等動物にそのルーツを見るような感覚となるかもしれない、、、。

 こんな超未来のことを予想し(空想に近いが)、現在の人類に警鐘を加えるのも、人間だけが持つ権利あり、義務であると思う。1.23%の進化で、人間の素晴らしさもおぞましさも引き継いできた今の我々であるが、より進化すればというより、より文明化すれば、人類の持つ無限の可能性を無限の宇宙空間に向けて広げていけるだろうし、進化しなければ、より文明化しなければ、イギリスの未来学者が予言しているように、1億年後は哺乳類はほぼ絶滅に至るであろうし、人類はそれ以上の早い段階で絶滅することになるだろう。

 中学校の社会科で、人間と他の動物との違いについて直立歩行、重い頭を支え、知能の発達、そして、火・言葉・道具を使う、と学習したのではあるが、、、。人間以外の動物でも、生命維持、種の保存に役立つ経験から身に付いた知恵の伝達方は持っていたり、原始的な道具を用いる生き物は存在する。絵を描くようになり、絵文字から、象形文字、さらに表音文字にいたる文字の発明は等比級数的な知恵の蓄積を可能としたし、短い期間で地球の支配者の地位を得たといえるだろう。人類の歴史、500万年の大部分は、生きていくのがやっと、つまり貧しさ故に差別を知らない時代であった。四大河文明の発祥の地は、地球上で自然条件に恵まれたところで、多くの人口を養うことが出来、小国家の成立から広い地域にまたがる統一国家の出現を見ることになる。 牧畜・農耕によって生活が安定したのであるが、あまりの産物の私有観念も生まれ、身分の差も生まれてくる。

 ヨーロッパ人が移住してくる前の北米大陸のアジア系先住民は私有観念を持っていなかったし、日本列島の先住民アイヌ語に、私の物という言葉がない。言葉によって引き継がれた知恵を多く保持している部族のリーダーは存在しても、身分の差は存在しなかったようだ。古代文明の栄えた地に身分の差が生まれたのも、この1万年以内のことであろう。それ故に、差別を憎むDNAは全ての人類に引き継がれているし、この一万年の間に差別を肯定し、それを正当化する論理も生まれてきたようだ。エジプトやインカで、 『王は太陽の子である。』と信じられたし、ローマ帝国と結びついたキリスト教の論理(人間、キリストの教えとは大きくずれてきたのだろうが)が永くヨーロッパ全体を支配したし、今もって、進化論に否定的な教派も存在するし、今のアメリカではキリスト教右派の勢力が政権中枢にあって、パックス・アメリカーナの実現を目指している。

 『人間は考える葦である。』との名言があるが、人間が人間について考え、人間がつくる世の中について考え出したのはいつからなのだろうか、、、。文字によってその考えが蓄積されてきたのだが、エゴむき出しの争いが続いた中国の戦国時代、諸子百家といわれるいろんな人物がいろんな考えを述べている。今から2500年も前のことである。
 孔子は、『乏しきを憂えず、等しからざるを憂う。』とて、為政者に徳を積むことを求め、徳を積んだ為政者の下では一般民衆は平和的に幸せな生活が送れるとしたし、彼の先輩に当たる老子は、人間の欲望を減じることが大切だとし、81章の道徳経を残し何処かへ去っていった。性善説の墨子もいたが、現実の政治権力は、性悪説の立場に立つ法家の考えを取り入れ、戦乱を収拾したのが秦の始皇帝である。己自身の不老長寿を願っての、絶対権力の行使は、除福伝説を残したし、始皇帝陵、地下宮殿の解明が永きにわたって継続しているように、人間の欲望は、古今東西変わりがないといえるのだろう。
 その限りない欲望を何に向けるかによって、その人間性が問われることになるのだが、『金と権力』はそれを追い求める者にとっては最高の魅力のようだ。ブッダは、2500年も前に『有り余る財は身を滅ぼす。』と諭したのだが、彼自身は何ら不自由のない、シャカ族の王族に生まれながら、人生を深く考え、当時のカースト制度に疑問を感じ、『人は生まれによって卑しいのではなく、その行いによって卑しくなるのだ。』と説いた。老子の影響を受けたと言われるルソーやトルストイも、自己否定することによって一段と高い人間性を発揮した。それまでの哲学大系を、唯物弁証法として総括したマルクスも、裕福な弁護士の家庭に生まれながら、資本主義成立期のイギリス労働者の過酷な状況に対し、その原因と解決策を、イギリス社会を分析することにより、『資本論』という書物で明らかにした。働く者の立場に立った彼の思想は、働く者を使う立場の人にとっては、危険きわまりない思想となる。労働者の団結権が合法化されたのは、第一次大戦後のワイマール憲法によってであり、わが国では戦前は治安維持法で徹底的に弾圧され、戦後の日本国憲法よって初めて合法化された。
 『ナニワ金融道』という書物でベストセラー作家となり、資本主義体制の下で成功者の地位を占めた、故青木雄二氏が盛んにマルクス主義を宣伝していたのは、彼なりの自己否定の生き方だったのかもしれない。自己否定の人生を選ぼうとする者がもっとも進化した人類のパイオニアーといえるのかもしれない。『金と権力』が支配する現実を肯定し、その中で成功者たらんと努力している人が多く存在する昨今だが、一部の成功者と多数の敗者を生む先には、人類の堕落、ひいては滅亡があるということを忘れてはいけない。多くの人は漠然としたそういう危機感は持ちながらも、自分の生きているうちは何とかなるだろう、との安易な考えでその日を送っているのではないだろうか、、、。

 自業自得という言葉があるけど、人間が自ら創り出したものによって自らが困難に陥る例が、金と核兵器である。生産力の増強で人類の生存を容易にし、人口の増加、そして物々交換をよりスムーズに行うために人間が生み出したのが交換の仲立ちとしての“金”である。ところが、その金が一人歩きをし、まとまった金(資本)が人間を支配するようになり、『金は自由へのパスポート』とばかり、金を得ることが幸せに繋がるという錯覚を人間にしみこませているのが現状だろう。それ故に、道徳・人間性に反しても、法に触れない金儲け、法に触れる贈収賄、談合も摘発されるのは氷山の一角となれば、ばれない仕組みはより巧妙化して続けられる。『有り余る財は身を滅ぼす。』はブッダの言葉だけど、現在の地球上では、一年間で世界中の人間が生産する富の10倍の金が存在するため、その有り余った金は、為替相場や株式市場さらに石油市場等で利を求めて動き回っているため、人類のみならず地球をも滅ぼしかねない状況である。
 原子力エネルギーも現在の技術では数万年単位の有害な核廃棄物を残す問題が解決されてないが、鉛の部屋に閉じこめ、徐々にエネルギーを引き出す核の平和利用は否定されるものではない。化石燃料(有限である)を消費しての地球温暖化の防止には貢献するだろう。しかし廃棄物の根本解決策が見つかるまでは、ドイツが試みているように太陽光、風力に頼るべきであろう。人類の絶滅、消滅に繋がることはあっても、人類に何ら貢献しない核兵器は直ちに破棄すべきである。その為には、まず核保有国が、自己否定して核兵器廃棄に取り組むべきだ。その上で、核兵器を製造しようとしている北朝鮮やイランに、核兵器はつくるなと主張できるし、説得力もある。それでもだだっ子みたいに核兵器を持とうとするのだったら、経済制裁、場合によっては国連軍を派遣し核兵器工場を封鎖すべきだろう。

 人類は幸せを求めて、約1万年かけて今の世の中をつくってしまった。キリスト教や仏教、イスラム教が、その教えに従って慎ましく生きていれば、天国や神の国、極楽浄土に生まれかわれると、民に約束したのだが、、、。啓蒙思想家が主張した、死後ではなく、この地球上に、豊かさの中で全ての人が助け合って生きていく世を、、、が実現するには、同じ1万年の歳月が必要となるかもしてない。これも核兵器や金によって人類が消滅しなければの話であるが、、、。